第8話 悪魔の商談

「バレット。アンタは甘い。いくら下級悪魔の限界まで能力値を上げようと、腹の底に悪魔の真髄しんずいが備わっていない限り、今より上に行くことは出来ない。この先は壁をブチ破れずにイジけて腐って落ちぶれていくだけさ」


 リジーはその目に冷たい光をにじませてそう言った。

 その口ぶりがしゃくさわり、俺は目の前の女悪魔をにらみ付ける。


「もう一度言ってみろリジー。てめえ。俺をナメてると今ここで殺すぞ」

「おお怖い。けど今のアンタはナメられても仕方がないんじゃないのかい?」


 ニヤつきながらそう言うリジーだが、その目の奥には冷たい光を宿したままだ。


「バレット。堕天使の野盗ごときを相手にあれほど手こずる奴が、上級種を相手に何が出来るってんだい? 今のアンタじゃものの1分ともたずに殺されるよ。そんな甘いもんじゃないって分かってんだろ。以前のアンタなら期待した役割を十分に果たせると思ったからアタシは誘いに来たんだ。けどアテが外れちまったね。バレット。今のアンタを連れていく価値はないわ」


 頭にくる言い方だが、リジーが俺をあざけってそんなことを言ってるんじゃないことが分からないほど俺は馬鹿じゃない。

 戦力にならない兵を連れていく将は己の身を危険にさらしているも同然だ。

 リジーは現時的な判断をしているに過ぎない。


「そうかよ。お気に召さないなら、とっとと帰りな。茶も出さずに悪かったな。ケッ」


 悪態をつく俺に、リジーの笑みが冷ややかさを帯びる。


「ガキの使いじゃないんだよ。バレット。こんなところまで出向いて小遣こづかい程度で帰るほどアタシはヒマじゃない」


 そう言うとリジーはズイッと身を乗り出してきた。

 その目を細めて俺の瞳の奥をのぞき込む。


「あの小娘にハメられたその首輪で攻撃力を奪われ、小娘に手出し不可能な状況ってのは理解したよ。けどねバレット。アタシは不思議で仕方ないんだよ。一刻も早く首輪を解除したいなら、どんな手を使ってでも小娘を締め上げるべきじゃないのかい? どうしてそうしない?」


 そう言うとリジーは一転して狡猾こうかつな表情を見せる。


「運営本部からの解除プログラム待ち? まさかそんな小娘の言い分を真に受けてんのかい? らしくないねえバレット。そんなもんは何とでも言えるもんさ。天使どもはすずしい顔でうそをつくって知らないわけじゃないだろ? アンタ、あの小娘の細工さいくで体だけじゃなく心まで骨抜きにされちまったんじゃないか」

「てめえ。俺が怒らねえとでも思ってるのか? ふざけたこと抜かすなよリジー」

「いいや。言わせてもらうよ。小娘に直接手を下せないなら他の方法を考えるだろう。アンタがそうしなかったとは思えないね。たとえば今ならアタシがここにいる」


 そう言うとリジーは自分の胸に手を当てた。


「アンタは力を封じられているけど、アタシは封じられちゃいない。今ここでその小娘を痛めつけて知ってることを吐かせるのも思いのままさ」


 そう言うとリジーは鋭いつめで首をき切るポーズを見せる。

 確かに今ここでこいつに依頼してティナの奴を拷問ごうもんでもすれば首輪の解除についてもっと有利な条件を引き出せるかもしれねえ。

 ティナがうそをついているとしても、リジーならあらゆる手段を用いてあばき出すだろう。

 こいつはそういうのが得意だからな。


「自分でどうにか出来ないなら、アンタは他の誰かの力を利用するべきだったんだ。と言っても仲間もいない孤独なアンタじゃ頼める知人はアタシくらいしかいないだろうけどねぇ。くふふふ」


 そう言ってリジーはのどを鳴らして笑い、俺に手を差し伸べた。

 その目があやしく光る。


「いくら払う? あの小娘から情報を聞き出してやってもいいよ」


 確かにリジーなら俺とはまったく違うアプローチの仕方でティナから情報を聞き出せるかもしれねえ。

 金を払うのは惜しくねえし、そうしたほうが楽で確実だろう。

 だが……。

 

「手出し無用だ。リジー。さっきも言った通り、その小娘には重要な使い道がある。おまえの拷問ごうもんで廃人にするわけにはいかねえ」


 そう言うと俺はリジーの手をピシャリと払いのけた。

 リジーは気を悪くした様子もなく自分の手をさすりながら余裕の笑みを浮かべる。


「おやおや? まさか同胞の有益な申し出を断って天使のお嬢ちゃんを守るつもりかい? やめときなバレット。アンタに子守りなんて似合わないよ。その首に巻いているクソダサイ布っきれと同じくらいね」

「リジー。言っておくがな、確かに天使は俺にとっちゃ明確な敵だ。事が済んだらこいつがその後どうなろうと俺の知ったこっちゃねえ。だが俺の用事が終わらねえうちはこいつに手出しはさせねえよ。それに同胞なんてお寒い言い方はやめろ。俺がおまえも含めた悪魔どもに対してそんな仲間意識を感じていると思うか? ねえよ。ひとかけらもな」


 俺の言葉にリジーはわざとらしく肩を落として落胆したフリをしてみせる。


「なるほど。天使だろうが悪魔だろうが自分以外はみんな敵ってことか。付き合いの長いアタシすら同胞と思ってもらえないなんて寂しい限りだよ」

「抜かせ。金にしか興味ない奴がどの口でほざきやがる」


 俺はそう言うとさっきの助太刀すけだち料金となる金貨数枚をリジーに放った。

 それを受け取るとリジーは降参といったように両手を上げる。


「分かった分かった。ま、アンタの好きにすりゃいいさ。こっちはこっちで別の方法を考えるよ。まったくとんだ無駄足だったねぇ」


 そう言うとリジーは立ち上がった。

 こいつは金には執着するが金にならないことには無頓着むとんちゃくだから、これ以上俺に談判しても無駄だと理解したんだろう。

 だが、俺はそんなリジーを呼び止めると自分も立ち上がる。


「いいや。無駄足にはならねえさ。逆に俺から一つ鍛冶かじ仕事を頼みたい。謝礼は弾む」


 俺の言葉にリジーが目を細めてニヤリと笑みを浮かべる。

 

「へぇ。満足する金がもらえるなら断る理由はないけど」


 そう言うリジーをともない、俺はティナを残して部屋を出た。


「こいつだ」


 リジーを連れてとりでの外周通路に出た俺は、とりでの外壁に突き立ったままの黒槍を指差した。

 その周囲には激しく燃えた痕跡こんせきが残されている。

 俺の灼熱鴉バーン・クロウ堕天使だてんし頭目リーダーを燃やし尽くした跡だ。

 それでもその黒槍だけは高熱に溶け落ちることもなく平然とそこに突き立っていた。


「この槍はまるで意思を持っているように主人である堕天使だてんし頭目リーダーを守ろうとしていやがった。忌々いまいましいことに俺の炎を受けても熱せられず溶けもしない」


 それを見たリジーは羽を広げると外周通路から身をおどらせて宙を舞う。

 そして黒槍の前に止まると、槍の石突きに手をかけた。

 その目が大きく見開かれる。


「こいつはめずらしい。炎魔のはがねじゃないか」

「何だそりゃ?」

いにしえの時代に炎の魔神が灼熱しゃくねつの吐息できたえたはがねで、現世の炎じゃ溶かせないほど熱への耐性に優れた金属さ」


 興味深げに目を細めるリジーとは対照的に俺は疑いの眼差しを向けた。


「そんなはがねをどうやって武器にしたんだ? 熱で溶かせないなら鋳造ちゅうぞう鍛造たんぞうも無理だろう」

「こいつはね、熱じゃなくて特殊な魔力ガスを使って溶かすんだよ。まあ、素人しろうとのアンタに専門的な話をしても仕方ないけどさ。で、この槍をアタシにどう打ち直してほしいんだい?」


 そうたずねるリジーに俺は拳を見せて端的に言った。


「手甲だ」

「なるほどね。いいよ。ただし、こいつは特別料金が必要な案件だ。なぜなら……」


 そう言うとリジーは黒槍を握って引き抜いた。

 その途端とたんに槍の穂先が弱々しく震え出す。

 そうだ。

 この槍はまるで己の意思で主人の堕天使を守るかのように動いていた。

 そんな黒槍を目を細めて見ながらリジーは言う。


「この槍には主君を守ろうとする忠誠の呪文がかけられている。だからこいつをつぶして新たな武器に変える前にそれを解呪しないとならないねぇ。解呪は私じゃ出来ないから知り合いに外注することになる。だから特別料金さ」

「その辺は任せる。さっそく取りかかれるか?」

「いいよ。城攻めは当面無理そうだし、目の前の小銭稼ぎにいそしむとしますか」


 そう言うリジーが提示した額は小銭というには結構な金額だったが、俺はその代金の半分を前金で支払い、残りは受け渡しの際に支払うことを取り決めた。

 解呪の時間もあるため完成には数日の日数を要するとのことだった。

 受け渡しはこのとりでで行い、とりあえず2日後に進捗しんちょく状況を知らせる使い魔のからすをここへ送ってくるそうだ。

 俺たち悪魔はティナのような通信手段を持っていないため、主に鳥を使い魔にしていることが多い。

 俺自身は他人と連絡を取り合うことがないため、使い魔は持っていないが。


 ともあれ商談はまとまった。

 俺の体から発せられる熱にも耐えられる手甲。

 出来れば上級種との戦いの前に欲しかったが、今後のことも考えればここで作っておいて損はない。

 リジーは槍を手に去りぎわ、振り返るとこんなことを言いやがった。


「バレット。一応忠告しておくけど、あのお嬢ちゃんに少しでも情けをかけないほうがいい。いずれアンタを破滅させる火種になるかもよ」


 フンッ。

 余計なお世話だ。


「忠告は無用だ。情けだ? 俺がそんなもん少しでも持ち合わせてると思うか? ねえよ。砂一粒すなひとつぶほどもな」

「そうかい。なら結構」


 そう言って鷹揚おうように手を降ると、リジーは海とは反対側に広がる荒野の彼方へと飛び去っていった。

 遠ざかるその後ろ姿を一瞥いちべつし、俺は吐き捨てるように言った。


「ケッ。いらんこと抜かすな」


 リジーは昔から口の減らねえ女だ。

 だが鍛冶かじの腕は確かだし、金に見合った仕事はする。

 リジーとは古い付き合いだから、その仕事ぶりは知っていた。

 だから俺はあいつに仕事を依頼する時は金を出し渋らねえことに決めているんだ。

 あいつのことだから、そんなことをすればどんな適当な代物しろものをよこすか分からねえからな。

 決して安くない買い物だが、リジーなら間違いのない一品を持ってくるだろう。


「さてと……おい。そんなところに隠れてねえで、そろそろ出てこい」


 俺が振り返ってそう言うと、外周通路からとりでの中に入る入口の壁際から、ティナの奴が恐る恐る姿を現した。

 さっきから気配を感じていたが、こいつ聞き耳を立ててやがったな。


「何やってんだ?」

「あ、あの女の人は……」

「あ? リジーならしばらく戻ってこねえよ」

「そ、そうですか」


 表情を固くしていたティナはホッと安堵あんどして息を吐いた。


「何ビビッてんだ?」


 俺はそう言ってまゆひそめたが、すぐにピンときた。

 ティナはオドオドしながら言葉をらす。


「あ、悪魔の女の人を間近で見たのは初めてなのですが、男性の悪魔とは違うピリピリとしたプレッシャーを感じるというか……」

「……おまえ。さっきたぬき寝入りしていやがったな。リジーの拷問ごうもんの話を聞いていたのか」


 こいつはあの部屋に寝かされている時、すでに目が覚めていやがったんだ。

 俺の問いにティナはバツが悪そうにうなづいた。


「す、すみません。お話の途中で目が覚めたのですが、あの女の人の話が怖くて起き上がれませんでした」


 さてはリジーの奴、こいつが目を覚ましていたことに気付いていたな。

 それでわざとティナの奴に聞こえるようにおどしのような話を続けていたのか。

 ま、リジーもご多分にれず天使をみ嫌っているからな。


「悪魔と天使は相容あいいれずってやつだ。今さらどうってこともねえだろ」

「ご、拷問ごうもんって、あの人は私に何をするつもりだったんでしょうか」

「そんなことは知っても何の得にもならねえから、考えるのはやめておけ」


 俺はリジーの拷問ごうもん方法をいくつか知っているが、そんなのこいつに話したら卒倒するだけだ。

 ティナは少々青ざめた顔で胸の前に手を組んで言った。


「あ、あの……バレットさん。あの人を止めていただいて、ありがとうございました」

「あ? 止めた?」

「はい。私を拷問ごうもんするってリジー……さんが言った時、バレットさんが断って下さったから……」

「フンッ。リジーの奴が拷問ごうもんのさじ加減を間違えておまえが死んだり廃人になったりしたら誰が俺の首輪を解除するんだ」


 そう言う俺にティナはますます青ざめて、うつろな目で「死、廃人」とブツブツ言ってやがる。

 ダメだこりゃ。


「そんなことより、おまえには他に考えるべきことがあるだろうが。さっきの暴走は一体何なんだ。なぜああなった」


 俺がそう言うとティナの奴は不安げな表情から一転して悔しげにくちびるみしめた。

 神聖魔法・高潔なる魂ノーブル・ソウルの暴発。

 ティナの奴は自分の神聖魔法を制御できずに暴走した。

 そのせいで戦場は混乱し、事前に決めた作戦は破綻はたんして俺は手痛いダメージを負うことになった。

 ティナの奴もそれは理解しているんだろう。

 申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「ご、ご迷惑をおかけしました。自分でも……よく分からないのです。こんなこと今までは一度もありませんでした。と、とにかくバレットさんの回復を……」


 俺のライフが完全回復していないのを見たティナはそう言って銀環杖サリエルを取り出す。

 だが俺はそんなティナを手で制した。


「やめておけ。法力が底をつくまで魔法を放った後だ。また暴走されたらかなわん」


 そう言って俺はアイテム・ストックから回復ドリンクを取り出して、残りのライフの回復をはかる。

 そんな俺を見てティナは力なくうなだれた。

 

「単身でこの地獄の谷ヘル・バレーに潜入するために、私はたくさんの訓練を受けてきました。自分の限界まで技術をみがいたつもりです。でも、ああして実際の戦いの中ではうまくいかないことばかり。この先、どう対処していけばいいのか……」


 最後には消え入るような声でそう言うティナのすっかりしょぼくれた姿に、俺はムカついて言った。


「フンッ。懺悔ざんげなら神にしな」


 吐き捨てるようにそう言うと、俺の口からはせきを切ったように言葉があふれ出し始めたんだ。

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