君に会いたい
篠岡遼佳
君に会いたい
会いたい、と思ったら、すぐに会える距離にいる。
それはなんとも素晴らしいことだと、俺は思う。
ようやく、再提出のレポートが仕上がって、夜の11時半。
俺はコートを着て、鍵と財布とスマホを持って、外に出る。電気を消すことも忘れない。
まずは、先方への手土産に、プリンを買いに行くことにした。
冬の夜は深くて、底の方から降り出す前の雨の匂いがしている。
山が近いこのあたりの冬は寒い。いや、本当に寒い。オリーブオイルが凍るくらい寒い。
ちなみに夏は記録が出るほど暑い。よく考えると厳しい土地である。
俺はここで、学生をやっている。まだ2年生だ。
こんな夜中にプリンを買ってどうするのかというと、まあ、しばらく会えていなかった人に会いに行くのだ。
つまりその、彼女に。
――始まりはドラマチックでもなんでもなかった。
激しい感情のやりとりをしたというわけでもない。
大学のラウンジで、自作のおにぎりを食べていたときだったと思う。
俺は紙パックのコーヒー牛乳が好きで、いつも買って飲んでいるが、実はあの三角の飲み口を開けるのが苦手だ。
それを、いつも俺の代わりに無言ですんなりこなして、ストローをさしてくれたのが彼女だった。彼女の手はとても器用なのだ。
俺は彼女に当然好意を抱いたし、彼女もたぶん、俺を多少でも好きでいてくれたから、そういうことをしてくれたはず、はずだ。
彼女はとても……なんというか、そう、変わったヤツだった。
授業はサボらない。たぶん、真面目な方だと思う。
本が好きで、さらに文章を書くことを苦としないタイプだ。レポートを手書きで提出という訳のわからないことにも、さっさと対応してこなしてしまう。
ただ、周りに誰もいなかった。
友達が少ない。いや、作らない。
そもそも俺とは学科も学年も違う。
友達は? 学科の入ってるところでメシ食わなくていいの?
そう何度か聞いたけど、彼女は苦笑するだけだった。
俺はそれをなんとかしたいと思っていた。
結果として側にいた。
さらにその結果として。
――彼女に深い興味を持ってしまった。
よく聞くと、年は少し周りと違うらしい(詳しくは聞いていない)
苦労は人を老成させるものだ。話も合わなかろう。
そもそも、話題が見つからないとも言っていた。
だが、そんなの、いくらでもなんとかなるんじゃないか?
その、仲良くしようという気があれば……。
俺はそう言ったが、彼女のその少し諦めを伴った苦笑は、俺を黙らせるに足るものだった。
そんなある日、彼女は目に見えて落ち込んでいた。
何があったのか、聞けるような雰囲気ではないが、いつもより無言が多い。
彼女は、考え込んでいるのだ。また、ひとりで抱えているのだ。
俺はだから、言った。
「君が好きだ。付き合ってください。」
……俺は目に見えないものを信じている。
幽霊などではない。絆とか、希望とか、愛とか、そういうやつだ。
ある時を境に、俺はそういうものをたぶん人一倍気にして、信じるようになった。
その考えは俺にしっくりなじんで、俺自身の一部になった。
だから、彼女の瞳がそれらを信じていないことに気づいていた。
どうしたら、信じてくれるのか。
どうしたら、俺を、信じてくれるのか。
その答えを、――実は俺は知っている。
何も言わず、彼女のアパートを訪ねても、いつもの少し眠そうな表情で、彼女は俺を中に招いてくれるだろう。
だが、それではいけない。能動的に、俺がしたいことをしているのだと彼女に知らせなければ、彼女は俺を信じてくれない。
コンビニで無事に土産を買い、手袋を忘れたかじかむ手で、メッセージを送る。
『プリンがあるんだ。一緒に食べない?』
俺と彼女の間には、目に見えない糸のようなものがつながってると思っている。
だから、彼女は俺を受け入れてくれるのだと、信じている。
いまは、それだけでいい。それが一番大切だから。
何度も、何度でも、繰り返し、君と会い、君と話し、君に触れること。
きっとそれ以外、「信じる」をつくることはできない。
この繋がった糸が、いつかはほどけてなくなる未来がきたとしても。
信じたり、想ったりした記憶は残るんだよ。――知ってたかい?
俺はそして君の家のベルを鳴らす。
ドアが開く。
少し目を腫らした君がいる。
どうしたの、と聞く前に、俺は彼女を玄関先で抱きしめた。
無言の多い彼女には、行動で示すのが一番だと最近思い至ったのだ。
俺はここにいるから、ひとりで泣かないでくれ。
……彼女は俺の肩口に一瞬額を当てると、顔を上げ、「いらっしゃい」と小さな声で言った。
細かい話は、プリンを食べながら聞くことにしよう。
夜はまだ長い。
――会いたい、と思ったら、すぐに会える距離にいる。
それはなんとも素晴らしいことだと、君も、思ってくれていたらいい。
君に会いたい 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka
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