DOOR
名南奈美
DOOR ONE そこにある扉
恋川中学校の怪談として、一階の階段の横にある教室ゴミの袋を持っていく部屋に夜ひとりで行くと、入ってきたドアは消えて別の場所にドアが生まれる、というのがある。そしてそのドアを開けると、そこには小さな女の子の三姉妹が待っていて、『幽霊ことば』を喋っていて、それを聞いたら発狂し自殺してしまうのだ。
発狂って。
怪談のオチに困ったら取り敢えず死ぬか狂うかって言っておけばいいと思ってない? と怪談に耐性のある僕なんかは思うのだけれど、友人達は真に受けて怖がっている様子なので僕もそれに倣っておく。空気を読む。
あんまり空気を読まない美空久実が言う。
「馬鹿じゃない。なんでそんな汚いとこの側に女の子達がいるの? 私だったらごめんだよ、もっと過ごしやすい場所選ぶよ。保健室とか職員室とかの側がいい」
「た、たしかに」間仲博樹が頷く。「なんでそんなとこにいるんだよ」
「そこで死んだからだよ」怪談の語り部・田家かつ也が言った。「ネットで調べたら出てくるぞ。昔、この中学校には焼却炉があった。ゴミを収集する部屋のすぐ傍にさ。でも撤去された。三姉妹を誘拐して殺したロリコンが、死体を燃やすのに使ったから」
「ひっ……」美空久実はそれで怯える。「そ、そういう現実的な話、無理」
「その三姉妹が言う『幽霊ことば』は、そんな酷い目に遭ったときの悲鳴……なのかもしれない」
みんな怖がってるから水を差さないけど、それだって冷静に考えたらおかしいじゃないか。そんな場所で燻っているくらいなら、他のロリコン達を発狂させまくってしまえばいいんじゃないか? 怪談になるくらいには実績があるんだろう? 報復を全く考えず、思い入れのない部屋で、共通項がある訳でもない無関係の他人を狂わせ続けるだなんて……まるっきり、『怪談』であるための装置じゃないか。
そんな呆れっぱなしの昼休みが終わって、授業も終わって、家に帰る。制服を脱ぎ部屋着になって、冷たい麦茶を飲みながらパソコンで検索してみる。『恋川中学校遺体遺棄・焼却事件』としてヒットする。内藤ななみ・いつこ・みな(小六・小四・小二)の三姉妹が芝山孝留(三十歳・無職)に性的暴行のち殺害され死亡、恋川中学校の焼却炉に遺棄され燃えてしまったらしい。
でもよくよく読んでみると、取り上げているサイトはどこも、ナントカ新聞とかじゃなくて、いわゆるまとめサイトだ。【後味の悪い事件】だの【恐ろしい事件】だの【閲覧注意】だの。信憑性はどれだけあると言うんだ? 動画サイトで検索しても同じような惹句ばかりで、実際にニュースとして報道されている動画はない。
昔の事件だからしょうがない、と言えばそうだけれど、そんなこと言い始めたら「ネットが普及する前にあった事件なんだけど」と言えばいくらでも捏造できてしまう。
馬鹿らしくなって、もうその怪談のことは忘れることにする。勉強もゲームもしたい。昨日から始めてる腕立て伏せどうしようかな。一日が足りない。もうすぐ夏休み前の試験期間だ。くだらない与太に付き合っている時間なんてそもそもない。
されど忘れたいことに限ってなかなか忘れられない。というのは別に気を抜くと脳裏によぎるとかじゃあなくて、試験期間が終わってすぐ僕と美空久実が付き合い始めたからだ。
美空は空気を読まないしトンチンカンなことを言ったり身も蓋もないことを言ったりと妙な女子だが、まあ可愛いほうなんじゃないかな。スカートもズボンも似合うし前髪があってもなくても違和感がない。そんな美空が何故か僕に一目惚れをしていた……なんて夢か嘘のようなことだけど、どんなことも有り得るときは有り得ちゃうのが現実ってものなのかもしれない。
告白をされたとき、僕は美空久実に恋愛感情を抱いていなかった。少なくともその自覚はなかった。でも彼氏と彼女としてやっていく内に、たぶん触れ合いや褒め合いが多くなったのも大きいんだろう、どきどき、としていった。
美空と別れるとか嫌だな、と思うようになったし、なるべく行きたいところやしたいことには付き添っていたいな、とも思った。
だから。
美空が間仲と田家に誘われて、例の恋川中学校の怪談の真偽を確かめる会を開くことになったと聞いて、そして美空から僕も来てほしいと言われて、ついていかない訳がなかった。
「お、来たかよカップル」田家が僕達を見てにやつく。「遅いぞ。間仲みたいにビビって逃げたかと思った」
「は? 逃げたのあいつ」美空が言う。「無理にでも連れてきなよ、田家と間仲で立てた企画でしょ」
「電話しても全然繋がらねえんだよ。電源切ってやがる。親が許可する訳ないんだから家まで押し掛けるのも無理だし」
「えー、白けるなー。まあいいけど」
「橋田。お前は偉いな」田家が僕に言う。「男らしく逃げずに来た」
じゃあ美空は男らしい女なのだろうか? とか真面目に考えてみるけど馬鹿らしい。田家が言うことに価値なんてないのだ。僕は美空との時間に価値を見いだしたからここに来たのであって、怪談の真偽はどうだっていいし、というか偽だと思っているのだから。
無価値な田家はしかし頭は割といいほうで、どこから入ればいいのか、何を用意しておけば都合がいいかきちんと練ったうえで来たらしく、僕達はスムーズに校内へ侵入することが出来た。
「いや、スムーズではないでしょ……!」美空が息を切らしながら言う。「なんで怪談を確かめるために、アクション映画みたいなことしないといけないの」
「しょうがねえじゃん。校門を避けて、昇降口も避けるってなると、梯子を乱用するしかない。でもそのセンサーを避けたお陰で、あとは簡単なはずなんだよ」
あっけらかんと田家は言う。高いところが苦手な美空はたまったものではなかっただろう――僕が気を逸らしていなかったらどうなってたか。
懐中電灯をめいめいに点灯し、内部へ進み始める。念のため、足音の大きくならないペースで廊下を歩く。誰もいない校舎。窓が締め切っているからか、電気がついていないからか、閉塞感が重たい。先導する田家の後ろで美空と手を繋ぐ。冷え性の彼女の手が、いつもよりもか弱く感じた。
田家が言うには、恋川中学校には校門と昇降口のセンサー以外の警備がないらしい。警備会社と契約をして安心し、見回りの人間はいないそうだ。
階段をそろそろと下る。一階に着く。廊下に出ず、階段すぐ傍にあるドアの前に立つ。壁と同じ色で塗装された、明かりがないと見つけられないようなドア。
「じゃ、誰が行く?」田家が言う。
「え。みんなで行こうよ」と美空が言う。
「いや、夜にひとりで入ったら発狂するって話だっただろ。みんなで行ったら、条件に合わない」
「じゃあ最初からあなたひとりで行けばよかったじゃない!」
「何言ってるんだ、証言者がいないと本当に試したって信じてもらえないだろ」
「……じゃ、私と橋田が証言する」美空は僕の手を握る力を強くする。「田家、いってらっしゃい」
「オーケー」田家は躊躇いなくドアノブに手をかける。「ちゃんと、戻ってくるまでいてくれよ?」
ドアが開く。冷気がこちら側に吹きすさんだ、気がした。寝間着姿の田家の背中がドアの向こうの闇に食べられて行くように見えた。
ドアが閉まる。
動画の再生が終わったときみたいな断絶感。
「で、ここからどうなるんだっけ?」僕は美空に訊く。
「えーっと、入ってきたドアが消えて、なかったはずの位置にドアが出てきて、そこを開けると幽霊の三姉妹が『幽霊ことば』で発狂させる?」
「あれ? 別に消えてなくない? そこにドアあるだろ」
「……だね」
「なんだ。じゃあ嘘話だ」
焼却炉が消えた理由を馬鹿が邪推して、そこから膨らんだ話なのだろう。そしてそれをネットの怪談の掲示板か何かに書き込んだ馬鹿がいて、オカルトなら真偽とかどうでもいい馬鹿がブログで拡散して、そういう馬鹿からアクセスを稼げればいい馬鹿がアフィリエイト目当てにまとめて、それを信じているのかあるいはアクセス目当ての同類馬鹿が【後味の悪い事件】【恐ろしい事件】【閲覧注意】としてまとめたのだ。馬鹿馬鹿しい……。
成長期の貴重なゴールデンタイムをこんなことに捧げてしまうなんて僕もまあまあな馬鹿なのだろう。
「じゃあ『なかった場所にドアが生まれる』なんてことも起きないから、田家、早く帰ってくるかな」
安堵の表情で美空は言う。どうだろう?
「田家のことだから、勿体ぶってなかなか出てこないんじゃないの。演出とか言って。そっちのほうが面白いとか考えて、無駄に走って汗だくになって出てくるかも」
「えー。やりそう。しょうもない馬鹿だから田家」
「放っといて帰ってもいいんじゃないかな」
「いや、でもそしたら明日とかめんどくさそう。ねちっこいよあいつ」
「それもそうか……」
結局のところ、間仲のようにすっぽかすのが最善だったのだろうか。付き合いがいいのも考えものだな、と少し反省する。行きたくない、必要のない、興味もない用事なんてサボタージュが一番なのだ。まあ、美空が行く以上はそうも言っていられないし、僕がいなかったら夜中の校舎のこの場所には美空ひとりがぽつんと立っていたかもしれない。それは、なんだか嫌だ。
さて、以降もお喋りをしながら田家を待ち、一時間が経ったが一向に戻ってこない。美空がキレる。
「あいつ何やってんの!?」
「いつまで勿体ぶるつもりなんだろうね」
「まさかこっそり校舎から出てまたこっちに向かってて、急に後ろから『お前だーっ!』ってやる気じゃないでしょうね……!」
「支離滅裂すぎる……」
あるいは、と僕は考える。痺れを切らして僕達がドアの向こうに入ったとき、幽霊にフリをして驚かせようという魂胆なのかもしれない。
「あ、有り得そう……え、じゃあもうとっとと入って茶番を済ませるしかない訳?」
「必ずしもそうとは言えないけど、向こうがだいぶ粘っているのは確かだから」
「めんどくさいなあ」
言いながら美空はドアを開ける。覗き込んでみると、やっぱりすごく暗い。闇というべき真っ暗さだ。
もしかして、と僕は思う。田家は単純に、あまりにも暗くて入口を見失ってしまったのではないか? この部屋の広さは覚えていないが、暗闇が距離感覚を失わせた結果、一時間近く彷徨わせてしまったとか。あるいは、ネットで見た事例だが、脳機能の異常で部屋から出られないってやつかもしれない。
どのみち、入口が判るように、すぐに出られるようにするべきなのは間違いなさそうだ。
「美空は、そのドアをずっと持っていてくれる? 懐中電灯も、なかに向けていてほしい。判らなくなると困るから」
「あ、そう? わかった。じゃあ橋田だけで行くの?」
「うん。待ってて」
それから、なんとなく僕は言う。深夜テンションというやつかもしれない。
「好きだよ、美空」
「……急すぎて反応に困る」
「ごめん。じゃあ、またね」
僕も恥ずかしくなってきたので、そそくさとなかに入る。懐中電灯で足元や壁を照らしながら。
それにしても、どこもかしこも暗闇だ。この手に持っている懐中電灯以外の光が、どこにも見当たらない――あれ?
いや、どうして?
入口で、美空の持つ懐中電灯が発光しているはずじゃないのか?
光。
光はどこだ――どこにある。僕は後ずさる。来た方向に戻る。でもそこにドアはない。光もない。
落ち着け。残念だが、きっと美空の懐中電灯の電池は切れてしまったのだ。一時間以上点いていたのだからそんなことだってあるはずだ。大丈夫だ。幽霊なんていない。ドアは消えていない。田家が入ったときだって消えてなかったじゃないか。ただ、暗すぎて見えないだけだ。
田家。田家はどこだ?
明かり。視界の端に光が射す。目を向けると、少し遠くに明るい部屋があるみたいだ。ドアが開け放たれている。そうか、そこにいるのか、田家。きっと、怪談で出てくる部屋であると装って、入った途端に怖がらせるつもりなんだろう。やれやれ。田家のやつめ。早くやりたいことをさせて、三人で帰ろう。眠たくもなってきた。
僕は部屋に入る。誰もいない。田家がいない幽霊もいない背の高い男がいて身体を拘束するあるいは頬を強く殴るまた思いっきり抱き締める肌がぬるぬるとしていて気持ち悪い耳がきんきんして痛い動けない服がなくて寒いだれだれだれ知らない大人についていっちゃいけない車のなか知らない部屋のなか草むら痒い苦しい重い重い重い重い上に乗られる息ができない息があつい息がくさい私はわたしはわたしななみいつこみな会いたい痛い言いたい気持ち悪い気色悪い気味が悪いわたしが悪い動けない動かない動かせない怖い恐いこわいあたたかいつめたい熱いおかあさんおかあさんおかあさんおとうさんおとうさんおとうさん痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い苦しい死ぬ殺される首やめてお腹やめてよ首やめて寒い血がいっぱいであ足と足のあいだ胸がぬるぬるしてぬるぬるしてぬるぬるしてお姉ちゃんお姉ちゃんお父さんお父さんお母さんお母さんひどいひどいきらいきらいだいきらいだいきらいつめたいつめたいつめたいつめたいつめたいつめたいつめたいつめたいさむいさむいさむいさむいさむいさむいさむいさむいあつい
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