白百合はバレンタインに咲いた

ヤマタ

白百合の花びらが舞う

 宮越咲(みやこし さき)にとってバレンタインデーは憂鬱な日の象徴であった。たいして仲良くもない友達やら部活の仲間に、いわゆる友チョコを渡さなければならない面倒な日だからである。そうしてまで空虚な友好関係を維持する必要があるのかと問われれば返答に困るが、高校生活を惨めに過ごすよりは友達を少しでも確保しておくに越したことはない。


 そんなある意味捻くれた性格の咲であったが、今年の、高校一年生のバレンタインデーは違った。彼女にとって運命とも言える出会いをしたからだ・・・・・・





「先輩、もう部室にいるかな・・・」


 咲は階段をいつもより早いテンポで昇り、他の生徒の隙間を縫って長い廊下を進む。彼女が所属する文化部の部室はこの廊下の端にあり、クラスからそこまで階も違えば距離もあるので最初は行くのが億劫だなと感じていた。しかし、あの先輩と出会ってからはそう思わない。むしろ、物語のプロローグのようなワクワク感を演出する舞台装置と化していた。


「渡すのになんて言えばいいだろうか・・・」


 両手で抱える真っ赤な包装に包まれたチョコレート。ハートの形が可愛らしいが、そこに籠められた咲の想いは誰も知らない。


「こ、鼓動が聞こえちゃわないかな」


 単なる友達相手なら緊張もせず適当に渡せたが、今回の相手は特別な相手なのだ。前日までシミュレーションを行ってきたが、そんな付け焼刃の案はどこかへとすっ飛んで頭の中は空っぽ。こんな状況で上手く渡せるのだろうか。

 少し震える手で扉を開け、部室の中へと足を踏み入れる。すでに数人の生徒がそこにいて、咲に気がついて挨拶したり手を振ったりしてきた。


「咲ちゃん、ソレ可愛いね」


「あっ・・・これね」


 同級生が咲の手元のチョコの箱を示したことにドキッとしながらも平静を装う。


「真奈先輩に?」


「う、うん」


 大木真奈(おおき まな)。この文化部に所属する一年上の先輩である。美しい黒髪は腰に届くほど長く、整った顔立ちを装飾するようだ。その真奈に咲は初めて会った日に心を奪われ、以来真奈のことばかり見てきた。


「真奈先輩」


 部室の奥にいた真奈の前まで辿り着き、最高潮に鳴り響く鼓動を必死に抑えながら声をかける。


「こ、これを」


「くれるの?」


「はい・・・」


 それしか言えなかった。もっともっと言いたいことはあったのに、それしか言うことができなかったのだ。


「ありがとう。凄く嬉しいよ」


「よかったです」


 咲のチョコを両手で受け取った真奈は大切そうに撫でる。しかし咲には分かっている。それが沢山あるチョコの一つであることを。


「・・・・・・」


 真奈の後ろにある机。そこには大きな紙袋が二つ置いてあり、中にはいくつものチョコが入っている。真奈は男女問わず人気の人物であり、咲だけではなく他の生徒からもチョコを受け取っていた。そんな真奈にとっては後輩からの一つのチョコが特別なわけがない。


「はい、コレ」


「えっ?」


「私からのバレンタインチョコだよ」


「あ、ありがとうございます!」


 真奈がスクールバッグからお返しとばかりに取り出した小さな箱を受け取る。簡素なモノで軽かったが、咲にはまるで岩石の塊のような重量に思えた。


「後で食べた感想聞かせてね?」


「わ、分かりました!」


 ニコッと可愛らしく微笑んだ真奈は、他の生徒に声をかけられて咲の元を去る。甘い香りを残しつつ背を向けた真奈に手を伸ばすなんてできない。心の声が呼び止めようとするが、現実にできるわけもないのだ。


「先輩・・・真奈先輩・・・」


 私だけを見てほしい。私だけに笑顔を見せてほしい。そんな願望を口にしたら全てが壊れると理解している。だからこそ、想い人の名を小さく呟くことしか咲にできることはない。

 だが今はこれでいい。咲にとって、真奈とただ過ごせるだけで幸せなのだから。


「ふぅ・・・」


 白い吐息は霧散して消える。


「寒いな・・・」


 フと外を見ると大粒の雪が大地に向かって落ちていた。天気予報の通り、今日は大雪に警戒しなければならないらしい。

 咲は窓辺に寄り、降りしきる雪を観察する。その一つ一つが白百合の花びらのように見えるのは咲が疲れているからだろう。


「雪解けはいつ来るかな。寒いのはもう充分だよ」


 春はそう遠くもないはずだ。この雪が解け、潤う大地から新しい命が芽吹く時期に期待して咲は目を閉じた。



 

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