第23話
「あ・え・い・う・え・お」
「ワン、ワン、ワン、ワン、ワン、ワン」
今日も今日とてカチュアの練習が続いていた。
舌の動きも滑らかになり、時に唄も歌うようになっていた。
後宮中の侍女が聞き惚れるような歌声だった。
丁度政務が終わって後宮に戻ったウィントン大公アレサンドが、蕩けるような笑顔を見せるくらいの歌声だった。
もっともカチュアのする事なら、何でも見惚れ聞き惚れるアレサンドなのだが。
カチュアの練習の邪魔にならないように、虎獣人族の能力を全開して、気配を隠して部屋に入ったアレサンドだが、子犬レオには直ぐに察知されてしまった。
レオがカチュアとの合唱しながら、トコトコと自分とカチュアの反対側に移動し、前脚でトントンとカチュアの横、空いている床を叩く。
そしてまた自分は同じ場所に戻る。
分かり易く言えば、レオはカチュアの右手側で歌っていた。
レオがアレサンドに指示したのはカチュアの左手側だった。
またもアレサンドは複雑な表情を浮かべる。
アレサンドは唄に自信がないのだ。
カチュアに唄を指導していた人間の教師が、この後の展開を予想し、挙動不審となり眼をキョロキョロさせる。
アレサンドは唄があまりに下手で、周りからひかれるのだが、歌う事が嫌いではないし、カチュアと一緒に歌うという誘惑には勝てなかった。
不安とよろこびで、いつもの滑らかな動きを失ったアレサンドだが、それでもうれしさを隠し切れない表情でカチュアの横に立つ。
そして一緒に歌いはじめた。
指導役には拷問の時間だった。
あまりに下手な唄に、その場で吹き出しそうになるのを、殺されるという恐怖が何とか押し止めるが、その複雑な心境がとんでもない表情を作る。
後宮のあちらこちらで、アレサンドの歌声に吹き出す侍女がいる。
本来なら公式に叱責される失態なのだが、今の後宮には陰で注意される程度の失敗だと認識されていた。
全てはカチュアの笑顔だった。
恐ろしいほどのアレサンドの音痴も、カチュアには許容範囲だった。
いや、愛しく面白い事と受け入れ、音痴に惑わされることなく、一緒に楽しく歌い続けられるのだ。
その笑顔は、音痴がコンプレックスだったアレサンドには、天使の微笑以外の何者でもない。
そもそもカチュアは、子犬レオの鳴き声すら合唱できるのだ。
誰かと一緒に愉しく歌うという事は、何物にも代えがたい愉しい時間なのだ。
音痴など何ほどの事もないのだ。
だが可哀想な存在もいる。
この合唱を指揮しなければいけない人間の教師だ。
絶対に笑うわけにもいかないし、指揮がぶれてもいけない。
教師はアレサンドの歌声と存在を無視して、カチュアの歌声だけが存在するモノとして、指揮棒を振り続けた。
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