靄の図書館

松房

第壱話

俺は覚束無い足で自分の部屋の鍵を開けた。

築五十年、木造のボロアパート。

慣れ親しんだ畳の上に寝そべり、スマホを見ると表示されていたのは3月25日午前1時という日時で、そう言えば自分も来年には卒業なのだと現実を突きつけられた様な気がする。

酔った勢いでそのまま寝てしまおうと目を瞑ると耳元のスマホに付いたAIのマネジメント機能がひとりでに喋った。

『3月25日。金曜日。午前1時です。もう春。出会いの季節ですね。ジョウシンさんに何か新しい出会いはありましたか?』


・・・ある訳が無い。


元々、俺の人生の目標は大学入学の地点で止まっているのだ。

普段から卒業に必要な最低限の講義にしか参加せず、これといってサークルに入っている訳でもない。

他の真面目で将来有望な生徒達とは違い俺自身には特段、夢も無いし、唯一の楽しみと言えば悪友と呑む酒と、たまの贅沢で遊ぶ女くらいだろうか。


・・・なんて碌でもない人生何だろう。


酔っ払いながらにそう考える。

だけど、その事に反省する気力も何か行動を起こそうというやる気も出ないまま今日も夜が終わって行く。

そしてそのまま俺の意識はまどろみへと引き摺られて行った。


気が付くと俺の目の前には青と黒を隔てる地平線が広がり、何処からか吹いてきた焦げた臭いが鼻腔を擽る。

意味が分からない。

360度見渡す限り確認出来るのは大規模な爆発でもあったかの様な黒く荒い惨状とその中にポツンと佇む1軒の石造りの建物のみ。

俺は吸い込まれる様に建物へ向かうと中へ飛び込んだ。


建物の中は薄く靄の様なものがかかっていて中がどれだけ広いのかは分からなかったが、規則的に並べられた本棚を見てここが図書館である事は何となく分かる。

そして、俺はここが何処なのか誰かに聞く必要があった。

もし大規模な爆発が家の近所、否、一帯を焼き払ったのだとしても石造りの図書館など、見た事が無い。

俺以外に人がいないのだろうか。

俺の足音が延々と響き渡る。

そもそもエントランスは何処にあるのだろう?

すると俺の中にある直感の様なものが強くなり身体が突き動かされた。

それから約1分程。本棚で遮られた視界が広がり、漸くエントランスへ辿り着いた。

受付と思しき場所には大正時代を思い起こさせる着物で身を包んだ女性が座っていた。

その手に収まり、女性が目を通しているのは

『華氏451度』

と背表紙に書かれた本。

女性はこちらを見ると少し驚いた様な表情をして口を開いた。

「何か御用ですか?」

こちらを見つめるその瞳はとても綺麗で、思わず息を飲んでしまう。

「いえ、私には分かっていますよ。そしてその目的をあなた自身が覚えていない事も」

目的・・・か。

「別に今急いで思い出せとは言いません。何故ならあなたはその目的を探す為にここにいるようなものなのですから」

瞬きをする間に俺の顔に急接近した女性は優しく微笑んだ後、少し後ろへ下がりこう質問してきた。

「ところで、外の様子はどうでしたか」

外とはあの燃え尽きた街の事だろうか。

「真っ黒に焦げて特に人もいなかった」

「そうですか」

女性は少し思案した後、少し真剣な面持ちでこちらへ提案する。

「上甲さん。いえ、上甲律。あなたにお願いがあります。私に色を、人を教えてはくれませんか?」

「はぁ」


全く意味の分からない事だらけな1日だな。


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