第40話 繋がれた希望の果てに

「そうですか。でしたら――」


 司祭が手をかざすと、火球が三つ生まれる。


「望み通りにしてあげましょう」


 振り下ろされた指を合図に、それは真っ直ぐセラリアへ殺到する。だが、セラリアに触れることなく、透明な壁によって遮断された。


 それを歯切に司祭は魔法を放ち続け、セラリアはそのすべてを障壁で防いだ。我慢比べが始まった。善戦していたセラリアだが、徐々に障壁の展開速度と強度が落ちていく。


 魔法を使用している以上、この勝負には必ず終わりが訪れる。魔力が尽きた方が負ける。圧倒的な魔力量を誇る魔人を相手に、ただの人間では足りるはずがない。先に限界を迎えたのはセラリアだった。


 それでも、彼女は力を振り絞って障壁を展開し続ける。綻びから貫通した炎が彼女の白い肌を少しずつ焼いていく。痛みに顔を歪め、涙を流し、恐怖に震えながらも彼女はそこに立ち続けた。


 もはや彼女を支えているのは意思だけだ。膝を突き、今にも倒れそうな疲弊した姿で、まだ諦めない。その瞳は絶えず司祭を射貫いている。


「クロイス、は、私が、守ります、から」




 暗闇の中で声がした。灯りはない。何も見えない。だが、進むべき方向は分かる。いくつも重なる負の感情に満ちた声。その中でも彼女の声だけは鮮明に届く。


 気配を感じて振り返ると、自分がいた。闇は晴れ、代わりに死体の山が眼下に広がる。それを積み上げたのは紛れもなく自分。


「今さら何しに来た」


 殺意に満ちた鋭い双眸がギラつく。すくみそうになる身体を叱咤して、クロイスは彼に向き直った。


「勝てないのか?」


「目の前の女を食えば勝てるさ」


「それだけは駄目だ!」


 激昂するクロイスを嘲笑う彼は、胸ぐらに掴みかかってきた。


「甘っちょろいんだよ。勝ちたきゃ犠牲を払え」


「それなら戦う意味がない」


「少なくとも、他の奴らは助かる」


 それは望んだ結末ではなかった。もちろん、ソフィアたちのことも助けたい。だが、そのためにセラリアを犠牲にすることは許容できない。奪うために大切な者を犠牲にするのでは本末転倒だ。


 単なる奪う者では駄目だった。すべてを守った上で勝たなければならない。


「それは傲慢だ。お前にそんな力はない」


「そうかもしれない」


 自分が無力であることくらい分かっていた。破壊衝動の塊である彼に任せなければならないほどに、この身は役に立たない。クロイスは拳を握りしめる。悔しかった。弱い自分が許せなかった。


 理想を実現するにはほど遠い。弱者が夢見る幻想は、傲慢であり滑稽な喜劇に過ぎない。想いだけでは足りない。志すだけでは叶わない。願望だけで終わるなら、それは無意味だ。


 ――それでも。


「僕は、僕たちはみんなで生きて帰る。それが約束だから」


 他人任せはもうやめだ。ここからは自分の意思で歩く。


 誰かのせいにはしない。


 誰かのためでもない。


 他ならぬ自分のために。


「これは僕の戦いだ」






 ――そして神器は、彼を勇者と認めた。





 光が炸裂し、内側から闇背を吹き飛ばした。それを為したのは、いつの間にかクロイスの手に握られた翡翠色のキューブ。それが粉々に弾け、クロイスの身体に溶け込んだ。


「馬鹿な! それは偽物――」


 驚愕に見開かれた司祭の目が、すぐに鋭く細められる。神器が収められていた扉の向こうを睨み、怒声をあげた。


「あの小娘がっ!!!」




 クロイスは知る由もないが、それは一人の女が命をかけて繋いだ希望。その行いが勇者に足ると認められ、彼女を含めた九六人の死によって神器の力は満たされた。




「クロイス――」


 傷だらけの少女が安堵の笑みを浮かべる。まだ窮地であることに変わりはないというのに、その瞳には希望が光り輝いている。


「ありがとう。セラリア」


 彼女がいなければ死んでいた。今回は見えていたから知っている。だからこそ応えなければならない。


「クロイス! これ!」


 プランの声。投げられた黄金の剣。歴代の勇者たちが抜いてきたとされる選定の剣。掴み取ったクロイスは、それを脇に構えた。剣先が地面を向き、柄の先が司祭を捉える。


 不思議だった。まるでずっと前から知っていたかのように、神器の使い方がわかる。


「神器解放――虚幻偽装」


 ――奪い取った能力に応じた一時的な存在の書き換え。それに伴う能力の完全掌握。神器発動中、奪い取った能力を一〇〇パーセント引き出すことができる。


 クロイスの構えた黄金の剣が内側から光を発する。それは瞬く間に光量を増し、凄まじい輝きをその剣身に纏った。


 それはハーレットが最期に放った光の奔流の如く。


「ハーレット、力を貸してくれ」


 司祭は焦りの滲む表情で、その背から黒い線を再び伸ばした。


「神器を手にした程度で、力の差が埋まるわけではない!」


 高速で空間を貫く黒い帯。光魔法のチャージが完了していないクロイスは、その場から動くことができない。だが、焦る必要はなかった。


 一緒に戦ってくれる仲間がいるのだから。


 闇背はセラリアの障壁で食い止められた。先ほど神器の光で闇背が部分的に破壊されたことにより、闇背自体の力が弱まっているのだろう。


「小癪なっ!」


 攻撃が防がれたと判断するや、司祭は魔法攻撃へと切り替える。しかし、掲げた手をプランのナイフが貫いた。


「ええい、忌ま忌ましい!」


 射線から逃れようとする司祭の両足に、ヒエラルドとソフィアが投擲した槍と剣が突き刺さった。一瞬だけ身動きを封じられた司祭は、その目を見開く。


「この私が――」


 空間を照らし出す圧倒的な光。クロイスが黄金の剣を振り抜き、光の奔流が司祭を呑み込んだ。地面を削り、壁を穿ち、壮絶な破壊力を発揮する。その代償に黄金の剣は砕け散った。


 巻き上がる煙が晴れていく。そこに一つの影が立っていた。


「残念、だった、な」


 満身創痍の司祭が絞り出したような低い声で言う。あれだけの攻撃を受けたにもかかわらず、魔人は生きていた。ただ、それなりの代償はあったようで、背中に渦巻いていた黒が消えていた。闇背を盾に使用したのだろう。


 その光景を目の当たりにするのは二度目だった。ハーレットの全力を凌いだ一度目をクロイスは見ている。


 だからこそ、黄金の剣が砕けると同時にクロイスは駆けていた。司祭の懐に飛び込み、鋭い爪が指の先に伸びる。


 司祭の表情から笑みが消えた。自らの運命を悟った彼は、怒りにその顔を歪める。


「おのれええええええええ」


 奪い取ってきたすべての命を解放し、正真正銘の全力を叩き込む。


 それは爆発に近かった。いくつもの肉片となって飛び散った司祭。紫色に鈍く光る魔石が粉々に砕け散る。赤い花を咲かせた地面に残骸が不快な水音を立てた。


「終わった…………?」


 爪が消失し、クロイスは膝から崩れ落ちた。地面に顔をぶつけるが、痛みを感じない。強烈な眠気に意識が持っていかれる。セラリアの声が遠くで響くが、何を言っているのか聞き取ることができなかった。


 すぐに視界が光で埋め尽くされ、クロイスはまどろみの中に落ちていった。

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