第34話 乱入者
クロイスはまだ相手が本気で殺しに来ていないことに気づいていた。会話が多すぎるのだ。命を掛けて戦っているというのに、敵に話しかける意味がない。
おそらく彼の中に迷いがあるのだ。クロイスたちは悪人ではない。一応、勇者候補としてここにいる。いわば、世界を救う同志だ。そんな仲間を殺してしまうことに罪悪感を抱いているに違いない。選定の剣を抜いた正義の男だからこそ、隙がある。
クロイスに勝機があるとすれば、そこだろう。正々堂々とはほど遠い。勇者と名乗るにはあまりに卑劣。それでも実力差のある相手に勝つためには弱みを徹底的に突くしかない。
勝負はハーレットが覚悟を決めるまでの間。自分や仲間が危機的状況に陥れば、大義名分を得た彼は覚悟を決めるだろう。その前に殺らなければならない。
一撃だ。一撃で決める必要がある。そのために必要なものを、クロイスは自らの中に持っている。
――一度くらいなら、耐えられるだろうか。
喰鬼の能力で得た力を使えば勝てるかもしれない。今までの打ち合いでハーレットはクロイスの実力を把握したはず。彼の頭ではそれを基に戦略が組まれているだろう。その想定を超える。チャンスはたった一度だけだ。手の内を晒せば対策される。
問題は発現させることができるかどうか。不安が胸の中に渦巻いた。どうしてもあの光景がフラッシュバックする。次に暴走すればセラリアたちを殺してしまうかもしれない。何もないはずなのに、手に滑りを感じた。赤い。鉄の臭いがする。どれも錯覚だ。
ハーレットを殺すことを拒む自分がいた。彼こそが生き残るべきではないかという問いが胸の中に渦巻くのだ。ハーレットは選ばれた者だが、クロイスは選ばれていない。喰鬼の能力で他者の力を奪い、ここまで来た。自分の力ではない。
どちらが勇者に相応しいかなんて、誰が見ても明らかだ。クロイスこそが勇者を討ち果たさんとする魔王に映るだろう。
それでも、クロイスには助けたいものがあったし、帰りたい場所があった。
拳を強く握りしめる。やるしかないのだ。それ以外に道はない。セラリアを振り返ると、ちょうど視線が合った。彼女もまた、クロイスのことを見つめていた。頷きながら、微笑んでくれる。それだけで強くなれた気がした。
心の中にあのときの光を思い浮かべる。決して見失わないように、戻ってこられるように。
クロイスは叫びながら地を駆ける。対するハーレットは剣先をクロイスに向けて、剣を引いた。目と同じ高さで水平に構えられたそれは、内側から輝きを放ち始める。
直感で横に飛んだクロイス。そのすぐ真横を光線が駆け抜けた。かすった耳から血沫が飛び、じりっという音とともに蒸発して消える。
突きを放った状態のハーレットは構え直し、二撃目に備える。クロイスは的を絞らせないようにジグザグに走る。そのまま距離を詰めようとした矢先、顔面に強い衝撃を受けてよろけた。攻撃は見えなかった。痛みを堪えて目を開くと、そこには薄く光る壁があった。
エイレンの魔法であると気づいたときには遅かった。動きが止まったクロイスをハーレットの剣先が捉える。一直線に迫る光。だが、それはクロイスの眼前で止まった。いや、自分がぶつかったのと同じ、光を帯びた透明な壁が防いだのだ。
「きー、真似しないでよね!」
「サポートは任せてください!」
セラリアはエイレンを無視してクロイスに言った。それが気にくわないのか、エイレンはその場で地団駄を踏んで喚く。
窮地を救われた。一人じゃないという言葉が実感となって沁み渡る。もう光線は怖くなかった。きっとセラリアが防いでくれる。
ハーレットもそれを理解したのか、剣を正面に構え直した。
「剣士同士、やはり剣で片をつけるべきってことかな」
「剣士、か。たぶん僕はそう呼べるような存在じゃない。技量なんて、ハーレットに遠く及ばないから」
「それでも、君は立ち向かってくるんだろう?」
愚問だった。
どちらにせよ死ぬのならば、抗った方がいいに決まっている。そこにわずかでも勝機があるのなら、立ち上がった方がいいに決まっている。
小さく頷いた。それを見て、笑みを浮かべていたハーレットの口元が引き締まる。向けられた真っ直ぐな瞳に、心の中で謝った。剣士同士。クロイスが持っているのが剣だから、彼はそう思い込んでいる。
卑怯なのは十分承知。それでも守るためにはやるしかない。自覚はしているつもりだった。自らに宿る力が、何かを守る力ではないことを。
喰鬼――それは食らった敵の力を奪う化け物だ。敵が歩んできた過去を、現在を、そして未来をも、文字通り奪い取り、自らのものとする。屍を積み重ねることしかできない、壊すための力。
それでも、無いよりはよほどいい。奪われる前に奪えば、結果的には守ることと同じだ。過程には目を瞑る。
無垢でいるには、この世界はあまりにも優しくないから。
両者は同時に動いた。無用な牽制はなく、互いに正面からぶつかり合う。剣戟の音を重ね、火花を散らす。当然のことながら、クロイスはすぐ劣勢に立たされた。他者から奪い取った偽物の力などでは埋め切れない実力差。クロイスとて、そのことは理解している。しているからこそ、正面から挑んだのだ。
防戦に立たされたクロイス。そこへハーレットの連撃が始まる。すぐに阻止にかかるが、敵はそのことを折り込み済みだった。
剣を押し込んだクロイスの身体が前に傾く。ハーレットがわずかに身を引いたのだ。一振りで剣を弾き飛ばされ、返す刀で必殺の一撃が振り下ろされる。刃に向かってクロイスが自ら突っ込んでいるような図だ。
クロイスはそのまま前に突き進んだ。致命傷を避け、あえて敵の攻撃を受ける。ただでは済まないだろうが、死にはしない。死ななければ、喰鬼の力でどうとでもなる。
捨て身の突攻だ。クロイスは指先に生えた鋭利な爪をハーレットの首を目がけて突き出した。
――勝った。
その瞬間、クロイスは確信した。確信してしまった。
だから、その爪がハーレットの胸部に備えられた頑丈なプレートに弾かれたことに、一瞬理解が及ばなかった。
視界に映る現象を見れば、簡単なことだった。ハーレットが手首を回し、剣の腹でクロイスの腕を叩き落としたのだ。
そしてその刃は止まらない。横薙ぎに振るわれるそれは、クロイスの腕の肉を抉りながら首を落とそうと速度を増す。
クロイスの直感が告げた。
――死ぬ。
剣士としてはあるまじき騙し討ち。それすらハーレットは打破し、この戦いに決着をつけようとしている。見事と言うしかない。最初から敵うはずもなかったのだ。恐怖も悲しみも、感情を抱く時間はなかった。残された刹那にクロイスは口を開く。
「アイリス、ごめ――――」
最愛の妹へ、約束を果たせないことへの謝罪の言葉。
しかし、爆風がそれを遮った。地面に何度も身体を打ち付け、ようやく止まったクロイスが顔を上げると、そこには信じられない光景が広がっていた。
クロイスとはまったく異なる方向を睨むハーレット。彼の左腕はそこになく、代わりに鮮血がドバドバと流れ落ちているのだ。
ハーレットの視線を追うと、そこにいたのは司祭の格好をした男だった。短い白髪頭と深く刻まれた皺が老いを感じさせる。虫も殺さぬ人の良さそうな容姿で、纏う白の法衣には厳かな装飾が施されている。
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