第9話 裏切り
その気配に気づいた片方の男が、咄嗟に剣を振るう。高音が弾け、軌道の逸れた何かが地面に突き立った。その石斧を見て、男は舌打ちする。
「クソ鬼どもが!」
怒号を上げた先、岩の上に姿を現したのは小人だった。尖った耳に長い鼻、汚れた緑色の表皮。人間に似ていながら、おぞましく醜い容姿を持つ彼らは悪鬼と呼ばれる魔物だ。
その昔、悪事を働き続けた人間が負の魔力によって心と身体を蝕まれ、変異したなれの果て。それが悪鬼だと言われている。子供の躾で活躍する魔物だ。
一体の力は黒狼に到底及ばず、一般人が対処できるレベル。武器を持った子供を相手にすると考えれば分かりやすいだろう。しかし、悪鬼は集団行動を好む。個が弱くとも、数がいれば力の差は覆る。
悪鬼の繁殖能力は人間の比ではなく、一体いれば一〇〇体いると思えと言われるほどだ。基本的には鉱山や洞窟に巣くい、人里近くには生息しない。
ただ、自然の貧しい地域では家畜を襲うために村を攻める悪鬼もいる。容姿も相まって誰からも忌避される存在だ。
彼らは男たちが臨戦態勢を取ったのを見て、ケラケラと笑いながら岩陰に身を隠した。その態度に舌打ちする男たちは、少女を放って岩へと突撃する。
見えたのは一〇体程度だった。この数であれば難なく処理できる。彼らは紛れもなく勇者候補。その性格がどれほどねじ曲がっていたとしても、実力は折り紙付き。男たちは怒りをあらわにしていたものの、決して油断はしていなかった。
だが、どれほど注意深く警戒していたとしても、想定外のことには備えられない。瞬時の判断力と適応力が試される。彼らにはそれがなかった。
「ひっ――」
男の悲鳴と当時、素早く動く黒いものが男の肩にぶつかった。男はそのまま押し倒され、絶叫を上げる。
「くそっ! なんで黒狼がいんだよ!」
倒れる男の上に乗っていたのは黒狼だった。しかし、その体躯は通常より一回り大きい。
大黒狼は男の肩を噛み砕き、続いて頭を捉えた。必死に藻掻く男を無視して、そのまま顎を閉じた。痙攣して跳ねる男の身体は、しかしすぐに動かなくなった。
その光景を目の当たりにしたもう一人の男は、悲鳴を上げて踵を返す。だが、見逃されるはずもなかった。
風の如く疾走する大黒狼は、すぐに追いついて男の足に齧り付いた。悲鳴を上げる間もなく強引に振り回され、岩壁に叩きつけられる。
それで終わりだった。男は起き上がることなく、大黒狼はその頭部を噛み砕いた。
一方の悪鬼たちは、大黒狼が侵入者を処理している間に怯える少女を囲んでいた。半裸状態の彼女を嘲笑うかのようにけたたましい声を上げ、残っている衣服に手をかけた。
「いやっ……」
泣きながら言う彼女に構わず、悪鬼たちはその服を引きちぎっていく。
本来、悪鬼は人間を殺す。食料にこそすれ、性の対象として見ることはない。だが、彼らは男たちの悪意を引き継いだかのように、彼女を犯そうとしていた。
「あいつら、学習したんだ……」
一連の光景を呆然と眺めていたプランがぼそりと呟いた。
男たちがやろうとしていたことを見て、自ら実行しようとしている。半裸だった彼女の身体が、自分たちの雌と似ていたからかもしれない。
このままでは、彼女は先ほどよりも凄惨な最期を迎えることになる。悪鬼に犯され、絶望の中で死んでいく。いや、果たして死なせて貰えるのだろうか。
プランがクロイスの手首を掴む。
「あれは無理。行くよ」
「けど……」
そのとき、服をむしり取られている少女と目があった。涙を流す彼女の瞳が助けを求めていた。無我夢中でその手を伸ばす。
「バカ! 気づかれる前に逃げなきゃ」
プランの言うことは最もだった。それでも、結論は変わらないのだ。
「悪い。僕はあの子を助けたい」
その言葉に、プランは再び呆れ顔を浮かべた。ため息は先ほどよりも深く、けれど、腰に差したナイフを抜く。
「頑固だなー。……貸しだからね?」
互いに頷き合って、戦場を見据える。
こちらに気づいたのは大黒狼と数体の悪鬼。残りは少女にご執心。唸り声を上げ、大黒狼が地を蹴る。
剣を構えて応戦しようとしたクロイスだったが、背中に衝撃を受けて前のめりに転んだ。
「っ――プラン!?」
背後からの攻撃ということはプランがやられたのか。すぐに身体を起こしたクロイスは目を疑った。
そこにいたのは、クロイスのバックパックを抱えたプランだった。
「え、何が……」
事態を飲み込めないクロイスに、プランはいつも通りの笑顔で言った。
「じゃあ、これ貰ってくね?」
この場に似合わぬウインクをキメた彼女は、颯爽と走り去って行く。その光景に自分が見捨てられたのだと気づくと同時、もの凄い力で地面に倒された。
大きな顎が開き、クロイスの頭を捉えようとする。咄嗟に右手でそれを防ごうとして、腕ごと肩に噛みつかれた。
意識が飛びそうな痛みが全身に駆け巡り、絶叫を上げる。大黒狼が肩ごと食いちぎろうと首を振る度に視界が明滅し、途方もない痛みが生じる。
いっそ殺してくれと心中で弱音を吐く彼の耳に、少女の悲鳴が届く。一糸纏わぬ姿になった彼女は、逃げようと最後の抵抗を試みたようだったが、あえなく足首を掴まれ、地面に倒された。そこへ悪鬼どもが群がる。
泣き叫びながら暴れる彼女に、悪鬼たちは痛みで黙らせようとはしなかった。ケラケラと卑しい笑い声を上げている。嫌がる様を楽しんでいるのだ。
遠のいていく意識の中で、彼女の声が木霊する。助けてという言葉が頭の中を巡り続ける。けれど、自分にそんな力はない。あったとしても遅すぎた。もうすぐ殺されてしまうのだから。
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