僕の耳は一体どこへ
雑務
第1話
【1】
全裸で、木々の間を駆け抜ける僕。こんなにガムシャラに走り回ったのは、小学生時代にやった学年全員参加のケイドロ以来かもしれない。僕の目には、同じく全裸で駆ける親友が映っている。こちらをチラチラと振り替えりながら、僕から逃げているのだ。
体力と精神力の限界を迎え、注意力が散漫になったのだろうか。親友は、小石に足を引っ掛けると、体を「く」の字に曲げたまま前方に投げ出され、そのまま大木に頭から突っ込んでいった。ピクリとも動かなくなる。僕は走ることをやめ、ゆっくりと近づく。親友の額は裂け、血液がチョコレートフォンデュのように、耳を真っ赤に染めていた。
僕は、額の裂け目に人差し指をねじこませると、ありったけの力で押し広げていく。どろっとしたものが流れ出してくる。脳だろうか。僕は傷口に吸い付き、そのどろっとしたものを吸い続ける。美味だ。体中の血が浄化されたように、力が湧いてくる。
やがて、鉄のような血の味しかしなくなると、僕は吸うことをやめた。そして、リュックに入っていたナイフで、親友の胸部を何度も突き刺す。中身が露わになっていく。胸の肉をさぐっていくと、プニプニとした感触を指で感じた。おそらく心臓だろう。僕はそれをわしづかみにして、引き千切るように体内から取り出した。
僕はそれを頬張る。
「ごめんな......でも、こうでもしないと、二人とも野垂れ死んでただろうから......」
僕と親友は、釣りを楽しむために遠洋まで出ていた。しかし、運悪く難破してしまい、無人島にたどり着いていた。二人で協力し合いながら、今までなんとか生き延びて来た。しかし、食糧が尽きるとどうしようもなくなり、死ぬくらいなら、と僕は親友を食べたのだ。
「本当にごめんよ......お前の分まで生きるから」
真っ赤に染まった二人の体が、緑と茶色ばかりのこの陸地に映えている。体力が底をついていた僕は、腹がふくれるまで夢中で親友を頬張り続ける。やがて疲れ切った僕は眠りにつく。そして、気が付いた時には、僕は救助ヘリコプターの中にいた。
【2】
入院期間も終わり、割とあっさりと職場復帰することになった。
「久々の仕事だし、今日は早く寝るか......」
同僚であった親友がいなくなってしまったこと以外は、特に以前と変わらない日常が戻ってくるのだ。しかし、朝目を覚ますと、そんな幻想は吹き飛んでいた。
「......な......! ない......! 聞こえない......!」
目覚めた瞬間感じる激痛。そして通勤時刻をとっくに過ぎた、目覚まし時計。その理由は、すぐにわかった。両耳がなくなっていて、目覚ましの音が聞こえなかったのだ。
「痛ぁっ............! な、なんで............? いつの間になくなったの......!?」
ネズミにかじられたのだろうか? いや、そんなことあるのか......? 22世紀でもあるまいし......。何が起きたのか、全く把握できなかった僕は、とりあえず外科に向かうことにした。
「んー......全く前例はないですねー......」
「ネズミにかじられたってことは考えられますか?」
「実際に、乳幼児が顔を囓られて死亡してしまった報告はあります。しかし、こうも綺麗に耳だけなくなっていると......ネズミの可能性は低いのではないでしょうか」
「じゃあ他にどんな可能性が?」
「正直......私では原因不明という他ないですね......」
もちろん、この会話は筆談で行なった。こんな会話口調な文章を書いていたわけではないが、口談していた場合はこんな感じの会話になっていたのだろう。無人島に長期間いたストレスによって、無意識のうちに異常行動を起こしている可能性もある、ということで精神病院にも向かったが、そこでも「そんな前例はない」と言われただけで、手がかりは掴めなかった。その日の夜は、早く寝ることにした。耳が聞こえないというのは不便なものだ。寝る前にジョニー・リヴァースを聴きながら、一服することすらままならない。
【3】
次の日もまた、激痛を感じながら目覚めた。
「なんで足の指が全部なくなってんだよー!」
耳と比べると、ダメージは少ないのかもしれない。しかし、足の指がないというだけで、今まで培ってきたバランス感覚は意味をなさなくなるようだ。ベッドから起き上がろうとすると、そのまま転倒してしまった。僕は情けなさを感じながらも、なんとかスマートフォンに手を伸ばして1と1と9をタップした。だが、僕は耳が聞こえなかったのだ。
「とりあえず、来てくれ! 歩けないんだ!」
何が起きているかわからない恐怖と、歩くことも聞くこともできない無力さから、おそらく涙声になっていただろう。さすがは日本だ。こちらから一方的に喋っただけでも、救急車はすぐに着いた。
「二日連続で体の一部がなくなっていたと......」
「は、はい......。」
「足の指なら、特に生活に支障がないのでは?」
「............」
「ごめんなさい、失言でした。無人島で生活していたとのことですが......。何か変わった経験は、しませんでしたか?変わった動物に噛まれただとか、変な虫に刺されただとか、変なものを食べただとか」
「そ、そういえば......」
原因が分からないまま、恐怖に怯えているよりはましだ。そう考えた僕は、医者に正直に伝えることにした。筆談用の紙に大きく、こう書いた。
「人肉」
医者は、ゴクリと唾を飲み込むと、矢継ぎ早に僕に質問を繰り出す。
「実はですね、今、私たちの間でカニバリズムがトレンドになってまして......! もしかして、もしかすると! 面白い発見が......!」
「な、なんなんですか? 何か原因がわかったんですか?」
「仮説のようなものは......。ただ、ショックを与えてしまうので、今は言わないことにします。今日は入院して、経過を観察しましょう」
僕は病院のベッドに横になった。医者は、僕が耳が聞こえないことがいいことに「いい被験体が手に入ったぞ!」と叫んでいた。
【4】
「アァァァァァァァァァ! 痛いぃぃぃぃぃぃぃ!」
僕は、今夜も激痛で目がさめた。ナースコールのボタンを連打する。ナース二人はすぐに駆けつけた。そして、ナースたちは衝撃の光景を目の当たりにした。僕の両目から血がダラダラと流れ、本来眼球のあるところは空洞となっていた。
「すぐに医者を呼んで来ますね!」
医者が到着すると同時に、僕は猛烈な吐き気を感じた。そして盛大にエメラルド色の病院着の上に吐いてしまう。
「そうか......やっぱり!」
医者がつぶやく。そしてナースは思わず目を覆う。吐瀉物に混じって、眼球がエメラルドの布地にひっついていたのだ。
「この患者は、夜な夜な自分の身体の一部を食べていたのだ。」
「でも、なんでそんなことを......」
医者とナースの会話は、僕には聞こえていない。
「そこなんだよ、面白い説を立てられそうだ......」
僕のベッドは早急に動かされていった。
【5】
「ある患者の異常行動を調査した結果、衝撃の事実がわかりました」
世界から医者が集う学会で、僕の担当医は晴れがましく登壇した。
「以前からカニバリズムと多重人格の関係性について議論されてきましたが......」
オーディエンスがざわつき始める。スクリーンに耳と眼球を失った、悲惨な男性の写真がスクリーンに映し出されたからだ。
「こちらの患者が、実に面白い症例を示してくれました。この患者は、難破して一ヶ月ほど前に、無人島にたどりつきました。そこで三週間ほどサバイバル生活を強いられたのですが、食糧が尽きてしまい、同行していた友人の肉を食べることを余儀なくされました。その後、無事救助されたわけですが、それからの生活で不思議な現象に悩まされます。夜毎に、耳と足の指と目が失われていったのです。私は患者を入院させ、個室にこっそりと監視カメラを設置しておきました。すると......」
ほんの十数分前まで、退屈そうにしていたオーディエンスも、それぞれ姿勢を正して前のめりになりかながら聴いている。
「やはりその姿をとらえることができました。自分で自らの眼球を掘り出し、食している姿を」
スクリーンにその映像が流れだす。何かを恨んでいるような目で、虚ろに起き上がると涙を流しながら、何かをブツブツとつぶやいている。やがてもがき苦しみながら眼球に手を伸ばした。眼球が引っ張り出されると、血飛沫が飛び散る。もう片方の目も、同じように引っ張りだす。それらを二つまとめて口に放りこむと、満足そうな顔をして再び眠りについた。
「この瞬間の脳波も記録しております。この異常行動をしてるとき、通常時とは明らかに違う脳波を示しています。まるで、その瞬間だけ他人であったかのような......」
オーディエンスは、この医者が何を言いたいのかを勘づいている者がほとんどだった。説としては昔からあったが、否定派が多くほとんど都市伝説として扱われていた現象が、今、立証されようとしている。歴史的な瞬間に、空気が張り詰める。
「私は、この現象をこう考えます。この患者が食人行為をしたことによって、”魂”が乗り移り多重人格を形成した、と」
「しかし、なぜわざわざ自分の体を食したんですか?」
興奮したオーディエンスから質問が飛び交う。
「なぜ自分の体を食べたのか、ということについて知るために私は先ほどの映像で、彼が何をブツブツと呟いていたのかを解析しました。すると、どうやら『同じ苦しみを味わえ』『俺を喰いやがって』と呟いていたみたいなのです」
さっきの映像が繰り返し流される。確かに、そう呟いてるように見える。
「おそらく、こういう経緯でしょう。無人島で友人を食した彼には、恨みのこもった”魂”が乗り移った。多重人格を形成した彼は、夜毎に別の人格が覚醒し、復讐を果たすために自分の体を食べていた、と。なぜ魂が乗り移ったのか、詳しくはまだ分かっていませんが......。血液に含まれるフィーリステンが影響しているのではないか、と考えられます。このフィーリステンは気持ちを強くゆさ売られた時に、大量に分泌されます。このフィーリステンが友人の想いを彼に伝えたのではないか......と考えております」
「フィーリステン......。でも、なぜそのような場面を目撃しながら、患者を止めようと思わなかったのですか?」
「こんなに貴重な映像が撮れているのに、止めるなんてナンセンスですよ。患者には医療の発展に協力していただく、ということでしばらく自分喰いをしていただきました」
【6】
この研究結果は本当に素晴らしい......! 俺の説を見事に立証してくれた! 学会でも賞賛の嵐だ! この原因となる物質を突き止めて、自由に使うことができるようになれば......! ノーベル賞だって夢じゃない! よし、今日も研究を開始するとしよう。まず患者から抽出した細胞を............おまえも同じ苦しみを味わえ!
僕の耳は一体どこへ 雑務 @PEG
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