第四話 俺は、そして(下)

「俺は、お前を離すつもりはない。良いんだな」


 俺の言葉に、緋菜がゴクンと唾を飲み込んだ。体が少しピリッと立って、緊張が伝わって来る。さっき、気持ちは聞いた。改めて問うているのは、最終確認のようなものだ。今日ならまだ、リセットをしてやれる気がしている。


「昌平は、それで良いの?」

「俺は、緋菜に聞いてんだ。俺はそうしたいから、そう言った。緋菜は、それで後悔はないか。俺と一緒で、良いんだな?」


 抱き締める俺の腕に、彼女の細指が添えられる。少しだけ力が入ってから、良いに決まってるじゃん、と呟いた。恥ずかしそうに、下を向きながら言う姿が愛おしくて、堪らずに俺はまた腕に力を入れる。

 自分が思っている以上に、俺は緋菜のことを想っていたと実感している。今まで連絡が取れなかった不安が、こんな愚問をぶつけているんだと思う。でも、もうそれも要らないだろう。俺は腕の力を緩めた。


「昌平。コーヒーまだある?」

「あと半分、はないかな」

「だよね」


 残念そうだった。俺だって、まだ一緒に居たい。でも未だ、そういう風に緋菜に触れたくない。簡単に手を出す男に、成り下がりたくない。その辺に転がっている恋とは違うんだ、というところを緋菜に見せたかった。頭の中は必死に押し問答をしている。

 緋菜の体をクルッと回して、俺は額にキスをした。それですら、俺は震えている。大事な物を壊さないように、壊さないように、そっと手を伸ばしたようだった。


「……昌平」

「俺さ。部屋に行ったら、何もしない自信はない。大人だからそうする流れになっても、普通なんだろうけど、さ。俺、本当に大事にしたいんだ。緋菜のこと。今までの男と同じように、お前を簡単に抱いたりしたくないんだ」


 意気地なし、って言われる気がして、ここまで正直に言うのは嫌だった。でも、もどかしい気持ちを知っても欲しかった。緋菜は大きな目に少し涙を溜めて、俺をじっと見る。そして今度は、緋菜から俺に飛び込んできた。体に腕を巻き付ける程に、ぎゅうッと抱き締められると、心臓が煩くて仕方ない。


「有難う。昌平」

「お、おぉ」

「でもね、一つ言っておくけど」

「何だよ」

「私、別に今までの男とも、簡単に寝てた訳じゃないからね」


 頬を膨らませて、ムスッとして見せた。あぁ確かに、俺はそこまで詳しいことは知らない。今までの緋菜の言動で、勝手にそう判断していただけだ。彼氏が出来たって惚気を聞いて。彼氏の家にお泊りしたんだけど、って愚痴を聞いた。繋ぎ合わせてそう判断していたが、そこにあった緋菜の気持ちなっどまるで知らない。


「ごめん」

「いや、別にいいけどさ。今までは、まぁ……仕方ないよ」


 膨れっ面を戻して、力なく笑った。仕方がない、か。自分でも何か思い当たる所があるのだろう。特に怒っている様子もないが、悲しそうではあった。


「昌平は、今の、これからの私を見てくれる?」

「え?そのつもりだけど。別に今までも見ては来たけどさ」

「それなら、もう昔のことは何でもいいや。ちゃんと、見ててね」


 俺を少し引き離して、真っ直ぐに目を見てそう言う。本当に素直で、今までの小憎たらしさは何処へ行ったのか。上目遣いで可愛らしく、俺にそう言うのだ。抱き締めない理由が見つからない。


「ちょ、ちょっと。苦しいって」

「緋菜……俺」


 そう言いかけてハッとする。たった今、大事にしたいと言ったばかりなのに。帰したくない。そう言いかけて、落ち込んでいる。結局、俺は。


「昌平。やっぱり、家に行かない?」

「え?あぁ……いや」

「嫌?」

「嫌、じゃないけど」


 決めきれずに俯いた。情けない男だ。そして緋菜は、大きな溜息を吐いた。


「ごめん。変な意味じゃなくってね。あのね、私、家そこでしょ。ずっとここで話してるのも、ちょっと気不味いかなって。誰に見られてるか分かんないしね。でも、昌平とはもう少し……いやもっと一緒に居たいから」


 そう笑った緋菜。何だか俺なんかよりもずっと大人だった。「よし、そうしよう」と俺を誘うのだ。決めきれない俺に。


「でも、本当に俺。何もしない自信がない」

「うん。その時は……その時よ。今から考えたって仕方なくない?それに、私は昌平が大事に想ってくれてることが分かった。大切にしたいって気持ちは、十分に伝わったよ。それとも……寂しく一人で帰りますか」


 ベェッとする緋菜は、意地悪だ。そんなの、答えは決まってる。緋菜の手を取って、それを見つめた。綺麗な白い指先には、桜色のネイルが塗られている。

 俺は、そして。


「分かった」

「ふふ。良かった。まだ一緒に居られるね」

「……おぉ」


 あまりに可愛らしく笑うから、また頬が熱くなった。何だか思ったよりも、尻に敷かれるのかも知れない。そう思ったら、ついポリポリと頭を掻いた。俺達はそうして、また歩き始める。直ぐそこの、緋菜の、彼女の部屋に向かって。

 年が上だから、しっかりしなくちゃいけないと思ってた。あぁ、でも違うんだな。年上だって言っても、一つしか変わらない。学年があった幼い頃のように、その差は大したものではないんだ。どっちが上でもない。時にイニシアチブを変えながらいたって、良い訳だ。二人だけの付き合い方があるはずだ。俺はそう感じていた。

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