第一話 私は悪くない

「緋菜ちゃん。君、最低だよ」

「え……」


 成瀬くんはそう私に言い放ち、陽さんの後を追った。

 何よ。騙されているから、親切で教えてあげたのに。聞く耳を持たないなんて。もうどうなっても知らないんだから。後で泣き付いて謝ることになるのは、成瀬くんの方なのに。苛立った私の前には、怖い顔をした昌平。腕を組んだまま、何も言わない。良いことをしたのに、敵に罵られて傷付いたのは私。成瀬くんには伝わらなかったけれど、昌平は分かってくれたよね?でも昌平は黙り込んで、何かを考えている。帰るに帰れず、私はただテーブルを睨んでいた。


「ねぇ、あれじゃ成瀬くん騙されちゃうよ。昌平は心配じゃないの?」

「はぁ……緋菜、お前何言った。陽さんに、何て言った」

「昌平まで何よ?彼氏がいるくせに、成瀬くんに言い顔するなって言ってやったのよ」

「言ってやったって……お前、何様なんだよ」

「はぁ?昌平は、成瀬くんが騙されても良いの?心配じゃない訳?友達だもん、私は心配だよ。だからその前に私が釘を刺したんじゃない」


 当然のことをしたまでだ。間違ったことはしていない。

 けれど昌平は、私から目線を外すと、大きな溜息を吐いた。どうして昌平まで、私を信じてくれないんだろう。悲しくなる。


「おい、緋菜。とりあえず、全部説明してくれ。何があってこうなったんだ」

「だって、本当なの。嘘は吐いてない」

「そんなことはいい。全部説明しろ」


 私は悪くないのに。昌平は頭ごなしに、私が悪いと決め付けているようだった。聞いて来るけれど、ちゃんと私の話を聞いてくれるのだろうか。それすら疑わしい。


「私は悪くないんだって」

「そんなことは聞いてねぇ。何があって、こういう話になった。それを聞いてんだ」

「私は悪くないんだってば……昌平。信じてよ」

「聞いてることを答えろ」

「私はただ……あの部屋に在った証拠を突き付けたやっただけよ」


 あまりにしつこく言うものだから、ついムッとして強い口調で言い返した。そして、仕方なく初めから説明する。陽さんの部屋に在った女の一人暮らしには不似合いな物の話を。昌平と出る時に気付いた靴ベラ。帰って来た時に目に入った写真立て。一つ気になれば、あれこれと連鎖するもの。それを並べて、彼女に問いただしたのだ。そう、全てを話した。


「で、陽さんは何て言った」

「箸は、私たちが行くから買った物。靴ベラは、お母さんの物。マグカップは淹れるコーヒー豆によって変えてる。それから、写真立てはお母さんが写ってるって」


 改めて並べれば、簡単な言い訳ばかりだ。コーヒーはインスタントしか飲まないから良く分からないけれど、その他は咄嗟に出たそれとしか思えない。真実を突かれて、陽さんもきっと焦ったんだな。


「じゃあ、そうなんだろう」

「え?どうして。昌平は信じるの?」

「いや、緋菜。逆に何で信じなわけ?友達だろ?短い間でもさ、色々教えて貰ったり、甘えて来ただろ」

「それは……そうかも知れないけど」


 昌平の言うことは尤もだった。

 確かに私は、彼女にとても世話になっている。ただ隣の席でフラれていた私を、見て見ぬ振りが出来たはずの彼女は、そうせずに慰めてくれた。皆で動物園に行って、また笑えるようになって、私は料理を教えてもらった。それから、掃除も手伝って貰った。恩は確かにある。


「でも、昌平。おかしいんだって」

「何が。言ってたこと全部信じられれば、おかしくはないだろうよ」

「そうなんだけど。お母さんの物って、おかしいでしょう?一緒に住んでる形跡なんてなかった。お母さんの靴も服も、何もなかったでしょ。大体、大晦日なのに何処に行ったのよ」


 それは確かになぁ、と昌平が少し納得を見せる。それでも、腕を組んで首を何度も傾げる様は、どっちにも決め兼ねているのだろう。だって私の疑問は、彼女の説明だけでは納得が出来ない。それは事実なのだ。


「確かに。確かにな。その言い分は分かる。緋菜が持った違和感に対して、陽さんの言い分だけでは、疑問が残るのは確かだ」

「でしょう。だもの、私間違ってないじゃない」

「緋菜。だとしても、俺は違うと思う。違うって言うか、緋菜。お前も間違ってると思うんだ」


 そう言う昌平に、何で、とむきになって食って掛かった。今自分でも納得しきれないようなことを言ったのに、どうしてそれで私が間違っていることになるの。全然、昌平の言いたいことが分からない。鎮まり出していた怒りが、また小さく泡立ち始めていた。


「緋菜。どうしてさっき、陽さんにそう言わなかったんだ?」

「へ……それは」

「聞けば良かったよな。お母さんは何処に行ったの。一緒に住んでないよねって。それを聞けば、もう少し納得が出来たはずだぞ。冷静に話をすれば、陽さんはきちんと向き合ってくれたと思う。緋菜が納得するように、説明してくれたと思うよ。でも緋菜は、しなかった。どうして?」


 どうしてか、と聞かれても困る。売り言葉に買い言葉で怒ってしまったから、そこに結び付かなかったのだ。


「あのさ。俺が今モヤモヤしてるのって、陽さんが嘘を吐いてるかどうかが問題じゃねぇんだ。緋菜、お前の態度だよ。成瀬くんの為に真実を、と思ったのは分かった。それならムキになることないよな。結局は、陽さんをやり込めることしか、頭になかったんじゃないか?」


 そんなことない、と直ぐに反応した私の声が、恐ろしく小さく震えていた。

 成瀬くんに傷付いて欲しくない。そう思って、陽さんの真正面から立ち向かった。最後まで成瀬くんのことを考えていた。それは間違っていない。でも、昌平の言うことを全力で否定出来るかと言うと、またそれも自信がなかった。だって、面白くなかったんだから。陽さんは突然、私に説教を始めた。私が聞いている話題を、まるですり替えるようだった。今更、元カレ――別れた時の話を引っ張り出して来て、私はつい腹を立てたのだ。


「緋菜。俺、さっき陽さんの話を聞いて、納得出来たよ。元カレが別れる時に言ったってこと。お前は少し、中身を磨いた方が良いよ」

「ちょ、ちょっと待って、どこから聞いてたの?それとも、初めから知ってたってこと?」


 昌平たちがどこにいたのか、私は知らない。でも、真後ろに座っていたとして、そこまで聞こえる?聞こえるはずがない。だとすると、彼が知っている理由は一つだ。


「私がフラれた日。三人で笑い話にしたんでしょ。陽さんは卑怯な人だから、そうやって皆で」

「いい加減にしろ。陽さんはそんな人じゃねぇだろ。お前だって、それは分かってるはずだ。あの日、緋菜が家に走って帰った後、俺が聞いたんだ。それでも彼女は言わなかった。何も言わなかったよ」


 嘘よ。そんなに大きな声で喋ってない。昌平たちが来た時は、もうその話は通り過ぎようとしていたはず。それなのに知っているって、陽さんが言ったとしか思えない。


「どうして昌平まで、陽さんの肩を持つの」

「あのな。肩を持つとか、持たねぇとか。そう言う話じゃない。何も分かってないな。陽さんは、お前のことを思って言ってくれたんだぞ?自分が責められても、説明してるのに信じてもらえなくても、グッと堪えて。それを緋菜、お前はどうした?嫌なことを言われた、くらいにしか思ってないんじゃないか?」


 そんなことない、とも言えなかった。だって、面白くなかったことは間違いない。元カレが言ったことを今更掘り返して、何なんだ。自分の真実がバレそうになって、私に嫌なことをしているんだと思った。それは、確かだ。


「良く思い出してみろ。陽さんは何て言った?」

「別れた男と同じことよ。自分を磨けって。外見と若さだけに縋るなってさ。そんなのただの僻みでしょ」


 素直に答えたが、言いながら腹が立っていた。

 陽さんは、外見と若さが武器になることを知らない。いや、知っていたかも知れないけれど、忘れているんだ。使えるうちは、利用しないでどうする。


「緋菜、お前……本気でそう思ってんのか」

「はぁ?だって事実でしょ。陽さんはそれを持ってないから、僻んでるのよ。女ってそういうものなの」


 昌平は、ちっとも女というものを分かっていない。そうやって足の引っ張り合い、罵り合いをして生きているのだ。女の綺麗な部分だけを見ようとしてるから、気付きもしないのよ。


「あのさ、緋菜。痛いとこを突かれて面白くなかったんだろうけど、その言い方はなしだ。良いか?緋菜は、圧倒的に他人の気持ちを考える力が欠如してる」

「他人の気持ちを考える?そんなこと私だってしてるわよ」


 昌平まで説教するのか。面白くない。私だって、他人のことを考えて、思い遣って生きて来た。それなのに、欠如してるなんて言い方は酷い。


「じゃあ何で、詐欺師なんて言った。言い過ぎだって思わなかったのか?そう言われたら、彼女がどう思うか考えなかったのか?相手の気持ちを考えて、寄り添う言葉を掛けるだろう?それが緋菜は出来ない。周りが全て、敵な訳じゃないんだぞ。分かってんのか」


 周囲など大概は敵。昌平は、甘いのよ。簡単に人を信用していたら、何度も裏切られないといけない。信じた方が馬鹿を見るのはごめんだ。


「もういい。昌平も信じてくれないのは分かった。勝手に騙されて傷付けばいいのよ。知らないから」


 私は財布から現金を掴み取って、テーブルに叩き乗せた。呆れた顔をした昌平を横目に、私は背を向ける。もう彼らには会えないかも知れない。それでも仕方ない。友人だと思っていたのに、誰も私を信じてくれないのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る