Doll

白崎蓮

1

 徐々に強くなってきた雨に、自然と早足になる。

 会社に持ってきた赤い傘を盗まれたか、あるいは間違って持ってかれてしまった為、パラパラと降る雨の中を、私は足早に歩いていた。

 ―ツイて無いな……。

 電車を降りてからしばらくの間は、まだ雨は降っていなかった。駅で電車を降りて、十分ほど歩けばアパートに帰れる。雨が降り出したのがほんの数分前。もう少しでアパートにたどり着けるというのに。

 夜の駅はカラフルなネオンが眩しく、あまり好きではない。丁度今の時間帯は、会社帰りの人でごった返しになる。そんな人混みも嫌いだった。

 アパートへの道を足早に歩き、右手前方ににンビニを見つける。駅からほど遠くない、様々な商店が立ち並ぶ通りに面したコンビニ。帰りが遅いときは、ここで夜食を買って帰る事もあるが、今日はまだそんな時間帯ではない。簡単な食事なら、帰ってから準備をすれば間に合う。朝食の残り物でしかないが……。

 そう思って、更に足を速めた直後、私は反射的にその足を止めてしまっていた。

「……?」

 コンビニの手前、薄暗い黄色い光がウィンドウガラスから暗い歩道を照らしている。私の視線は自然とその光の元へ吸い寄せられた。

 足を止めて、ガラスの向こうへと目をやる。

 そこには、幾つもの人の形をした「もの」があった。大小様々な「彼ら」は、皆それぞれが違う方向を向いている。

 通りを見ている者、下を俯いている者、通りに背を向けている者、ウィンドウガラスの向こう側に設置された階段のような台座にちょこんと腰掛けているもの―。

 人形だった。

 通りに面したショーウィンドウ。ガラス1枚を隔てたすぐ向こう側に、何体もの人形が飾られているのだ。更にその奥には、やや広めのフロアがあり、棚やテーブルが幾つも並んでおり、そこにも大小様々な人形が沢山置かれていた。

 ―何だろう?ここは……。

 毎日の通勤でいつも歩いている道だが、こんな場所はなかったはず。少なくとも、今朝、この道を通った時には。

 半年ほど前に発生した大きな地震の影響で、コンビニに隣接していた建物―当時は本屋だった―は、大きな被害を受けて、地震から一ヶ月ほど経った後、その本屋の看板は撤去され、通りに面したショーウィンドウには、灰色のアコーディオンカーテンが覆い尽くされていた。

 今朝までは、あまり聞き慣れない不動産会社の看板が、建物の脇に立てられていたように記憶している。

 通りを少し進んだ先、ショーウィンドウが途切れた先に、茶色い扉が見えた。真新しい、少し艶のある扉。表面には、まるで板チョコのように長方形の形をした凸凹の模様が描かれている。

 扉の上には、赤い簡素な庇があり、庇の真下で青白い照明が扉を照らしていた。

 私はもう一度ガラスの向こうに並んでいる人形に目をやった。そうして、無機質な彼らの表情を見つめる。

 別に、人形に興味があるというわけでは無いのだが、その中の一体になぜか目を奪われてしまったのだ。そして、その人形の青い瞳からなぜか目を逸らすことが出来なかった。

 それは、薄いブルーのドレスを纏った、五十センチくらいの少女の形をした人形だった。髪はクルクルとカールしたブロンドのロングヘアで、後ろ髪の一部を赤いリボンで結んでいる。その頭には大きな白い帽子を被っており、帽子の周りには赤やピンクや白色の沢山の薔薇があしらわれていた。

 階段のような台座にちょこんと腰を下ろして、両手は膝の上で丁寧に組まれていた。その右手首には金色のブレスレット、左手には銀色の指輪をはめている。ドレープ感のあるロングドレスに隠れて足下はよく見えないが、茶色い靴を履いているようだ。

 少しばかり首を傾げてやや俯き加減にしたその表情は、ほとんど無表情だが、微かに開いた赤い唇の端を僅かにつり上げて、薄紅色に着色された頬に掛けて微かな笑みが浮かんでいるようにも見える。

 瞳は薄いブルーの、まるでガラス玉のように―文字通りガラスが入っているのかもしれない―透き通っていて、茶色い瞳孔がこちらをじっと見つめていた。もちろん実際に見られているわけではないし、視線も別のところを向いているはずなのだが、球体状の眼球が光をあちこちに反射するせいなのか、私が少し場所を移動しても、少女の瞳孔が常に私を捉えて放さないかのように追従してくる様に見える。

 その少女の瞳から、私の方も目を逸らすことが出来ずにいた。

 西洋のアンティーク人形、ビスクドールというのだろうか……?あまりにも精巧に作られたその人形に、私は不思議な魅力を感じずにはいられなかった。

 ショーウィンドウの中には、他にも何体もの人形が置いてある。それらは全て若い女性か、少女の容姿をしていた。

 私がじっと少女の人形に見とれていると、

 ―ギイッ

 と言う音を立てて、すぐ近くの茶色い扉が開かれた。

「……人形に、興味がおありですか?」

 そう言って、扉の向こうから姿を現したのは、真っ黒なローブのような服を纏った女だった。

 じっと、無心のまま人形を見つめていた私は、その声と女の容姿に少しばかり驚いたが、それはほんの一瞬で、なぜか、すぐにその女の不自然すぎる容姿を受け入れる事が出来た。

 年の頃は、四十前後だろうか。私よりも少しばかり背が高い―女の中ではかなり長身の部類に入るのでは無いだろうか―色白の女だった。黒いローブと思われたその服は、よく見ると、だぶだぶのワンピースのようだが、頭まで真っ黒な頭巾のような帽子を被っているせいで、何だかおとぎ話に出てくる「魔女」がそのまま現実世界に飛び出してきたかのような錯覚を覚える。

「あ、あの……ここは…?」

 私は戸惑いながら、女に問いかける。

「見ての通り、人形の家にございます」

「人形の、家……?」

「ほっほっほ……。不思議そうな顔をしていらっしゃいますね」

 わざとらしく笑いながら、女が目を細めて私の方に近づいてくる。反射的に私は一歩女から距離を取った。

「その子が、気に入りましたか?」

 言いながら、女はショーウィンドウの中で座っている、私が先程からじっと見つめていた少女を見やる。

「……あの、そういうわけでは」

 何て答えたら良いものか。さっさと退散してしまった方が良いかもしれない。と、そんな考えが浮かんだ瞬間、ガラスの向こう側の人形達の視線にぎょっとした。

 彼女達が皆、私の方を見ているのだ。顔はそれぞれ別々の方向を向いているのに、なぜか瞳だけが私の方を見ている。どの人形も一様に、まるで私をこの場に釘付けにしようとしているかのように。

 が、すぐにそれは錯覚だと気付いた。

 先程の少女の人形のように、人形達の眼窩に埋め込まれたガラス玉らしきものの反射によって、こちらを見ているように見えるだけだと気付いた。

「この子達は、売り物ではございません」

 いつの間にか、女が私のすぐ隣にやってきていた。

「みな、居場所を失ったかわいそうな子達。誰か、拾って下さる方を、探しているのでございます」

 女は私からつと離れて、ガラスに手を触れる。その手にも、真っ黒な手袋をしていた。

「居場所……。捨てられたんですか?」

 私はショーウィンドウの中の人形達を見渡しながら尋ねる。女が私の方に目をやり、じっと見据えてきた。

「そう……ですね。そうかも知れませんね……」

 女は微かに顔を伏せるようにしながら、目を閉じる。なぜかその一言には、妙に穏やかな雰囲気があった。

 私は、また人形の少女へと目をやる。

「彼女達は器。空っぽの器。だからこそ、常に自分達を満たしてくれる『主人』を求めているのです。こうしてショーウィンドウ越しに、自分の存在を認めてくれる方を探しているのです」

「…………」

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