彼らは心が汚いので異世界転生できません
空中逆関節外し
第1話 闇の世界の住人
異世界転生。それが創作ではなく現実にありふれた現象となって、もう既に三年になる。
地球上とは異なる次元に存在するその世界は、三年前の時空断裂によって容易にこの世界への入り口を繋ぐようになった。
そして地球世界の、特に日本人は異世界においての適応力が非常に高く、また高い確率で神、あるいはそれに準ずる何かから強力な力を授かることから、異世界側から救世主として白羽の矢を立てられて召喚されるという事も珍しい事ではなくなってしまっている。
世はまさに大異世界転生時代。ここではないどこかで勇者として誰もが選ばれうる、幻想の時代へと突入しようとしていた。
@@@
下弦の月が頼りなく空に浮かぶ。星がまばらに散り、夕闇の迫る鉄筋校舎の頭上に、一条の光が走る。星空に走る銀色の光条は複雑に線を結び、やがて複雑な魔方陣へと形を変える。そしてその中心から瞬くような燐光と共にそれは現れた。
空気中に存在する光の糸が織り重ねられるようにつま先から、足首からまるで光の糸で紡がれるようにして虚空に人影が降り立つ。
「ここが……私たちの暮らす世界とは別の、もう一つの世界……」
それは透き通るような銀色の髪をした少女だった。すらりとしなやかな手足と、ぞっとする程に整った人間離れした美しい顔立ち。その手には先端に白い翼と藍色の宝玉をあしらった身の丈ほどもある杖を携え、その身には地球に存在しない有翼の獣神をあしらった司祭服に身を包んでいる。
少女の名はエリアス。この現代日本とは別の世界よりやってきた、神域の力を操る女神である。
彼女の世界は今、2000年の眠りより目覚めた邪悪なる魔王の手により滅びの危機に瀕している。魔王の持つスキル【根源的恐怖への服従】は魔王に対して恐れを抱いてしまった存在からのあらゆる攻撃を無力化する。かつて暴虐の限りを尽くした魔王に対して恐怖を持たない人間は、彼女の世界に存在しなかった。2000年前の恐怖に縛られ、そして戦いを離れて魔術技術を大きく喪失してしまった今の人類では悔しいが魔王に太刀打ちできない。
――勇者が必要です……魔王の恐怖を知らない、世界の為に戦ってくれる誰かが。
我ながら最低だとエリアスは自嘲する。いくら自分の世界を守る為とは言え、この世界の未来ある誰かに頼るしかないのだから。
「ですが、それでもやらなければならないのです……世界を救うために」
エリアスは風に舞う羽の様にふわりと街の中に降下していく。淡い光を纏いながら、エリアスは学舎の校庭に足を降ろした。
次の瞬間、エリアスの脇腹にスタンガンが押し当てられた。
「あばっばばばばっばばっばばばっばばっばbbbbbbbbbッ⁉」
青白いスタンガンの火花がオフィス街にスパークする。筋硬直した状態でその場に倒れこんだエリアスに、十数人の男女が取り囲んだ。
「な、なんなんですか貴方達は……?」
「御託はいい! 早く俺達を異世界転生させるんだ!」
少年の一人が叫ぶ。やや細身、引き締まった体つきではあるが顔立ちは中世的で一見すると少女のようですらある。
しかしそんな印象をペンキをぶちまけて塗り潰すように、目がバキバキに血走っていた。
「ど、どういうことですか? はっ、まさか私の世界を救うために自分から?」
「どうだっていいんだよそんなこと!」
血走った目で少年は否定する。
「俺はチートスキルで愉悦を貪りたいんだ! なあお前、異世界からの使者なんだろ? なあ早く異世界転生させろ! なあ!」
「ひっ!」
「ははは楽しみだなぁオイ」
「向こうの世界に清楚な奴隷美少女エルフはいるかな」
「もし向こうに奴隷制度がなかったらどうする?」
「なければ作ればいいだろ」
後ろの連中が鬼畜みたいな事を言っている。
「バカなことを言わないでください! 私は世界を救う為に決死の覚悟で助けを求めにやってきたんです! それに、女神の私であっても失われた魔術の力を授けられるのはほんの数人だけです!」
「っ! なんだと⁉」
エリアスの言葉に我に返った少年は、落ち着きを取り戻した様子で歓談している男達の方を振り返った。
「聞いてくれ。この女神は俺たち全員にチート能力を配ることはできないそうだ」
その言葉を聞き男共から落胆の声が上がる。
「えー、マジかよ」
「どうすんだよ佐伯!」
「落ち着け。こういう事態に備えてアジトに古今東西の武器を用意してる。殺しあって決めよう」
「貴方が何を言っているんですか⁉」
おかしい、エリアスは周りを見渡す。この世界においてまだ成熟していない少年少女の通う学び舎、そこを現界する為の場所として選んだ筈なのにゴブリンみたいな連中しかいない。
「そもそも! 私は救世主を探しにここに来たのです! 決して貴方達のような悪魔を呼ぶためではありません!」
「……?」
「貴方達のことですッ!」
なぜそこでそんなに意外そうな顔をできるのか。
「そもそもどうしてそんなに私の世界に行きたいなどと思うのですか! この世界には多くの使者がやってくると聞きます! 彼らに声をかけられるのを大人しく待てばいいではないですか!」
「ああ、確かにそうだ。けど見ての通り、俺はともかくとしてこいつらはクズの集まりだからな」
「そうだな。俺は人間の鏡だがこいつらは神が酔った勢いで作ったようなゴミばかりだ」
「まったくだ。勇者にふさわしいこの俺とドブの類義語みたいなこいつらとじゃ、転生者を選ぶ側としてもきっと迷惑だろうからな」
「「「ああ⁉」」」
「喧嘩しないでくださいそんな事で!」
叫びながらエリアスは嘆息する。逃げようと思えばこの場から逃げられなくもないだろうが、彼らを放っておけばまた自分のような犠牲者が出るかも知れない。
「……分かりました。そこまで言うのなら、貴方達を試して差し上げます」
そう言ってエリアスは指先を振るう。その瞬間、彼らの目の前に光と共に淡く輝く水晶のように透明な球体が出現した。
「っ、なんだ?」
「マジックオーブ。私の世界では魔力の素養を図る為のアイテムです。これに触れば持ち主の魔力の質に応じて色が変わります」
「ああ、よくあるやつな」
「よくあるで片づけないでください」
この佐伯とかいう奴が一番腹立つ。
「これに貴方達が触れて、少しでも色が変わったのならその方は連れていって差し上げましょう」
「マジで⁉」
「っしゃあコラア! うおおおおおおお!」
「ばあああああああああああ!」
「ハアアアン! ハアアアアアアアアアン!」
外野がうるさい。
――ですが、これで彼らも諦めもつくでしょうね。
少年たちは血管が千切れるような叫び声を上げているが無駄だ。そもそも魔力を持つ人間はどんな時代にも十人に三人程度。それに加えてマジックオーブを反応させられる程の魔力を有する者などほとんどいない。色が変わるかどうか以前の問題なのである。
「駄目だ! 色が変わらねえ!」
「畜生! 動脈を掻っ捌いて血染めにするのはありか⁉」
「駄目に決まっているじゃないですか!」
訓練も受けていない彼らに対しては汚いかも知れないが、これも世界を守るためだ。彼らも数年後には納得してこの世界で十全な幸せを築いてくれる筈である。
「なあ女神様。俺の玉消えたんだけど」
「え?」
佐伯の方を見ると、その手の中にある筈のマジックオーブが消えていた。しかし落としたとか隠したとかとも違う、そもそも発光しているのだから隠しようもない。
「消えたって……そんな筈は……」
しかし目を凝らしたエリアスは気づいた。マジックオーブはなくなっているわけではなく、色を変えていたのだ。夜の中では視認すら不可能な程の漆黒に。
――え? ダークマター?
「どうした女神様?」
「あ、あははー、なんでしょうねどうして消えたんでしょうねー?」
見たことのないな反応を見せたマジックオーブに危機感を感じ、冷や汗を流しながらマジックオーブをこっそり回収しようと手を伸ばす。
バチンという音と共に触れた指先が跳ね返された。
「っ⁉」
「あ、なんだあるじゃん。しかも色変わってる」
「ちょっと待ってください! 今私の女神の力が拒絶されましたよ⁉ どれだけ邪悪ならそうなるんですか!」
『血ヲ……血ヲ寄コセ……』
「なんか喋った!」
持ち主が邪悪すぎて自我が芽生え始めている。
「さて、ともかく色が変わったということは、俺は異世界を救う勇者の素質があるってことだな」
「ち、違います! 私はもっと勇者に相応しい人物を探しにやってきたのです!」
「おや? 約束を反故にすると? 俺からの提案ならともかく、自分で出した条件なのに?」
「うう……っ」
「さあどうなんだ! 言ってみろよ女神様よお! 俺たちを異世界に連れていくのかどうなのか!」
「「「「アララララアイ!」」」」
外野が本当にうるさい。
――そんな……こんな方々を連れて帰るのですか……?
勝ち誇ってお祭り騒ぎをしている佐伯達を涙目で睨みながら服の裾を握りしめる。しかし自分で出した条件である以上は飲まないわけにはいかない。
「わ、分かりました……貴方方を私の世界へ……」
「そんな条件飲む必要ないわよ」
その時アリエスの頭上から声がした。そして目の前に一人の少女が降り立つ。
重力を感じさせないような動きで音もなくアスファルトに革靴が着地する。夜の様に黒くつややかな髪とアメジストのような瞳。美しくも鋭いその姿は黒曜石の刃を連想させた。
「上条!」
「うわあああああ! 上条だああああああ!」
その少女の姿を見た瞬間男達が悲鳴を上げる。そして佐伯も不快そうに舌打ちをした。
「またお前か夜鷹! 毎度毎度俺たちの邪魔をして楽しいか⁉」
「別に邪魔をしている気はないわ。ただ私は困っている人を見過ごせないだけ」
「なんだその言い方は! 俺たちはただ誘拐未遂と脅迫をしていただけだ!」
「そうだそうだ!」
「まだツーアウトだからセーフだろうが!」
「頭痛くなってくるから喋らないでくれる?」
「「「ああ⁉」」」
すごい。佐伯達を前にしてもまったく怯まない。だが夜鷹は悪人ではなさそうだが、しかしだからと言って女の子一人で彼らの相手は危険すぎる。
「逃げてください彼らは危険です! 特にあの佐伯という少年は言語では表せないほど邪悪で!」
「知っているわ。いつも相手してるから」
「え?」
「ふっざけんな夜鷹テメエコラ! お前だけ何回も何回も異世界転生しやがって鬼畜生が!」
「別にしたくてしているわけじゃないわ。普通に生きていたら何故か選ばれているだけよ」
「なんだその、鼻につくクソみたいな理屈!」
「お、おい……あんまり刺激するな佐伯。あんなゴリラ勝てるわけないだろ……」
「そ、そうだ! いくらアイツがゴリラだからってきちんと誠意を見せて謝れば見逃してくれるに決まっている!」
「バナナだ! ありったけのバナナを持ってこい! 強いとは言っても所詮は畜生! バナナを与えればきっと許してくれる!」
「へえ……」
ああ、少女が皆殺しを決めた目をしている。
「馬鹿言うなお前ら! あいつをただのゴリラと思うな!」
「次にゴリラって言ったら殺すからね」
「あいつはゴリラはゴリラでも異世界帰りのゴリラだ! 体に強力な酸が流れている、普通のゴリラと思うな」
「四回殺す」
――凄いですねあの人……。
「ち、畜生! やるしかねえのか!」
「やってやる! やってやるよクソが!」
佐伯に焚きつけられた数人の男子が夜鷹へと拳を振り上げながら襲い掛かる。だが、
「邪魔」
「「「ごはあ!」」」
バチンという鞭で体を叩きつけたような音がした。それと同時、一切の時間差なしでとびかかった男子たち全員が吹き飛ばされる。
「佐伯以外は退いて。そいつは殺すわ」
夜鷹の中指から薄っすらと煙が尾を引いていた。信じられないことにデコピンで吹き飛ばしたらしい。
「お、お前ら大丈夫か⁉」
「こんなにブサイクになっちまって!」
「いやこれ地顔……」
「馬鹿野郎! そんなロードローラーに轢かれたみたいな顔してる奴いるかよ!」
あれでフォローをしているつもりなのだろうか。
「さあ馬鹿な事早く終わらせるわ。あと佐伯、あんたは殺す」
「ぐ……大人しく殺されてたまるかよ。今日の為に俺達がどれだけ準備してきたと思っている!」
「準備?」
「そうだ! 毎日毎日寝る間も惜しんで異世界転生した時のシミュレーションを脳内で行ってきたんだよ!」
「妄想っていうんだけどそういうの」
「うるせえ! うおおおおおお! マジックオーブよ! 俺に力を!」
『バアアアアアアアアアア!』
佐伯が叫んだ瞬間真っ黒に染まったマジックオーブから魔力が噴出した。それは水に溶いた墨のように空中で尾を引き、生き物のように蠢きながら次々にあふれ出していく。
「何あれ。アナタの差し金?」
「し、知らない! あれはあんな風になるアイテムじゃないです!」
なんならそこらの魔獣よりよっぽど禍々しい魔力を感じる。
『先輩! JKノ血ヲクレルッテマジッスカ⁉』
「ああ、だから俺に力を貸せ!」
『アザッス!』
「完全に従えてませんか⁉」
「うおおおお! 今ならお前に勝てる! 積年の恨みいいいい!」
黒い魔力を操り津波のように闇が押し寄せる。夜そのものが迫りくるような悍ましさに背筋が凍るような感覚がした。
「逃げてください! 殺される!」
「大丈夫よこれぐらい」
しかし夜鷹はまだ冷静だった。いっそ気だるげな様子さえ感じさせながら手をかざし、黒い魔力に指先が触れる。
「スキル発動……【魔力干渉(マジックインターベンション)】」
そしてそのままその魔力を掴んだ。
「……は?」
「ところでさ」
指先に力がこもり、実態のない筈の魔力がちょっと軋む。
「ちょうど新必殺技の空中逆関節外しの実験台が欲しかったのよね」
なんだその殺意しかない技名。
「それじゃあ佐伯、俺らは先に失礼します」
「「「「しゃーっす!」」」」
「待てお前ら帰るな!」
佐伯が手を伸ばすがそれも空しく仲間たちはさっさと踵を返していく。本当に仲間なのだろうか。
「くそ! だがまだだ! 今の俺には既にチートスキルがある! これを使えば!」
牙を剥いて笑いながらマジックオーブに目を落とす。
だが様子がおかしい。マジックオーブの真っ黒な光は弱弱しく明滅し始めていた。
「オイ……? どうしたよ。なんか元気なくないか?」
『スマン先輩……我ハモウ駄目ダ……』
「は⁉ ちょっと待てよ! お前今の状況分かってんのか⁉」
『アア……今JKガ我ヲ鷲掴ミニ……鷲掴ミニ……』
やけに興奮した様子の声と共に、ぶるぶるとマジックオーブが震え、そして、
「ハアアアアン!」
奇声と共にマジックオーブが砕け散った。
「オイイイイイイイイ⁉ なんだこれ女神様! マジックアイテムがテクノブレイクしてんじゃねええか!」
「いや知りませんよ!」
「佐伯……」
冷たい声が向けられる。夜鷹は髪をかき上げ、少しだけ抑揚の外れた声で問いかける。
「私はアンタを今から八回半殺しにする」
これは、エリアスがこの世界で出会った人々の、非日常が日常になった世界での日常、
「や、やめろ! その関節はそっちには曲がらなぎゃあああああああああああ!」
の、ような何かである。
|
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます