第15話 訪問者と内通者
さっきまで浮かび上がっていた太陽が、いつの間にかもう、その半身を山々の一端に浸からせている。
消え入りそうな日光を背中に受けながら、
留年の一歩手前という不名誉極まりない事実から昨夜、
子どもたちはもちろん
昨日せっかく帰省したばかりだというのに、またニコラス学園のそばへと2時間以上をかけて逆戻りしたわけだが、「年末年始の準備ですごく忙しいみたいだからしょうがないよ。でも、給料もそのぶん出るし」と、本人は特に苦にならない様子だった。
ふいに、「へ、へっくしぃ」と盛大なくしゃみをかます。
さっきからはたしてこれで何度目になるだろうか。昨日からすでに予兆はあったが、どうやら本当に風邪をひいてしまったようだ。
そういえば昼間に見た天気予報で明日の夜にでも雪が降るようなことを言っていたな、と思い出す。あまり実感はわかないが、その前触れとでもいうように、こうしている今も、思いのほか気温が低いのかもしれない。日も落ちたことだし。
とりあえず上着の内側の胸ポケットにしまっていた、
生憎と
下手に雑念を浮かべることなく、
少しして──気づけばまた、一昨日の夜から起こった奇妙な出来事が自然と脳裏に回帰してきた。
キングキャッスルを傍観しに出向いて、その終盤で
こうなってくると、
たしかに、ここは人目のつかない山奥だし、それに今、自分は呑気なことにはき掃除なんかをしている。黒服の連中にとって、命を狙うのであればこれ以上に好都合な瞬間もそうそうない。
そんなふうに逆算すると、つまり命の危険はないと見て大丈夫、ということだろう。
だとすると、残る疑問はひとつだった。
いったいどんな理由があって、サンタは
いや、それよりも疑問なのは、『どうしてそのサンタからも未だに追跡がないのか』ということである。
脱出してから未だに何も起こってはいない。追跡がないのだ。それはつまり、
結局、サンタは何がしたかったのだろうか。
考えて見たところで、普段から頭を使う習慣もなく、バカのレッテルを貼られてもいる
行き詰まり、別の問題についても考えようと頭を切り替える。
それは、紛失してしまった指輪についてであった。
今のところ、
だが、探し出そうにも、どこに落ちたともわからないあんな小さなものを探しだすなんてこと現実として無理がある。はるか上空から落下したのだし、なんならすでに原形をとどめていないかもしれない。
亡き両親には面目が立たないが、こうなったら模造品を用意するほかない。それも、
ただ、そんなものを仮に調達できるとしても、こんな山奥で都合よく調達できるはずもない。
そうなると、最低でも年が明けてニコラス学園のある都心部に戻るまでは騙し続けなければならなくなる。
あの
果たしてそんなことができるだろうか。
自信は欠片もないが、それでもやり抜くしかない。
合理的に考えれば、バイトで都心部に何度か戻ることのある
というのも、あの指輪は6年前に
だから昨日の電車内で
結局のところ、指輪については今どうすることもできない。都心部に戻るまで、せいぜい発覚しないよう神に祈るしか
あんな廃墟に近寄らなければ、こんなことにはならなかった。そのことが今になって悔やまれる。
思い返せば、あの廃墟に近づいたあたりから不運な出来事がたて続けに起こっている。命を狙われ、指輪を失くし、携帯電話さえも壊された──まあ、なんならあれは自分で壊したともいえるし、そのおかげで
いや違う。そうじゃない。
すべては、あの小生意気な、ニコラスとか名乗っていたあの少女と出会ってから起こったものだ。
幼いころから神格化していたが、今になってサンタが疫病神にすら思えてきた。
と、ここで
「14歳って言ってたよな、あの子。あれが本当だとすると、6年前は8歳ってことか。たしか、
どうにも違う気がしてならないが、なにしろ6年も前のことだからなんとも言えない。正直、記憶も曖昧だ。
そこで、門扉の向こうから「おーい
仕方なく箒を持ったまま駆け足で出向いき、いそいそと内側から鍵をはずしにかかる。
車が門を通り、そのまま所定の位置まできてエンジンが止まったのを確認してから、しぶしぶと車に近づいていく。どうせ荷物持ちをさせられるのだ。言われる前に動いたほうが得策である。
「いやー、まいったまいった。ちょっと魚屋のあんちゃんに口説かれて遅くなっちゃったわ」
「口説かれたって、じゃあ今晩は魚料理ってこと? カレーって言ってなかったっけ?」
「はぁ? カレーだけど? なんで魚料理なのよ?」
「なんでって、今のは魚屋で魚を買わされたって話なんじゃないの?」
「違う違う。言葉のまんまの意味よ」
「じゃあ……口説かれた、ってこと?」
ここで
「ったく、たまにあんのよね。別に何をしたわけでもないのに、あたしの虜になっちゃうってことが。もしかして、知らぬ間にそういったフェロモンでも出てんのかしら?」
「いやいや、それだったら俺とかも虜になってるはずだろ。こう見えても一応男だし」
「たしかにそうね。ってことはなに? もしかしてお前、あたしにムラムラきちゃったりしてるの?」
「あのなぁ……ったく、平気な顔でそういう冗談言うのはやめろって。仮にも俺の保護者なんだからさぁ」
「あら。ノリが悪いわね。ひょっとして不貞腐れてるワケ? 何時間もはき掃除させられて」
「そういう問題じゃないっつーの」
「あっそ。んじゃ早くこれ持ってってば。ほら、労役労役」
自分から話し始めたんじゃないかよ、と思いつつも、
運転席の真後ろのドアをスライドさせると、なかには程よく中身が詰まって膨れたビニール袋がいくつもある。嘆息してから箒の柄を右の脇に挟んで、しぶしぶ両手にひとつずつ持った──が、それがまた、思った以上に重かった。箒が脇から落ちてしまう。
しかし
悪態のひとつでもついてやろうか、と思ったところで、気付いた。
おそらくは助手席にいたのだろうが、今まで気づかなかったのは、ひとえに体が小さくて座席に隠れていたからだろうか。
全体をほどよく土に化粧されてくたびれ気味の白いスニーカー。
本来の色が褪せて変色したであろう古びた薄い青色のジーンズ。
それに膝辺りまである紺色のダッフルコート。首元にはクリーム色のマフラー。
総合的に見ると素朴極まりない、質素で地味な格好だ。両手には軍手のような粗末な手袋をし、その右手で、なにやら中身の詰まった大きめの白い包みを肩にかけるようにして持っている。見ようによっては背中にしょっているように見えなくもない。
沈みかかった夕日の紅い光線を艶やかに反射させた黒髪は肩に掛かるくらいの長さで、纏りなく要所で毛先が外側にはねており、そして左の眼のはしにホクロがくっきりと刻まれている。
くしくも、
そして、それが誰なのかを2秒ほどかけて理解して一気に硬直してしまい、両手から地面へとビニール袋が零れ落ちてしまう。
「……どうかしましたか。そんなモアイ像みたいな顔をして」
それはどんな顔だよ、と通常の
目の前にいる少女の──すなわちニコラスと名乗っていたあのサンタの出現に、本当に自分を捕まえに来たのかもしれないという恐怖が途端に全身をあまねいていたからだ。
本能がそうさせたのか、覚束ない足取りで勝手に後退を始める。やがて足がもつれ、尻餅をついてしまった。しかしそれでも
「お、お前……なんでこんな、ところに……」
初対面のときのように、相変わらず不機嫌そうな表情で、そして
考えるまでもなく、少女がここに現れた意味は、ひとつしかない。
だがそれにしても、なぜサンタは自分の居場所がわかったのだろうか。
それよりもまず、この至近距離で、どうすれば逃げおおせるのか。このままだと、同じ場所でないにしても、また幽閉されかねない。
──これらを冷静でない頭で考えても、どれひとつとしてそれらしい回答が浮かび上がってくるはずもなかった。それどころか余計に思考のひもが絡まっていく。
「ちょっと
「ち、違うって……こ、こい、つ……」
「こいつって、
「……あすか?」
混乱のさなか、おもむろに
「
「知ってるも何も、
「…………は?」
「んー、もっと正確に言うと、この柊の、資金提供者の娘ってところかな」
それは……一体どういうことだ?
すると何か? 今の言葉をそのままに、単純に解釈すると、『柊はサンタが盗んだ金品を元に運営している施設』ということにならないか? もっとも、その理論でいけば芋ずる式でニコラス学園もそうだということになるわけだが。
ということは、
いや待てよ。まだ
つまり、
思考が目まぐるしく駆け回っている最中に、不意に「は、は、はくしょいっ!」と、地べたにすわりこんだまま耳をつんざく強烈なくしゃみをした。冷えきった地面のせいで、尻まで冷えたのかもしれない。
その様子を見てなのかどうかはわからないが、
「ちょ──こ、こいつも入るのかよ?」
「私が入ったら、いけないんですか?」
「それは──」
たしかに、この少女が柊の出資者の身内であるという話がまかり通っている以上は、今ここで立ち入りを拒む理由はない。ただしかし、それが仮に真実だとしても、感情がそれを拒んでいた。
「さっき、柊の資金提供者の娘だとかなんとか言ってたけどさ、
サンタのひとりなんだってことを! ──と、高らかに言い放つつもりだった。
なのに、それが完遂できなかった。不思議と
もちろん言い淀んだわけではない。むしろ
そうと気づいたときには、発声どころか呼吸そのものが苦しくなっていた。まず空気が肺に入ってこないのだ。酸素が十分に取り込まれないことから、次第に体中の血管がドクドクと音を立てて暴れだし、同時に胸のなかがよじれるような苦痛が湧いてきた。
それらが一気に肥大化し、やがて酸欠で意識すら薄れかかってきたところに、視界に少女の視線を感じとった。
空いた左腕を伸ばして向けていたが、気のせいか苦しむ
そのまま、それは意識を失うほんの一瞬前にまで及んだ。
もうダメだと思った瞬間、急に肺の苦しみが和らぎだしたのだ。酸素を取り込めるようになったらしい。
そんな無様な姿に少女は一瞥だけし、また顔を背ける。
「
「なんとか、な。それにしても──なあ
「そりゃあまあね」
「じゃあ言葉を選ばずに聞くけど、
「何をしたのか、ってどういうことよ? 誰も何もしてないじゃない。ただお前が急に、勝手に苦しみだしただけじゃなくて?」
今の質問で理解する。
目の前の少女がサンタであることを、
「そんなわけないだろ。俺が苦しんでたのはそいつのせいだ」
「
「根拠ならあるさ。ちょうどいい、
あのサンタなんだよ! と叫ぼうとしたところでまた、さきほどの苦々しい現象が繰り返された。声が途絶え、たちまち呼吸困難になる。
そうして臨界点まで達する直前で拷問から解放された。
どこかから「学習しない人ですね。本当、バカみたい」という声がした。
ここまでくると、もはや憎しみが沸いてきてもおかしくない。地面に触れていた右手が、勝手に土を抉っている。
「ったく……
「それもそうですね。わかりました」
わけのわからない会話に頭を起こすと、
しばらくして何かを取りだし、そのまま手元でいじる。すると、聞き覚えのある、オルゴールのメロディが流れだした。記憶にある限り、それを聞いたのはあの密室に閉じ込められていたときだ。
目が点になっている
このメロディは、一体何を意味しているのか。
どうして今、この場にこの謎のメロディが必要なのか。
さらに言えば、どうしてそれを、
このメロディの発生源の物品の名称のようなものが『ホシ』であると認識もしていたようだし、消去法でいくと、考えられる理由としてはひとつしかない。
すなわち──
何もかもを。
気付いたときには、少女は『ホシ』と呼ばれる何かをすでに懐にしまい込んでいた。そして「
「ほい。大丈夫? 派手に
「やられてたって、じゃあやっぱり
「いろいろ聞きたいこともあるだろうけど、続きはなかに入ってからね。外じゃ、どこで誰が聞いているかもわからないご時世だし」
人前でやたら滅多に話せる内容ではない、と言外に言っているように聞こえる。
たしかにそれはそうなのかもしれない。となるとつまり、さっき少女に2度も苦しめられたあれは、秘密の暴露を防ぐための予防措置といったところだろうか。
ありえない。こんな山奥で一体誰が聞き耳を立てているんだよ、と思った
なんとなくではあるがあの少女の行動原理は一応理解できた。むろん納得はしてはいないが。手段は他にもあっただろうに。
「で? あいつはそもそも何をしに来たんだ? こんな夕暮れどきに」
まさか俺を捕まえに来たとか言わないよな? と言及したかったが、この際、もう不要な言葉は使わない。
「話をしに来たのよ。大事な話をね」
「話? 話って何の?」
「そうね、有体に言えば、『お前が知らないお前の話』ってところかな?」
「……はあ? それってどういう意味?」
「ああそっか。あたしとしたことが、お前がバカだってことをうっかり忘れてたわ。こういう、ちょっと気の利いた表現じゃわかんないもんねーバカって。あー可哀そう」
「おい。一言、いや二言多いぞ、コラ」
「本当のことを言われてんだから、そんなふうにへそを曲げんなっつーの。ほら、行くよ」
途中で、不意に
「だからさ、『お前がここに来るまでの話』ってことよ」
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