第07話 聖夜の悪夢
林立するビルに道路の外灯など、あたり一帯が同時に光を失った。
大規模な停電でまず間違いないのだろうが、この日この瞬間にこうも都合よく事が起こることなど、はたしてどれほどの確率だろうか。
真偽はともかく、すぐさま警官隊の赤灯や野次馬たちの携帯電話など、地上では泡のように光がポツポツと湧き上がった。空に散らばったヘリコプターからも光の槍が縦横無尽に降り注ぐ。
もちろん
隣で騒いでいるリーすらもおぼろげにしか確認できないほどだから、離れた
だが、この不測の事態にも
それとほぼ同時──暗黒の状態になってから10秒ほど経過したころに、室内が明るさを取り戻した。それと同時にキングキャッスルを始めとする周囲のありとあらゆる照明が、再び鮮やかな蛍光色に染まった。
例の大型スクリーンも命を吹き返したことで、どよめきが蠢く観衆のもとに、けたたましい音量が覆いかぶさる。今までが嘘のように、華やかな雰囲気が一気に蘇る。
視界が良好となったことで、
地上からおおむね斜め上の角度を保ちながら、それぞれが縦横無尽に散布される。
そして、それらのすべてが、たちまち上空のある一点へと収束していく。
『カメラさん、こっち、こっちです。視聴者の皆様、ご覧下さい。人です。キングキャッスルの屋上に、白い服を着た人がいます。あれは……あれこそが、サンタクロースなのでしょうか。えっと、1、2、3……3人でしょうか。どうやら今年は、全部で3人のようです』
地上の観衆からしてみれば気付けるはずもないその異変に、漏れ落ちてくる情報と併せて観衆の誰もがスクリーンを仰ぐ。
映像は、キングキャッスルの頭頂部よりも上の、空からの視点となっていて、そこから見下ろすように、キングキャッスルを軸にすえてゆっくりと時計回りに迂回しているところだった。そのままピントが調節され、拡大されていく。
屋上は、上空を泳ぐ警官隊の5機のヘリコプターの光線が折り重なるように集まっていることもあって、夜にもかかわらずとても明瞭だった。そしてそこには、実況のとおり、白い恰好をした存在が全部でみっつ、はっきりと映っていた。
3人ともが首から足元までを純白の運動着に近い衣類を装い、スキーで使用するような大きめのゴーグルで目を覆っている。
一見すると3人とも統一した装いではあるが、目を凝らせばその3人を明確に区別するものがあった。
それは帽子だ。
3人は屋上のとある部分のふちに横一列に並んでいるのだが、その真ん中に位置するひとり──先端に綿がついた白の三角ニット帽を頭にかぶっているのが特徴のサンタは、どういうわけか、その屋上のふち部分に腰を下ろしている。左右に両手をついて、脚は放りだすようにキングキャッスルの壁面と平行している。まるで、地上の観衆や警官隊の動向を眺めているかのように。
そしてそのサンタのすぐ後ろには、直径が2メートルはあると思われる大きな白い包みが置かれていた。表面がいびつな凹凸をしているのがスクリーン越しでも確認できる。
そのニット帽をかぶったサンタ挟むようにして、残りのふたりは左右にわかれて立っていた。
ニット帽のサンタの左手側の人物は比較的小柄で、白いキャップ帽を逆さにかぶっていた。腕を組んでヘリを見上げるそのたたずまいは堂々としていて、余裕すら感じさせる。
対する右手側の人物はというと、左手側の人物と比べてかなり身長が高い。そしてその手には、棒状のもの──ステッキだろうか──があった。頭には白のシルクハットをかぶっているのだが、ジャージに近い首から下の装いとあわせて俯瞰すると、もはや完全にミスマッチであるのは明白だった。ある意味で一番印象深い。
いずれにせよ、今ここにサンタがいる。夢にまで見た、あのサンタが。
その現実を十分に味わった観衆は、今までの静けさが嘘のように、膨張した風船が破裂したかのように、大きな歓声を胸の奥から張り上げていた。
「ふたりとも見てヨ。本物のサンタだヨ、サンタ!」
「ああ、ついにお出ましのようだな!」
「ちょ、待って。どこ、どこですの?」
「もう、ブーちゃんどこ見てるのサ。だからあそこだってば、あそコ」
『
だがしかし、
どうして双眼鏡を使っているのにそうなるんだよ、と
どうやら警官隊のヘリコプターがようやく対処に乗りだしたらしい。キングキャッスルの上方に群がり、まるで退路を封じたとでもいわんばかりにサンタクロースらを囲む一輪を描いていた。そうなったことでサンタクロースの3人は、それこそ舞台の主役といわんばかりに全方位から光を浴びせられるかたちとなっていた。
『こちらは日本警察、こちらは日本警察。貴様らをサンタクロースと断定して警告する。貴様らは完全に包囲されている。逃げ場はない。投降しろ。繰り返す、貴様らに、逃げ場はない』
5機あるヘリコプターのどれか──それがどれかはさすがに肉眼では特定できないが、おそらくは指揮系統を司っているであろうものから、拡大音声による不躾な警告がなされる。それは、双眼鏡を宛がったままの
たしかに、今の警告は誇張でもなんでもなく、むしろ正鵠を得ていると言える。
けれども、空を飛べることが世界中に認知されているサンタクロースにとってしてみれば、このような事態であっても単純に飛んで逃げればいいわけで、なんら逼迫した状況ではない。その認識は、サンタクロースである彼らはもとより、すべての観衆も、なんなら警告した側の警官隊たちですらも共通していることだ。
このまま飛び立つのか。
それとも、屋上の出入り口からキングキャッスル内に潜り込むのか。
はたまた、それ以外の何か奇抜なことをやってのけるのか。
期待ともとれる数多の感情が、サンタに注がれる。
地上ではそこかしこから『サンタ、サンタ』とサンタコールが湧いていた。リーがそれに便乗して、コールと共に手を叩きだした。
すると、深々と腰を下ろしていたニット帽のサンタが、浴びせられた要求に応えるかのように動きを見せた。
腕の力だけなのかわからないが、そのままの体勢から後方へと宙返りをして、今まで座っていたところよりもやや後ろに着地する。そうすることで真横になった白い包みを掴み寄せ、自身の前に置いて口を開きにかかる。
たったそれだけの所作なのに、いつのまにか歓声が一瞬にして途絶えていた。
次の瞬間、包みの中から、無数の何かが、意志を持ったように散り散りに飛びだした。
それらは刹那の時間でスクリーンアウトしてしまい、
「リー、今あの袋から飛びだしたのが何なのか、見えたか?」
「んーとねェ、……ペットボトル、かな。今のハ」
「ペットボトル? って、今のがか? それが本当なら、なんであんなふうに勝手に動き回って──」
「んもうっ、全然見えないじゃないの、これっ!」
そこで、
見れば、柄にもなく歯ぎしりをしていた。
「ああもう、せっかくのサンタだっていうのに。こんなことならリーくんみたいに、我慢してでも古くて貧乏くさい超視覚にしとくべきでしたわ。どうしてクリスマスプレゼントに『
「……ど、ドンマイ」
「そ、そーゆーこともあるんじゃなイ。人間だもン」
おおよそ理解が追い付かない次元の話(というか、ただの言いがかりというか八つ当たりだが)を適当にあしらって、ふたりはそっと視線を戻す。
少し見ないうちに、ニット帽のサンタはその場に直立したまま広げた両掌を前に突きだし、なにやら仰々しい構えを取っていた。
すると、先ほど飛びだしたペットボトル(と思われるもの)が、ニット帽のサンタに糸で操られているかのように、両手の前方にひとつの輪を描くように密集したのだった。
それらがペットボトルなのかどうかは、こうしてスクリーンに拡大されて映っている今でもまだ判断がつかない。リーの視力を信じるしかない。
ただ、それらの数はわかった。合計で6本ある。
密集した6本のペットボトルは、各々が底をニット帽のサンタに向ける形で真横を向いたまま、正6角形の頂点を連想させるほどに均等に配置し、そしてそのままその位置関係を崩さずに浮かんでいる。
それをリーは「なんだかリボルバーの弾倉に詰まった弾丸みたいダネ」と声にするが、そう言われてみるとなるほど、そんなふうに見えなくもない。
そうこうしているうちに、さらなる異常事態が起きた。
なんと、正6角形のそれぞれの頂点から、つまりペットボトルから、不気味な煙が立ち昇り始めたのだ。
「おいおい、今度はなんだよ?」
「ムム……どーやらあれは、ひとつひとつが浮かんだしたままもの凄い速さで回転しているみたイ。いわゆる『くーき摩擦』ってやつかナ」
「空気摩擦? って……それってつまり、それくらいの速さで──」
疑問を言いきるよりも、リーの驚嘆が漏れるほうが早かった。
即座にスクリーンを確認する。そこには、ニット帽サンタの手元から飛行機雲のような一筋の白い線がいつの間にか描かれていた光景があったのだ。そんなものはつい一瞬前までなかったはずなのに。
刹那、ヘリコプターのひとつから轟音が響き、白い線の伸びたその先から、濁った煙が排出され始めた。
状況から類推するに、どうやらヘリコプターが攻撃されたようだ。
「な、なんですの? 今度は何が起きたんですの?」
「リー、どうだ? 見えたか?」
「ぼ、僕にもわかんないヨ。あっという間のことで、そんなに意識して見てたわけじゃないんだしサ。……ん、ちょっと待っテ。どーやら、また同じことをやろうとしてるみたいダ」
リーは真面目な表情で、その強化された視力を改めてキングキャッスルの頭頂部へと向けた。
併せて
地上でも、衆人環視のなかで起きた謎の事象について、喧騒が沸き起こっていた。
ニット帽のサンタはその場を軸として、手を前に差しだしたまま、やや右に向きを変える。それは、残存するヘリコプターの1機に正面を向けるかたちになっていた。
するとどうしたことだろう。見えないリードでもついているかのように、浮かんだペットボトルたちが互いの位置関係を崩さぬまま追従するように水平方向に動きだしたのだ。そしてついさっきそうだったように、ニット帽のサンタとヘリコプターとの間で再び面を作っている。
そのうちのひとつが線香花火のような橙色の光と火花を放ちだし──それと同時に、もうそれは消えていた。
そして次の瞬間、ニット帽サンタの手元からヘリコプターに対して、一筋の閃光が走る。遅れて、それを追いかけるように、あの白い線がニット帽からヘリコプターへと描かれる。
さらに次の瞬間、そのヘリコプターからまたしても轟音が、続いて不穏な煙が上がりだした。
前半こそ初見だが、後半はまさに先ほどと全く同じ展開である。
「今度こそ見えたか?」
「ん、なんとかネ。どーやらサンタは、浮かべてるペットボトルを、まるでミサイルみたいに打ちだしてるよーだヨ」
「打ちだしてる、って……でも、あれはペットボトルなんだろ? そんなんでヘリコプターに穴が開くのかよ」
「ン―、多分だけど、中に燃料とか入ってるんじゃないかナ」
「燃料? 爆弾とかじゃなくて?」
「違うっテ。そもそもそんなものがどーやってあの小さなペットボトルの口に入るっていうのサ」
「それもそうか」
「それだけじゃなイ。ほら、今やられたヘリコプターのあそこ──煙が出てるところをよく見てみてヨ。あれ、さっきやられたのと同じところなんダ。つまり、ちゃんと狙っているんだヨ。ヘリコプターの構造上の弱点みたいなところをサ」
「……リーくんの話をまとめますと、燃料の入ったペットボトルが急速に回転していることで、空気摩擦の影響でどんどん熱を帯びていく。そうなると、その熱が当然、中の燃料にも伝わるわけで、それが、燃料が発火するその臨界点にまで達したときにサンタは、今や爆発物に変化したであろうそれを、ヘリコプターの急所に、どうにかして送り込んでいる、いえ、打ち込んでいる──ってとこかしら?」
「そうそう、だいたいそんな感ジ」
もともとが情報通であることに加えて
そもそも、どうしてペットボトルが浮いてるんだよ? それもたくさん。問題はそこからでは?
しかも、ただ浮かんだだけじゃなくて、回転してるんだろ? それもものすごい速さで。ただでさえ燃料が入って普通より重くなっているはずなのに。
……ダメだ、全然わからない。
自問する
『な、なんということでしょうか。警視庁のヘリコプターが次々と襲撃され、撤退を余儀なくさせられ──きゃああああああああっ!』
絶叫とともにスクリーンの映像が激しく乱れる。
どうやらテレビ局のヘリコプターも襲撃を受けたらしい。スクリーンが雑音交じりにブラックアウトしてしまう。
しばらくして地上で待機していた別のカメラとレポーターからの放送にきりかわったが、その映像の情報としての価値はさっきまとでは雲泥の差だった。
「ねえ、リーくん。今のサンタのアレは、いったい何の
「何いってるんだよ、ガガブー。あれは
「あら。どうしてそんなことが
「どうしてって……サンタが空を飛べるのは
「そんなことはあなたに言われるまでもなく、わかってますわよ。わたくしが言ってるのはそういうことじゃなくて、
「今の、って……今のが?」
「ええ。
「それは……いや、でも、やっぱりアレが
「そこまで言うのなら、何かしら根拠があるっていうの?」
「根拠って程でもないけど、でも考えてもみろよ。どんなものにしろ、あんなことが可能な
今度は
というのも、
そういった背景もあって
とはいえ、あくまで頭のなかに入っているのは商品として存在している
換言すれば、ちまたで流行しているものや一度見れば忘れないほど派手で印象的な
「それにさ、仮にあんな
全ての
具体的にいえば、
その大前提を念頭に入れると必然、あんな
「そ、それは……そうかもしれないけど、でも、相手はあの、世界をまたにかける盗賊団『サンタクロース』ですのよ。そう、野蛮な犯罪者集団なのよ。だとしたら、違法な
「そりゃそうだけど、だったらその時点でガガブーも使えないじゃん。違法なんだから」
「あ」
「それともまさか、犯罪者になってもいいからあれがほしい──なんて言わないよな」
「むぅ……いいわ、今に見てなさい。
声が通るよりも前に、すでに
それを奪うように取ると
論争に関与しないでいたリーを見ると、普段からは想像もつかないほど真面目な顔で夜空を仰いでいた。考察するかのように何かを呟いているが、
そこまでリーが熱中するほどとなると、今はどんな状態なんだろうか。そう思って
「とうとうわかりましたわよ、あのニット帽のサンタの不思議な力、あれに該当する
「……へ?」
「ここを見て。どうやらあれは、『
高らかに声をあげて印籠のように検索結果を見せびらかす
「あのさあ、それのどこかに、『
「え? ……あ」
「落ち着けよガガブー。そもそも、
「う、うるさいうるさいうるさいっ! そこまで言うなら、じゃあサンタのアレはいったいなんなのか、説明してみてよ
「あ、え? い、いや、だから──」
「さっきからわたくしの言うことをすべて否定してきたのだから、それくらいできますわよね? さぞ詳しい様子ですもの。ねえ?」
金銀連花は
兼ねてより
しかし、なにも人類は空を飛ぶことを諦めたわけではない。
ようは、翼がなくても空を飛ぶ生物、つまり中国の神話などにたびたび登場する龍を、現代科学力を集結させて再現生成し、その生物を元として『
もっとも、その実現にあってはかなり遠い未来の話となっているが。
戸惑う
「フン。もういいわ。そもそも
じゃあ最初から無理を言うなよ、と思ったが口には出さない。藪蛇だ。
「見てらっしゃい、こうなったら意地でも探してだしてやりますわ」
そのまま
今度こそ訪れたであろう静寂に、
だが、やはり何も見えない。詳細が伝わってこない。
スクリーンの映像も、やはりまだ、地上からの視点である。このぶんだと空からの視点に戻ることは期待できないだろう。
くそ、見ものなのはこれからだっていうのに──と意気消沈しているところで、さっきまで
ただ一応、許可は取っておきたい。でも、今ここで口を挟んだらまた何か小言を言われて、論争に発展しかねない。
どうしたものかなと
そっと頷いている。なんとなく意図を汲んでいるようだ。
その仕草に
双眼鏡を目に宛がってみると、全然ピントが合っていなかった。
キングキャッスルを仰ぎながら適当につまみをいじって微調整しているうちに、どうにか頂上付近が見えるようになり、やがて鮮明になった。同時に、人の形をした白い塊が夜空を舞っているところをとらえる。
頭にある帽子から、あのニット帽のサンタだとわかる。
若干しぼんだ白い包みを肩で担ぎながら、キングキャッスルの上層付近を渦巻くように飛翔している。
よくよく見てみれば、ニット帽サンタを中心としてその周囲に、まるでシャボン玉のような半透明で球状の膜のようなものが薄っすらと見える。そのなかにニット帽サンタがいる。
いったいアレはなんだろうか、と目を見張っているのも束の間、ニット帽サンタは、ガラス張りになっている壁面の一部を狙って、透明な膜ごとそこに勢いよく突進を決めたのだった。
すると不思議なことが起こった。ニット帽サンタが直接激突するよりも前に、つまり透明な膜が接触した途端に、ガラスが蜘蛛の巣状に線を描き、粉々に砕けていったのだ。
リーに問いかけようとしてみたが、そこで地上の警官隊が騒がしくしていることに気づく。そちらの興味を優先させることにした。
気のせいか、サンタが現れる前よりも人数が増えているように見受けられる。 おそらくは他のビルを警備警戒している警官隊が招集されたのだろう。ここまで事態が進めば、人員を他のビルなどに割り振るメリットは皆無という判断からか。
そんな警官隊が、おおきく二手に分かれた。必要最低限の人員だけが地上に待機し、残りのすべてが増援としてキングキャッスルの内部に向かうため、入り口に大挙しだした。
今、あのニット帽サンタがビルのどのあたりにいるのかは窺い知れぬところだが、この増援がどのように影響してくるのかが見物である。
──と、観衆の誰もが入り口に意識を向けていた、そのとき。
突如として空から、入り口付近へと向かって何かがものすごい速度で落下してきた。
それが大地に激突したことで、衝撃の波が地盤や空気を震わした。
「ちょっと。まさか、こんなときに地震ですの?」
「そーじゃないっテ。サンタが空から降ってきたんだヨ」
「サンタ? ってことは、上に残っていた奴らか?」
「そうそウ。キャップ帽を被ってたほうのサンタだヨ。ほら、あそこあそこコ」
リーが指をさした方向を、改めて双眼鏡を調整して見る。
あれほどまで密集していた観衆ダウンロードが、今は落下物の影響か過疎となっているある一点があった。おかげでだいぶ状況が把握しやすい。
そこには、クレーターといっても過言ではない半球状の大きな窪みがつくられていた。そんなものが予めそこにあったはずもない。
そして、その中心に白いものがあった。双眼鏡を調節してより拡大していくと、今まで蚊帳の外だったあのキャップ帽のサンタが、右脚を膝辺りまで突き刺した状態で存在していた。
あの高さから人間が落下すれば、それこそ万にひとつも生きているはずがない。
それがどうだろうか。キャップ帽のサンタは今、深くめりこんでしまったらしい右脚を引っこ抜くのに勤しんでいるではないか。それも、まるで「よいしょ、よいしょ」という掛け声が聞こえてきそうなほどに一生懸命に
そばにいる警官隊たちもこの事態に面食らっているのか、キャップ帽サンタをただ傍観しているだけである。
やがてキャップ帽サンタは脚を引き抜き終えると、足元についた土埃を払い、伸びをしたり足をかがめたりと、まるで準備体操のようなことを始める。
するといきなり、走り出した。一瞬にしてクレーターから平らな大地へと飛び出す。
直近の警官が軽い悲鳴と併せて、硬直ぎみに拳銃を身構える。
だがキャップ帽のサンタは、お前なんか眼中にないと言わんばかりにはその警官を素通りしていった。無視された警官が体勢を保ったまま首だけをひねる。
そうして何人もを棒抜きにしていく。こうなってくるとキャップ帽サンタが意図的に警官との接触を避けているようにも見える。当然と言えば当然だが
それにしても、いったい何が狙いなのか──という疑問は、すぐに氷解した。
キャップ帽サンタが向かった先にあったのは、散り散りに設置された、夜空を穿つ照明器具のうちのひとつだった。
接近し、その手前で飛び跳ねると、空中で何回か前転して、かかと落としの要領で上から一撃喰らわせた。
それがとても強烈だったらしい。まるでプラモデルにハンマーを叩きつけるかのごとく大胆に、いっそ軽快に、ものの見事に照明器具ははらわたを飛び散らせるようにして修復不可能なほどの損傷を受け、上半分を潰されて、力なく地面に倒れ込んだのだった。
傍にいた警官隊たちが唖然としている。
理解が置いてけぼりなのはもとより、こんな光景を目にしてしまえば、誰もが接近を躊躇することだろう。
もしかしたら自分もああなるかもしれない。一瞬で壊されてしまうかもしれない。その恐怖が、職務と使命を忘れさせて尻込みさせる。むしろ、サンタから距離を置こうとする者まで散見された。
一方で、抵抗をされないことをいいことに、キャップ帽サンタは同じ手順で次々と残りの照明器具を破壊して回っていく。
しかし、警官隊にも勇敢な者はいる。
奮起したひとりの警官が、所持していたゴム弾を発射させる銃を構え、向かってくるキャップ帽サンタと正対しながらも1発、発砲したようだった。
ゴム弾というとあまり脅威を感じないかもしれないが、輪ゴムの何十倍もの質量のゴムが、目にもとまらぬ速さで迫ってくると考えれば、それだけで脅威に感じることだろう。本物の拳銃と比肩すれば殺傷性は低いとはいえ、打ちどころが悪ければ死亡することもあり得る、れっきとした破壊力を有しているのだ。痛い程度では済まされない。
被弾したのか否か。
ただ、警官とキャップ帽サンタの距離はわずかしか開いていなかった、だから
だが、キャップ帽サンタはまったくといっていいほど動きを止めはしなかった。別段苦痛を味わっている様子もなければ、やせ我慢をしている素振りもない。
逆に、発砲した警官が棒立ちとなって固まってしまっていた。その表情には驚愕の色で染まりきっている。
警官が我に返ったのか、発砲するような構えをもう一度とる。
そこで何を思ったのかキャップ帽サンタは、少し速度を緩めた。進路も若干逸れる。
するといきない、サッカーボールでも蹴るような動作に入りだした。ちょうどそこには、これまで破壊してきた照明器具の残骸のひとつが転がっていた。
予想通り、キャップ帽サンタがそれに蹴りを喰らわせる。
すると残骸は目を疑ってしまうくらいに軽々しくふっとび、矢のように一直線に突き進んだ。それは身構えた警官の真横スレスレを通り、その背後にあった別の照明器具に命中したのだった。
キャップ帽サンタがガッツポーズを決める一方で、警官はその勇気を完全に摘み取られたかのように、萎れるように口を開いたままへなへなとその場に座り込んでしまった。
「み、見たか今の。あのちっこいの、あんな大きいものを、簡単に蹴り飛ばしてたぞ」
「見た見タ! なんであんのことできるのかナ。とんでもないバカ力ってわけでもないだろーシ」
リーが今のキャップ帽サンタの真似をして、ボールを蹴るような動作をしてみせる。
それが目に飛び込んできたのか、はたまた今のふたりの話が気になったのか、
「ちょっと
「今いいところなんだって。それに、ガガブーは
「もうそんなのはいいのよ。すぐには見つかんなかったし、どうせ帰ってパパとママに聞けば一瞬でかたづく話ですもの。それよりも、早くそれをわたしに返しなさい」
「もうちょっと、あともうちょっとだけ」
「ダメだって言っているでしょう!」
たしかに双眼鏡は金銀連花のものだが、
だから、ふたりの間で軽い追いかけっこのようなものが起こるのもまた必然だった。
そんなときだった。リーがボソッとつぶやいたのは。
「……ん? もしかしてあれ、
その言葉で、追いかけっこに最中だった
それが本当であれば、
リーの視線を辿っていき、ピントを調整する。すぐにそれとはわからなかったが、あの髪型、あの茶色の髪からしても、たしかにそれは
全身を黒で統一した身なりで、キングキャッスルから遠ざかっていくあたり、どうやら寮に帰るところのようだが──見た限りでは、同行者はいない。
なんとなく、胸を撫で下ろしている自覚が芽生えた。
それにしても、どうしてここにいるのか。
何か用事があるとか言っていたはずだが……もしかしたらあれは単なる嘘で、単純にひとりで見に来ていただけかもしれない。
いや待て。もしかしたら──今がひとりってだけで、これから誰かと会うかもしれない。あるいは、すでに誰かと会っていた可能性だって、ないとは言いきれない。
完全にシロとは、言いきれない。
そんなふうに意識を奪われているところに、
そうして再び、
「あら? 変ですわね、あのサンタ、ひとりで逃げてしまいましたわよ。それでは残りのふたりはどうやって逃げおおすのかしら」
「それが今回の、最後の見どころかもネ」
ふたりはサンタに釘付けのままだ。
「ごめんふたりとも。俺、ちょっと……さっきからお腹の具合がよくなくってさ。一足先に帰るよ」
「トイレなら
「いや、大丈夫だって。俺、他所のトイレとかだと落ち着けないタイプっていうか……」
本当はそんなことないが、とにかくこの場を後にするため、適当に嘘を並べる。
「それに、もう終盤だろ。混みあわない今のうちに帰っておきたい、って気持ちもあるし」
「あー、たしかに帰り道はすっごく混みそうだもんネ。それじゃーサンタがどうやって逃げたのかを後でメールするヨ」
ふたりに断りを入れた後、
ビルの裏口を出ると、そこから裏通りへ、そして大通りに出て、本当に帰路につくような人たちの流れに混じって、できる限りの速度で駆け抜けていく。
キングキャッスルと逆の方向に向かっていることで、人混みがわずかずつ薄れていく。お陰で走りやすくもなったし、それらしき後ろ姿も発見できた。
気付いたときには、警官隊の警備の範囲外にまで辿り着いていた。その時点で、
そう思ったそのとき、
どうしてあいつがこんなところに? こんなところを通るような奴じゃないのに。
まさか、人違い? いやでも、あれはたしかに
じゃあ、──もしかして人目をさけているとか?
何のために? それは──秘密裏に、誰かに会うために、とか?
好奇心と猜疑心が葛藤するなかで、答えのでないまま、とりあえず闇の入り口に自らを投じることにした。
ここが、今後の人生を大きく変える分岐路だったとも知らずに。
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