第07話 聖夜の悪夢

 林立するビルに道路の外灯など、あたり一帯が同時に光を失った。

 大規模な停電でまず間違いないのだろうが、この日この瞬間にこうも都合よく事が起こることなど、はたしてどれほどの確率だろうか。



 真偽はともかく、すぐさま警官隊の赤灯や野次馬たちの携帯電話など、地上では泡のように光がポツポツと湧き上がった。空に散らばったヘリコプターからも光の槍が縦横無尽に降り注ぐ。



 もちろん赤羽あかばねたちのいるビルもその類に漏れなることはなかった。

 隣で騒いでいるリーすらもおぼろげにしか確認できないほどだから、離れた金銀蓮花ががぶたの姿など見えるわけもない。五野上ごのがみの名を必死に連呼している当たり、軽いパニック状態になっているのだけは伝わってきた。



 だが、この不測の事態にも五野上ごのがみは一切の動揺を見せなかったようだ。発した「お嬢様、携帯電話を照明の代わりにしてはいかがでしょう」という口調は普段と何も変わりがない。その提案に金銀蓮花ががぶたが、そしてそれを聞いていたリーや赤羽あかばねが、それぞれ自分の携帯電話を開いて顔を闇に浮かばせていた。



 それとほぼ同時──暗黒の状態になってから10秒ほど経過したころに、室内が明るさを取り戻した。それと同時にキングキャッスルを始めとする周囲のありとあらゆる照明が、再び鮮やかな蛍光色に染まった。

 例の大型スクリーンも命を吹き返したことで、どよめきが蠢く観衆のもとに、けたたましい音量が覆いかぶさる。今までが嘘のように、華やかな雰囲気が一気に蘇る。



 視界が良好となったことで、赤羽あかばねからは警官隊が本腰を入れて数々の大型照明器具を稼働させていく様子が見て取れた。

 地上からおおむね斜め上の角度を保ちながら、それぞれが縦横無尽に散布される。

 そして、それらのすべてが、たちまち上空のある一点へと収束していく。



『カメラさん、こっち、こっちです。視聴者の皆様、ご覧下さい。人です。キングキャッスルの屋上に、白い服を着た人がいます。あれは……あれこそが、サンタクロースなのでしょうか。えっと、1、2、3……3人でしょうか。どうやら今年は、全部で3人のようです』



 地上の観衆からしてみれば気付けるはずもないその異変に、漏れ落ちてくる情報と併せて観衆の誰もがスクリーンを仰ぐ。赤羽あかばねたちも見入った。



 映像は、キングキャッスルの頭頂部よりも上の、空からの視点となっていて、そこから見下ろすように、キングキャッスルを軸にすえてゆっくりと時計回りに迂回しているところだった。そのままピントが調節され、拡大されていく。



 屋上は、上空を泳ぐ警官隊の5機のヘリコプターの光線が折り重なるように集まっていることもあって、夜にもかかわらずとても明瞭だった。そしてそこには、実況のとおり、白い恰好をした存在が全部でみっつ、はっきりと映っていた。



 3人ともが首から足元までを純白の運動着に近い衣類を装い、スキーで使用するような大きめのゴーグルで目を覆っている。

 一見すると3人とも統一した装いではあるが、目を凝らせばその3人を明確に区別するものがあった。

それは帽子だ。



 3人は屋上のとある部分のふちに横一列に並んでいるのだが、その真ん中に位置するひとり──先端に綿がついた白の三角ニット帽を頭にかぶっているのが特徴のサンタは、どういうわけか、その屋上のふち部分に腰を下ろしている。左右に両手をついて、脚は放りだすようにキングキャッスルの壁面と平行している。まるで、地上の観衆や警官隊の動向を眺めているかのように。

 そしてそのサンタのすぐ後ろには、直径が2メートルはあると思われる大きな白い包みが置かれていた。表面がいびつな凹凸をしているのがスクリーン越しでも確認できる。



 そのニット帽をかぶったサンタ挟むようにして、残りのふたりは左右にわかれて立っていた。



 ニット帽のサンタの左手側の人物は比較的小柄で、白いキャップ帽を逆さにかぶっていた。腕を組んでヘリを見上げるそのたたずまいは堂々としていて、余裕すら感じさせる。

 対する右手側の人物はというと、左手側の人物と比べてかなり身長が高い。そしてその手には、棒状のもの──ステッキだろうか──があった。頭には白のシルクハットをかぶっているのだが、ジャージに近い首から下の装いとあわせて俯瞰すると、もはや完全にミスマッチであるのは明白だった。ある意味で一番印象深い。


 

 いずれにせよ、今ここにサンタがいる。夢にまで見た、あのサンタが。

 その現実を十分に味わった観衆は、今までの静けさが嘘のように、膨張した風船が破裂したかのように、大きな歓声を胸の奥から張り上げていた。赤羽あかばねは叫ぶことこそしなかったものの、高揚感が滲みだし、スクリーンを見つめたまま、自然と笑みがこぼれてしまっていた。



「ふたりとも見てヨ。本物のサンタだヨ、サンタ!」

「ああ、ついにお出ましのようだな!」

「ちょ、待って。どこ、どこですの?」

「もう、ブーちゃんどこ見てるのサ。だからあそこだってば、あそコ」



超視覚イーグル・アイ』を持つリーは、自身の肉眼とスクリーンとを交互に見比べ、より多角的に状況を窺っていることもあって、スクリーンではなくキングキャッスルの頭頂部を指さしてそう言った。

 だがしかし、金銀蓮花ががぶたは双眼鏡を目に宛がったまま顔ごと右往左往しているだけで、見当違いのほうばかり向いている。



 どうして双眼鏡を使っているのにそうなるんだよ、と金銀蓮花ががぶたの奇行に呆気にとられているところで、傍聴した歓声がガラス越しに届き、再びスクリーンを向く。



 どうやら警官隊のヘリコプターがようやく対処に乗りだしたらしい。キングキャッスルの上方に群がり、まるで退路を封じたとでもいわんばかりにサンタクロースらを囲む一輪を描いていた。そうなったことでサンタクロースの3人は、それこそ舞台の主役といわんばかりに全方位から光を浴びせられるかたちとなっていた。



『こちらは日本警察、こちらは日本警察。貴様らをサンタクロースと断定して警告する。貴様らは完全に包囲されている。逃げ場はない。投降しろ。繰り返す、貴様らに、逃げ場はない』



 5機あるヘリコプターのどれか──それがどれかはさすがに肉眼では特定できないが、おそらくは指揮系統を司っているであろうものから、拡大音声による不躾な警告がなされる。それは、双眼鏡を宛がったままの金銀蓮花ががぶたですらも反射的に耳を覆ってしまうほどにけたたましかった。



 たしかに、今の警告は誇張でもなんでもなく、むしろ正鵠を得ていると言える。

 けれども、空を飛べることが世界中に認知されているサンタクロースにとってしてみれば、このような事態であっても単純に飛んで逃げればいいわけで、なんら逼迫した状況ではない。その認識は、サンタクロースである彼らはもとより、すべての観衆も、なんなら警告した側の警官隊たちですらも共通していることだ。



 このまま飛び立つのか。

 それとも、屋上の出入り口からキングキャッスル内に潜り込むのか。

 はたまた、それ以外の何か奇抜なことをやってのけるのか。

 期待ともとれる数多の感情が、サンタに注がれる。

 地上ではそこかしこから『サンタ、サンタ』とサンタコールが湧いていた。リーがそれに便乗して、コールと共に手を叩きだした。

 


 すると、深々と腰を下ろしていたニット帽のサンタが、浴びせられた要求に応えるかのように動きを見せた。

腕の力だけなのかわからないが、そのままの体勢から後方へと宙返りをして、今まで座っていたところよりもやや後ろに着地する。そうすることで真横になった白い包みを掴み寄せ、自身の前に置いて口を開きにかかる。

 たったそれだけの所作なのに、いつのまにか歓声が一瞬にして途絶えていた。


 

 次の瞬間、包みの中から、無数の何かが、意志を持ったように散り散りに飛びだした。

 それらは刹那の時間でスクリーンアウトしてしまい、赤羽あかばねには目視できなくなってしまう。夜空を見上げてみたが、非常に小さいのか、肉眼でもやはり確認できない。



「リー、今あの袋から飛びだしたのが何なのか、見えたか?」

「んーとねェ、……ペットボトル、かな。今のハ」

「ペットボトル? って、今のがか? それが本当なら、なんであんなふうに勝手に動き回って──」

「んもうっ、全然見えないじゃないの、これっ!」



 そこで、金銀蓮花ががぶたが双眼鏡を思いきり床に叩きつけた。けして小さくない音が響く。

 見れば、柄にもなく歯ぎしりをしていた。



「ああもう、せっかくのサンタだっていうのに。こんなことならリーくんみたいに、我慢してでも古くて貧乏くさい超視覚にしとくべきでしたわ。どうしてクリスマスプレゼントに『超紡績シルク・ロード』なんて選んでしまったのかしら。わたくしとしたことが、ありえない失態だわ」

「……ど、ドンマイ」

「そ、そーゆーこともあるんじゃなイ。人間だもン」



 おおよそ理解が追い付かない次元の話(というか、ただの言いがかりというか八つ当たりだが)を適当にあしらって、ふたりはそっと視線を戻す。



 少し見ないうちに、ニット帽のサンタはその場に直立したまま広げた両掌を前に突きだし、なにやら仰々しい構えを取っていた。

 すると、先ほど飛びだしたペットボトル(と思われるもの)が、ニット帽のサンタに糸で操られているかのように、両手の前方にひとつの輪を描くように密集したのだった。



 それらがペットボトルなのかどうかは、こうしてスクリーンに拡大されて映っている今でもまだ判断がつかない。リーの視力を信じるしかない。

 ただ、それらの数はわかった。合計で6本ある。



 密集した6本のペットボトルは、各々が底をニット帽のサンタに向ける形で真横を向いたまま、正6角形の頂点を連想させるほどに均等に配置し、そしてそのままその位置関係を崩さずに浮かんでいる。

 それをリーは「なんだかリボルバーの弾倉に詰まった弾丸みたいダネ」と声にするが、そう言われてみるとなるほど、そんなふうに見えなくもない。



 そうこうしているうちに、さらなる異常事態が起きた。

 なんと、正6角形のそれぞれの頂点から、つまりペットボトルから、不気味な煙が立ち昇り始めたのだ。



「おいおい、今度はなんだよ?」

「ムム……どーやらあれは、ひとつひとつが浮かんだしたままもの凄い速さで回転しているみたイ。いわゆる『くーき摩擦』ってやつかナ」

「空気摩擦? って……それってつまり、それくらいの速さで──」



 疑問を言いきるよりも、リーの驚嘆が漏れるほうが早かった。

 即座にスクリーンを確認する。そこには、ニット帽サンタの手元から飛行機雲のような一筋の白い線がいつの間にか描かれていた光景があったのだ。そんなものはつい一瞬前までなかったはずなのに。



 刹那、ヘリコプターのひとつから轟音が響き、白い線の伸びたその先から、濁った煙が排出され始めた。

 状況から類推するに、どうやらヘリコプターが攻撃されたようだ。



「な、なんですの? 今度は何が起きたんですの?」

「リー、どうだ? 見えたか?」

「ぼ、僕にもわかんないヨ。あっという間のことで、そんなに意識して見てたわけじゃないんだしサ。……ん、ちょっと待っテ。どーやら、また同じことをやろうとしてるみたいダ」



 リーは真面目な表情で、その強化された視力を改めてキングキャッスルの頭頂部へと向けた。

 併せて赤羽あかばねも、スクリーン越しではあるが、自分の目で捕捉しようともう一度試みる。

 地上でも、衆人環視のなかで起きた謎の事象について、喧騒が沸き起こっていた。

 


 ニット帽のサンタはその場を軸として、手を前に差しだしたまま、やや右に向きを変える。それは、残存するヘリコプターの1機に正面を向けるかたちになっていた。

 するとどうしたことだろう。見えないリードでもついているかのように、浮かんだペットボトルたちが互いの位置関係を崩さぬまま追従するように水平方向に動きだしたのだ。そしてついさっきそうだったように、ニット帽のサンタとヘリコプターとの間で再び面を作っている。



 そのうちのひとつが線香花火のような橙色の光と火花を放ちだし──それと同時に、もうそれは消えていた。

 そして次の瞬間、ニット帽サンタの手元からヘリコプターに対して、一筋の閃光が走る。遅れて、それを追いかけるように、あの白い線がニット帽からヘリコプターへと描かれる。

 さらに次の瞬間、そのヘリコプターからまたしても轟音が、続いて不穏な煙が上がりだした。

 前半こそ初見だが、後半はまさに先ほどと全く同じ展開である。 



「今度こそ見えたか?」

「ん、なんとかネ。どーやらサンタは、浮かべてるペットボトルを、まるでミサイルみたいに打ちだしてるよーだヨ」

「打ちだしてる、って……でも、あれはペットボトルなんだろ? そんなんでヘリコプターに穴が開くのかよ」

「ン―、多分だけど、中に燃料とか入ってるんじゃないかナ」

「燃料? 爆弾とかじゃなくて?」

「違うっテ。そもそもそんなものがどーやってあの小さなペットボトルの口に入るっていうのサ」

「それもそうか」

「それだけじゃなイ。ほら、今やられたヘリコプターのあそこ──煙が出てるところをよく見てみてヨ。あれ、さっきやられたのと同じところなんダ。つまり、ちゃんと狙っているんだヨ。ヘリコプターの構造上の弱点みたいなところをサ」

「……リーくんの話をまとめますと、燃料の入ったペットボトルが急速に回転していることで、空気摩擦の影響でどんどん熱を帯びていく。そうなると、その熱が当然、中の燃料にも伝わるわけで、それが、燃料が発火するその臨界点にまで達したときにサンタは、今や爆発物に変化したであろうそれを、ヘリコプターの急所に、どうにかして送り込んでいる、いえ、打ち込んでいる──ってとこかしら?」

「そうそう、だいたいそんな感ジ」



 もともとが情報通であることに加えて超視覚イーグル・アイを持ち合わせているリーと、性格にこそ難はあるものの成績は抜群の金銀蓮花ががぶたが織りなす話に、学業がおろそかな赤羽あかばねがついていけるはずもない。念仏かなにかにしか聞こえなかった。



 そもそも、どうしてペットボトルが浮いてるんだよ? それもたくさん。問題はそこからでは?

 しかも、ただ浮かんだだけじゃなくて、回転してるんだろ? それもものすごい速さで。ただでさえ燃料が入って普通より重くなっているはずなのに。

 ……ダメだ、全然わからない。

 自問する赤羽あかばねを置いてけぼりにして、サンタはなおも同じ破壊活動を続けていく。



『な、なんということでしょうか。警視庁のヘリコプターが次々と襲撃され、撤退を余儀なくさせられ──きゃああああああああっ!』



 絶叫とともにスクリーンの映像が激しく乱れる。

 どうやらテレビ局のヘリコプターも襲撃を受けたらしい。スクリーンが雑音交じりにブラックアウトしてしまう。



 しばらくして地上で待機していた別のカメラとレポーターからの放送にきりかわったが、その映像の情報としての価値はさっきまとでは雲泥の差だった。赤羽あかばねたちよりも視点が低く、臨場感が激しく欠落している。しかし観衆の雑多な声は漠然と拾い上げ投影されていて、もはや見るに値しない。



「ねえ、リーくん。今のサンタのアレは、いったい何の超心理アンプサイを使っているように見えます?」

「何いってるんだよ、ガガブー。あれは超心理アンプサイじゃないってば」

「あら。どうしてそんなことが赤羽あかばねくんなんかにわかるのかしら」

「どうしてって……サンタが空を飛べるのは超心理アンプサイのお陰じゃないって、そんなのは子供でも知ってる常識じゃんか」

「そんなことはあなたに言われるまでもなく、わかってますわよ。わたくしが言ってるのはそういうことじゃなくて、超心理アンプサイなんじゃないか、ってことですの」

「今の、って……今のが?」

「ええ。赤羽あかばねくんには、アレが超心理アンプサイじゃないって言いきれるのかしら」



 赤羽あかばねは答えに窮した。

 超心理アンプサイとは違う種類の力を持つと昔から囁かれているサンタだが、そのサンタがそれとは別に超心理アンプサイを使っているかもしれない、というその発想そのものが今この瞬間まで完全に頭から抜け落ちていたからだ。



「それは……いや、でも、やっぱりアレが超心理アンプサイとは思えないけどな。俺には」

「そこまで言うのなら、何かしら根拠があるっていうの?」

「根拠って程でもないけど、でも考えてもみろよ。どんなものにしろ、あんなことが可能な超心理アンプサイがあれば、すでに世間で話題になっているはずだろ。それこそ、ガガブーが知らないなんてことはないんじゃないか?」



 今度は金銀蓮花ががぶたが苦虫を噛み潰すような表情を浮かべる番となった。

 というのも、金銀蓮花ががぶたの両親が興した会社は、熾烈な競争を続ける超心理薬アド・アンプサイの業界のなかでも抜きんでた、世界でも最大手と呼んでも異論が起きないほどの製薬会社なのだ。そしてその母親こそが、何を隠そう、超心理アンプサイの生みの親でもある。これらは学園内では周知の事実だ。

 


 そういった背景もあって金銀蓮花ががぶたは、超心理アンプサイについての知識が非常に豊富だった。

 とはいえ、あくまで頭のなかに入っているのは商品として存在している超心理薬アド・アンプサイの固有名詞と、その流通価格と、そして知名度だけだ。それ以外のことは金銀蓮花ががぶたのフィルターには引っかからない。

 換言すれば、ちまたで流行しているものや一度見れば忘れないほど派手で印象的な超心理アンプサイならば、金銀蓮花ががぶたが知らないわけがないのだ。



「それにさ、仮にあんな超心理アンプサイが実在していたとしても、あんなんじゃ絶対に『犯罪防止規定』にひっかかるはずだろ。そう思わないか」



 全ての超心理アンプサイは、『犯罪防止規定』の統治下にある。

 具体的にいえば、超心理アンプサイはそのどれもが使いかた次第で犯罪行為の手助けに十分なりえてしまうがゆえに、市場に出まわるすべての超心理薬アド・アンプサイは、政府が認定する許容にまであえて効能を劣化させて、得られる力の凶悪性を低下させてあるのだ。

 その大前提を念頭に入れると必然、あんな超心理アンプサイなど存在しているはずもない、ということになる。



「そ、それは……そうかもしれないけど、でも、相手はあの、世界をまたにかける盗賊団『サンタクロース』ですのよ。そう、野蛮な犯罪者集団なのよ。だとしたら、違法な超心理アンプサイとかを創っていたりとかっていう可能性もありますわよね?」

「そりゃそうだけど、だったらその時点でガガブーも使えないじゃん。違法なんだから」

「あ」

「それともまさか、犯罪者になってもいいからあれがほしい──なんて言わないよな」

「むぅ……いいわ、今に見てなさい。五野上ごのがみっ!」



 声が通るよりも前に、すでに五野上ごのがみが機敏に動きだしていた。そして間髪入れずにプラチナ製の最新式携帯電話を献上するように両手で渡す。

 それを奪うように取ると金銀蓮花ががぶたは、もはやサンタのことなどどうでもといわんばかりに、取りつかれたように、血眼になって携帯電話をいじくりはじめた。様子からして何かを検索しているようだが、金銀蓮花ががぶたが何を目的としてそんなことをしているのかはわからない。



 論争に関与しないでいたリーを見ると、普段からは想像もつかないほど真面目な顔で夜空を仰いでいた。考察するかのように何かを呟いているが、赤羽あかばねにはわからない言語だ。これはこれで、余計な水を差さないほうがよさそうだ。

 そこまでリーが熱中するほどとなると、今はどんな状態なんだろうか。そう思って赤羽あかばねも、無駄だとわかっていながらもキングキャッスルを見やる──と、そこで余計な水を差される。

 


「とうとうわかりましたわよ、あのニット帽のサンタの不思議な力、あれに該当する超心理アンプサイが!」

「……へ?」

「ここを見て。どうやらあれは、『超越天翔ドラゴン・フライ』とかっていう『超越心理パラプサイ』のようですわ」



 高らかに声をあげて印籠のように検索結果を見せびらかす金銀蓮花ががぶたには悪いが、ついつい嘆息が漏れる。



「あのさあ、それのどこかに、『超越天翔ドラゴン・フライは現時点では未完成だ』とかっていう注釈が書いてあったりしないか?」

「え? ……あ」

「落ち着けよガガブー。そもそも、超越天翔ドラゴン・フライとかっていう以前に『超越心理パラプサイ』自体がまだひとつも完成してないし、それに、肝心の『龍』だってまだ完成体はできてない。それだってガガブーなら知ってることだろ?」

「う、うるさいうるさいうるさいっ! そこまで言うなら、じゃあサンタのアレはいったいなんなのか、説明してみてよ赤羽あかばねくんっ!」

「あ、え? い、いや、だから──」

「さっきからわたくしの言うことをすべて否定してきたのだから、それくらいできますわよね? さぞ詳しい様子ですもの。ねえ?」



 金銀連花は赤羽あかばねに噛み付きそうな勢いで吠え立てる。

 


赤羽あかばねと金銀連花が口にする『超越心理パラプサイ』とは、『多重螺旋遺伝子進化理論マルチプル・ヘリックス・ジーン・レボリューション・セオリー』という世界規模のプロジェクトによって研究・開発が進められている、いわばの俗称である。



 兼ねてより金銀蓮花ががぶたの母親を主軸として研究が進められていた空を飛ぶ超心理アンプサイ、つまり『超飛翔エア・リアル』は、試行錯誤の末、生成不可能というお粗末な結論にいきついていた。もう何年も前の話である。



 しかし、なにも人類は空を飛ぶことを諦めたわけではない。

 ようは、翼がなくても空を飛ぶ生物、つまり中国の神話などにたびたび登場する龍を、現代科学力を集結させて再現生成し、その生物を元として『超飛翔エア・リアル』──いや、『超越天翔ドラゴン・フライ』という異能を生成する、という手段に移行したのだ。

 もっとも、その実現にあってはかなり遠い未来の話となっているが。



 戸惑う赤羽あかばねに、金銀連花ががぶたは今にも噛みつく勢いだ。いつもの上品な素振りは全く持って見られない。



「フン。もういいわ。そもそも赤羽あかばねくんなんか期待していないし。するほうが間違ってますもの」



じゃあ最初から無理を言うなよ、と思ったが口には出さない。藪蛇だ。



「見てらっしゃい、こうなったら意地でも探してだしてやりますわ」



 そのまま金銀蓮花ががぶたは、サンタそっちのけで再び携帯電話とにらめっこを始めた。

 今度こそ訪れたであろう静寂に、赤羽あかばねは気持ちを入れなおしてキングキャッスルに目を向ける。

 だが、やはり何も見えない。詳細が伝わってこない。

 スクリーンの映像も、やはりまだ、地上からの視点である。このぶんだと空からの視点に戻ることは期待できないだろう。 



 くそ、見ものなのはこれからだっていうのに──と意気消沈しているところで、さっきまで金銀蓮花ががぶたが使っていた双眼鏡が床に転がったままであるのに気付いた。



 金銀蓮花ががぶたは今、検索に夢中だ。そうでなくてもうまく使いこなせていなかったようだし、もはや無用なものだろう。

 ただ一応、許可は取っておきたい。でも、今ここで口を挟んだらまた何か小言を言われて、論争に発展しかねない。

 どうしたものかなと金銀蓮花ががぶたと双眼鏡を交互に眺めていると、五野上ごのがみの視線に気づいた。

 そっと頷いている。なんとなく意図を汲んでいるようだ。

 その仕草に赤羽あかばねも首を縦にし、そっと双眼鏡を拾って窓に近づいた。



 双眼鏡を目に宛がってみると、全然ピントが合っていなかった。

 キングキャッスルを仰ぎながら適当につまみをいじって微調整しているうちに、どうにか頂上付近が見えるようになり、やがて鮮明になった。同時に、人の形をした白い塊が夜空を舞っているところをとらえる。



 頭にある帽子から、あのニット帽のサンタだとわかる。

 若干しぼんだ白い包みを肩で担ぎながら、キングキャッスルの上層付近を渦巻くように飛翔している。

 よくよく見てみれば、ニット帽サンタを中心としてその周囲に、まるでシャボン玉のような半透明で球状の膜のようなものが薄っすらと見える。そのなかにニット帽サンタがいる。

 いったいアレはなんだろうか、と目を見張っているのも束の間、ニット帽サンタは、ガラス張りになっている壁面の一部を狙って、透明な膜ごとそこに勢いよく突進を決めたのだった。

 すると不思議なことが起こった。ニット帽サンタが直接激突するよりも前に、つまり透明な膜が接触した途端に、ガラスが蜘蛛の巣状に線を描き、粉々に砕けていったのだ。



 リーに問いかけようとしてみたが、そこで地上の警官隊が騒がしくしていることに気づく。そちらの興味を優先させることにした。



 気のせいか、サンタが現れる前よりも人数が増えているように見受けられる。 おそらくは他のビルを警備警戒している警官隊が招集されたのだろう。ここまで事態が進めば、人員を他のビルなどに割り振るメリットは皆無という判断からか。



 そんな警官隊が、おおきく二手に分かれた。必要最低限の人員だけが地上に待機し、残りのすべてが増援としてキングキャッスルの内部に向かうため、入り口に大挙しだした。

 今、あのニット帽サンタがビルのどのあたりにいるのかは窺い知れぬところだが、この増援がどのように影響してくるのかが見物である。



 ──と、観衆の誰もが入り口に意識を向けていた、そのとき。

 突如として空から、入り口付近へと向かって何かがものすごい速度で落下してきた。

 それが大地に激突したことで、衝撃の波が地盤や空気を震わした。赤羽あかばねらのいるビルにも伝播し、椅子や机が音を立てる。外の観衆のどよめきも、けして小さくはなかった。



「ちょっと。まさか、こんなときに地震ですの?」

「そーじゃないっテ。サンタが空から降ってきたんだヨ」

「サンタ? ってことは、上に残っていた奴らか?」

「そうそウ。キャップ帽を被ってたほうのサンタだヨ。ほら、あそこあそこコ」




 リーが指をさした方向を、改めて双眼鏡を調整して見る。

 あれほどまで密集していた観衆ダウンロードが、今は落下物の影響か過疎となっているある一点があった。おかげでだいぶ状況が把握しやすい。



 そこには、クレーターといっても過言ではない半球状の大きな窪みがつくられていた。そんなものが予めそこにあったはずもない。

 そして、その中心に白いものがあった。双眼鏡を調節してより拡大していくと、今まで蚊帳の外だったあのキャップ帽のサンタが、右脚を膝辺りまで突き刺した状態で存在していた。



 あの高さから人間が落下すれば、それこそ万にひとつも生きているはずがない。

 それがどうだろうか。キャップ帽のサンタは今、深くめりこんでしまったらしい右脚を引っこ抜くのに勤しんでいるではないか。それも、まるで「よいしょ、よいしょ」という掛け声が聞こえてきそうなほどに一生懸命に

 そばにいる警官隊たちもこの事態に面食らっているのか、キャップ帽サンタをただ傍観しているだけである。



 やがてキャップ帽サンタは脚を引き抜き終えると、足元についた土埃を払い、伸びをしたり足をかがめたりと、まるで準備体操のようなことを始める。

 するといきなり、走り出した。一瞬にしてクレーターから平らな大地へと飛び出す。



 直近の警官が軽い悲鳴と併せて、硬直ぎみに拳銃を身構える。

 だがキャップ帽のサンタは、お前なんか眼中にないと言わんばかりにはその警官を素通りしていった。無視された警官が体勢を保ったまま首だけをひねる。

 そうして何人もを棒抜きにしていく。こうなってくるとキャップ帽サンタが意図的に警官との接触を避けているようにも見える。当然と言えば当然だが

 それにしても、いったい何が狙いなのか──という疑問は、すぐに氷解した。



 キャップ帽サンタが向かった先にあったのは、散り散りに設置された、夜空を穿つ照明器具のうちのひとつだった。

 接近し、その手前で飛び跳ねると、空中で何回か前転して、かかと落としの要領で上から一撃喰らわせた。

 それがとても強烈だったらしい。まるでプラモデルにハンマーを叩きつけるかのごとく大胆に、いっそ軽快に、ものの見事に照明器具ははらわたを飛び散らせるようにして修復不可能なほどの損傷を受け、上半分を潰されて、力なく地面に倒れ込んだのだった。

 


 傍にいた警官隊たちが唖然としている。

 理解が置いてけぼりなのはもとより、こんな光景を目にしてしまえば、誰もが接近を躊躇することだろう。

 もしかしたら自分もああなるかもしれない。一瞬で壊されてしまうかもしれない。その恐怖が、職務と使命を忘れさせて尻込みさせる。むしろ、サンタから距離を置こうとする者まで散見された。

 一方で、抵抗をされないことをいいことに、キャップ帽サンタは同じ手順で次々と残りの照明器具を破壊して回っていく。

 


 しかし、警官隊にも勇敢な者はいる。

 奮起したひとりの警官が、所持していたゴム弾を発射させる銃を構え、向かってくるキャップ帽サンタと正対しながらも1発、発砲したようだった。



 ゴム弾というとあまり脅威を感じないかもしれないが、輪ゴムの何十倍もの質量のゴムが、目にもとまらぬ速さで迫ってくると考えれば、それだけで脅威に感じることだろう。本物の拳銃と比肩すれば殺傷性は低いとはいえ、打ちどころが悪ければ死亡することもあり得る、れっきとした破壊力を有しているのだ。痛い程度では済まされない。



 被弾したのか否か。赤羽あかばねには真実を知る由もない。

 ただ、警官とキャップ帽サンタの距離はわずかしか開いていなかった、だから赤羽あかばねには、キャップ帽サンタが被弾したものと見て取った。

 


だが、キャップ帽サンタはまったくといっていいほど動きを止めはしなかった。別段苦痛を味わっている様子もなければ、やせ我慢をしている素振りもない。

 逆に、発砲した警官が棒立ちとなって固まってしまっていた。その表情には驚愕の色で染まりきっている。

 


 警官が我に返ったのか、発砲するような構えをもう一度とる。

 そこで何を思ったのかキャップ帽サンタは、少し速度を緩めた。進路も若干逸れる。

 するといきない、サッカーボールでも蹴るような動作に入りだした。ちょうどそこには、これまで破壊してきた照明器具の残骸のひとつが転がっていた。



 予想通り、キャップ帽サンタがそれに蹴りを喰らわせる。

 すると残骸は目を疑ってしまうくらいに軽々しくふっとび、矢のように一直線に突き進んだ。それは身構えた警官の真横スレスレを通り、その背後にあった別の照明器具に命中したのだった。

 キャップ帽サンタがガッツポーズを決める一方で、警官はその勇気を完全に摘み取られたかのように、萎れるように口を開いたままへなへなとその場に座り込んでしまった。



「み、見たか今の。あのちっこいの、あんな大きいものを、簡単に蹴り飛ばしてたぞ」

「見た見タ! なんであんのことできるのかナ。とんでもないバカ力ってわけでもないだろーシ」



 リーが今のキャップ帽サンタの真似をして、ボールを蹴るような動作をしてみせる。

 それが目に飛び込んできたのか、はたまた今のふたりの話が気になったのか、金銀蓮花ががぶたが近寄ってきた。



「ちょっと赤羽あかばねくん。いい加減それを返していただけませんこと。それ、わたくしの双眼鏡よね?」

「今いいところなんだって。それに、ガガブーは超越心理パラプサイのこと調べてるんだろ? そう息巻いてたじゃんか」

「もうそんなのはいいのよ。すぐには見つかんなかったし、どうせ帰ってパパとママに聞けば一瞬でかたづく話ですもの。それよりも、早くそれをわたしに返しなさい」

「もうちょっと、あともうちょっとだけ」

「ダメだって言っているでしょう!」



 たしかに双眼鏡は金銀連花のものだが、赤羽あかばねとしても今これを手放すわけにはいかない。

 だから、ふたりの間で軽い追いかけっこのようなものが起こるのもまた必然だった。

 そんなときだった。リーがボソッとつぶやいたのは。



 「……ん? もしかしてあれ、金鵄きんしクン?」



 その言葉で、追いかけっこに最中だった赤羽あかばねもついつい立ち止まってしまう。

 それが本当であれば、を確認したかったからだ。



 リーの視線を辿っていき、ピントを調整する。すぐにそれとはわからなかったが、あの髪型、あの茶色の髪からしても、たしかにそれは金鵄きんしだった。

全身を黒で統一した身なりで、キングキャッスルから遠ざかっていくあたり、どうやら寮に帰るところのようだが──見た限りでは、同行者はいない。

 なんとなく、胸を撫で下ろしている自覚が芽生えた。

 


 それにしても、どうしてここにいるのか。

 何か用事があるとか言っていたはずだが……もしかしたらあれは単なる嘘で、単純にひとりで見に来ていただけかもしれない。

 いや待て。もしかしたら──今がひとりってだけで、これから誰かと会うかもしれない。あるいは、すでに誰かと会っていた可能性だって、ないとは言いきれない。

 完全にシロとは、言いきれない。



 そんなふうに意識を奪われているところに、金銀蓮花ががぶたの手が伸びてくる。すかさず双眼鏡を奪われてしまった。

 そうして再び、金銀蓮花ががぶたは双眼鏡越しに夜空を見上げた。いつの間にかリーも斜め上を向いている。ふたりの雰囲気からして、どうやら内部に侵入していたあのニット帽サンタがついに目的を果たしおえて、キングキャッスルから飛びだしたところだったらしい。



「あら? 変ですわね、あのサンタ、ひとりで逃げてしまいましたわよ。それでは残りのふたりはどうやって逃げおおすのかしら」

「それが今回の、最後の見どころかもネ」



 ふたりはサンタに釘付けのままだ。

 赤羽あかばねだけが、すでにサンタに興味を失っている。というよりかは、サンタよりも興味があるものができてしまっていた。



「ごめんふたりとも。俺、ちょっと……さっきからお腹の具合がよくなくってさ。一足先に帰るよ」

「トイレなら五野上ごのがみに案内させますわよ。トイレくらいいいわよね、五野上ごのがみ



 五野上ごのがみは無言で頷く。 



「いや、大丈夫だって。俺、他所のトイレとかだと落ち着けないタイプっていうか……」



 本当はそんなことないが、とにかくこの場を後にするため、適当に嘘を並べる。



「それに、もう終盤だろ。混みあわない今のうちに帰っておきたい、って気持ちもあるし」

「あー、たしかに帰り道はすっごく混みそうだもんネ。それじゃーサンタがどうやって逃げたのかを後でメールするヨ」



 ふたりに断りを入れた後、赤羽あかばね五野上ごのがみの案内のもと、その場を後にした。本当は駆け足で去りたかったが、こればかりは仕方ない。



 ビルの裏口を出ると、そこから裏通りへ、そして大通りに出て、本当に帰路につくような人たちの流れに混じって、できる限りの速度で駆け抜けていく。

 キングキャッスルと逆の方向に向かっていることで、人混みがわずかずつ薄れていく。お陰で走りやすくもなったし、それらしき後ろ姿も発見できた。



 気付いたときには、警官隊の警備の範囲外にまで辿り着いていた。その時点で、金鵄きんしとの距離は目算でおおむね20メートルくらいだった。金鵄きんしは歩いているし、これならばもう、ものの数秒で追いつくことができる。



 そう思ったそのとき、金鵄きんしは不思議と大通りからはずれるようにして、急にその場で右に折れたのだった。帰宅途中ならこのまま真っ直ぐ進むのが本来の帰路のはずなのに。



 金鵄きんしが消えた曲がり角に駆け寄ってみる。するとそこは、おおよそ道とは呼べないような、ビルとビルの僅かな間隔が生みだす、言ってしまえば裏世界への入り口のような細い道が伸びていた。



 どうしてあいつがこんなところに? こんなところを通るような奴じゃないのに。

 まさか、人違い? いやでも、あれはたしかに鳴海なるみだったはずだ。

 じゃあ、──もしかして人目をさけているとか? 

 何のために? それは──秘密裏に、誰かに会うために、とか?



 好奇心と猜疑心が葛藤するなかで、答えのでないまま、とりあえず闇の入り口に自らを投じることにした。

 ここが、今後の人生を大きく変える分岐路だったとも知らずに。

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