赤い悪魔と赤い糸

八木うさぎ

第1章 拙い異能

第01話 夜空を翔ける盗み人


 ひとりの少年が、夕方のニュース番組を、四つん這いになって眺めていた。



『昨年末の12月24日、イギリスのロンドンにて、世界最大級のサファイヤである『龍の牙』を盗みだしたサンタクロースですが、事件からちょうど3ヵ月が経過した今日現在に至っても、依然としてサンタクロースの足取りが掴めないままである、とイギリス警察は公表しました』



 ここで、右下のすみにあった別の映像が、画面の全体を侵食するように拡大される。



 映像は薄暗い闇に染まった空から無数の白いつぶてが舞い落ちているところだった。

下に見え隠れしている建築物は互いに身を寄せ合うように建ち並んでおり、そのひとつひとつが橙色の照明を灯している。その下の地上付近では色とりどりのイルミネーションも伺える。



 建築物は、少年がこれまで見たことのないような造りをしていた。どれも角ばっていて、上に細長いものばかりだ。まるで一定の秩序に守られているかのように。



 綺麗だな。それが少年の、映像に対する第一印象だった。

 ──と、そこで画面上をいくつかの太い光の線が下から空へと向かって走って伸びた。

 それぞれバラバラに左右に揺れだす。しばらくして、散漫としていたそれらが束となる。ひときわ背の高い四角柱の建物の、その上部に設置されている巨大な時計に注がれていた。



 そこで少年は、さらに目を凝らすこととなった。

 大きな時計の盤面のその手前に、雪とは違う、白い何かがあるのに気付いたからだ。

 映像が、少年の疑問をくみとったかのように、ゆっくりと拡大されていく。



 徐々に時計の盤面や輪郭におよぶまで鮮明になっていくなかで、やがてその何かが人の形をしていることがわかった。

 全身が白いのは降り注ぐ雪に塗れたのだろうか。判然とはしないが、正直そんなことは今どうでもよく思えた。

 なぜなら、人の形をしたそれが、その足元に土台となるべきものが確認できないなかで、平然と腕を組んでたたずんでいたからである。少なくとも画面越しには上空から宙吊りにされているとかいった様子にも見受けられない。



 つまりは──宙に浮いている。

 そうと理解して、少年の全身が、じわじわと熱くなる。

目を点にしたまま、自分でも知らぬうちに笑みをこぼしていた。



 人だ。人が、空を飛んでいるんだ。

 でも、いったいどうやって?

 よくわからないけど、でも……もしかしたら僕も、いつかこんなふうに飛べるのかも。



 もっと見ていたい。もっと深く知りたい。その気持ちが強まっていく。

 しかし刹那、その白い恰好の人は息もつかせぬ速さで、自ら宙を泳ぐようにして画面から姿を消してしまった。まるで少年からの凝視を避けるかのように。

 追尾するように映像もその視点を移していくが、右往左往ばかりで一向にあの白い格好の人をとらえられないでいる。



 じれったさを覚え、自然と前傾姿勢になっていき──と、そこで頭頂部に強い衝撃を感じた。

 いてて、と頭をさすりながら振り向くと、10代半ばくらいの青年が難しい顔をしてそばに立っていた。その右手が手刀の形になっている。



「もう、いきなり何すんのさ」

「何言ってんだ。今日はが来るんだからいろいろと準備しなきゃいけないって、さっきそう説明したばかりだろうが。それがなんで呑気にテレビなんか見てるんだよ」

「それは、その」

「まあいい。こんなところで油売ってないで、早くこっちに来て手伝えって」

「えー、今すっごくいいところなのに」

「エーもビーもない! まったく、減らず口ばっか言ってる悪い口はこれか? え?」



 そうして青年は遠慮なく、おりゃおりゃと少年の両頬を真横に引っ張り回しだした。

 


「んががががっ! ぎ、ぎぐ、ギブっ!」 

「ったく、少しは反省した──ん? なんだ、『サンタ』のニュースじゃん。なるほどな、これを見てたのか」



 途端、青年は興味を失くしたかのように手を放し、少年そっちのけでテレビを凝視しだした。



 ジンジンと痛む両頬に手を添えながらその光景を見ていた少年は、叱責しに来た青年こそがあぐらをかいてテレビを見ていることに言いようのない憤りを覚えたが、それを声にはしなかった。声にしてしまえばまた何かされるかもしれないし、それとは別に、こうしてテレビを消されずに済んでることだし、まあ仕方ない、とそう解釈してとりあえず我慢することにした。

 一方で青年は、「ふーん、やっぱり今年も捕まんなかったんだな」という感想とともに両手を後ろへとついた。



「お兄ちゃん、もしかしてこの『サンタ』って泥棒のこと、知ってるの?」

「あ? おいおい、何言ってんだよ。知ってるも何も──って、そうか。そうだったな。それにしても、のか、お前は」



 青年は、最初こそ妖怪でも見るかのような目を向けたが、的となった少年の顔に刻まれた斜めの傷跡を目にして、ひとりでに納得した。



「で? そんなに有名なの? サンタって」

「ああ。有名も有名、超有名だぜ。なにせ、世界をまたにかける盗賊団だからな。きっとお前も、事故に遭うまでは知ってたはずだぜ。っていうか、それじゃあお前、わかってて見てたんじゃないのかよ」

「うん。たまたまテレビをつけたらやってて、面白そうだったから、それで──」



 そこでテレビが騒がしくなった。ふたりして画面に向く。

 あれからどうにかしてその姿をとらえたらしく、サンタは未だに鳥の如く宙を縦横無尽に逃げ回っているその様子が映っていた。カメラの視点が目まぐるしく変わっているあたり、必死で追いかけまわしているのがわかる。



 少年は好奇心のおもむくまま、画面を指さしながら「ねえ、なんでこの人、空を飛べるの?」と尋ねた。



「さあ、なんでだろうな。そんなことは俺が聞きたいくらいだよ」

「これってもしかして、お兄ちゃんがこのあいだ話していた、『超心理アンプサイ』ってやつじゃないの?」

「と思うだろ? でもこれは『超心理アンプサイ』じゃない。それだけはたしかだ。だって、空が飛べるような超心理アンプサイなんてもんは、今のところ、たったひとつも存在してないんだから」

「そうなの? でも……それじゃあこの人、どうやって空飛んでるのかな?」

「だからぁ。そんなの俺が聞きたいくらいだっつーの。そう言ったろ?」



 なげやり気味にそう答えてから、青年はそのままリモコンでテレビの電源を切ってしまい、「テレビはここまでだ。ほら、とっとと行くぞ」と少年を残して去っていってしまった。こうなっては少年も追従するしかない。渋々ながらも立ち上がった。



 ここは──『ひいらぎ』という名称のこの施設は、山奥にポツンとある、身寄りのない子供が集まり生活を共にする場所である。いわば孤児院だ。



 少年は、今から3か月ほど前に一家そろって不幸にも交通事故に遭遇し、そこで両親を亡くした



 事故後、すぐに病院に運ばれたものの、両親は到着していくらも経たないうちに共に息を引き取ってしまい、少年だけが唯一、母が包み込むようにして守ってくれていたこともあって助かった



 左眼の下から鼻をまたいで右頬にまで伸びた、アイスの棒くらいの長さの、ガラス片でひっかいて削り取ったような傷以外にはこれといって目立った外傷もなかった。まさに母親の愛がもたらした奇跡である。

 だがしかし、人がふたりも亡くなるほどの大事故だ。やはり少年にもそれなりの弊害はもたらされていた。

 それが記憶障害である。



 頭を激しく殴打していたのか、はたまた両親の死によるショックからなのか、少年は生まれてから事故にあったその瞬間までの記憶を何ひとつとして覚えていなかった。

 気がついたときには病院のベッドの上にいて、母の友人を自称する女性──柊の監督者であり保護者でもある瑠璃るりという人物によって置かれた状況の説明がなされ、そしてそのまま、ほぼ自動的に、柊に身を置くこととなったのである。



 自分でも訳が分からぬうちに天涯孤独となったわけだが、なまじ記憶を失くしているせいもあって喪失感も悲壮感も湧きあがってこない。

両親の遺品というふたつの指輪が瑠璃るりから手渡されてはいるが、正直なところ、何も覚えていないから何も感じやしない。本当にこれは両親の片身なのだろうか?

 よくわからないけど、瑠璃るりからの勧めもあって、とりあえず1本のひもに通して常に首から下げるようにしている。



 真相はさておき、これまでの記憶をひとかけらも持ちあわせない少年にとっては、今この柊にいるみんなこそが本当の家族だったし、そうとしか思えなかった。



 もちろんそんな少年以外にも柊には似たような境遇の子供がいる。今現れた青年もその類に漏れない。

 けれど、彼らは各々どういった経緯でこの柊に来ることになったのかをお互いに知りはしないし、また語ることもしないでいる。

 なぜなら、『自分の不幸に酔いしれるな。そして他人の不幸に干渉するな』というのが瑠璃るりの設けたこの施設のルールのひとつだからだ。だから子供たちはそれに反することはしないし、そもそも自ら積極的に開示しようとも思わないでいる。誰だって自分で自分の古傷を抉るようなことはしたくないものだ。



 ただ、少年の場合に限っては違う。

やっかいなことに記憶喪失の件がある。

 普通に生活するうえでそれをひた隠しにして生きていくのにはどうあっても無理があるし、もしかしたら子供間で無駄にわだかまりなどを生みかねない。そんな危惧から、瑠璃るりの判断により例外的に、少年の記憶喪失については入所の時点でみんなに周知されたのである。



 ふたりはそのまま台所へと向かい、柊にいるほかのもうふたりの子ども──青年よりふたつ年下の女子と、その子よりもさらにひとつ年下の男子に合流した。



 先にいたふたりは少年らに気付くと、「料理はもうできたから、あとは食器の用意とか洗い物をしておいてよ。あたしたちはあっちの部屋の内装をするから」といってふたりを残して去った。というわけで青年が食器を用意し、少年が洗い物に従事することとなった。



 せっせと洗い物をこなしていく少年だが、たまらず手を止めて、性懲りもなく口を動かしてしまう。



「さっきの話だけどさ、どうしてお兄ちゃんは、さっきサンタが空を飛んでたのは『超心理アンプサイ』じゃない、って言いきれるの?」



 青年は、少年に顔を向けず、作業をしながら相手をした。



「だから、それは空を飛ぶ『超心理アンプサイ』が未だに完成してないからだ、ってさっきも言っただろ」

「でも、お兄ちゃんが知らないだけで、実はどこかで完成しているかもしれないじゃん」

「いや、そういうことを言ってるんじゃないんだって。なんて言えばいいかな。えっと……その件に関しては、実はもうだいぶ前に結論付けられてたりするんだよ。実現は不可能だってな。残念ながらな」

「けつろん?」



 少年の混乱に、青年は思案顔を浮かべる。



「ああ。そうだな……『超心理アンプサイ』っていうのは、『超心理薬アド・アンプサイ』ってのを服用すれば誰でも手にすることができる、ほんのちょっぴり特別な力のことだ──って前に話したのは覚えてるか?」

「うん。覚えてる」

「じゃあ、そもそも『超心理アンプサイ』って何? って話になるわけだけど、それについてはまだ何も話してなかったと思うけど……あれから誰かに聞いたりしたか?」

「ううん。だから何もわかんない」

「そうか。じゃあ物のついでだ、教えてやる。ただし手は止めるなよ。じゃないと、あとであいつらに怒られちまうからな」



 おおかたの食器を用意した青年は、少年が洗ったものの水分を拭きとるその手伝いに移りつつ、語りだした。



「簡単に言うと、『超心理アンプサイ』っていうのは、『地球上に実際に存在する生物たちがそれぞれ個々に持ち合わせた特別な力を人間でも使えるようにするために、体をほんの僅かだけいじくって、それによって得られる、少しだけ特別な力』ってことになる」



 簡単と言ったくせに返ってきたのはどうにもわかりづらい文字の羅列。理解が全然追い付いていないという顔が自然と浮かんでしまう。



「これでもまだお前にはちょっと難しかったか。んー、じゃあ具体例でも挙げてみよう。たとえば、蛍って夜になると光るだろ? で、蛍はその光を自分の体から放出している。どうしてそんなことができるのかっていうと、蛍には発光器官ってのがあって、ようは光を放つ仕組みが体のなかに元々あるからなんだ。逆に言えば、人間にそれができないのは、その発光器官って仕組みがないからだ。ここまではいいか?」

「うん、まあ」

「じゃあもしも仮に、人間の体にもその発光器官っていうのがあったとしたらどうだ?」

「そしたら……蛍みたいに光ることができる、ってこと?」

「そうゆうこと。そんなふうに、人間の体を少しだけ他の動物に近づけて、そうして得られるのが『超心理アンプサイ』だ。ちなみに今の蛍のやつだって、『超発光スティング・レイ』っていってちゃんと実在もしている」

「ふーん……あ。そう言えば、たしか瑠璃るりさんも、なんとかって超心理アンプサイを持ってるんだったよね?」

「あー。『超聴覚ドッグ・イヤー』のことか。アレは地獄耳どころのレベルじゃないからお前も気を付けろよ。もしも瑠璃るりさんの悪口を言おうもんならタンコブじゃすまないぞ。頭蓋骨が陥没するからな。マジで」



 あたかもその経験があってそれを回想しているかのように、青年は苦い表情を浮かべる。



「って、俺たち何の話してたんだっけ?」

「サンタが空を飛んでいるのは超心理アンプサイのお陰じゃない、って話」

「ああ、そうだったそうだった。えっと、超心理アンプサイの根源は動物の力だってとこまで話したんだったよな。そんな突拍子もないものも今じゃ当たり前のように世間に浸透しているわけだけど、ほんの一昔前までは存在すらしてなかったんだ。出回り始めたのはせいぜい、ここ20年くらいってところだそうだ」

「そうなんだ」

「じゃあここでお前にひとつ質問するぞ。そもそも、どうして人間はそんなものを創ろうとしたんだと思う?」

「それは、えっと……そんなのわかんないよ」

「ハハ。ちょっと難しかったか」



 そこで少年の担当だった洗いものがすべて終わる。

 あとは流しのトレイに溜まった生ゴミをゴミ箱に捨てるだけだ。



「いいか、超心理アンプサイを創ったお偉いさんはな、その当時、記者にこう言ったらしいぜ。『サンタのように空を飛びたかった。その想いが私の、子供の頃から夢であり、そして生きる目的だった』ってな。どうだ、これでもうわかるか?」

「えっと……」

「考えてもみろよ。それってつまり、サンタは超心理アンプサイができるよりもずっと前から空を飛んでいた、ってことに繋がるだろうが」



 生ゴミを捨てると同時に、「あ、そっか」と少年の理解が追い付く。



「実際、サンタってのはもう何百年も前から存在してるって噂だぜ。それを裏付けるような逸話も世界中にあるらしいし、信憑性のある文献だっていくつも発見されてる」



 青年の拭き取りも終わった。

 それらを所定の場所に戻しながらも、波にのった青年の口は止まらない。



「ってことで、超心理アンプサイが誕生して以来、いろんな研究者が空を飛ぶ超心理アンプサイを創りあげるのに挑戦したんだ。ありとあらゆる鳥類の遺伝子を解析したりしてな。でも最終的に、空を飛ぶ超心理アンプサイは完成することはなかった」

「どうして?」

「当たり前の話だけど、人間には翼がないだろ。それが一番の理由なんだと」

「でも、サンタには翼なんかなかったよね?」

「だから、アレは例外中の例外。一緒の土俵で考えるなって。っつーか、サンタのアレは超心理アンプサイじゃないってさっきも言ったろうが」

「あ。そう言えばそうだったね。でもさ、それだったら、人に翼が生える超心理アンプサイとか作っちゃえばいいんじゃないの?」



 少年の純粋な発言に、青年は困惑を浮かべる。



「それもまた違うな。論点がだいぶズレてる」

「どういうこと?」

「さっきも言ったけど、そもそも超心理アンプサイってのは、人が人以外の力を使えるようになる、っていう大前提のうえで研鑽されてきた技術なわけで、つまりは人間の姿形を維持したままでないとダメってことだ。言ってる意味わかるか?」

「わかるけど……でもそれじゃあ、できることではあるんでしょ?」

「まあ、おそらくはできるだろうさ。技術的には。でもやらない」

「なんで?」

「だってお前、考えてもみろよ。もしも翼なんか生えてるような奴がいたとして、お前はそいつを『人間』って呼べるか?」

「それは……」

「俺なら化け物だって思っちゃうな。研究者もそれがわかっているからやらないんだろう。まあ、そこらへんもきっと法律か何かでちゃんと決まってるんだろうけどさ。ようは、道徳とか倫理ってやつだよ」



 青年は、少年と同じ目線になって、面と向かって諭すように語る。



「いいか。みんながサンタに惹かれるのは、空を飛べるからじゃない。。そこをはき違えるなよ」

「翼が、ない……から?」

「だってお前、考えてもみろよ。もしもサンタに翼なんかがあったとしたら、誰だってきっとサンタが飛ぶことなんてなんら不自然だとも思わなかったに違いないだろ。それに、羨望の的じゃなくて恐怖の対象として認識されていたはずだ」

「そうかな? 僕はカッコいいと思うけどな。翼がある人間って」

「そう思うのは子供のうちだけだよ。実際、俺だってお前くらいの歳のときには自分に翼があればな、とか本気で考えてた頃もあったしな」

「でしょ?」

「でもな、人間ってのは、普通じゃないものに対して激しいアレルギーを持つ生き物なんだ。だから互いに嫉妬もすれば非難もするし忌避だってする。まあ一言でいえば、特別なものは特別であるがゆえに差別を受ける、ってところか。これもしっかり覚えておけよ」



 特別なものは特別であるがゆえに差別を受ける。

その言葉が少年の胸に深く突き刺さった。たまらず閉口してしまう。

というのも、実は少年にも特別な力が備わっているからだ。

それも、ふたつも。



 端的に説明すると、それらは物を温める力と物を冷やす力だった。

ただ、前者は『超加熱ウォーム・ブラッド』という名称ですでに超心理アンプサイとしても実在しているのに対し、後者はそうではないらしい。

 ならばどうして少年に物を冷やす力などというものが備わっているのか?



 そもそも、超心理アンプサイというものは一言でいえば遺伝子を強引に上書きして初めて得られるものであるため、人体に対しての安全性の確保こそが何よりも最優先されるべきとなっている。よって、世界中のどのような人物でもひとつまでしか体得できない、というよりかはしてはならない、という世界共通の鉄の掟がある──が。

 ならば、どうして少年はふたつも体得しているのか。

 はたまた、それらの力が仮に超心理アンプサイでないとするなら、その正体とは一体何なのか?

 そもそも、なんでそんな力が宿っているのか? 超心理アンプサイを持つ親から生まれる子は、それがそのまま遺伝することがあると言われているが、つまり両親のどちらかがそうだったのか? はたまた普通に超心理薬アド・アンプサイを服用した結果なのか。

 記憶がない以上、少年自身にはどれひとつとしてわかるはずもなかった。



 これら少年に宿る力についての知識はすべて瑠璃るりからの伝聞であるが、いかんせん瑠璃るりも事故が起こるずっと前に少年の母親からかいつまんで聞いただけのようで、したがって詳しい部分はわからないらしい。

 ただ、瑠璃るりは当然のことのように少年に力の使用とそれについての口外を禁止した。

 どうしてなのかと尋ねたときに返ってきた言葉が、「特別な人間は、良くも悪くも特別な扱いを受けるんだよ」という、まさに今青年が口にしたものと同じような類のものだった。



 当時その言葉の意味がいまいちわからないで呆けていた少年を見て、瑠璃るりは、もしも少年が特別だということが露呈してしまえば一体どのような事態に陥るかを優しく説いた。



 たとえば、謎の力の解明のために体を切り刻まれる可能性とか。

 たとえば、人体がふたつの超心理アンプサイを体得できるようになるための生物実験のサンプルになる可能性とか。

 つまりは、露見してしまえば拷問にも等しい毎日が一生続き、一生どこかの研究施設に隔離され、行き着く先はただただ辛く苦しい未来でしかないということを。



 身震いを覚えた少年は素直に力の使用を控えるにいたったわけだが、ここにきて、先ほど青年の放った『化け物』という一言が少年の自制心をより強固なものにしたのだった。



 もしかして、僕は……本当は化け物なのかな?

 もしもそうだったとしても、力を使わなければ、みんなにバレることはない。

 僕は特別じゃない。だから僕は、化け物なんかじゃない。少なくとも、みんなにそうとは思われないで済む。

 そうだ、だから力は絶対に使っちゃダメだ……絶対に。



 物思いにふけっているところに、ふと玄関口のほうから「みんな、帰ってきたわよ」という瑠璃るりの声がした。青年は「お。どうやら新しい子が到着したみたいだぞ。ほら、行こうぜ」と少年の背中を軽くたたき、先に向かった。少年も急いで手をふいて向かう。



 小走りで玄関口にたどり着くと、すでに青年たち3人の後ろ姿が横一列にそろっていた。それと対面する形で、見ため年齢20代半ばに見える女性──この柊の監督者である瑠璃るりと、そして今日この瞬間をもってして仲間になる、少年と同じくらいの年頃の少女が、互いに手をつないで立っているのが見えた。次第に勢いを殺し、歩みよって青年たちの横に並ぶ。



その少女を眺めた第一印象はというと、まるで手入れのされていない、くたびれた人形みたいだ──というものだった。



両目は、その表情は、完全に凍てついたそれだった。

もしもその両目がはっきりと見開かれていて、瞳が少しでも温もりを孕んでいたならば、少年もここまでの畏怖を覚えなかっただろう。



ごく最近に裂けたものなのか、口の左端には血の跡が見て取れる。唇の色も全体的に薄紫色をしていた。頬もいくらか腫れあがっているように見える。

長い黒髪からは艶や潤いが微塵も感じられず、まとまりすらない。ボサボサで、ところどころ跳ねてもいる。隣の瑠璃るりと比較しみると一層歴然として目に映った。

着ている服なんか誰が見ても明らかにサイズが不一致で、襟も袖もともによれている。というか、様相や色合いからしてそもそも男の子用の服のようだ。



ここまでくると、何かの都合で意図的に、作為的に少女を損ねさせているとしか感じられないくらいだった。

 そんな少女は、まるで今日から共同生活する子どもたちのことなど至極どうでもいいといった感じで視線をあらぬ方へむけたままでいる。それが少年には妙に威圧的に感じられた。



仲良くなんかなれっこないよ。絶対ムリだ。

初見で少年はそう思った。

けれどそうも言っていられない。今は世間でいうところの春休みの期間である。だから本来は寮生活をしている青年たちもここにいるのは今だけで、またいくらも経たないうちに3人との別れが来る。

逆にいえば、それからは瑠璃るりとこの少女と3人だけでの生活となってしまうのだ。

そんなふうに今後のことを考えると、あまり気は進まないが、どうあっても歩みよらなければならない。



「あ、あの、えっと……僕の名前は赤羽あかばねりょうっていうんだ。よ、よろしくね」



 そういって少年は、勇気を振り絞って右手を差し出した。

 だが、少女はその手を見ようともしない。まるで少年そのものが見えていないかのように、そもそも存在していないかのように。



 気まずい空気が流れる。

 やっぱり仲良くなるのは無理かも、と手を引っ込めようとしたところで、「ほら、お前も自己紹介しなって」と瑠璃るりは繋いだ手をほどくと、その手で、あろうことか少女の頭をワサワサとかき乱した。そのせいで髪が乱れ、目元が完全に覆われてしまう。



 瑠璃るりの行動に背筋が凍るような感覚に襲われる少年だったが、予想とは裏腹に、なぜか少女は、暴れた髪を整えぬまま、しぶしぶといった様子で手を差し延べ、それから自分の名前を呟いたのだった。

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