第42話


 リカルドは歓喜していた。

 今、目の前に魔王がいる。報いを与えるべき敵が目の前にいた。

 リカルドは思う。

 子供の頃……まだ両親も生きていたとき、世界は簡単だった。

 自分が幸せで笑っていれば、両親も兄も友達もみんな笑ってくれた。

 みんなが笑ってくれるからリカルドはもっと幸せになれた。

 本当に簡単だった。リカルドはただ笑っていればよかった。

 何も望むものなどなかった。

 既に世界はこの手の中にあったのだ。

 それなのに魔族は奪っていった。

 両親を……

 それでもリカルドはまだ笑うことができた。

 兄がいたし、新しい友達もできた。

 でもまた奪われた……

 リカルドは復讐を誓った。力を求めた。

 そんなリカルドの笑顔をラニが取り戻そうとしてくれた。

 だからリカルドはまた笑うことができると思った。

 だが……やっぱり奪われた。

 リカルドの大切なものは全て魔族が奪っていった。

 そんなリカルドが復讐を望んでいけないわけがない。

 現に神剣はこの手の中に在った。それは神もまたそれを望んでいる証。

 だからリカルドは今から、復讐をなす。

 それ以外のやり方はわからない。そうすることでしか進めない。

 神剣を握る手に力を込める。

 レミはもう目の前に迫っていた。

 レミの連撃は速い。一度防御に回ってしまうと神剣の力を持ってしても主導権を取り戻すことは難しい。

 だから――リカルドはレミに向けて神剣を横一文字に凪ぐ。

 それは全ての力を込めた、銀の魔族さえも葬り去る一撃。

 その攻撃を防ごうとしたレミの手が神剣の先に触れる。

 ――衝撃。

 リカルドの手から神剣がこぼれた。

 目の前に迫り来るレミの拳は真っ直ぐにリカルドの顔面を狙っている。

 リカルドは右手を顎の下に持っていき、力を込める。神剣がその手の中に現れ、レミの拳を寸でのところで受け止めた。

 しかしその瞬間、再び激しい衝撃が襲ってリカルドを後方へと吹き飛ばす。

 そう感じた次の瞬間には背に痛みが襲う。何かに打ち付けられた。教会の壁にしてはぶつかるのが早すぎる。

 迫り来る、レミの次の攻撃。リカルドは斜め前方に転がってかわす。

 そして先ほどまで自分がいた場所を確認する。大地が隆起していた。そこにリカルドは打ち付けられたのだ。

 それは魔王の魔法。普通、魔法は術者の目の前で発生させて標的へとぶつける。しかし魔王は自分の目の前ではなくリカルドの近くに魔法を発生させた。

 戦局はリカルドにとって厳しい。

 まず、レミが想像以上に強い。勇者であるリカルドが一対一で戦っても苦戦を強いられるレベルにある。そして魔王までもがここにはいる。

 それでもリカルドには負けるわけにはいかなかった。

 リカルドは神剣を構えて魔王に向かって駆ける。

 魔王は動かない。真っ直ぐにリカルドを見据えている。

 その魔王の表情からリカルドは全てを悟った。

 それはまるで鏡のようだった……

 リカルドの瞳に映る魔王。

 その顔は憎しみに彩られている。彼女もまたリカルドを殺したくてたまらないのだろう。

 理由は簡単だ。ジアが殺されたから。

 本当に魔王はリカルドを許せないのだ。

 リカルドが家族を殺され、ラニを殺されたのと同じだけの怒りと悲しみを魔王はジアの死に感じている。

 全てがわかった。結局そういうことだったのだ。

 この魔王はジアと出会った。

 それこそが全て。

 リカルドはジアを知っている。だからわかる。簡単なことだ。

 きっと魔王はジアと戦ったに違いない。

 だから魔王はジアを好きになった。

 ジアと喧嘩をして、ジアを好きにならなかった者をリカルドは知らない。

 それはきっと魔族であっても一緒だったに違いない。

 だから……この魔王はこんなにも涙を流しながらリカルドを睨んでいる。

 だがそれはリカルドもまた同じこと。リカルドは魔王を殺したくて仕方がないのだ。

 リカルドは神剣を持つ手に溢れる憎しみを込めて振るう。

 しかし――受け止められた。魔王の手の中には金色に輝く剣がある。だがその剣は本物の剣ではない。魔力によって生み出したもの。

 だから今、魔王は剣を生み出す魔法を使っていることになる。

 魔法は一度に一つしか使えない。それは魔力持ちの人間も、弱い魔力しか持たない魔族も、強大な魔力を持つ魔王も変わらない。

 よって魔王は今、己の身体能力を魔力で高めてはいない。

 リカルドは受け止められた神剣にそのまま力を込めて、思い切り振り抜いた。

 それは身体能力を高めていない者には到底受け止めることのできない一撃。

 だが魔王は受け止めた。

 リカルドに考えられる可能性は二つ。目の前の魔王は魔法を併用できる。もしくはあの剣が身体能力強化の延長線上にある。

 例えそれがどちらであったとしてもリカルドのピンチには変わりはない。

 リカルドは自分と同等に渡り合える敵二人を同時に相手しなければならなかった。

 勝つことは難しい。それでも神剣を得る前は完全に不可能であった。今は難しくはあるが不可能ではない。

 だからなせねばならない。

 そのための神剣。そのためにこの五年を費やした。そのために今、リカルドはここに在る。

 魔王が魔力の剣を上段から振り下ろす。

 リカルドはそれを受け止めるために神剣を構えた。

 ――しかし、受け止めることはできなかった。受け止める必要がなかったのだ。魔力の剣は神剣と触れる直前に消えた。

 だが魔王の手はそのまま振り下ろされる。そしてその手の中に再び魔力の剣が現れた。

 魔力の剣が神剣を越え、リカルドに迫る。

 リカルドは体を回転させて回避を試みるが、背中を斬られた。致命傷ではないが軽傷でもない。

 そこに迫り来るレミ。

 レミの攻撃は受け止めてはならない。回避しなければいけない。そうリカルドは先ほどの戦闘で学んだ。

 だからレミの連撃をかわす。紙一重のところでかわしていく。神剣で身体能力を大幅に強化されているリカルドには決して難しいことではない。

 そしてわずかな隙を見計らって攻撃へと移る。

 神剣による斬撃。簡単に受け止められた。もしかしたら誘われたのかもしれない。

 衝撃でリカルドは吹き飛ばされる。

 そこに迫ってくる魔王とレミ。

 敗北の二文字が頭を過ぎる。どう考えてもリカルド一人で魔王とレミには勝てそうになかった。

 リカルドは想う。

 今までリカルドは多くの大切なものをこの世界に、魔族に奪われてきた。

 その喪失を経て得た力と、喪失のよって残された復讐という想い。

 今、それすらも奪われようとしていた。

 全てを奪われ、復讐すらもなしえぬまま死ぬ。

 そんなことは許されない。せめて魔族に報いを与えなければ納得できない。

 だから次の一太刀に全てを賭ける。

 せめて目の前にいる魔族。魔王だけにでも報いを与えるために。

 リカルドは待つ。かわす必要はない。全てを受け入れ、魔王を道連れにする。

 そして神剣を構えた。

 もう目の前に迫った二人の敵。リカルドの瞳に映るのは魔王だけ。

 その魔王の手の中にある魔力の剣が消えた。

 そしてリカルドの目の前の大地が隆起して壁が現れる。

 攻撃ではない。

 敵の真意が読めぬまま、リカルドは神剣を構え少し後退した。

 そのとき――爆音と共に目の前の壁が砕かれる。

 火や水の魔法と違い、魔力で生み出されたものではないため神剣でかき消すことはできない。至近距離すぎてかわすことも叶わない。

 無数の破片がリカルドに直撃する。

 そしてさらに攻撃を仕掛けてくるレミ。

 これもかわせない。神剣で受け止めるが吹き飛ばされる。

 教会の壁に叩きつけられた。

 すでに目の前には魔力の剣を振りかざす魔王の姿がある。

 もうリカルドにはどうすることもできない。

 憎しみだけではこの力の差は覆せない。

 目を瞑る。

 望んだ復讐は果たせなかった。

 残念ではあるが納得はしている。

 少なくともリカルドは最後まで復讐のために戦い抜いた。

 やれるだけのことはした。

 リカルドがそんなふうに思うことができるのも全てはジアの所為だ。

 だからリカルドの復讐を止めたのは魔王ではない。レミでもない。

 結局のところ全てはジアの所為。

 ジアの所為なら、仕方がない。リカルドに後悔はない。

 しかし……中々リカルドに死は訪れない。

 待ちくたびれて目を開くと、そこにはジアの背があった。

 ジアは両手を広げてリカルドの前に立っている。

 そして……

「殺し合う必要はない」

 ジアが言う。

「ジア……生きてるの?」

「当たり前だ。リカルドが僕を殺したりなんかするわけないじゃないか。少し派手な喧嘩をしただけだよ」

 レミの問にジアは答えた。

 そう……それが答え。リカルドにはジアは殺せなかった。

 殺すつもりだったし、殺そうとした。殺したかった。

 それでもやっぱりリカルドにはできなかった。

 リカルドは神剣でジアを何度も斬りつけた。それでもジアは笑顔でリカルドに理解を求め話しかけてきた。

 出会ったときと変わらない。

 どれだけリカルドが攻撃を続けてもジアは神剣すら呼ばなかった。

 そしてリカルドの攻撃で意識を失ったとき、そんなジアを心配するように神剣が現れた。

 リカルドもまた勇者であるため知っている。

 神剣は勇者にとって最強の武器であり防具。神剣は本人が望みでもしない限り勇者を傷つけることはない。そして神剣を持つことによって勇者は絶大な回復能力を得る。

 だからリカルドは傷つき、気絶したジアに神剣を持たせようとした。でも気絶しているので持つことはできない。無理やりに手に握らせてみてもすぐに放してしまうし、ただ体の上に置いてみても回復しているようには見えない。

 そのためリカルドはいろいろ試し考えた結果、ジアに神剣を刺したのだ。

 そして今、回復して意識を取り戻したジアが目の前にいる。どういうわけか失っていた右手まで復活している。

 リカルドは思う。

 今ここで許しを乞えば、ジアは許してくれる。

 そして、それどころか本当にうれしそうに笑うのだ。

 他の者たちもまた許してくれるだろう。ジアに触れたジアの仲間たちだ。きっと許してくれる。

 しかし、他の誰が許したとしてもリカルドはそれを許せない。

 自分で積み上げてきたものを突き崩して、なかったことにはできない。それは今の自分につながる道なのだから。突き崩してしまえば自分を失うことになる。

 今ここに在るリカルドが失われる。

 リカルドにはリカルド・ロシャとして生きてきたこの十九年間の何一つを捨てることはできない。

 そう……この五年間ではない十九年間だ。

 復讐を誓ったのは五年前。そして五年を復讐のために費やした。

 だがリカルドがそれほどまでに復讐を望んだのはそれ以前の十四年間があったからに他ならない。

 だから復讐の否定は十九年の、リカルドの人生全ての否定となる。

 しかし……復讐はもう叶わない。

 復讐を望むには力が足りなかった。

 だからといって魔族と仲良くもできない。

 突きつけられた二つの選択肢では答えを見出すことはできない。

 ジアは選択することを拒んだ。それがジアの答えだった。

 だからリカルドは……

 見つけた。それは新しい第三の選択肢。

「何故俺は生きている。こんな世界で、どうして俺は死ぬことすら許されない……」

 リカルドはつぶやいた。

「例え、どれだけのものを失ったとしても、明日はやってくる。いつもそうだ……だから俺は思うんだ。俺は神に選ばれたんじゃなくて、呪われているんじゃないかって。だって、俺はまた死ねなかった。両親が死んだときも、兄さんが死んだときも、ラニが死んだときも俺は死ねなかった。そして今、復讐すらできずに、また生かされた。全てを失っても、俺にはいつも明日が巡ってくる。そこには絶望しか残されていないのに、それでも俺は生きなければいけない」

 ジアが悲しそうな目でリカルドを見ている。だから……リカルドは笑みを浮かべて言葉を続けた。

「俺にはもう何も残されていない。俺は魔族と仲良くなんてできないし、ジアを殺すこともできなかった。復讐はもう諦めた……俺はジアに説得されたんだ」

 リカルドは神剣を構える。手首を返して、神剣を逆手に持つ。

「だから……」

 そして、そのまま振り下ろす。

「さよならだ。ジア」

 リカルドは神剣で自らを突き刺した。

 それこそがリカルドの選んだ新しい選択。

 リカルドは今まで真っ直ぐに自分の道を進んできた。そして今、その道はジアの道とぶつかった。

 リカルドにはジアの道を行くことはできない。そして自分の道を進むには邪魔になるジアを殺さなければならない。そんなことリカルドにはできない。

 だからリカルドは進めなくなってしまった。

 だからといって、戻ることも叶わない。ここまで歩んできた道の全ては魔族によって壊されてしまった。

 しかしいつまでもここにとどまるわけにもいかない。リカルドがここで立ち止まっているとジアの邪魔になる。ジアが進めなくなってしまうのだ。

 リカルドは今、身動きが取れず、大切な友達の障害になっている。

 だからリカルドは自ら降りることにした。

 幸い手の中にある神剣は本人さえ望めばその命を奪ってくれる。

 そう……終わるのだ。リカルド・ロシャという名の呪われた喪失の物語が。

 誰でもない。自らの手によって幕を引く。

 神剣の力は絶対だ。

 リカルドはもう何も感じない。

 ジアがこちらを向いて、何か言っているようだが……よく見えないし、聞こえない。

 それでも伝えなければならないことがあった。

 リカルドは最後の力を振り絞り、言葉を紡ぐ。

「ありがとう、ジア。こんな俺と友達になってくれて本当にうれしかった。この神剣は餞別にくれてやる。じゃあ……な…………」

 そういい終えたとき、リカルド・ロシャは終わった。

 もう……リカルドに明日は来ない。憎しみも、絶望も感じない。ジアと戦う必要もない。

 だから……リカルドは今、少しだけ幸せだった。


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