勇者と魔王と後、神様も
鈴木りんご
プロローグ「勇者と魔王」
第1話
森の茂みの中、彼は息を殺して思考していた。
どうするべきか……?
どう在るべきか……?
それはとても重要な選択だった。簡単に答えをだしていいようなものではない。彼の至った答えによって世界の有り様が変わる。それほどの選択だった。
しかし、ゆっくり時間をかけて考えている余裕はない。
彼は右手に力を込めた。神より賜った勇者の証、神剣を強く握り締める。
そして――決断を下した。
目の前には少女がいた。
少女は逃げている。
追っているのは二人。若い女と中年の男。
その二人は人間ではなかった。人間の敵、魔族。
魔獣の類ではなく、強力な魔力を持つ人型の魔族。しかも魔王直属と言われる、銀眼銀髪の魔族。
これが伝承に謳われる物語であれば、物語の終盤、魔王との戦いの直前で戦うべき相手。
しかし今、神より神剣を賜って一週間もたっていない勇者ジアの前に、その敵の姿は在った。
ただ出会ってしまっただけであるのなら、逃げればよかった。倒せる可能性などほとんどない。世界のためにも人類のためにも唯一、魔王と渡り合うことのできる神剣を失うわけにはいかない。だから、逃げることこそが最良の選択だった。
しかし今、目の前には……追われている少女の姿が在った。
ジアには見過ごすことなどできない。
そこに選択の余地などない。
それはジアが勇者だからではない。勇者がジアであったから……
神剣を強く握り締めてジアは思う。
今この手の中には力があった。
それは求めて止まなかったもの。
あの人のように大切なものを守ることのできる力。あの人に報いることのできる力。
救ってみせる。例えこの命が今ここで尽きようとも……
それこそが生きる意味。生かされた意味。
だからジアは茂みの中で息を殺したまま、少女と魔族の姿を見据える。
勢いに任せて駆け出しても、ジアも少女も死ぬだけ。少しでも可能性を高めるためにタイミングを見計らう。
もうすぐ少女と魔族はジアの目の前を通り過ぎる。その一瞬こそが最大のチャンス。
しかし、思惑通りに事は進まない。少女はジアのいる茂みを通り過ぎる直前で転んでしまった。
少女にゆっくりと忍び寄る二人の魔族。
今茂みから出てしまっては完全に隙を突くことはできない。
それでも、考えている暇などなかった――
ジアは神剣を構え駆ける。
そして少女に近い方、男の魔族に斬りかかった。
ジアの振り下ろした神剣が魔族を切り裂こうとした瞬間――ジアの意に反して神剣が軌道を変えた。
神剣は男の魔族ではなく、女の魔族が放ったと思われる炎を切り裂いた。
ジアの目の前には無傷な男の魔族。その瞳がジアの姿を捉えた瞬間――ジアは大地を蹴って間合いを取る。
……倒せなかった。
ジアは悔やむ。隙を突いた一撃目で一人を戦闘不能にしておきたかった。しかしそれは失敗に終わった。
だから一対一ですら危うい相手と二対一で戦わなければならない。
神剣を構え、魔族に注意を向けたまま、ジアは少女の方に振り返る。
そして、笑顔を浮かべて言った。
「もう、大丈夫。安心して、君は僕が守るから。こう見えても僕は勇者なんだ。僕は大丈夫だから、君は早くここから逃げるんだ」
しかし少女は驚くような表情をジアに向けたまま動かない。
腰を抜かしてしまったのかもしれないし、恐怖で立ち上がれないのかもしれない。
それも仕方ないと――ジアは思う。
残された選択肢は二つ。
敵を倒すか、少女を抱えて逃げるか……
戦おうと思う。
逃げてもきっと逃げきることはできない。
だから、戦おう……
勝てなくても、少女が逃げるための時間くらいは作れるかもしれない。
いや――作らねばならない。
「立てるようになったら、すぐ逃げるんだ。安心して。それまでの時間は僕が稼ぐから」
最後にもう一度そう微笑みかけて、ジアは敵を見据える。
二人の銀の魔族。
二人はこちらの様子をうかがいながら話をしている。魔族と人の言語は違うのでジアには二人の言葉は理解できない。
先に――今すぐにでも仕掛けてしまうべきか、それとも相手の出方をうかがうべきかを考える。
ジアの目的は勝つことではない。少女を逃がすこと。時間を稼ぐことこさえできればそれでいい。
だから、待つことにした。
背に少女の気配を感じながら、剣を構え、敵の出方をうかがう。
まず動いたのは女の魔族。突き出した手から巨大な火球が生まれた。
火球は真っ直ぐにジアに向かって突き進んでくる。
ジアはそれを神剣で簡単に切り裂いた。
その切れ目の中に生まれた視界。そこには目の前まで迫った男の魔族が剣を振りかざす姿。
どうすることもできない完璧なタイミング――しかし、魔族の剣とジアの間には神剣があった。
そのままジアは神剣を振り抜く。魔族はジアの攻撃に逆らうことなくそのまま後方へと飛び退いた。
そして武器を構える。右手には少し短めの剣。左逆手に短剣。
ジアも間合いを確かめながら神剣を構え直そうとした――その瞬間、視界の端に無数の炎が生まれる。
女の魔族の魔法。先ほどと比べて明らかに威力の劣るであろう炎の矢。しかしそれは無数に存在し、ジアへと向かってくる。
火球は簡単に受けられてしまったので、今度は数で勝負をかけてきたようだ。
しかしそれもまた、ジアの前では無意味。確かに一つ一つを剣で振り払っていれば、その間に男の魔族からの攻撃を受けてしまうだろう。
だから、一つずつでなければいい。
炎の矢が近づいてきたとき、ジアは力に任せて神剣で虚空を切り裂いた。
別段大きな衝撃波が生まれるわけでもない、普通の素振りのような行為。
しかし、それで十分だった。その一振りで、無数にあった炎の矢は全て消滅した。
振り下ろした神剣はそのままに、手首をわずかに返して下段に構える。そして男の魔族のもとへと向かって――駆ける。
そのままの勢いで神剣を振り上げる。
森の中に響く甲高い鋼と鋼のぶつかり合う悲鳴にも似た音。
魔族はその一撃を逆手に構えた短剣とその鍔で受け止めていた。
そして右から振り下ろされる剣。かわせるタイミングではない。
だからジアは左足を少し下げ、受け止められている神剣に更に力を込めて振り抜いた。
魔族はジアの力に逆らうことなく、後方へと飛び退くと左手に持っていた短剣を逆手から順手へと持ち直す。
そして、駆ける。少し腰を落とした体勢で真っ直ぐにジアの方へと向かってくる。
リーチは明らかジアの方に分があった。だから防御する必要はない。
上段に神剣を構え――間合いを見計らって一歩前へ。神剣に渾身の力を込めて振り下ろす。
それは武器を片手に構えた魔族には到底受け止めることのできようのない一撃――のはずだった。
しかし、魔族はそれを成した。剣と短剣を交差させ、その間で神剣を完全に受け止めていた。
ジアには信じられなかった。
ジアの身体能力は神剣の加護によって何倍にも跳ね上がっている。そんなジアの渾身の一撃をこの魔族は受け止めて見せたのだ。
ジアは思考する。次にとるべき最善の行動を。
魔族は自分と同等かそれ以上に魔力によってその身体能力を強化しているだろうと推測された。
どうするべきか……
攻撃を受け止められている現状では明らかに相手に利があった。
ジアは力を抜くことも、後ろに引くことも許されない。もし後ろに引けば、相手はその瞬間から攻撃に移れるが、ジアは守備にすら移ることができない。
……だから、ジアは神剣で相手を押す。振り下ろすのではなく、相手の方に向かって真っ直ぐに。振り下ろそうとすれば簡単にいなされてしまう。
互いに手以外はがら空きだが、蹴りなどを入れようとすれば力で押し負けてしまうため、それもできない。
――膠着状態だった。
しかし有利なのは魔族。ジアが押す加減を間違えた瞬間に魔族は攻撃に移れる。
ジアは次にとるべき行動を必死で考える。
そこに再び迫りくる炎の矢。
それはジアに訪れた好機。
ジアは炎が直撃する直前まで待ってから、炎を打ち消すことなく後方へと飛び退く。
本当だったらこの瞬間――魔族は攻撃に移れるはずだった。しかしそれを炎が遮ってくれる。
これでジアはピンチを脱した。
しかし事態が好転したわけではない。ただ振り出しに戻っただけ。
そして再び迫りくる炎。巨大な火球。男の魔族は横側から迫ってきていた。
問題はなかった。ただジアからも男の魔族の方へと攻撃に向かえば、そのまま炎はかわすことができた。
しかし……ジアは動けない。
先ほど後退したため、すぐ後ろに少女がいた。炎をかわせばその炎は少女を飲み込むことになる。
ジアの次にとるべき行動。
選択肢などはなかった。ジアはジアであるがゆえ、突きつけられた選択の答えは定められている。選ぶ必要などない。できることは決められた道をただ決意を固め、真っ直ぐに進み抜くことだけ……
ジアは振り返り少女を見た。少女もまたジアを見上げていた。
迷いなどない。すでに決意していた。命を賭しても少女を守ろうと……
勇者として、人類の未来と少女の命を秤にかけたわけではない。
今、ジアが直面している問題は今後の世界の有り様を決めるほどの大きな事象。それでも、答えは簡単だった。
秤など必要ない……答えは初めから知っていた。
ジアは炎を神剣で消し去る。一歩も動くことなく左手だけで神剣を振るって――そして残った右腕で魔族の剣から己の身を守った。
熱を持った強烈な痛み。大地にこぼれる大量の血液……
それでも死んではいない。戦える。まだ守ることができる。
ジアは神剣を両手で握り締めるが……視界には右手がなかった。
代わりに血が溢れている。
しかし、絶望している暇などない。まだ片腕は残っている。戦えるのだから。
今は少女を守るために戦わなければならない。
「絶対に守る……」
ジアは左手で神剣を握り締め思う……
少女の逃げる時間を稼ごうなどと考えていたことが間違いだった。
初めから敵を倒すこと……いや、殺すことを考えるべきだった。
そうしなかったのは自分の弱さ。命のやり取りなど今までしたことはなかった。だからその選択肢から逃げたのだ。
だが……今は違う。決意を固めた。
奪う覚悟を決めた。守るために奪う……
そのための力は残された手の中ある。三日前、神から与えられた。
だから――ジアは駆ける。
魔族を殺すために。その命を奪うために。
ジアは男の魔族に向かって神剣を振るった。
しかし神剣は虚空を舞う。かわされた。
ジアはそのままの勢いを殺すことなく体を回転させて、次の攻撃を仕掛ける。辺りに響く金属音。受け止められた。
そのまま力任せに神剣を振り抜く。魔族の手から短剣がこぼれた。そして生まれたわずかな距離。
ジアは神剣を腰の辺りで構えて前進する。魔族の身を貫くために……
そこに迫る炎の群れ。しかしジアはそれを無視する。
その炎をかわすことも、なぎ払うこともしない。今はただ、目の前の命を奪うことだけに全てを傾ける。
そしてジアの神剣は魔族の体を貫く――はずだった。しかし実際に貫かれたのはジアの体。
後一歩、ジアの神剣が魔族に迫ったとき、ジアの足元の大地が隆起して刃となった。その刃がジアを貫いた。
それは男の魔族の魔法。
ジアは神剣を強く握り締めて、目を見開く。
目の前には男の魔族がいる。
戦わなければならなかった。
体中が焼けたように熱い。溢れる血も止まらない。目も霞んでいた。
一瞬でも気を抜けば倒れてしまい、二度と立ち上がることはできないだろう。
体中が「もう止めろ」と悲鳴を上げている。
勝ち目はなかった。ジアは片腕を失って、致命傷を負った。それに比べ、敵はほぼ無傷。戦力差は広がっただけだ。このまま続けても勝機なんてありはしない。もう終わった。勝敗は決してしまった。
しかし、それでも……ジアは一歩足を踏み出した。
それはすでに決してしまった結末へと辿り着くためだけの愚かな前進。
それでも……ジアは神剣を引きずり前へと進む。
守るべきものがあった。そして自分はまだ死んではいない。
ゆえに答えは一つ。
「僕は…守るんだ……」
「ありがとう……もういいの」
その言葉と共に、ジアは背後から抱き止められた。
「ありがとう。私なんかのために……うれしかったし、とても温かかった」
ジアの目の前、ジアと男の魔族の間に少女が割って入る。
少女はジアを真っ直ぐに見据えて、笑顔で言った。
「あなたのおかげでわかった。私は私の在りたいように在ればいい。私の名前はルル。そう……私はルル!」
少女はジアを強く抱きしめる。
「あなたは私が守る。あなたがそうしてくれたように。もう決めちゃったんだから。例え世界を敵に回しても、神を全てを敵に回すことになったって。私がね、私が! 自分でそう決めたんだ! あなたを守るって。よかった。あなたと出会えて本当によかった。私の勇者様……」
そう言って少女はジアの唇に自分の唇を重ねた。
ジアは状況がまったく理解できないまま……霞んでいく視界の中、ただルルと名乗った少女を見つめる。
「安心して。あなたはこの私、魔王ルル・ビダルが全てを賭して守るから」
そう言って、ルルはジアに背を向ける。
薄れいく意識の中、ジアが最後に見たのはルルの背になびく髪――それは金糸の髪。魔王の証だった。
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