6.真実と決意

 黒沢鉄哉と名乗る以前の彼は、過去に一度死んでいる。


 三年前。

 春先とはいえ、まだ冬の残滓が残る深夜の港町。地面に白雪がうっすらと浮かび、その上を鮮やかな赤い血がまだらに染める。

 夜の静寂を破るのは波や風の音ではなく、怒号と乾いた銃声。

 風に漂うのは潮の香りではなく、硝煙と血の匂い。

 静かで穏やかな夜の港町は、過激で物騒な危険地帯と化していた。


 その日、彼は誘拐された雇い主の娘を救出する任務に参加した。

 知能が常人より優れていたばかりに、非合法組織に狙われた十四歳の少女。

 何度か交流があったばかりに、少女に情が移ってしまった彼。

 全然機能しない役立たずの命令系統も手伝ったとはいえ、独断専行に走ってしまったのは、その時が最初で最後だった。

 強引な手段を使って少女の元に辿り着き、彼女の手を引いて敵を次々に殺して逃げていた最中さなか、連中の切札であった〈一つ目の怪物〉が暴走し、敵味方を無差別に襲い始めた。

 あまりにも凄惨かつ一方的な殺戮。

 湧き上がる死の恐怖と絶望/生の執着と希望。

 命懸けで闘った/必死に抗った。

 その結果は、相討ち。

 怪物を斃すことに成功し、左腕を肩から根こそぎ失う瀕死の重傷を負うも、辛うじて一命を取り留める。

 守るべき少女も無事だった。

 だが、かつてない恐怖体験により、心臓に重い病を抱えていた彼女の容体が急変。

 助かる見込みがないと知った彼は、迷うことなく拾ったばかりの命を少女に捧げた。


 そして、彼は死んだ――筈だった。



 ***



「――――ぁ」

 随分と長い時間眠っていた気がする。見慣れた白い天井と、僅かに鼻をつく消毒液の匂いが衛生的な空間であると五感が知らせ、自身が病院のベッドの上で寝ていると認識するまで五秒かかった。病室は電灯が点いているが、カーテンの隙間から覗く窓の向こうは暗い。夜のようだ。

 身を起こそうとすると胸に鈍い痛みが走り、再びベッドに身を沈めた。右腕に繋がれたチューブを通じて点滴パックが揺れる。掛けられていた毛布が剥がれたことで、上半身は裸で包帯が幾重にも巻かれていることに気付いた。通りで少し肌寒いと感じたわけだ。

 深呼吸を繰り返して痛みを意識的に和らげながら周囲を見回すと、広い病室に自分一人だけ。個室のようだ。手元のナースコールのボタンを押すと、そう時間を置かずガラッと扉を慌ただしく開けて真奈が現れた。

「目が覚めたのッ!?」

「病院内で走るんじゃない」

 息を切らせた真奈に、クロガネは呆れた様子でそう指摘した。

「……俺が撃たれてから、どれくらい経った?」

「だいたい三時間くらい……その間に何があったか聞く?」

「頼む」

 頷いた真奈は、ベッドの傍にあったパイプ椅子に座る。

「……鉄哉が撃たれた後、美優ちゃんは獅子堂玲雄の元へ行ってしまったわ。その後すぐに貴方を治療室に運んで処置したの」

 白衣のポケットからあるものを取り出し、クロガネに手渡す。

「不幸中の幸いかしらね。弾丸は二発とも、

 を摘まみ上げながら、クロガネは溜息をついた。

「普通なら死んでるな」

「その通りね。。もしも他の臓器に当たっていたら、完全にアウトよ」

 クロガネこと黒沢鉄哉は、全身の二割が機械化されたデミ・サイボーグである。

 機械に置き換わっている箇所は二つ。

 左腕全体が戦闘用にカスタマイズされた義手。

 そして、文字通り生命維持装置も兼ねた疑似心臓だ。これは外殻が異常に硬く、大口径のライフル弾ですら貫通はおろか傷一つ付かない特注品である。口径が十ミリ程度の拳銃弾では完全に歯が立たない。

「とはいえ、零距離で二発も撃たれた衝撃で疑似心臓が一時機能不全を起こして失神、肋骨も二本折れてるわよ」

「むしろ、それだけで済んで良かったよ」

 確実に死に至らしめるために二発撃ち込むのダブルタップはプロの基本だ。頭を狙わなかったのは情けか、それとも偶然か。

「それと、貴方の心臓を他の医者に診られないように何とか個室を手配できたわ。VIP待遇なのはそのためよ」

 通りでナースコールを押したら他の医師や看護師ではなく、真奈が来たわけだ。恐らく誰もこの部屋に近付かないようにしていたのだろう。

「その気配りはありがたいが、この病室、絶対高いだろ……」

「ヤブ医者を通じて不特定多数のマッドサイエンティストに延々と切り刻まれたいの?」

「……そっちの方が、もっと面倒か」

 安全確保のための必要経費だと納得する他ない。

 またも余計な出費に気が滅入り、ふと気付く。

「いや待て。弾丸の摘出も海堂が一人でやってくれたのか?」

 いくら身内で勤め先の病院とはいえ、緊急手術を真奈一人でこなしたとは考えにくい。

「――それは僕も手伝ったのさ」

 その時、病室のドアを開けて白衣を纏った男が現れた。三〇代くらいで爽やかな短髪に眼鏡を掛け、整った顔立ちをしている。彼の首元に下げた身分証には、

『鋼和市立西病院 外科医 出嶋仁志でじまひとし』とあった。

「――久しぶりだね、ア……いや、今はクロガネだったか」

 白衣のポケットに手を入れた出嶋は、愛嬌ある笑みを浮かべる。

「……この人が手伝ってくれたの、『鉄哉の友人だ』って。私も半分パニックになってたから助けて貰ったけど、本当に貴方の友達なの?」

「おい。それは俺に友達が居るわけないと言っているのか?」

 訝し気に訊ねてくる真奈に、クロガネは眉をひそめた。

「貴方の交友関係なんて知らないわよ、自分のこと話してくれないし。強いて言うなら、私と清水刑事くらい?」

 清水とは友人関係ではない。向こうも「いい迷惑だ」と言って認めたりはしないだろう。探偵と刑事、問題児とその担当、あるいはビジネスパートナー辺りが妥当だろうか。とりあえず、それは横に置いて出嶋と向き合う。

「……は初めて見るな、〈/〉」

「――。とりあえず、公では出嶋と呼んでくれ」

 真奈が「えっ? えっ?」と、クロガネと出嶋を交互に見る。

「デルタゼロ……? まさか……」

「――ああ、ドクター真奈は。改めて自己紹介といこう」

 出嶋は真奈に向き直り、

「――のゼロナンバーが一人、〈デルタゼロ/ドールメーカー〉です」

 表音フォネティックコードと同音頭文字イニシャルのコードネームを名乗った。

 ゼロナンバー。それは天下の獅子堂家を護る親衛隊の中でも卓越した技術や能力を持つ者達のみで構成される影の部隊だ。時に暗殺や破壊工作などの暗躍を専門とするため、その存在は非公式であると同時に禁忌タブーである。

 故に『存在しない者ゼロナンバー』。

「――よろしく」

「ど、どうも」

 デルタゼロ――出嶋と握手を交わした真奈はハッとする。

「貴方は……」

「――――ご明察。

 出嶋の機械仕掛けの瞳に映る真奈が、驚いた表情を浮かべた。

「……なるほど、〈ドールメーカー〉……」

 コードネームの意味を納得した真奈とは別な意味で、クロガネも納得する。

「なるほど、医学にも精通したお前が偶然あの場に居たお陰で俺は助かったのか」

「――偶然ではないよ、端末はこの街のどこにでも居るのさ」

 絶句する真奈。一方でクロガネは溜息をつく。

「予想はしてたけど、美優の協力者はお前だったんだな」

「――その通り。君は元より、専門家であるドクター真奈も薄々勘付いたと思うけど、美優の義体ハードを開発したのは僕だからね」

「ちょっと待って。近くに居たのなら、どうして鉄哉や美優ちゃんを助けなかったの? 協力者なんでしょ?」

 真奈が会話に割って入る。

「――護衛を依頼した時点で、彼女を守る役割と責任は彼にある」

「ああその通りだ、くそっ」

 悔しそうに毒づくクロガネに、出嶋は肩を竦めた。

 その義眼には失望と侮蔑の色が混じっている。

「――少しがっかりだ。フェイントで子供の存在に気を引かれたのは仕方ないとしても、腕が落ちたんじゃないのかい?」

「そうかもな。それより美優の居場所は知っているんだろ? 教えろ」

 出嶋は僅かに驚いた表情を作る。

「――意外。獅子堂に回収された以上、依頼は破棄されたも同然だろうに」

「あくまで依頼人は美優だ。本人の口からキャンセルを聞かない以上、契約は継続中だ」

「――仕事熱心だね。だけど、その怪我で美優の元に行くのは自殺行為だ。教えるのは気が進まないなー」

「ほざけ、お前が他者を気遣う筈ないだろ。それなら質問を変えてやる」

 美優の正体。嘘の依頼。獅子堂玲雄の出現。

 全てが集約される根本的な疑問だ。

「お前の目的は?」

「――おっと。無駄を省いた直球だな、勘が鋭いのは相変わらずだ」

 出嶋は愉快そうに口元を歪める。

 席を外そうか? と真奈は言ったが、出嶋は彼女の同席を認めた。少なからず美優と関わった上に、これから話すことは真奈にとっても他人事ではないという。

「――僕の目的は、約束を果たすことだ」

「約束?」

「――遺言ともいう。莉緒お嬢様の、ね」

 真奈は息を呑み、クロガネは「やはり」と苦い表情を浮かべた。

「――その様子だと、ある程度察しはついていたようだね」

「まぁな」

 

 獅子堂莉緒ししどうりお

 獅子堂重工会長、獅子堂光彦の娘にして獅子堂玲雄の妹。

 かつてクロガネが守ると誓った少女であり、真奈と共に死に瀕した彼の命を救った恩人でもある。

 そして安藤美優の開発者母親でもある彼女は二年前、病により十五歳という若さでこの世を去った。

を美優に持たせたのはお前だろ? お嬢様の手紙と併せて、美優が獅子堂の関係者だということはすぐに気付けたよ」

「――迂闊に話せる内容でもないし口止めもしていたからな、察してくれて助かったよ。君は美優の素性に気付かないフリで通すつもりだったのだろう?」

「それをそちらも望んでいると思ったからな」

 今更だが、下手に深入りして余計なトラブルを背負いたくなかったのが本音だ。

「――僕がお嬢様と交わした約束は、美優を君に会わせることだ」

「俺に?」

「――その話をする前に確認しておきたいのだけど、ガイノイド以前に彼女の正体については把握しているかな?」

「想像はついている」

 二人の会話を黙って聞いていた真奈は、訝しげに眉をひそめた。

「――では、彼女の正体は?」

 クロガネは一度目を閉じて深呼吸を一つ。そして目を開け、はっきりと答えた。

「美優の正体は、もうすぐ日本で稼働する〈サイバーマーメイド・日乃本ナナ〉だ」

 真奈が息を呑んだ。

「PIDをはじめ最先端セキュリティをいとも簡単に突破するハッキング能力、人間と同様に成長・学習する機能……その二つを兼ね揃えた存在は、高性能自律管理型AI〈サイバーマーメイド〉しか考えられない」

 クロガネは一つ一つ確信を以て推理を展開していく。

「その重要性ゆえ、稼働前に不特定多数のテロリストに狙われる可能性がある。〈ナナ〉を護衛するために鋼和市全域に警察の警戒網を敷くように仕向け、俺の元に預けたのだろう?」

 一度言葉を切ると、出嶋は「続けて」と促す。

「本土で〈ナナ〉を迎え入れる準備が整うまでの間、護衛も移動も容易なガイノイドを『器』にしてな。七番目の〈サイバーマーメイド〉、個体名〈日乃本ナナ〉を搭載したガイノイド、それが安藤美優の正体だ」

 美優から預かった手紙――獅子堂莉緒の遺言書を取り出して見せる。

「わざわざ俺の元に来たのは、。獅子堂の内情をある程度把握していて、戦闘もこなせる人材は他に居ないからな」

 筋が通ったクロガネの推理に、真奈が「なるほど」と納得する。

「――素晴らしい。辻褄が合った見事な推理だ」

 出嶋は拍手をすると、

「――

 ばっさりと否定した。

「……何だと?」

「――彼女は『国の重要ポストに着任するための事前研修として、君の探偵事務所にホームステイをしにやって来た』……それが美優=〈日乃本ナナ〉かもしれないと思い至った一要素なのだろう?」

「……ああ」戸惑いながらも頷く。

「――残念、

 嘘。獅子堂玲雄もそう言っていた。

「……どういうことだ?」

「――。〈サイバーマーメイド・日乃本ナナ〉は、

「なッ!?」

 クロガネは絶句する。無理もない。あと二日ほどで稼働すると聞かされ、その間清水刑事を含め市内の全警察官が今も命懸けで〈ナナ〉の護衛に当たっているのだ。だというのに、実際は無意味なことだと明かされたのだから。

「――偽の警戒網はあくまでテロリストの意識を美優から逸らすためであり、実のところ〈ナナ〉が開発された経緯は、美優のサポートが主目的だったりする。他はおまけさ」

「おまけって、世界最先端のAIだぞ? 核に匹敵するような物を防犯ブザーのノリで持たせたって言うのか?」

「――護身用にしては、些か過剰であるのは否定しないがね」

 過保護すぎる、と呆れるクロガネに同意して出嶋は肩を竦めた。

「――〈日乃本ナナ〉も美優と同じ獅子堂重工製だ。ある程度は相互リンク機能があるから、あの異常極まりないハッキングも可能だったというわけなんだよ」

「……待って、それじゃあ美優ちゃんは一体何者なの?」

 真奈が疑問の声を上げる。

 〈日乃本ナナ〉を含めれば世界に七基しか存在しない〈サイバーマーメイド〉は、オーバーテクノロジーの産物である。量子コンピューターと同等以上の性能を有するAIであるため、一部世論での認識は核に並ぶ戦略兵器扱いだ。それを護身用として一部の機能を利用できる安藤美優というガイノイドは何者なのか?

「――彼女は、『人間に限りなく近い特別なガイノイド』だよ」

 あっさりと告げた出嶋に、二人は首を傾げる。

「何が特別なんだ?」

 科学技術が凄まじく発達している昨今において、『人間に近い機械人形オートマタ』は別段珍しい存在ではない。人間と同様に学習可能なほどAI技術が発達し、人間に酷似した外観も当たり前の世の中だ。そもそも美優本人の依頼も「人間になりたい」といったものである。

「――重要だからもう一度言おうか。、『

 さらにデルタゼロは思わせぶりな一言を追加する。

「――?」

「女性型?」

 つまりはガイノイドだ。よくよく考えてみれば、『人間に限りなく近い』という意味合いでは男性型=アンドロイドでも構わないのである。にもかかわらず、性別にこだわる理由――ガイノイドでなければならない何かが美優にはあるらしい。

「……あ」

 真奈が声を上げた。

「まさか……でも、そんなことが……」

 青ざめた顔で何か呟いている。しきりに「信じられない……」と口にしている辺り、かなり重要なことに気付いたようだ。

「海堂?」

「――どうやらドクター真奈は気付いたようだね。さすが専門家なだけある。あるいは女性だからこそ、かな?」

 クロガネの心配をよそに、出嶋は感心した様子だ。その機械仕掛けの無機質な瞳に向かって、真奈が『答え』を絞り出す。

「……

「――


 明らかにされた真実に、その場の時間が凍り付いた。


「…………あー、その、にわかには信じられないが……」

 戸惑いながらも、クロガネは沈黙を破る。 

「人間を産むことが出来るって、美優には本物の子宮が内蔵されているのか?」

「――その通りだ。ちなみに子宮はクローン培養されたものではないし、第三者の腹を掻っ捌いて盗んだものじゃない。どちらも非人道的で倫理的にアウトだ」

 本物の子宮を移植されている時点で、倫理も何もないだろう。

「それじゃあ、一体誰の……」と言ったところで、クロガネが「まさか……」と気付く。

「――そのまさかさ。安藤美優には、

 言葉を失うクロガネと真奈の前で、

「――昔々、とある女の子が居ました」

 唐突に、朗々と出嶋は昔話を始める。


 ***


 ――昔々、とある女の子が居ました。

 心臓に不治の病を抱えた天才科学者である女の子。彼女の夢は、とても素朴で他愛もない当たり前のものでしたが、とてもとても尊いものでした。

「素敵なお嫁さんになりたい」

「素敵なお母さんになりたい」

「素敵な家族と共に幸せに暮らしたい」

 ですが、その尊い夢は病に蝕まれ、叶わないものと知ります。

 そこで世界でもトップクラスの企業を実家に持つ彼女は、その潤沢な資金を使い、とある魔法使いの協力を得て一体のガイノイドを造りました。機械で出来ていることを除けば、彼女の素敵な娘です。

 そのガイノイドに、少女は自身の夢を託します。

「私に代わって素敵な旦那様と添い遂げなさい」

「私に代わって素敵な母親になりなさい」

「私に代わって素敵な家族と共に幸せに生きなさい」

 機械の体に、母親である少女から心と夢を授けられ、ガイノイドはついに目覚めます。

『人は憂う心があるからこそ優しくなれる美しい生き物だ』

 母親から『美優』と名付けられたガイノイドは、母親に託された『夢』の意味を理解するため、魔法使いの協力での元へ向かいます。


 ***


「――かくして安藤美優はクロガネ探偵事務所に転がり込み、そこでなんやかんやあった挙句、母親の兄でもある恐ろしい魔王の手に落ちてしまいました。ちゃんちゃん♪ 次回を待て」

「いや、お前が待て」

 飽きたのだろうか、終盤の語りがかなり雑だ。

 クロガネは頭痛を堪えるかのように、こめかみを指で押さえる。

「……色々ツッコミ所はあるが、初恋の相手が俺というのは?」

「あ、まずそこなんだ」と真奈。

「――彼女は病弱で箱入りだったからね。父親と兄を除けば、歳が近くて親身に接してくれた男性は君以外に居なかった。何より決定的だったのは、?」

 クロガネは疑似心臓を意識する。

 真奈の手によって救われた命を莉緒に捧げた代わりに、莉緒の手によって与えられた新しい命。

「――ちなみに、他に君のどこが良かったのかについては、硬く口止めされているのでご了承を」

「ちっ」真奈が舌打ちした。

「とりあえず、美優が母親の夢を叶えるために造られたのは解った。そのために莉緒お嬢様の子宮を引き継いだのも」

「――お嬢様には、もう時間がなかった。例え倫理に反していたとしても、一人の女性として自分の子を授かりたかったのだと思う。もしかすると、家の跡継ぎも多少は考えていたのかもしれない。ただ、そのためにクローンに手を出したり第三者を攫ったりしなかったのは彼女なりの良心であり、彼女が良識的な科学者であったことは理解してほしい」

「解っている」力強く頷くクロガネ。

 極めて残酷な視点で見れば、どちらの方法もコストが安くて済むというメリットがある。だが前者はクローンといえども一つの命、勝手な都合で必要な器官だけを切り取って残りは破棄という非人道的な手段を獅子堂莉緒は取らなかったのだ。後者は当然論外である。

「――他に質問はあるかい?」

「鉄哉の元に預けた本当の理由は?」と真奈。

「――それは単純に安心して預けられる者が他に居なかったからだよ。この点に関しては、概ね彼の推理通りだ」

「預かる期間が一週間なのは?」とクロガネ。

「――その理由は二つある。まず一つ目、獅子堂家当主である獅子堂光彦殿が現在海外出張中で、その期間が一週間だったからそれに合わせた。ご当主がお戻りになった際に、美優は莉緒お嬢様に託された『夢』について自身が得た『答え』を報告する段取りだったのさ」

「それじゃあ偽りとはいえ、〈日乃本ナナ〉が稼働するまでの期間と重なっていたのは……」

「――うん、それは偶然たまたま重なっただけで何の関連性もないよ」

「ああ、そう……」

 安藤美優=〈サイバーマーメイド・日乃本ナナ〉と深読みして堂々と誤った推理を披露してしまっただけに、少し恥ずかしい。

「――どちらかといえば、二つ目の方が重要だけどね」

「それは?」

「――彼女が今使用している義体は、子宮の保護と保存に特化した造りになっている。ちなみに僕は『貞操帯仕様』と呼んでいる」

 ひどいネーミングだ。

「――そのコンセプトは、頑丈な義体を容器代わりに特殊な栄養液で子宮を満たして細胞の健康状態を維持するというものだ。ただ、この栄養液は定期的に交換しないといけなくてね。多少の余裕を持たせても、目安としては一週間が限界なのさ」

「超重要じゃねぇか……!」

 新たな事実に驚愕する。まだ時間に余裕があるとはいえ、楽観はできない。万一にも栄養液が漏れ出すような最悪の事態だけはあってはならないのだ。

「――他に質問は?」

「依頼そのものが偽りなら、報酬の三千万円はどうなる?」

「三千万ッ!?」

 破格すぎる金額に真奈が驚いた。

「――予定通り一週間、彼女の面倒を見てくれたらちゃんと支払う予定だったよ」

「国からの依頼は嘘なんだろ? そんな大金はどこから?」

「――僕の口座から。厳密には安藤美優の開発費として蓄えていた莉緒お嬢様の口座を共同開発者である僕が管理している。お嬢様が生前に美優の将来のことを考えて遺してくれたお金だ」

 まだ二十歳にも満たない少女だったのに随分としっかりしている。否、どんな形であれ、自分の子を持つ親とは年齢に関係なくしっかりするものなのだろう。ましてや、名家の御息女だ。

「――それと今更だが、あの変態お坊ちゃまの目と耳に入らないように僕があれこれ暗躍していたから、ご当主も美優の存在は知らないままだ。仮に美優を救い出した場合、出張から帰って来たご当主に美優自身の存在から証明しなければならない。その時は、証人として君にも同席してほしい」

「本当に今更だな」クロガネが呆れる。

「――とはいえ……」

 飄々とする出嶋だが、声のトーンが少し低くなる。

「――ここまで話した通り、今回の依頼は偽りだ。どこでどうやって美優の存在を知ったかまでは不明だが、獅子堂玲雄の介入で君は負傷し、美優は回収された。

 ――発端は獅子堂莉緒の個人的な願望だが、本人はすでに死亡している上に、美優は獅子堂家が所有するガイノイドだ。本来であれば、たかが機械人形一体に命を懸ける義理も道理もない上にメリットもない。いくら報酬が破格でも命には代えられないだろう」

 一度言葉を切り、出嶋はクロガネに向き直る。

「――以上を踏まえて改めて訊ねるよ。黒沢鉄哉、君は獅子堂家に喧嘩を売ってまで安藤美優を助けに行くのかい?」

「助けに行くわけじゃない」

 クロガネは首を横に振って即答した。

「会いに行くんだ」

 その迷いのない返答に、出嶋は再び訊ねる。

「――会ってどうするんだい?」

「それは美優次第だ」

「――何?」

「依頼を継続するのか、しないのか。前者なら死力を尽くして助け出すだけだし、後者ならキャンセル料を貰って立ち去るだけだ」

「――彼女の元に至るまで、立ちはだかる者がいたら?」

「蹴散らすだけだ」

 真実を知って尚も、決して揺らがない鉄の信念。

 真奈は呆れたような困ったような苦笑を浮かべるだけだ。止めても無駄であると解っているのだろう。

「――仕事熱心だね……いや、

「能書きは良いから、早く美優の居場所を教えろ」

「――ああ、案内しよう。これも約束の続きみたいなものだ。付いて来てくれ」

 頷き、クロガネはベッドから降りる。

 撃たれた傷が痛む。だが今は大した問題ではない。

 相手は鋼和市を支配する男の息子。

 如何に強敵か、後でどうなるのか、知ったことか。

 仕事云々で会いに行くのも方便。本心は単純にして明快。

 依頼人を奪われた。悲しませた。これは探偵としてのプライドの問題だ。

 そして何より、依頼人の母親である獅子堂莉緒には返し切れない恩がある。

 今ここで悩み、迷う必要はない。

 ただ進む、それだけだ。

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