水晶奇譚
森野
回想 1-1
1
唯一の後輩だったカルロは、背後から胸を一突きされ倒れた。
先輩のホセ、ダヴィド、パオローは武器を構える間もなく丸のみにされ、悲鳴をあげたフアナは巨大な爪に踏みつぶされた。怒り狂い、短剣片手に突撃したユウコは、ピエトロは、巨翼に飛ばされあっけなく崖の底へ消え落ちた。
精鋭部隊だった。
各地から猛者を寄せ集め、結成された『フォラータ《突風》騎士団』。
風のように戦場を駆け、賊や魔物を
剣士も弓使いも、修道士も暗殺者でさえも『一つの目的』の為に結束していた。
それが、一瞬だ。
救世主として語り継がれていくはずだった戦士たちは蹴散らされ、若き双剣使いリコルドの目前で
「撤退だよ!」
後方を任されていたべルティーナの声が響き、放心するリコルドは腕を掴まれる。その脱力した手から一本、また一本と自慢の剣がすべり落ち、岩場に倒れる。リコルドの存在証明とも呼べる、鉈のような双子の剣。『二本揃えば敵はない』。そう豪語していた彼の腰には、もはや片手剣しか残されていなかった。
「坊や! さっさと動きな!」
べルティーナに引っ張られ、転がるように岩場をくだる。足を滑らせては叩き起こされ、体を打ちつけては叱咤され、麓の森に入るなり、がむしゃらに藪を突き進んだ。
混乱する意識のなか、リコルドは忙しくゆれるべルティーナの後ろ髪を見つめていた。鼻先をかすめる甘ったるい花の香りは、前の村で彼女に渡した髪油のそれ。『子供がいるから』、という暴露と共に求愛を一蹴され、仲間たちから酒場で大笑いされたのはつい数日前の出来事だ。あの後はなぜか村人たちも一緒になって、樽を叩きながら踊り騒いだ。誰もが勝利を予感していたし、戦いが終われば故郷に帰れると確信していた。
――それが、なぜ?
遅れて染みてきた現実感に、リコルドはとうとう口元を押さえて膝をついた。
「チッ……」
べルティーナも舌打ちをして立ち止まる。
その苦い視線がリコルドだけに向けられたものだったら、どれだけよかったか。
「どうやら大地の精霊に祈ってる場合じゃないようだよ、坊や」
呟き、低く身構えたべルティーナの隣で、リコルドも顔を上げた、その時だ。
空から『闇』が降ってくる。
「ッ!?」
轟音。
鳴り響く。
大地が割れる。めくれて。
道を塞いでいた大木が踊るようにしなり、倒れていく。
瞬時に舞い上がる、砂煙。閉ざされる視界。耳をつんざく森の悲鳴。
風圧で千切れた草木が、枝葉が、土が、リコルドたちの鎧を叩きながら流されていく。
周囲の物体を容赦なく破壊する、生涯無比の圧倒的暴力。
「…………」
最後にやってきたのは、手のひらを反すような静寂だ。打って変わり、共々の息づかいが聞こえるような静けさの中、リコルドはゆっくり目を開く。
そして、奴を真っ向から認識する。
煙の向こうから現れたのは城門――ではなく、口だった。そこから覗くのは大男の胴より太いくすんだ牙。煙を吐く鼻先の向こうには蜥蜴のような鋭い眼球。重騎兵の盾を並べたような分厚い鱗に、陽を遮る巨大な翼。対してその壮大で鈍重な印象を裏切るかのように、フアナを潰したあの爪は大地を繊細に掴んでいる。
リコルドは確信した。こいつは『竜』だ。
修道士の説教や、伝説にしか登場しない、正真正銘の『竜』。
「あーあ、こりゃ逃げられないやつだね」
何が面白いのか、べルティーナがくつくつ笑う。その手は小鹿のように震えていた。
リコルドもそうだった。仲間を失い、誇りの双剣を失い、持ち合わせているのは片手剣だけ。
勝てるわけがない。きっと、今までが順調すぎた。今までの戦いは戦いではなく、積みあげてきた全ての功績や名誉は、霞のような夢物語だったのだ。
『オオオオオオオオオオッ!!』
大気が震える。竜が吠えたのだ。
同時に、濡れ雑巾のような音をたてて何かが飛んでくる。
それらの物体は周囲に、リコルドの胸元に、赤黒い液体を撒き散らしながら付着する。
「……あ?」
理解するまで、時間はかからなかった。鹿をさばく時、似た物を見たことがあるからだ。
肉塊だった。布切れのついた、肉塊。風と共に走る騎士が、今にも魔物に切りかからんとしている豪快な刺繍。どんなに強敵でも諦めずに立ち向かっていく、そんな誓いの証。フォラータ騎士団の腕章。
ホセ? ダヴィデ? それともパオロー? わからない。
ただ、その千切れかけた腕章を前にして、リコルドたちの震えは止まった。鎧にへばりついた肉塊をそっと足元に置いて――湧いてきた感情は、恐怖ではなく、悲しみでも哀れみでもなく、悔しさだった。業火のようにたぎる悔しさだった。
それはリコルドの理性を瞬く間に破壊する。
「うぉおおおおおおお!」
今度はリコルドが吼える。
片手剣を勢いよく抜き、空で振るう。
たった一突きでいい。たった一振りでいい。あわよくば、心の臓を。
リコルドはこの瞬間、命を懸ける。
「さあ、私も肉になってやろうか」
べルティーナも笑い、ナイフを構えた。
もう、そこに恐れはない。
「行くぞ!」
二人は突風のように走り出す。
フォラータ騎士団の最後だった。
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