普通の男子高校生が「モテ偏差値」を上げて彼女を作るという流れ

マミヤレイ

第1話 死活問題

 モテるか、モテないか?


 10代の健全な男子にとって、これは死活問題である。


 スポーツができるとか、勉強ができるとか、すごい特技を持ってるとか……そんなモノもすべてはモテる為に必要なステータスでしかないと僕は思っている。


 しかし厄介なことに、この「モテ」という概念は、一体どこまでが「モテてる」領域で、どこからが「モテない」に領域に分類されるのか、線引きが非常に難しい。

 「モテない」認定のクセに彼女が居る奴もゴマンといるし、恋愛経験ゼロでも生まれつき「モテる」の称号を与えられた、神様のエコ贔屓としか思えないような奴もいる。


 そんな理不尽で訳のわからないモノに僕のアタマとココロは完全に支配されている。勉強どころではない、もうこれは僕の人生をかけたテーマだ!

 大学も恋愛学部に進学したいと思っていたが、残念ながらそんな学部は存在しなかった。念の為「恋愛学部」でネット検索してみたが、ヒットしたのは5年前に更新が止まってる恋愛指南ブログとか、オトナのお店(こっちはちょっと興味あるが)とか、そんな感じだったから間違いないだろう。


 恋愛というのは、経営とか法律なんかよりずっと、ずうーっと昔から存在している人類の営みであるハズなのに、学問として研究している大学が無い事に驚きを隠せない。

 いま日本は「少子高齢化」が加速しているそうだが、子供を作るっていう行為が恋愛の延長線上にあるならば、少子化になるのも頷ける。 

 僕に言わせれば日本人が恋愛以外のコトにうつつを抜かしてきた末路だと本気で思う。



 申し遅れたが僕の名前は小室凛こむろりん。県立高校に通う高校1年だ。


 高校の偏差値は埼玉県内で中の上くらい。ちなみに僕の顔面偏差値は、中の下くらいだと思う……多分。


 ちなみにこの凛という名前は父親が付けてくれたらしい。父いわく、


「氷に肌が触れると、体がピンっ!と引き締まるだろ?“凛”っていうのはそーゆー意味の漢字なんだよ」


とのことだ。

父は少なくとも僕らが生きている内は日本の経済が良くなることは無い、と考えているらしい。


「バブルは単なるマグレだ。

俺たち日本人の生活は今も豊かなように見えるが、そんなもんはそのマグレの予熱が続いてるようなもんだ。

まあ、段々とその熱も冷めてきてるけどな。火はとっくに消えてるんだ」


 父はそんな冷えた世の中で、我が子には凍え死ぬことなく背筋をピン!と伸ばして逞しく生き抜いて欲しい、という願いを込めて僕に“凛”という名を付けたそうだ。


 昔は女子と間違えられて嫌だったが、中学の頃にクラスの女子たちに「えーなんで!?カッコいいじゃん!」て言われてから、 父のネーミングセンスに感謝するようになった。  

 今ではこの凛と言う名前を僕はかなり気に入っている。

 そう考えると、僕の価値基準はすべて「モテ」で決まるのだと、つくづく思う。


 さて、こんな僕は果たして「モテる」男なのかどうか……残念ながら、モテない。


 というか、そもそも最初からモテる奴なら「モテ」についてここまでアレコレ思い悩んだりしないだろう。

 お金について悩むのはお金が無い奴だし、体育の授業で悩むのは運動神経が悪い奴だ。

 ちなみに僕は決して金持ちではないし、運動神経が良い訳でもない。ただ、人並の生活はできているし、体育の成績も5段階で3だから、そこまで悲観するような問題でもない。


 ただし、女子という生き物はなぜかスポーツができる男をカッコいいと思うようにプログラミングされているようだ。男は女子に運動神経の良さなんぞ全く求めていないのに。


 「モテ」というモノと向き合っていると、男女というのは根本的に別の生き物だとつくづく実感させられる。そういった意味では、男女平等っていうのも定義によっては矛盾した標語だよなァ、と思ってしまう。

 ただ、こーゆー事は声に出すと女子を敵に回すことになるので禁句だ。



 不用意な発言により、女子の反感を食らう奴がいる。

 中2の時、クラスで割と目立つキャラだった近藤君という男子がいた。

 ある日、近藤君が給食の順番待ちで前に並んでいた女子に突然、


「オマエ、足短くね?」


と言い放った。

 その女子は特にクラスでも目立つほうではないし、特別容姿に気を遣ってるタイプでもなかった。ここでは彼女の名誉のためにもYさんとしておこう。

 Yさんはその発言の直後、うずくまって声を出さずに泣き出してしまったのだ。


 近藤君はクラスの目立つほうの女子グループから猛バッシングを食らった。

 Yさんとその女子一軍チームは普段さほど仲良しではないハズなのだが、


「アンタは今日、この瞬間から女子全員を敵に回したからね!」


という恐ろしい宣言と共に近藤君に集中砲火を浴びせにかかるオフェンス組と、Yさんの背中をさすりつつ


「大丈夫だよ、バカの言うことなんて一切!気にすることないんだからね?」


と懸命にフォローに回るディフェンス組に分かれ、SWAT部隊さながら見事に事件現場を制圧していた。


 後で近藤君の所属する男子一軍チームのメンバーから、 


「オマエ、なんで急にあんなコト言ったんだよ?」


と聞かれていたが、


「別に。特に意味なんてねーよ」


というのが近藤君の回答だった。



 僕はこの事件で2つのことを学んだ。いや、正確にはこの事件をきっかけにして、後に2つの理論を確立させた。


 1つは、世の中には自分が思った事に一旦、自己審査をかけてから発言するタイプと、思った事を無審査でそのまま言い放ってしまうタイプがいるということ。

 ちなみに僕は完全に前者のタイプであるが、この事件をきっかけに、「小室凛・発言審議会」は「対女子・不用意発言防止法案」を可決させた。


 2つ目は、女子というのは目に見えない、どっか深いレベルの部分で一つに繋がっているのではないかということだ。

 この不思議なネットワークへのアクセス権は、当然男子には与えられていない。また、男子世界にはこのようなネットワーク自体、存在しない。

 この女子ネットの世界の中で、女たちは時に共感し合い、時に陰湿なイジメを行ったりしている。そういう意味では、現代のインターネットの状況にとても近いような気がする。



 普段からこういう事ばかり考えていると、確実に女子の地雷を踏む確率は少なくなる。これはメリットだ。


 一方、慎重になりすぎて女子とのコミュニケーションのチャンスを逃すことも多い。

 下手をすれば、女子に話し掛けることが怖くなるということすらある。これはデメリット。


 そういう意味では、近藤君のように考え無しに発言するようなタイプのほうが積極的なコミュニケーションに繋がっていくし、結果的に彼女をGETしたり、リア充になっているケースが多いように感じる。


 発言に対する審査基準が甘めのタイプのほうが、女子とのコミュニケーション頻度の分母が多くなるから確率論で言えば有利だし、ガンガン踏み込んで行けるから仲良くなるのにかかる時間も短くて済む。

 だがその分、不用意な言動にで女子の地雷を踏む可能性も高くなる。


 まあつまり、慎重派はローリスク・ローリターン、積極派はハイリスク・ハイリターンということなのだが。


 はーあ、そう考えると、どっちもどっちだなア……と思ってしまう。


 少なくとも、僕は近藤君のようなバッシングを受けたら一生立ち直れなくなるレベルの豆腐メンタルの持ち主であるから、積極派に転向しようとは金輪際思わない。



 さて、こんな僕ではあるが、正直に打ち明けよう。実は、こんな僕にも彼女ができたことがあるのだ!


 先に言っておくが、「幼稚園の頃にナントカちゃんという子がいましてね」とか、そんな戯言をいうつもりは一切ないので安心して頂きたい。

 なんなら、ほんの数ヶ月前……つい最近までの話なのだ。

 

 話は約一年前、中学の卒業式の日に遡る……。

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