第50話 温室と紅茶




「結論として、調査はまだまだ終わりきっていない、というところが現状かな」



 バルドは温かい紅茶を手にしながら、ゆったりと言葉を紡いだ。


 なぜこんなことになっているのだろう。ラビィは失笑しながらも、元婚約者と向き合った。ヒースフェン家にある温室の中、白いテーブルを挟んで向かい合っている。以前は彼の婚約者として、定期的に顔を合わせていたものだが、今となっては随分久しぶりだ。なんとも不思議な感覚だった。




 ***




 バルドから、ヒースフェン家に訪れるといった旨の書簡が届いたのは、ユマンを捕らえてから数日後のことだった。以前のラビィならば、彼が来るならどうしよう、どうすればとオロオロとしていたものだが、今となってはどうでもいいことで、さっさとお帰りいただけないかしら、というところが相変わらずの本音だ。その上、それを隠す必要ももうないわけだから、皇子に対する礼儀としてはさておき、ラビィはざっくばらんな対応に徹しようと決めた。



 久しぶりにやってきたバルドは、まるで憑き物が落ちた顔のように見えたが、もしかするとラビィの気の所為かもしれない。とりあえず、ということで温室に案内し、互いに紅茶を嗜んでいるわけだが、彼からの要望で、珍しくも周囲には誰もいない。バルドは本日、サイ以外の護衛をお供につけていたが、今はその人ですらも温室の扉の前に番人よろしく立って頂いているだけだ。



 つまりは、込み入った話を行うつもりらしい。やめていただきたい。これ以上面倒事には関わりたくはありません。



 とは思うものの、やはり興味がないわけではない。バルドからの報告に、ラビィはとりあえず耳を傾けることにした。そうしてバルドは一つ一つ、ラビィを陥れたもの、陥れようとしたものたちの顛末を語った。



「今、この国は様々な学者や知恵者を総出にして、聖女の謎を解き明かそうと躍起になっている。ラビィ、君が教えてくれた三番目の聖女の存在だが、彼女はたしかに様々な文献を処分したようだけど、やはりやり逃したところはあるらしい。調査は少しずつ進んでいる最中だよ」



 そのあたりは予想をしていた。そもそも、ラビィが隷従の魔法の存在を知ったのは、城に忍び込んだ際に見つけた書物の記載を見たからだ。今までが目に映りづらかっただけで、全てがなくなっているということは決して無い、と思ってはいた。そんなラビィの反応を見て、バルドは説明を続けた。



「きみとサイが捕獲した、ユマンという少年だが、彼は全ての記憶を失っていたよ」

「……記憶を?」

「宝珠を取り上げた影響かもしれない。今まで、自分が何をしていたのか、行っていたのか、まったくわからないそうだ。自分の本来の名すらも、覚えてはいない、と言っていたよ。演技である可能性を含めて、今も取り調べを行っている最中だけれど、僕個人としては、彼に嘘はないように思う」



 ひどい話だ。今やただの宝珠の中の記憶となってしまった少年は、そうして様々な悲劇を生み出し続けていたのかもしれない。あまりに腹立たしく感じた。「そして、ネルラの今後の処遇についてだけれど」 言葉を聞いて、ラビィはわずかに息をとめた。どくりと心臓が嫌な音を立てた。



「彼女は今後一生、塔の中に幽閉されることが決定した。ネルラがきみの前に姿を現すことはないし、外の世界を見ることすらもない」



 何を、どう告げていいのかわからなかった。唯一できたことは、大きく息を吸い込むことだけだ。喜びや、悲しみ。そんな言葉一つで済まされるほど、ラビィの10年は短くはなかった。一個人として、彼女のこの先の人生を思い、哀れに感じはしたが、ただそれだけだ。



「彼女は幼い頃からユマンにおかしな考えを植え付けられていたようだ。同情すべき点はある。けれどもネルラは、ただ自身の悪意ある感情に囚われ、君を攻撃し続けた。それは謝ってすまされるべきものではない。……まあでも、聖女としての呪われた力を生まれ持った時点で、幽閉は避けては通ることはできなかったと思うけどね」



 そう淡々と告げるバルドの言葉が、ラビィとしては少々意外だった。彼は確かに彼女を愛していたはずで、愛しい視線をネルラに送り続けていたのに。

 訝しげなラビィの様子に気づき、バルドはわずかに苦笑した。「僕としても、驚いてはいるんだ」 すっかり、テーブルの上の紅茶は冷めてしまっている。



「きみがあの魔法を使ったとき、ネルラを愛しく感じる気持ちはいつの間にか消え失せていた。ネルラを慕っていた他のものたちにも確認したよ。王家の血を引く者たちは多かれ少なかれの個人差はあるが、例外なく僕と同じ感覚を得たらしい。まるで本当に、呪いのようだ」



 バルドは呪いであると、そう言ったけれど、ラビィとしては少しばかり考えは違った。三番目の聖女と、バルドの祖先である彼とよく似たあの少年は、彼女を求めて愛した。記憶が消えてしまったとしても、その血は聖女を求めていたのかもしれない。それこそ、彼とよく似た姿のバルドは、人よりもその影響を強く受けたのではないだろうか。



「……ただ、こんなことはただの言い訳だ」



 呟いた言葉のあまりの軽々しさには、バルド自身も気づいてはいた。


 彼はラビィとの婚約を隠れ蓑に、ネルラとの“浮気”を楽しんだ。彼からしてみれば純愛のつもりだっただろうが、それは非難されてしかるべきだ。事実、過去のラビィは傷ついたし、何度も涙をこぼした。けれども今となっては本当にどうでもいいので、いやもう気にしないでいいですよ、マジで本当にどうでもいいのでという感じなのだが、まさかそんな言葉を言えるわけがない。



「きみには、本当に、申し訳のないことをした」



 バルドは苦しげに顔を歪めた。様々な自身の行動を顧み、その恥を言葉とすることは、ひどく辛く、羞恥に打ち震えた。「……僕は、無能ものなんだ」 絞り出すような声だった。



「僕は、サイのように用心深くもないし、フェルのような決断力もない。ただあるのは生まれ持った魔力くらいで、それすらもフェルに打ち倒された」



 あの交流戦でのことだ。実際、ゲームではバルドの連戦連勝なのだが、彼がそんなことを知るわけがないし、この世界はゲームではない。セーブとロードを繰り返すことのできない、ただの一度きりの現実だ。



 バルドはただの日和見主義な少年だ。優しいと言えば褒め言葉かもしれないが、片方を捨てるにも捨てきれず、結局最後には両方とも壊れてしまう。人としては間違った姿ではないのかもしれない。けれども、王としてはまったくもってふさわしくはない。彼自身、それには気づいてはいた。



 以前のラビィなら、そんなことはないですよ、と否定の一言でも言ってやっていたかもしれないが、「まあ、私にそんなことを言う時点で、そうでしょうね」 とりあえず本音を言ってみた。王となる人間が、自身を無能と話すのは、あまりにも浅はかだ。そんなラビィの失礼な言葉も、バルドは軽く受け流して、さらりと重たい言葉を落とした。



「だから、僕は王位を辞退しようと思っているんだ」

「……ん? ん!?」



 数秒ほどたって、これは聞いてはいけない話だと気づいた。なのでラビィは即座に自分の両耳に手を当てた。聞こえていない。聞こえていませんから。そんなふりだ。下手に巻き込まれたくはない。



「正直なところ、僕よりも、フェルの方が王にふさわしいと考えている。彼もネルラの毒牙にかかってはいたけれど、理性でそれを乗り越えた。彼は君を大切に思いながら、ヒースフェンの名を守るために、自身の想いを犠牲にすることができる人間だ」



 しかしすでに弟が巻き込まれていた。



(こんっっなところで、フェルエンドの伏線回収がくる!!?)



 フェルのエンディングは、ネルラのために国家転覆を狙うような、そんな意味ありげな言葉を告げて終わる。バルドの従兄弟として、王位継承権があるフェルを巡る、ただのファンの間の考察だったが、まさかのどんぴしゃの正解だったのかもしれない。



 フェルは“捨てることができる”人間だ。それは王としては必要な気質だ。その上、交流戦ではその幼い才能を見せつけた。バルドとしても、そのとき思うところがあったのだろう。



「とは言え、すぐにとはいかない。僕を推している貴族達から、様々な反発があるだろう。それに、この立場を使ってすべきことはまだまだ山積みだ」



 いつまでも聞こえないふりをしているわけにもいかず、ラビィはやっとこさ両耳から手のひらを外した。そんなラビィにわずかばかりにバルドは笑って、覚悟を決めた瞳のまま、自身の拳を握りしめ、一つの言葉を誓った。



「僕は、この国全ての民に、名を与えたいと思う」



 何を言っているのか、よくわからなかった。それでも貴族であるラビィが理解できたのは、彼女が別の世界の人間の記憶を持っているからだ。



 つまりは平民も、貴族も関係なく、全てのものに名という守りの力を与えるということ。そう、バルドは言っている。



「……そんなことが」



 できるだろうか? 日本という国を知っているラビィとしたら、誰しもが名字を持つことは当たり前のことだけれども、この世界ではそれはあまりに新しすぎる発想だった。魔法という複雑な要素が絡み合っているこの国としては、常識としてありえない。まず周囲の貴族たちは、皇子が何をいっているのか理解すらできないだろう。



「聖女という力が、名という守りからこぼれ落ちた存在なら、その守りを広げればいい。宝珠の半分が戻った今となっては、力としては不可能ではないことだ。もちろん、それ以外の問題の方が多いだろうけれど、ネルラのようなものを、僕はもう生み出したくはない」



 それは一つの決意の言葉であった。



 並大抵の覚悟ではないことはすぐにわかった。だからラビィは、ただラビィは、感じたことを素直に伝えた。



「……それは、とても、難しいことでしょうね」



 長い時間もかかるだろう。それこそ、過去のラビィのように、“狂った皇子”として後世に名を残すことになるかもしれない。「わかっているよ」 その言葉の裏には、ラビィには計り知れない様々な想いがあるのだろう。



 少なくとも、彼は皇子としての華々しい人生を投げ捨て、生きていくことを決心した。彼は何も見捨てることができない男であった。けれどもそんな中で、やっと見つけた捨てられるものは、自分自身だった。もしかすると、彼はその命すらも全うすることもできず終わるかもしれないし、道半ばのまま消え失せていく運命なのかもしれない。



 けれどもバルドはその一生をかけ、彼なりの道を歩み続けていくのだろう。





 ***





 こうしてラビィは10年ぶりに、なんのストレスも気苦労もなく、お腹いっぱいにご飯を食べた。のびのびと両手を伸ばしてベッドにこもった。朝まで目が覚めなかったことは久しぶりで、まるで嘘のような日々が続いた。いつかは壊れてしまうのではないか、とびくびくしたのも最初だけだ。一月もすれば、これが日常なのだと知った。



 あんまりにも幸せで、ほんの少しのことでさえも嬉しくて、楽しかった。

 そんな彼女が制服を作り直したのは、それからすぐのことだ。

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