第49話 人の名2


「……何者と、言われましても」




 ユマンは口元を笑わせた。ごまかすように首を振って、「いやあ、ラビィ様はおもしろいことをおっしゃる」 腹を抱えてわらった。そんな姿にごまかされるわけがない。「はは、は、は……」 息をきらして、ユマンは自身の顔に手をあてた。



「おもしろくなったと、思っていたんだけどなぁ」



 すべてを放り投げたように、彼はぽつりと呟いた。落ち着いた声色だった。まるで、長いときを生きてきたかのような、老人の声だ。なのに彼は少年で、まるでこの世に一人きりのように立っていた。



“彼が何者であるのか”



 正直なところ、ラビィにはまったくもって想像がつかない。ただ、彼には何かがあると、そう感じていた。まだ、何も終わってはいないのだ。



 ――――この国は、狂っている



 あのとき、ユマンが吐き出したセリフに、嘘がないようにラビィは感じていた。今も、そう思っている。彼はただこの国の滅亡を望んでいる。一体なぜそれほどの恨みを持っているのだろうか。



「もともと、君を操るつもりはなかったのだけど、丁度いいかと思ってさあ。君とバルドが婚姻してもいいし、ネルラでもいい。彼とよく似た少年が苦しんでくれるのなら、僕はなんだっていいんだよ」



 老人のような声色のくせに、いつの間にか可愛らしい口調に変わっている。彼とよく似た少年、という言葉が、ラビィの中でひっかかったが、するりと抜けて消えていく。まだわからない。ユマンは続けた。



「誰もが、彼女を忘れてしまった。だから、ただ一人僕だけは覚えている。絶対に忘れない。忘れてたまるものか。幼い頃から、彼女と僕は一緒にいたんだ」



 彼女を、忘れた。

 ラビィは口元で、その言葉を繰り返した。



「彼女を利用するだけ利用して、捨ててしまうこの国など、滅んでしまえばいい。その想いで、僕はここまで生きてきた。ネルラはそんな中、やっと見つけた聖女さ。利用しない手はなかった」



 ラビィは一つの答えに行き着いた。けれども、それはあまりにも荒唐無稽で、おかしなことだ。





『私ね、平民なんだけれど、実は皇子様達と幼馴染なの。驚きでしょ。あの人はちょっとやんちゃなところがあったから、お城を抜け出していたのね。あの人と、弟と、三人でよく遊んだわ。金髪の、可愛らしい男の子だった。でもそのときはまさか皇子様だなんて知らなくって、学院で再会したとき、びっくりしたの』





 手紙の中の聖女は、ラビィにそう語った。バルドによく似た、彼女の想い人である少年と、その弟と一緒に遊んだのだと。



「……皇子の、弟……?」



 そんなわけがない。そう思いながらも、ラビィはぽつりと呟いた。瞬間、ユマンは瞳を見開いた。「きいたのか」 唐突に、彼は表情をどこかに落とした。能面のような顔だ。ラビィは後ずさった。「彼女に、きいたのか」 彼女とは、三番目の聖女のことだ。



「……手紙に彼女の想いが残っていたのよ。その中に」

「俺のことも書かれていたのか!」



 強く肩を掴まれた。まるで彼の中に様々な人格が混じり合っているようだ。ころころと口調が変わって、ふらふらとして、根をはっていない。けれども、聖女という言葉一つが彼をくくりつけていた。ラビィの細い肩に、少年の指が食い込む。どうすればと焦りつつも、「やめて!」 強く叩くと、意外なことにもあっさりと手のひらは外された。



「あなたのことは少しだけ。あなたの兄のことは、いくつかあったけれど」



 答えていいものか逡巡しながら、ラビィは少しずつ言葉を選んだ。その返答をきいて、ユマンはぽとり、と静かに両手を垂らした。「……まあ、そうだろうな」 ひどくさみしげな声だった。



 おそらく三番目の聖女と、兄である皇子は互いに想い合っていたのだろう。ユマンは彼らを見つめながら、幾度も諦めのため息を繰り返していたに違いない。でも、本当に彼が皇子の“弟”と言うのなら、おかしな話だ。あの聖女がいた時代が、一体どれほど時間を遡ればいいのか、ラビィにはわからない。けれど、10年、20年の話ではないことは確かだ。聖女という存在そのものが、不自然に消えてしまっても、誰も、何も違和感を得ないような、それほど遠い昔の話のはずだった。それこそ、何百年も昔の。



「あなたは、本当に……皇子の、弟なの……?」



 目の前にいる人間が、一体何者なのか。尋ねたところで、まるで蜃気楼のように漠然としていて、聞くほどに疑問が溢れてくる。





 そんなラビィを見て、彼は笑った。「そうだよ。まあ、体は変えているけど」 何世代も、同じ名前の、姿が違う人間がいると、レオンはそう言っていた。つまりそれは、「他人の体を使って、記憶のみを引き継いでいるということ?」 ユマンは細い瞳を、さらに細くさせた。肯定の返事だ。



「あの日、彼女の様子がおかしかった。前々から、気になっていたんだ。けれどもあの場にいたのは、ほんとうに偶然だった。とても不思議な光景だったよ。気づけば彼女は消え失せて、誰からも忘れられていたんだから」



 それは、ラビィに彼女が手紙を宛てた後の話なのだろう。どうなってしまうか結果はわからない、と白いワンピースの彼女は肩をすくめていた。三番目の聖女はその身をかけて、目的を達成した。けれどもその場には、一人の少年がいた。



「彼女が消えた場所には、ただ一つ、これが残っていた。彼女はすぐ近くにいる僕の存在に気づいていなかった。だから、僕だけが彼女の魔法から逃れることができた」



 ユマンは、一つの石を取り出した。彼の手のひらよりもずっと小さくて、オレンジ色の輝きを放つ石だ。まるで宝石のようにも見える。ラビィは、その石を見たことがある。ラビィとしてではない。過去の記憶の中で、ゲームを起動させる度に、何度も目にしていたその石だ。タイトルロゴの隣で、きらきらと光り輝いていた、一つの宝石。



「……聖女の、宝珠……?」



 なのにその石は、真っ二つにわかたれていた。



「彼女から話をきいただろうに、おかしいと思わなかったのかな。この国は、未だに聖女の宝珠で守られている。けれども、彼女が周囲の記憶の消去に使ったのも、この石だ。初代の聖女が残した宝珠は一つだけ。ならば答えは一つだろう」



 王家に代々受け継がれている宝珠は、たったの半分きり。そうして残りの半分はこの男が保有していた。石に注ぎ込まれた魔力を使い、様々な人間の体に移り変わり、ただ恋した女性を失ったことへの復讐として、魂のみを生きながらえさせた。そうして、ネルラという化け物を作り上げた。



(そうだ。バルドルートにある戴冠式の中で、彼は石を受け取って驚いた表情をしていた……)



 プレイヤーには彼の手元は見えなかったからわからなかった。バルドは、渡された石がたった半分しかなかったから驚いていたのだ。



「……中々、気合が入った亡霊ね」



 ラビィからそう評されることは、相当なものだ。「ありがとう」 ユマンは口元を緩めた。「そして、お願いがあるんだ。彼女からもらった手紙を、僕にくれないだろうか」



 彼は偏執的なまでに、聖女に執着している。



「彼女が、まさか記憶を取り戻す魔法を残しているなんて知らなかった。君にその魔法を渡したのなら、何か方法があったはずだと思った。教えて欲しかったんだ」



 そして歪みきった瞳をしていた。





「……もうないわ。ただの真っ白な紙になってしまったから。魔力も何も残っていない」



 すくなくとも、彼が望むものを与えることは、ラビィにはできない。





 ユマンは、静かに息をついた。それから、自身の顔に手をあて、ゆっくりと引き下ろした。「じゃあいいや。死んでください」 ひどくあっさりとした口調で、そう告げた。





 少年の片手に、くるくると螺旋状に魔力が集まる。彼自身には、さほど強い魔力はない。けれども、彼が持つ宝珠を介して、何倍にもそれが膨れ上がった。



「やっぱり、あのとき教室を水浸しにしたのはあなただったのね……!」



 初めてユマンと接触したときのことだ。ラビィを一人きりにさせるために、騒動を起こしたのだろう。ユマンからすれば、ラビィの叫びなど、これから死にゆくものの言葉だ。もはやどうでもいい。「君が死んだあとは、君が大好きな池に沈めてあげるよ。足を滑らせた間抜けな令嬢として、みんなの記憶に残ると思うよ」 笑いながら話す言葉ではない。冗談ではなかった。



 小さな水の粒が、少しずつ集まる。ふつふつと、ふつふつと、増殖し、膨れ上がる。まるで竜巻のように彼の周囲を渦巻くそれは、すでに水ではない。ホワイティ国は海に面しているという土地柄からか、自然と水の魔力を持つ貴族も多く、ラビィもそのありふれた一人だ。もちろん、バルドも。



 けれども王族のそれは、ラビィのようなちんけな魔法ではない。まるで格が違うのだ。何者にも潰されることなく、血統を重ね合わせたそれは、彼らを化け物たらしめた。そうして、彼らの魔法を人々はこう呼ぶ。“海”の魔法と。



 ユマンの魔法は、それを彷彿とさせた。彼の現在の“体”の持ち主も、僅かばかりに王族の血を引いているのかもしれない。宝珠を使い、自身の魔力をいくらでも増幅させている。



 水が、ラビィを襲う。彼女では、決して対抗することのできない力だ。悲鳴をあげた。助けて、お願い、やめて――――そう告げると予想していたのは、ただのユマンの妄想だ。




「本当に、あなたとネルラ二人とも、私をなめすぎじゃないかしら」



 まあその方が、こちらとしてはありがたくあるんだけど、とラビィがついたため息に、ユマンは気づいてはいない。





 そのとき、全ての“水”が停止した。





 一体何が起こったのか、ユマンには理解すらもできなかった。ラビィを襲うはずの刃が、ぴたりと全ての時間を止めている。カチコチと進むことのない針に困惑するユマンの前には、一人の少年が立っていた。背が高くて、灰色の髪と瞳をした少年だ。彼は難しく口元を引き結んで、ラビィをかばうように片手を突き出し、彼の魔力をひねり上げた。水が、塊となり、サイの前ではバラバラと無意味に崩れ落ちて消えていく。



「なんで、一体……!?」

「ふざけた男だ」



 サイは苛立ちを吐き出した。『私一人の方が、あちらも油断するでしょうから。サイ様は、しっかりと“気配を殺して”お待ちくださいね』 にっこりと笑う彼女にこちらは口答えすらすっかりできなくなっていると言うのに。



「かまいませんか、ラビィ様」

「もちろんですとも」



 我慢の限界だった。



 ラビィの監視と言う名目のもと、彼女の護衛を行っていたときとはわけが違う。気配を殺せと言われるのなら、いくらでも殺して見せる。ラビィには傷一つ、つけさせやしない。彼女が求めても、求めなくても。



「ラビィ様、俺の後ろにお下がりください」



 この騎士の想いを知らずとも、彼の設定を、ラビィは知っている。「おまかせしました!」 力強く、ラビィは頷いた。




 ――――ナルスホル家が王家の影と呼ばれている所以は、その魔法にある。



 襲い来る水の塊を、サイは軽く捻り潰した。ユマンの“海”がサイに届くことはない。彼に届くその前に、ぴたりと全ての水が時間を止めて、無意味な塊となった。ナルスホル家の血統に多く生まれる魔法は、“水を凍らせる”魔法だ。カチコチの、ただの氷と成り果てたそれを見て、ユマンは小さく震え上がった。



 彼の魔法は、水を相手にしなければ、ほとんど意味をなさない。けれども唯一、“海”の魔法に対抗しうるものだ。だからこそ王家はナルスホル家を恐れ、聖騎士なる地位を与えた。そうして互いに信頼と忠誠を誓い合い、彼ら一族は光の影としてこの国を支え続けた。



 その一族の中で、氷の魔法を特にサイは色濃く受け継いだ。



 ユマンは惨めな悲鳴とともに、幾度も魔法を撃ち抜いた。その度にサイは水を打ち崩し進んでいく。



「なんだよ、お前は! さっさと消えてくれ!!」



 ユマンは聖女の宝珠にすっかり頼り切っていた。心の拠り所であったと考えれば無理のないことかもしれない。息を荒げながら、強く石を握りしめた。そうして狂った悲鳴とともに、山のような水を生み出した。壁面全てを覆う水を生み出した彼の口からは、金切り声ばかりが響いている。サイは静かに息を吐き出した。



 その腰元には見覚えのない、一本の剣を携えていた。真っ青な柄の、細い長剣だ。それが妙にサイに似合っていて、しっくりくる。まるでそこにあることが、当たり前のような。彼はこの剣と共に生まれ育った。



 彼は海を真一文字に切り裂いた。引き抜かれた薄い剣の表面が、きらきらと光り輝いていた。



 サイはすぐさま剣を翻した。そうしてユマンの腹に強かに柄を叩き入れ、少年の意識をあっという間に奪ってしまった。ゲームの知識から、腕に覚えがあるということは知っていたけれど、これほどまでとは思わなかった。ラビィは大きな目を更にまんまるにして、サイの背中を見つめた。



「ラビィ様、お怪我は」



 端的な言葉の中にも、振り返った彼の顔と声色には、心配がにじみ出ている。「私よりも、サイ様です。お守りくださったのですから」 彼がいるとわかっていたからこそ、強気に出ることができたのだ。ラビィには、力も、魔力もなにもない。それなら、誰かの力を頼るに決まっているのに。ユマンはラビィをなめすぎた、というよりも、サイの力を侮りすぎていた。



 崩れ落ちたユマンを確認して、サイは足元に転がる宝珠をそっと手に取り上げた。この国の住人として、複雑な想いがあるのだろう。オレンジ色の、本来は王族と聖女のみ触れることが許されるそれを、大きな手で握りしめて眉を顰めている。それからちらりとラビィを見た。なのにすぐさま視線を逸らした。何か言いたげに口元をもごつかせていた様はラビィからは見えない。



「……少しは」

「はい?」



 だから聞こえた声に首を傾げた。「少しは、まともな姿を見せることが、できたでしょうか」 ラビィはサイの言葉の意味を考えた。思い出したのは交流戦ですっかりフェルに負けてしまった気落ちしたサイの姿だ。そのとき彼は、次に機会があればと、今と同じようなことを言っていた。何をおっしゃっているんだか、とラビィは少しばかりふきだした。



「サイ様は、いつもご立派ですよ」

「……いえ、そういう意味ではなく」





 なかなか、少年の想いが伝わるのは難しいようだった。

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