第34話 図書室の鳥


 フェルの秘密の趣味を見ないようにしてあげた次の日、いやらしい目と形容されたサイの目を、ラビィはじっと見上げた。少しばかりつり上がっていて、初めこそは恐ろしくも見えたが、今となってはただただ誠実な少年であることを知っているので、可愛らしく感じてしまうものである。



「ふっ……ふふっ……」



 いやらしいという言葉を思い出して、じわじわと面白さが染み込んできた。「……あの、ラビィ様、なにか」「いえいえ、ふふ、ふふふ……」 どっちかというと怪しいのはラビィの笑みの方なのだが、それはさておき、サイからの、「申し訳ありませんが」という前置きとともに告げられた言葉に、ラビィはほんの少しばかり寂しくなった。それから、そう感じた自分に焦って、困って、首を振って素知らぬ顔をしてやろうと思った。明日、サイがラビィの監視につくことはないらしい。






 と、いうのも、ネルラがハリィ家に訪れる日だということで、ネルラがいないのなら、ラビィの監視をしていても仕方がない。「あらそうでしたか。わかりましたわ」なんて、なんてこともないふりをしつつも、サイがいなくて万一何かあったらという不安よりも、寂しい、と感じてしまった自分が嫌だった。優劣がおかしくなっているのだ。



 ラビィの最優先は生き残ること、ネルラから逃げ切ることである。だからこそ小さな違和感でも彼女にとっては命取りで、自分自身が綱渡りのように細い道を歩いているということを、忘れてしまってはいけないのに。



 無意識にもついてしまったため息をきいて、今度は逆にサイはラビィを見下ろしながら、「やはり、明日もラビィ様のもとにつくように、俺から皇子に」 なんて言うものだから、「結構です、結構ですわ!」 必死に首を振ってしまった。



 そもそも、気の毒なのはサイの方だ。もともと皇子の護衛役だとは言え、プライベートもなく今やラビィにつきっきりで教師のようなことまでさせている。自分自身の授業やら、訓練もあるだろうに、体がいくつあっても足りないはずだ。なのに疲れた顔さえも見せない彼であったけれど、積み重なるものはあるはずだ。



「どうか羽休めなさってくださいな。サイ様も、気苦労が多いことですし」



 ちなみにその気苦労とはラビィのことである。申し訳ない。



「いえ、そんなことは」

「まあまあ」



 無理やり話を終了させたものの、サイとしてはひどく不安だったのだが、ラビィにとっては預かり知らぬところである。ラビィが無理に彼を望んでくれた方が、気持ちとしては楽だった。互いの気持ちも知らぬままというわけだ。





 ***





 それから次の日、学院にネルラがいないとなるとついつい気が緩んでしまうものである。それでも彼女がどんな罠を仕掛けているのかわからないので、気を抜けないことには間違いないのだが。



(というかネルラにも両親がいるのよね?)



 サイ曰く、本日のネルラは男爵家である実家にいる。ということは彼女の父母もいるのだろう。まさか木の股から生まれたわけではないので当たり前なのだが、ハリネズ本編ではその辺りの描写は曖昧だった。両親の設定がふわっとしているのは乙女ゲームにありがちなため、深くまで気にしてはいなかったが、ここは現実だ。なんとも不思議な感覚と共に、僅かな寂しさに襲われた。



 サイがいない。



 けふっとわざとらしく口元に手を当てて、咳をしてみた。いやいや、昨日きいていたことじゃないか。それが、なにがどうしたというの、と頭の中で考えて、思い浮かんだ言葉を片っ端から踏み潰して消していく。後ろに、隣に彼がいないことが気になって仕方がない。味方ではないと思いながらも、いつの間にどれだけ自分が彼に頼っていたのか気づいて嫌になった。自分の頭を蹴れるものなら、蹴ってやりたい。



 そんなこんなと、本日は訓練に身が入ることなく、日課の池パチャを二度行った程度で、ふらふらと幽鬼の如く歩いてみた。今まではすれ違う生徒達が、「ひいっ」と短い悲鳴を上げて誰もがラビィに道を譲ったのだが、最近では負のオーラが足りないらしく、そこまでの反応はないので寂しいばかりだが、もしかすると人間に近づいて来たのかもしれない。小さな一歩でも踏みしめれば、大きな前進となるのだ。ちなみにラビィはもともと人間である。





 そうこう考えるうちに、珍しくも向かう場所はいつもと異なっていて、図書室の前に立っていた。うわの空で日課を終えてしまうよりは、趣向を変えてみようと思ったのである。そういえば、最初にまともにサイと話したのはここが初めてだった。そう考えると、妙に心がほっとした。ラビィは微笑みながら、ゆっくりと扉に手をかけた。バルドがいた。そのまま閉めたくなった。



「……ラビィ?」

「……あら、バルド様」



 引きつったラビィの顔は、いつものことである。

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