第21話 蟷螂の隣人
彼女の名は田中(たなか)美恵子(みえこ)。大阪本町の小さな商社に営業アシスタントとして勤めている。
そんな小さな商社に勤めている自分が言うのも何なのだが…と美恵子が思ってることが一つある。
それは意外にも勤め先は東証一部の上場企業である生活雑貨の大手T社に納入している商社だという事だ。
生活雑貨という業界はアパレルや家電製品と言ったある程度のロットデザイン商品を季節品として売り出し期間中にリピート納品すれば良いというものではなく、多種多品目にも渡る細かな商品を年中個別対応しなければならない。
その為、生産工場がある中国やアセアンで種々の商品の生産管理を行いサプライヤーとして信頼を得なければ貿易ビジネスの成功は無いのだが、しかしながら勤め先は納期遅れも無く、それらの種々の課題を見事にこなすフットワークの良いサプライヤー企業としてT社の信頼が非常に高く、小さい商社ではあるが、ここ数年売り上げは右肩上がりで伸び続けている。
そうした結果は営業アシスタントとして動く自分の神経の細やかさや予測を踏まえた事務処理能力が高い結果であると自負している美恵子だが、しかしそんな自負心はおくびにも出さことなく、日々黙ってパソコンの前で黙々と仕事をこなしている。
そんな美恵子の近辺で最近妙に気になることが増えてきた。
最初は気になる事ではなかったのだが、しかしその事を真面目に直面して考えると、それは非常に厄介な事だと気が付いた。
では、それが何かと言うと、自分の生活範囲に――見知らぬ隣人が出来たという事である。
(2)
隣人というのは勿論、隣に住まう人の事を言うだろう。
それは普通、住居の隣人を指し示すことが多いが、しかしながら美恵子の場合にとっての「隣人」とは少しそうした意味合いとは異なった。
――それはどう言うことか。
つまり、美恵子にとっての隣人とは自分の生活範囲(テリトリー)に現れる人物を言い、もう少し当人の為に彼女の気分的意味合いを含めて噛み砕けば、つまり自分自身が気兼ねなく過ごせる場所に現れる「闖入者」のことを言っている。
それは厄介なのである。
考えて欲しい。
普段から神経をすり減らして仕事をこなしている美恵子にとって、唯一の気兼ねなく過ごせる場所、つまりリラックスできる場所は大事にしたいのだ。
気兼ねなく過ごし、誰にも干渉されないまま身体を動かし、自分の想いにひとり耽る場所。
兎にも角にもそんな自分の物思いと身体を動かすことのできる場所こそが、日々の神経の昂ぶりを押さえ落ち着かせることができる唯一の場所であり、だからこそ、そんな場所で出会うような人物は干渉すべからず人物であって欲しいし、できれば見知らぬ他人であって欲しいのだ。
しかし自分の生きる陽夜は大都会だ。
確かにそれらを全て満たすことは難しいとしても、それでも言葉を交わす互いは袖振り合わぬ人生の客(まろうど)であるべきだ。
だからこそ、そんな場所に自分の想いを踏みにじるように現れる人物は「闖入者」に変わりない。
それは彼女にとって本当に心の底から目障りな存在だった。
(3)
最初に美恵子がその「隣人」に気付いたのは通勤電車だった。
自分は大阪メトロのD駅を利用しいる。そして自分は必ず七時七分のメトロに乗り込む。
メトロは季節により通学生が乗り込む数の大小で車内が混み合う事もあるが、ただ日々殆ど自分が乗るこむ時間には車内は空いている。
だから自分は必ずほぼ決まった車両に乗り込み座ることができるのだが、ある時、不意に視線を上げると前の座席に座る男が居るのが分かった。
見ればスーツ姿で鞄からヘッドホンを取り出して耳に装着し音楽に耽っている。
彼は音楽に耽っているが美恵子が乗り換える駅が近づくと一立ち上がって一緒に駅のホームに降りた。そしてそれは数日続き、現に今朝も同じ電車だった。
当然ながら、正直それだけなら美恵子も何も思わない。
何故なら日本のビジネスは常に規則正しく、労働者は悲しいくらいの時間の規則性に従って生きてる悲しい存在なのだ。
勿論、美恵子もそんな悲しい一人なのである。
だから現代の働く労働者理論に沿えば、メトロで顔を合わせる規則性は特に何も異常性はない。
むしろ勤め先の企業を辞めない限り、それは人生の終わりまで続くかもしれないからだ。
だが…、である。
それがまた違う場所で出会うことになればどうだろう。
例えばそれがバーやフィットネスジム、結婚相談所等のとても個人的な時間を過ごすパーソナルな場所ともなれば…。
そう、美恵子の気持ちが穏やかで無くなって来るのは時間の問題だった。
(4)
週末の金曜日。
美恵子は納品の最終チェックを終え、パソコンを終えると時刻を見た。
――午後八時十五分過ぎ。
定時は六時なので今日は二時間ほど残業をしたことになる。
周囲を見渡せばフロアごとの仕切りの電気は消えていたが、奥の経理課の電気は点いている。
美恵子は席を立つと退社時刻を専用の端末に打ち込み、後は電気の点いている経理課に挨拶して会社を出た。
外に出ればとっくに陽は暮れている。
とはいえ、此処は街中であるので周囲は飲み屋等の灯りで明るい。
恵美子はズボンから足を延ばすようにして歩き始めると明かりの中に伸びる自分の影を踏みながら、肩にバッグをかけて歩き出した。
目的地は自分の馴染みのバー。
そこで軽く一杯喉を潤して帰宅しようと決めて歩き出した。
都会の夜影を踏む美恵子の足先に留まる思い。それは寂しさを踏む自分の孤独。
別段、自分の部屋に帰っても待ち人はいない。
三十半ばの自分を慰める愛人も恋人もいない女だ。そんな身上ならば寂しい孤独をバーのカウンターで身を潜めるように時を過ごすのも、誰も居ない部屋で過ごすのも何も変わらない。
恵美子は鉄のような硬直した感情を抱えて歩道を横切り交差点を渡ると、やがて立ち並ぶビルの一角に身を滑り込ませた。
――そこに今夜の「居場所」があった。
(5)
今夜の「居場所」
そこは立体駐車場の側にある円階段を上がらなければならない。
其処は実に不思議だ。
それは何故か。
何故ならそこには自分にとって事実と虚無が混じり合った空間だからだ。
――その空間とは
自分にとって偶然だった。
夏の或る日、一駅歩こうと北浜駅へ向かった時、夜の灯りが無ければきっと見落としていただろう、そんな分からない都会の立体駐車場の側で見つけたのだ。
恐る恐る顔を出して円階段を覗き込んだ時、看板が見えた。
――バー「迷宮(ラビリンス)」
まさに、と美恵子は思った。
そして美恵子は何かに引き寄せられる様に円階段を昇りドアを開けた。
覗く様に視線を向けた先に見えたのは…
店中は落ち着いた空間を醸し出す薄暗いオレンジ色のランプの灯り。人の顔は席ごとに置かれた小さな蝋燭でやっと分かる様な、まるで西洋のレンブラントが描くほのかな明かりの中に浮かぶ表情だけが、仮面の様に浮かぶ室内。
(…迷宮(ラビリンス)――
そう呟いた美恵子の心の一言が聞こえたのか分からないが、
――どうぞ、
と言う声が聞こえた。
いや気がしただけかもしれない。
しかし美恵子はその日からこのバーに足を踏み入れ、やがて週末の馴染みとなって五年が過ぎた。
自分の「居場所」にランクをつけるとすれば、此処は恵美子にとって最高ランクに当たる。
そして今夜もまた恵美子は円階段を上がり、そしてドアに手を掛けた。
――「迷宮」に迷い込んだ客(まろうびと)として
(6)
――いらっしゃい
そんな言葉が聞こえたか、聞こえないかそれぐらいの感触の声が鼓膜を震わせた気がして、美恵子はカウンター席へ座る。
座れば薄暗い世界に灯される蝋燭の灯りに浮かんだカウンターの木目と静かに置かれたグラスが一つ。
そのグラスから目を話してバーテンダーに向けた眼差し。
それだけでバーテンダーは無言で頷くとグラスを取り、小さく「――いつものを用意します」と言って背を向ける。
その所作に客人(まろうびと)の時間を揺らすような素振りは無い。
客人の時間を最高に楽しませる、その空間こそがこの『迷宮』の目的だと言わんばかりに、バーテンダーはやがて静かに向けた背を戻すと静かにカウンターにグラスを置いた。
グラスの底から湧き上がる小さな炭酸ガスに交じる『迷宮』の時間と黙人の想い。それを恵美子は唇を寄せて、吸い込む様に一口、飲み込んだ。
飲み込むと溜息を一つ。それからぐるりと迷宮を見渡す。
壁に掛けられたオレンジ色のランプ。それからテーブルを小さく照らす蝋燭。後は疎らに映る人影。それはまるで影法師のよう。
美恵子は再びグラスに唇を寄せる。彼女もまた他の客人から見れば一つの影法師に見えるだろう。
正にその影法師こそ、都会に生きる人間の本当の姿ではないか。生身の温かさを棄て、今日と言う疲れた翳を落とす影法師こそ、自分であり、そして都会に生きる人間だろう。
――恵美子(自分)とはいったい何者か。
そんな問いかけを呑み込んだ酒に交じらせながら深い溜息をついた時、自分と混じろうとする影が現れた。
現れただけではなく影は確かに人間の声で自分に言った。
「田中美恵子さんですね」
その声に美恵子はゆっくり振りかえると浮かぶ影の口元が笑っているのが見えた。
(7)
――影法師(コイツ)…
美恵子は突如寄せて来た心の波中で思わず罵声を放った。
放った罵声に気づいたのか、影法師はやがて口元を引き締めるとやがて軽く首横にして小声で言った。
「横、良いですか?」
そう言っておきながら美恵子の返事なぞ、聞くこと無く影は音もなく椅子に腰掛ける。
美恵子の瞼が薄闇の中で真横に細くなる。一重瞼の切れ長の瞼の奥で影法師を捉える。捉える瞳孔がランプの灯りに照らされる影法師の輪郭を捉えて行く。
それは暗闇の中で鮮明に。
(…これは、いや影法師(コイツ)は)
首元に掛けられたヘッドホン。そして細身の体にスーツ。
それは正に…
隣人。
美恵子はここ数日、いや正確には週末を思い出す。
自分の行きつけのジム、カフェ、夜の外国人バー、そして朝の川沿いの散歩道。
その至る所でコイツは自分の目の前に現れる。
そして今日は遂に面前で。
それも自分の名を呼ぶ。
鋭くなる目がまるで猫科のしなやかな獣の様に影法師を見つめて離さない。
自分の生活領域、いや生存領域(テリトリー)にこいつは土足で入り込んできている。それは正に昆虫であれば捕食し「死」を給わなければならない「敵」ともいえる。
そんな鋭さを増した美恵子の眼差しに影法師は再び口元を緩めて、微かに笑った。
(――笑うか、コイツ)
美恵子の鋭さに声が被さった。
「…本当に不思議だ」
影法師の声。
それは男の様だった。
「いえ、実に不思議なくらい。僕とあなたはその領分が重なるようですね。本当に見事なくらい」
影法師は顔を動かした。蝋燭の灯りに照らされた瞳孔がバーテンダーを見て言う。
「彼女と同じものを」
小さくてもはっきりとした響きのある口調は、決して店の雰囲気を壊さない奥ゆかしさがあった。
バーテンダーが頷くと美恵子が席に着いた時の様に背を向け、それから元に戻るとカウンターにグラスを置く。
置かれたグラスは美恵子に差し出されたものと寸分変わらない。寸分変わらないが、ただ違う物があるとすれば美恵子が飲み込んだ思いとは違う物を男は飲み込んだかもしれない。
グラスを置く小さな音がして、影法師はバーテンダーに聞い。
「この酒(カクテル)の名は?」
バーテンダーは顎を引いて、それから言った。
「竜殺し(ドラゴンスレイヤー)」
「そいつは凄く危険な名だ。…だが素敵だね、とても体の芯に熱く響く」
バーテンダーは顎を縦に引くと静かに二人の前から薄闇に消えた。他の『迷宮』の客人に挨拶するために。
その姿が二人の視界から消えるのを待って影法師が言った。
「さて、僕が言った互いの領域が重なり合うという意味はいずれお分かりになる事でしょうが、…しかしながらあなたには僕とはでも随分違うところがあるようです。そうそれは正に蟷螂ともいわんばかりのあなたの性質(タチ)ですがね」
(8)
…蟷螂
――カマキリ、
影法師はそうはっきりと言った。
美恵子は言い放った影法師の素顔を覗き込もうと眉を強く寄せた。
寄せる力が加わると蝋燭に僅かに照らされた影法師の顔形が朧げに見えて来る。
顎まで伸びた髪、そして綺麗な鼻筋。唯…目元は垂れる前髪で見えない。想じて自分が思う影法師はロック系の容貌なのかもしれない。
もう、見えぬ容貌は良い。
それよりも蟷螂とは何だ?
どういう意味だ?
美恵子はその意味に何か食いつく様に眦を上げた。それは自分の生存領域(テリトリー)に這入りこんで来た敵を捕食する蟷螂の鎌の様に。
「蟷螂…そうですね。それは結末を思って思わず出た言葉ですが…まぁ、それもいずれ意味がお分かりになることでしょう」
(…結末?)
美恵子は目を細めた。
影法師の放った言葉。
(コイツ…何を?)
美恵子は影法師の言葉に心揺さぶられている。
深い心の闇を覗き見た、そんな言葉に。
美恵子は瞼を閉じて考えを巡らせる。
この影法師、先程他にも何か言わなかったか。
瞼の裏に浮かぶ言葉を探す美恵子。
美恵子は瞼を開けた。
(そうだ…コイツ)
眉を寄せて苦虫を噛むような表情になった。
――いえ、実に不思議なくらい。僕とあなたはその領分が重なるようですね。本当に見事なくらい
(…領分が重なる、そう言ったな…)
それはきっと自分と影法師が出会った場所の事だろう。
それは自分の行きつけのジム、カフェ、夜の外国人バー、そして朝の川沿いの散歩道。
美恵子にとってそれらの場所は長い年月をかけて見つけて、そして手入れをしてきた自分の生存領域(テリトリー)。
確かにそれらは日々の仕事のすり減らされた神経の緊張も戻す場所でもあるが、勿論そこで誰とも出会わないという孤独性の自立までを意味しているわけではない。ごく限られた人間の出入りは認めている。
それは自分にとって領域に這入りこんだ敵として捕食すべきものではない。つまり自分の精神の均衡を保たせる存在として条件的に認めている。
条件的とは何かと、もし聞かれればそれは…
グラスが傾いて、中の液体が美恵子の想いと共に喉を流れて行く。
――それはつまり領域を犯されないこと
(9)
領域を犯されない、その範囲であれば人間の出入りは自由に認めている。それは自らの精神の均衡を保てる妙薬なのだ。
いや、妙薬ではない、それは美食かもしれない。精神への快楽を与え、精神も肉体にも快楽を与えうる。
それを人は何というか。
――「恋(エロス)」
自分は学生の頃、プラトンの『饗宴』を読み、特にその中の一節――に興味を引かれたのだ。
それは―― “「恋(エロス)」とはつまり、善きもの、美しいものが永遠に自分の物であることを願う欲求のことである。するとでは、それは「いかなる仕方で」これを追求するのか。このソクラテスの問いに対してディオティマは言う。「つまりそれは、肉体的にも、精神的にも美しいものの中で出産することなのです」”
――美しいものの中で出産すること
(…それは生殖の一面でもある)
そう思った瞬間、
美恵子はそこで不意に顔を上げた。
上げると横を振り向き、そこに居る影法師を見た。
影法師は美恵子を見ると口元を緩めた。緩めると美恵子を見て笑った。
だが笑っただけではない。影法師はゆっくりとスーツの内ポケットから何かを取り出し、そして蝋燭の灯りが届くところにそれを置くと美恵子にだけ聞こえるように話し出した。
「あなたと僕。重なり合う領域というのは生活範囲とか行動範囲と言う意味じゃないですよ。どうやらそれをあなたは今十分理解されたようです。だがもしあなたが分からないままだと僕は消化不良になってしまう。だからはっきり言いましょう。つまり僕等の領分、それが意味するとことは「人間の領分」つまり「恋の領分」です。あなたが僕をはっとして見たという事は、もう恐らくそれに気が付いた事でしょう。そして僕があなたの領域に現れた意味はこの置かれた名刺で分かる筈。最後に言っておきますがあなたを蟷螂だと言ったのは、あなたがネットで蟷螂の生態を調べ(ググ)れば、それで一目瞭然」
そこまで言うや、影法師は席を立った。
立つと見えぬ表情の中で、美恵子に一瞥を送ると言った。
「田中美恵子さん、明日、お待ちしています」
その言葉を残すと影法師は静かに『迷宮』のドアを開けて消えて行った。
カウンターに残された美恵子は蝋燭の灯りに照らされた一枚のカードを見ている。カード、いや影法師が言った。それは名刺だと。そしてその名刺には――大阪府警と書かれていた。
そうつまりあの影法師は刑事だったのだ。
美恵子は置かれた名刺を手に取るとそれを蝋燭の灯りの中で見て一人笑った。
何と見えない心の底から浮かび上がる憎悪とも言えぬ思いが大きな鎌を上げて、それから美恵子の精神の何かを切った。何かを切ると美恵子はスマホで言葉を検索した。
蟷螂と。
(10)
――影法師とは何者だったのか。
彼、いや彼女、それも違う。
その人名は霧里マリ。
大阪府警の刑事だ。
容貌はドイツ系ハーフで端麗であり、今の髪型から見れば男性にも女性にも見えた。いやそれは自らの意思でそうさせているのかもしれない。
その意味することは何か。
自分をトランスジェンダーとして認識してるという事である。戸籍上の性別は女性だが、自分にはその意識は皆無だ。
しかし捜査上は十分役に立った。それは十分すぎる程、そう――ある連続殺人鬼を探すには。
彼女は手帳を広げると自分が担当した殺人事件の捜査上で得た情報を指でなぞってゆく。
自分が担当した殺人事件。
殺された女性人物。
それをSSと自分は言ってる。そのSSは去年、自分の部屋で殺害された。
それも「情死」だった。
はじめSSの死体を検視した時、直感的に分かったことがあった。
それは
――女による独特の愛撫跡がある
という事だった。
その死体に残された独特の癖は言えない。言えないが、SSの捜査上で彼女の交友範囲、行動範囲、つまり「領域(テリトリー)」を調べて行くうちに二つの有る接点を見つけた。
それはまず、田中美恵子。
そして意外だが美恵子の行動範囲の中で情死が発見されている事件が多いという事だ。
それも性別の見境なしに。
つまり男と女の情死。
何故にこれ程、一人の女性で無数の「情死」が多いのか。これが意味すること。そしてSSの死体に残された女独特の愛撫跡。
自らの内にある意識は肉体の性を否定し、精神の内なる自らの原性(オリジン)のみを肯定している。その精神が警笛を直感的にならせば、おのずから田中美恵子の人物像が見えてくる。
それは彼女自身が認識しているかどうかは知らないが、自分と同じ肉体より精神の肯定。
であるがゆえに、それは精神の高い緊張を張り巡らせ、心を落ち着かせ、時に甘く強い快楽に酔わなければ日常のコントロールは厳しいのかもしれない。
自分は厳しい社会で生きなければならない。静謐と快楽こそが現代ビジネスで生き残る必須条件かもしれない。
取り調べで田中美恵子は自分に言った。
ソクラテスの問いに対してディオティマが答えた様に「つまりそれは、肉体的にも、精神的にも美しいものの中で出産することなのです」”
それが私の中では必須なのです。
だが、それは最後に醜い側面を見せるだろう。
つまり「失恋」すればそれは悪魔(堕落)するという側面を。
それは人間性を失い、やがて「敵」として相手を捕食し、殺害する。
その習性を品源ではなく何に例えるればよいか。
――それはつまり
蟷螂。
彼等は交尾の際、共食いをする。聞けば交尾の最中に(もしくは交尾後)、メスはオスを頭から生殖器まで食べる――捕食するのだ。
正に田中美恵子は互いに絶頂を迎えても尚無限に続く絶頂を送り続け、やがて精神の鎌を相手に振り下ろすのだろう。それこそ果てしない愛撫の果ての情死。
正に蟷螂と言う悪魔(堕落)と言える。
霧里マリはそこで手帳を閉じた。
閉じて瞼を閉じた。長い睫毛の下である仮定をする。
もし…、
田中美恵子が自分の告白を聞いたらどう思うか。
そう、
SSが私の
いや僕の恋人なのだという告白を聞けばアイツはどう思うか。
霧里マリは瞼を閉じて笑った。笑いながら頬を伝う涙を流すままにして、一人仮定の先に灯る蝋燭を見た。そこに見えたのは影法師の全ての答えを知って嗤う田中美恵子の唇だった。
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