第52話 フィオナの失踪

アレクサンドラは、夫から婚約者変更の顛末を聞くと、目を吊り上げた。


「なんだってフィオナなんかの選択に任せるって言うの!?」


「アレクサンドラ」


アンドルーは、この一件で悟ったことがあった。

フィオナの問題に関しては、アレクサンドラはちょっとばかり(かなり)トチ狂っている。

いつまでも、フィオナが自分の言うことを聞く子供だと思っている。


「フィオナの好きにさせなくてはいけない。フィオナと絶縁したいのか?」


「なんですって? 絶縁? 大いに結構よ。もう、なんの手間もかからなくて助かるわ。泣いて、戻ってきてもお断りよ。許さないわ」


「アレクサンドラ、フィオナは大金持ちなのだ」


夫は諭すように妻に言った。


「ええ、そうね。ほんとだったら、私たちのものになるはずのお金を盗っていったようなものよ。ご機嫌とりばかりして。顔を合わせれば、悪口ばかり言う老婆に付け入って」


疲れたようにアンドルーは言った。


「弁護士に話を聞いたと思うが、フィオナは大伯母の遺産のほとんどを受け継ぐ。お前がしたことは、そのフィオナの機嫌を損ねることばかりだ」


「なんで、フィオナなんかの機嫌を取らなくちゃいけないんです?!」


「今、お金を持っているのはフィオナなんだ。泣いてアレクサンドラに許しを乞うとか、是非ともお金をあんたに上げたいとか、そんなこと、フィオナは言わないだろうな。それより、警戒して近づかないと思うよ」


アレクサンドラは、黙った。


「あなたが稼げばいいじゃない」


アンドルーは、妻の顔を見た。


心の底からこの女が嫌になった。


「それはそうだね」


アンドルーは黙った。それは真実だった。





「あ、そうそう。今日、ジャック・パーシヴァルがここへ来てたのよ」


アンドルーはハッとして、妻の顔を見た。


「いつ?」


「あなたがフィオナとやりあっていた時のことよ」


なんてことだ。

あのやり取りを聞かれてしまったのだろうか。

一体、いつからジャックはこの家にいたのだろう? どこから聞いていたんだろう?


アンドルーは、額に嫌な汗がにじみ出てくるのを感じた。



「どうして今まで言わなかったんだ?」


「忘れていたのよ。いろいろあり過ぎて」



アンドルーはあわてて執事を呼んだ。


「はい、誠に折悪しく……」


執事は恐縮していた。


「どうして取り次いでくれなかった」


「フィオナ様が部屋から出られたすぐ後、パーシヴァル様はその後を追っていかれたのです。そのすぐ後、グレンフェル侯爵様がおいでになりましたので、お伝えする時間がありませんでした」


ジャックはいつからアンドルーとフィオナのやり取りを聞いていたんだろう?


まずい。

いや、逆にまずくないのか? これから、ジャックに婚約を破棄を通告しなくて行けないかもしれない。いや、言わなくちゃならないだろう。


でも、ジャックは……かわいそうなジャックは、フィオナの叫びを聞かされていたのだ。


「すでにお伝え済みということか」





アンドルーは、ようやく思い出した。


「フィオナは? フィオナは、どこだ!?」


「旦那様、フィオナ様は出て行ってしまわれました」


執事は沈痛な面持ちでアンドルーに告げた。アンドルーは目をむいた。


「出て行った? 自分の部屋に戻ったのではないのか?」


「申し上げたではございませんか。アンドルー様と口論になって、お部屋を飛び出して行かれた時、ちょうど折り悪く、外に辻馬車が停まっておりまして、乗ってどこかへ行っておしまいになりました」


アンドルーは呆然とした。


フィオナが行く先なんかどこにもない筈だ。


「まだ、戻っていないのか?!」


執事はうなずいた。


もう夕方だ。


すぐに戻ってくると思っていた。どうせ、外を馬車で一周する位だろうと。それでも、普段のフィオナなら、下男の手間を考えて、そんなことは絶対にしなかった。しかも、辻馬車とは、どういうことだ。


アンドルーは再度顔色青ざめた。


「まだ、戻ってきていないのか。この屋敷を出て行ったと言うのか? 本当に?」


どこへ行ったと言うのだ……

アンドルーは、呆然とした。



彼は気が付いて叫んだ。


「マルゴットは? マルゴットはどこにいる?」


古くからいる女中頭が呼ばれ、衝撃的な事実が告げられた。


「マルゴットはおりません。それから……」


「なんだ? 早く言え!」


「フィオナ様のお部屋はからっぽでございます。ドレスやこまごました手回りの品は、みな、なくなっております」


アンドルーは窮地に陥った。


嫁入り前の娘が失踪したのだ。


彼の顔色は真っ青だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る