第51話 セシルの戦い
その頃、グレンフェル侯爵は、ダーリントン伯爵家の客間に居座っていた。
向かいの席にはアンドルーが硬い表情で座っていた。
「私が出した結婚の申し込みに返事がないのはどう言うことか?」
アンドルーは、大汗をかいていた。
「肯定と思っていたのだが、聞くところによると、パーシヴァル家のジャックとか言う平民を出入りさせているそうだが」
「平民……」
アンドルーは絶句した。
侯爵家から見れば、男爵などそんなものなのかもしれないが、グレンフェル侯爵は爵位にこだわるようには見えなかった。爵位好きというのはいつでも一定数いたが、この人は次男で、むしろしきたりだの何だのはめんどくさがっているように見えたのだが。
「パーシヴァル男爵家の嫡子ですが」
念のため、アンドルーはジャックを援護した。
グレンフェル侯爵は片眉をあげた。
「貴族院の議員で多忙なため、なかなかダーリントン家に赴けなかったのは詫びるが、こちらからの申し込みを無視すると言うことか? 当家を無視されるとは、一体……」
「いや、そんな。ただ、少々時間がかかってしまっただけで……」
訳の分からない言い訳をアンドルーは始めた。グレンフェル侯爵は結構怖い顔立ちをしている。
「お分かりだと思うが、私が申し込みをしたのは、フィオナ嬢の遺産相続の件がわかる前だ。純粋な好意で申し込みをしている」
アンドルーはあわててうなずいた。
「もちろんそれはわかっている」
「私はずっと昔からフィオナ嬢を知っていた。あなたも一緒にグレンフェルの田舎の屋敷で一緒に遊んだではないか。セシル・ロバートと私と。あなた方は仲のいい兄妹だった。私はその頃からフィオナ嬢が好きだったのだ。年頃になった彼女に申し込むのは当然だった」
アンドルーは、驚いて顔を上げた。
割と平然と愛を語っている。顔の表情と話の内容がなんとなくそぐわないが、本気らしいことはみごとに伝わった。
身分だとか財産だとか、釣り合うとか、返事をしなくて無礼だとか、そんな問題じゃなかったらしい。
好きだったんだ!
セシルがフィオナと幼なじみなら、セシルとアンドルーも幼なじみだった。アンドルーは突然セシルの気持ちを理解した。
ただ、今は、アンドルーは閑職についているだけの出来の悪い貴族で、セシルは飛ぶ鳥を落とす勢いの若い優秀な議員だと言う違いがあった。
その負い目が、ジャックを選ばせたのかもしれない。
「しかし、同様に大変熱心にパーシヴァル家からもお申込みがあって……」
慎重にアンドルーは言い始めた。
「フィオナ嬢に選んでもらったらダメなのか?」
「は?」
「この結婚、あなたがジャック・パーシヴァルになにを約束したのか知らないが、私に返事をしなかったダーリントン家にはその責任がある。正直なところ、パーシヴァル家でも私でも、どちらを選んでも良縁と言われるだろう。フィオナ嬢本人の選択なら、パーシヴァル家も黙るだろう」
それは、つまり、グレンフェル侯爵には自信があると言うことなのか。
セシルはニコリと笑った。笑うとずっと若く見えた。
その顔にアンドルーは、子供の頃一緒に遊んだセシルを思い出した。きれいな顔の子どもだった。今もそうだ。フィオナがほれ込むのも無理はない。
更に、アンドルーは遺産相続の話を思い出した。
今、最も自由になる金を持っているのは、フィオナだった。
フィオナは決してアレクサンドラの言うような人でなしではない。
ダーリントン家が危機に陥ったら、助けてくれるだろう。
そもそもジャックを選んだのは、何かの際に、グレンフェル侯爵に金の無心をするより、ジャックを頼る方が確実だと思ったので、ジャックを結婚相手に選んだのだ。
だが、ジャックに頼むことを思ったら、フィオナに頼む方が、もっとずっと気楽だ。フィオナは、ダーリントン家の実情を理解しているし、優しい子だ。それはわかっていた。
しかし、もし、フィオナと絶縁状態にでもなろうものなら、もう援助など頼めないだろう。
フィオナが侯爵との結婚をあんなに強く希望するなら、承諾した方がいい。
フィオナの機嫌を損ねる方が問題だろう。
マルゴットの読みの通りだった。
「そうだな……」
アンドルーは、考えるふりをした。
「フィオナが幸せになる方で……。実際、家長としてジャックの方がいいだろうと決めたのは、遺産相続の話が出る前だった」
セシルは真面目にうなずいて見せた。
「ダーリントン家はいろいろと余裕がなかった。古い家柄の貴族の常でね。その意味では、田舎と街両方に広壮な屋敷を構えるグレンフェル侯爵家も変わりはないと思ったのだ。妹にあまり苦労させたくなかった。だが、今となっては、フィオナ自身が解決できる問題になったから、どうでもいいことだ。フィオナが選ぶ方で私としては問題ない。街のバイオリン弾きと結婚すると言い出したら、止めるけどね」
「それはもっともだ。あとは、パーシヴァル家にこの話を伝えるだけだな」
アンドルーは、青ざめた。
あれだけ調子のいいことをジャックに言っておいて、今更、どの面下げて、考え直したなどと言えるのだろう。
「フィオナ嬢の選択に任せる。本人の幸せのためには、それが一番だ。ダーリントン家からパーシヴァル家に伝えてくれたまえ。きっとジャックも理解するだろう」
足取りも軽く、もう、遅くなったからとグレンフェル侯爵は帰って行った。
後には、アンドルーが頭を抱えていた。
選択の余地なんかない。フィオナは確実に侯爵を選ぶだろう。
ジャックがアンドルーを攻略している間に、グレンフェル侯爵はフィオナを攻略していたのだ。そして、勝利を確信している。
きっと、ジャックは承知しないだろう。
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