第33話 謎の老婦人

それは上品な、だが恐ろしく異様な感じのする老婦人だった。

年の頃はわからない。五十代と言われればそうかもしれないし、八十代にも見えた。


乱れた銀色の髪、着古した上等の薄紫のドレス、まだ暑いくらいの時期なのに灰色の毛のショールを巻いている。

何とも言えない異様さが娘二人を凍らせた。誰かしら?


「私もいただいていいかしら?」


娘たちは声が出なくて、コクコクと頷いた。


老婦人は馴れ馴れしく二人の向かいに座って、サンドイッチに手を出した。


「まだ、お昼をいただいていませんの」


二人とも口がきけなかった。


「お茶はあるかしら」


フィオナはそそくさとお茶を出した。


「冷めているわ」


彼女は不機嫌そうに言うと、芝生にお茶を空けてしまった。


「トマス!」


老婦人はびっくりするようなきつい大声で呼び出した。娘二人は震え上がった。次は何が出てくるのかしら?


しばらくすると、執事のようななりをした男が一人、塔の方から現れた。


「トマス。お茶を」


「奥様、こちらでしたか」


トマスと呼ばれた男は明らかにこの女性を探していたらしく、ほっとした様子で大急ぎでベンチ目指して歩いてきたが、見知らぬ二人の娘に気が付くと一瞬立ち止まった。


そして鋭い目つきでフィオナとクリスチンの顔を見た。

娘たちは二人とも、真っ青になっていて、もう、口がきけなかった。


「あんたがたは誰です? 誰の許可があって人の家の庭にいるんだ?」


「トマス!」


老婦人が大声で執事をさえぎった。


「失礼でしょう。私のお客に向かって!」


娘二人は練習でもしてあったかのように、そろって今度は老婦人の方を向いた。


「お出ししたサンドイッチは良かったけれど、お茶が冷めていたわ。急いで代わりを持ってきなさい。さあ、クッキーもありますよ。当家自慢のクッキーなんですの。ぜひ召し上がって」


そう言うと、老婦人はにっこり微笑んだ。


クッキーはフィオナとクリスチンの持参である。当家自慢のクッキーと言われて、二人は複雑な顔をしたが、勧められるまま食べないわけにはいかなかった。


「いかが?」


「あ、とてもおいしいです」


「良かったわ」


老婦人は鷹揚に微笑んだ。


「トマス、早くお茶の用意を」


トマス氏は相当迷っていたようだったが、ついに立ち去って行った。


どうしよう……


「今年のシーズンの様子を利かせてちょうだい。私は街には行かないのだけど、昔は毎シーズンピアに行っていたものよ。レノックス卿をご存じ?」


誰だか全然わからなかった。知らない人の話ばかりで、二人の反応が悪いので、老婦人はいら立ってきた。


「ダーリントン伯爵はどうされているかしら? ええと、なんて名前だったかしら……思い出せない」


フィオナははっとした


「チャールズ……」


「そう、そのチャールズよ。元気かしら?」


「ええ……」


急ぎ足で執事がやって来た。


「ヘレンは百合の花が好きだった……」


誰? ヘレンって? また話が飛んだらしい。


執事は女中にお茶を持たせてきたが、二人の娘には相変わらずギッとした目つきをくれた。家宅侵入なのだ。止むをえまい。


「奥様、お茶をお飲みになられたら、お部屋に戻りましょう」


「いやよ、久しぶりのお茶会なのよ。お客様に失礼だわ」


「あなた方、お名前は?」


「クレアとフィリパ。リード姉妹です」


あまりのことに口がきけないクリスチンに代わってフィオナが答えた。

答えを聞いて不思議なことに執事の態度が和らいだ。口ぶりからそこらの村娘ではないと思ったらしい。


「とはいえ、奥様、お客様のお迎えの馬車が参っておりますので」


いや、歩いて来たし……と思ったが、ここは乗っておこう。


「申し訳ございません、あまり長居をするとマリアが……付き添いの侍女が心配しますので」


クリスチンがおとなしく答えた。


「お目付け役ね」


愉快そうに老婦人が笑った。


「私も結婚前はずいぶんうるさいと思ったわ。でも、いうことを聞かないと怒られるのよ。思い出すわ。あなたの付き添いは?」


「マルゴットは街に残しましたの。あまり大勢は要らないかと」


老婦人は上機嫌だった。


「仕方がないわ。もう夕方だから、お送り申し上げて。スーザン、部屋へ連れて行っておくれ」


まだ、夕がたではない。

だが、二人は喜んで辞去することにした。


芝生の庭を通り抜けて正面玄関の方に向かって歩いて行くと、突然奥方様は姿を消してしまった。


執事は奥方様が姿を消したのを見届けると、二人の娘に厳しい目を向けた。


「あんた方はなぜあんなところにいたのだ」


「申し訳ございません。私たち2週間だけ、田舎家を借りて滞在していたよそ者ですの」


クリスチンが説明を始めた。


「ここいらのことは全く存じません。簡単なピクニックのつもりで歩いておりましたら、気持ちのよさそうな小道につられてうっかり入ってしまいましたの」


「ここが誰のご領地か知っているのかね?」


二人は顔を見合わせた。


「コテージを借りる時は、マリアがうちの執事に聞いたかも知れませんが……」


「いずれにせよ、近所の様子までは存じ上げなくて……申し訳ない。全く分かりませんわ」


二人のみなりは、ピクニック用に相当簡単な格好になってはいたが、口ぶりから相当な家の娘だということは執事に伝わったようだった。


「ここでの話は黙って居てくださるようにお願いいたします。ここが誰の領地かご存知なければお聞きにならないで。その代わり、馬車を仕立ててお送りしましょう。あなた方の不法侵入の件も不問に付しましょう」


いうことを聞くしかなかった。不法侵入が痛い。老夫人との会話は訳が分からなかったが、きっと相当なご老齢なのだろう。


「年配の方のお話ですもの。よくあることと存じます。でも、もちろん、誰にも一言も話しません」


執事は少しさみしそうに笑って、二人を玄関の方へいざなった。


「ジョン! お二人をダウリッチ氏の屋敷まで送り届けるんだ」



ガラガラと馬車に乗せられた二人は複雑な顔をしていた。

二人が古城だと思ったのは屋敷内に残る古い要塞の一部でそれは間違いなかったが、屋敷のほかの部分はごくありきたりの貴族の邸宅だった。


馬車の小さな窓から、後ろを振り返り、邸宅の全容を目に入れたフィオナは、口の中で小さくアッと叫んだ。


知っている。


見たことがある。


そして、懐かしい。懐かしい何かの思い出が結びついている。

子供の頃見た夢のような……


記憶を掘り返し、もう一度正面を見た。庭を知っている。今日を過ごしたあの庭ではない。庭園の方だ。


「どうしたの? フィオナ?」


あれは……きっと、セシルのおかあさま…

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