第20話 仮面舞踏会で密会

アレクサンドラの活躍で、伯爵とアンドルーは黙った。


とりあえず、一週間だけ待てと。


二人の男は知らなかったが、舞踏会が一週間後だったのだ。


「行ってきます」


少しだけ不安そうなマルゴットを残して、フィオナは馬車に乗り込んだ。





仮面舞踏会。


一応、仮面は付けている。知らない者同士と言う建前の、良く言えば自由な、悪く言えば奔放な舞踏会。


グレンフェル侯爵が仮面舞踏会に出てくるだなんて、今から思えば、大変な偶然だったのだ。


彼はそんな会に来るような人ではない。


そして、彼はその体格からすぐに誰だかばれてしまう。仮面舞踏会には不向きだった。


フィオナ自身は、そこまで知られた存在ではなかった。もっとも、グレンフェル侯爵が彼女とだけ踊ると言う形で社交界に挑んだおかげで、フィオナも社交界で相応に知られた存在になっていたが。



だが、会場に足を踏み入れ、なんとなくダンスフロアを見渡した途端、フィオナは、心臓が止まりそうになった。


なぜなら、一際目立つ大柄な男と素晴らしいドレスを着た粋な女性のカップルが目に入ったからだ。


そして、その二人がやたらに目についたのは、他の人々もそのカップルを見つめていたからだ。


『まさか……グレンフェル侯爵?』


あれほど背が高く、見惚れるような体格の男性はそういない。

それなら、一緒にダンスをしている女性は誰だろう。


「クリスチン嬢が今度はグレンフェル侯爵狙いか……」


どこかから小さな声で噂するのが聞こえた。


どうやって声をかけたらいいのかわからない。まさか、女の方からダンスを申し込むわけにもいかないし、そもそもあの中に入っていく度胸もなかった。


とりあえず、ほかの男からダンスを申し込まれるのを避けるため、最初の仮面舞踏会同様、今晩も壁の花目指して柱の陰に隠れた。

グレンフェル侯爵はどこへ行ったのだろう。ちょっと目を離したすきに彼はダンスフロアから消えていた。




「あら、失礼」


前と全く一緒だった。後ろにいた男性に突き当たりそうになってフィオナはあわてた。


「ここがお得意なんですね?」


口元が笑っているが、目元は完全に隠されて人相は全く分からない。でも、フィオナにはわかった。声を聞いた途端、心臓が反応したからだ。


「どうして、こんな場所を選んだのですか? 仮面舞踏会なんて」


聞き覚えのある、深くて低い声が尋ねた。


「家族に聞かれたくなくて……あなた一人とお話ししたくて」


「ここが適当かどうか、わからないけれど」


グレンフェル侯爵は、後ろにいた給仕に銀貨を渡した。給仕は心得たと言わんばかりにこっそり二人を狭い一室へ案内した。


「あの、ここは?」


給仕がどう見てもニヤリと笑って、灯り一つをテーブルに置いてドアを閉めた途端、フィオナは聞いた。

窓もない、小さな事務室みたいな部屋だった。


「えーと、ここは、こういう話がある人たちに使う部屋なんだよ」


侯爵とフィオナは、ほかに座るところがなかったので、一つだけおいてあるソファに並んで座った。


「防音室?」


「世の中、防音は大事だよね」


グレンフェル侯爵はちょっと困っている様子だったが、とにかく話を聞こうと言い出した。


「伯爵家に伺おうと思っていたのに。その方が正式だろう?」


「私、その前に聞きたいことがあって……」


「何を?」


フィオナは侯爵をじっと見つめた。

彼はとても心配そうな顔をしていた。いつもの冷たそうで傲慢にさえ見える顔と全然違う。

思わず、フィオナは笑いそうになった。みんな、誰も、この人のこんな表情を知らないのだわ。


「あなたのお家のこと。私が婚約したセシルはあなたではなかったのですね?」


侯爵はこの質問は覚悟していたようだった。


「セシルはセシルだよ。セシル・ルイス・アルバート」


「私の婚約者のセシルではないのね」


「……そう。セシル・ロバートではない」


「婚約者のセシルはどうして死んだのでしょう?」


セシルは長いこと黙っていた。


「誰かが君に何か言ったのだろうね」


その通りだった。沈黙がそのまま答えだった。


「誰かが、兄を殺したのは私だと告げ口したのだろう」


そんなことを聞きに行ってどうするのだ、とアレクサンドラは言った。


だが、フィオナは聞いておきたかった。

彼がどう説明するのか。


結婚して欲しいと言った男に聞く。あなたは殺人者なの?


「それは、婚約者を殺したかも知れない男とは結婚できないと言う意味?」


侯爵の目がフィオナを見つめる。


「わ、私は……あなたのことが知りたかったの」


そうだ。フィオナはセシルの口から、説明をしてほしかった。彼自身の話を聞きたかった。



「学校を出た後、僕は跡取り息子じゃなかったから、海軍に入った。勉強が嫌いだったから文官はなりたくなかった。このまま軍人として生きるつもりだった。ある日、知らせが来て兄が死んだと伝えて来るまでは……」


え?  自宅にいたわけではなかったの?



「その時、僕はインド洋上にいた。話を知ったのは一ヶ月後で葬儀にも間に合わなかった」


「それでは……」


「僕が殺したと言われていることは知っている」


グレンフェル侯爵は素っ気なく言った。フィオナは顔を赤くした。疑っていると思われている。


「当時、僕がどこにいるか知っている人なんかいなかったんじゃないかな。グレンフェル家は代々文官の血筋だ。軍に行くなんて、例外だ。誰もが、兄弟とも大学に行っていると信じていたろう」


「あの、あなたがお兄様が亡くなられた時、外国にいたのなら……」


「いかにも嘘くさい?」


「なぜ、そうおっしゃらなかったのですか?」


セシル・ルイスは黙った。


「僕が疑われた方がいいと思ったんだ」


「どうして?」


「それはね、僕なら、いつでも身の潔白を証明できるから。それに僕はずっと海にいたから噂で何を言われようと気にならなかった」


「そんなに軍の居心地がよかったのですか?」


「いやいや、そんなことはない。だが、何回か実戦に出ている。説明しにくいが、一緒に苦労してきた仲間は、仲間なんだ。尊敬できる上司もいたし、先輩も後輩もいた。世間の風なんて知ったこっちゃなかった。社交界なんか、気にもしていなかった」


ずっと、家の中だけにいて、学校にも行ったことのないフィオナは、しかし熱心に聞いていた。


「楽しそうに聞こえます」


「でも、最終的には辞めなくてはならなくなった。父は、僕に自分の地位を引き継がせたがった。兄が死んだせいで、僕は軍を辞めて兄の在籍していた学校に行かなくてはならなかった」


「学校はいかがでしたか?」


「つまらなかった。実に。すぐにやめてしまった。そのあと、学校で習ったことは有益だったと後悔したけれど。父が死んだので跡を継いで貴族院議員の席を占めたのだ」


「それで、どうなりましたの?」


「いや、こんなことばかりを話していても仕方ないけど、それが今の僕だ。ずっと走って来ただけだ。議員になると、社交界に出ないといけなくなった。妻も探さなくてはならない。母が言うんだ」


フィオナと同じではないか。


「でも、独身でいいと思っていた。無理にパーティに出て、誰かと一緒になって、その親戚と付き合い、いろんなこと考えると嫌になった。僕は不精なんだと思う」


結構、侯爵は真剣に話していた。


「独身を貫く変わり者の男もいないわけじゃない。それでも何とかやっていっている」


どんどん、話がずれて行くことを侯爵も気が付いていた。結婚しない理由を、結婚したい女性に説明してどうする。

そんなことを言いたいんじゃない。彼はため息をついた。口説くのがうまいとは、お世辞にも言えないだろう。


「昔からそうだった。君といると、余計なことばっかりしゃべっている。昔、セシルとのケンカの顛末をずっとずっと泣きながら説明してたことがあったよね」


フィオナはちょっとだけ覚えていた。泣いているルイスを一生懸命慰めていたことがある。なぜ泣いているのかわからなかったが。


侯爵は突然仮面を取った。

フィオナは、その顔に見とれた。整った目鼻立ちの彼が真横に座っている。仮面があれば冷静でいられるけれど、生で見つめられるともじもじしてしまう。


「あなたも外して欲しいな。顔が見たい」


フィオナは恥ずかしかった。だって、きっと、気持ちが顔に出ている。でも、この話は真剣勝負だった。ちゃんと向き合おう。


フィオナは自分も仮面を外した。

侯爵の方が反応したことに気が付いて、フィオナはビクンとした。

近すぎる。


「それで、聞きたかったことはそれだけ?」


「では、真犯人は誰なのですか?」


侯爵は苦しそうな顔になった。


「知らない」


「知らない?」


「わからない」


「調べようとはしなかったのですか?」


「調べてどうする? 結局、一緒だ。興味がなかった。兄は戻らない」


興味がない……そんなはずはなかった。


フィオナの心に誰かが付けた侯爵のあだ名が浮かび上がった。黒い侯爵。


「僕が犯人だと思われている方が気が楽だ」


侯爵はフィオナを見つめた。


「こんな話をしたいわけじゃなかった」

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