第17話 黒い侯爵

モンゴメリ卿は去っていき、ジャックはフィオナと二人残された。


モンゴメリ卿は去り際にチラリと若い二人に一瞥をくれたが、それはどことなく悪意を感じるものだった。少なくともフィオナにとっては。


「まったく」


ジャックはぼやいたが、フィオナがするりと彼の手から自分の手を抜こうとすると、それは引き止めた。


「僕には全くチャンスがないということですか?」


フィオナは困った。その通りだとは言いにくかった。それにマルゴットは言い切った。


『ジャック様は保険です』


保険は大事にしなくてはならない。


ジャックはフィオナの顔をじっと見つめて、見つめられた側は赤くなって目を伏せた。


「よし」

ジャックは心の中で思った。脈がない訳でもないらしい。


「少なくとも、モンゴメリ卿が卑怯にも、僕に押し付けた役目だけは果たしましょうか」


「なんのことですか?」


「あの黒い侯爵の話ですよ」


「黒い侯爵?」


フィオナは不安そうに繰り返し、ジャックは笑った。


「ほんとに何も知らないのですね。彼にはずっと兄殺しの疑惑がかかっていたのです」


これは、誰もが知っている話で、特に自分が詳しいわけではないと前置きしてジャックは話し始めた。


「兄は金髪、弟は黒っぽい髪の持ち主だったので、黒い侯爵と言われたのです。五、六年前の話でしょうか。兄のセシル様が、学校から休暇で公爵家の田舎の屋敷に戻ってきて、侯爵家の塔から落ちて死んだのです」


いじわるそうにジャックはフィオナを見つめた。


「事故ですか?」


「自殺かも知れませんね。当時十八歳かそこらの多感な青年でしたから」


「でも、それだったら……」


「でも、この事故で、すべてを相続することになったのですよ、彼が」


「彼……と言いますと?」


「あなたのグレンフェル侯爵のことですよ」


フィオナは、婚約者が死んだ理由を知らなかった。当時、両親が辛そうにしていたこともあって、彼女はなにも聞かなかったのだ。


「ただの事故だと……」


ジャックは、いわくありげな顔をして見せた。


「ただの事故だったかもしれないし、自殺かもしれませんね。でも、真相はやぶの中です。侯爵領に警察は入って行けないのですから」


「そんなこと、あるのですか?」


ジャックはうなずいた。


「判事を領主が兼ねていることもあります。確かに大きな事件だと、領主が裁くのに無理が生じることもありますが、この場合、被害者は残された家族ですし、警察も遠慮して捜査はおざなりだったと言われています」


「それは……爵位欲しさにグレンフェル侯爵が兄を殺したと言いたいのですか?」


「とんでもない」


ジャックは否定した。


「そんなことは言ってません。僕は世間の噂を伝えているだけです。世間だって、そんなことは言っていません。だって、弟のセシル・ルイスは軍で活躍していて、優秀だと言う噂でした。今時、爵位なんかに執着する人間なんかいませんよ。でもね、お金となれば話が別です」


「お金……ですか?」


フィオナは不安になった。


フィオナ自身も実は莫大な額の遺産相続人だ。誰にも知られていないけれど。



「その、いわゆる事故の直前、兄セシルの母方の祖母が亡くなりました。その結果、法律上、一族の財産すべてが兄に遺された。そして、手続きが済み確定してから間もなく兄のセシルが死んだ。タイミングが良すぎた」


もちろん、兄が死ねば爵位と財産を独り占めできる。でも、そのために殺すなんてありえない。


「遺産相続……ですか」


フィオナは怖くなった。


「大きな額だったのですか?」


「そうですね。当事者じゃありませんから、正確なのかどうか知りませんが……」


ジャックの言った額はフィオナが受け取る額の半分くらいだった。フィオナは心が冷えてきた。


「有り余る財産は人の心を狂わせることがある」


ジャックはポツリと言った。


「兄のセシルの死により、遺産は父の侯爵のものになりました。跡継ぎは弟だった今のグレンフェル侯爵ただ一人。健康な若者の突然死に、当然疑惑が持たれました。そして、誰もが遺産の相続人、すべてを受け取ることになった青年と……それから、その母を疑ったのです」


「まさか……」


「疑ったのは、死んだ青年の母方の遺族でした。もし、彼の祖母が彼より後に死ねば、財産は侯爵家には行かず、残された祖母の親族へいくことになる。噂になりました。殺されたに違いないと」


「そんな……証拠があったのですか?」


ジャックは首を振った。


「警察も入っていませんしね。証拠なんかわからずじまいだったのではないかと思いますね。グレンフェル一家は沈黙していました。騒ぎ立てたくなかったでしょう。でも、黙っていられなかった人たちがいました。もし殺人だったら、犯人は財産はもらえません。財産をもらえるのは、今は亡き侯爵の前妻の遠縁の人たちです。彼らは、噂を流しました。殺人だと。犯人は一家の中にいるって」


ジャックは慰めるようにフィオナの手を握り、青ざめた顔をのぞき込んだ。


「いい話じゃないですよね。悲しんでいるかもしれない人たちに追い打ちを掛けるだなんて。でも、真相は闇の中です。本当は殺人だったのか、自殺だったのか、事故だったのか」


両親があまり語らなかったはずだった。いずれにせよ、結末はフィオナも知っている。結局、何もわからなかったのだ。疑惑と噂が残っただけだった。


「それにね、この二人は不仲だった。弟のセシル・ルイスは、大柄でスポーツに熱中するタイプだった。兄は学究的で、控えめだった」


ジャックは、困り切った様子のフィオナを見つめた。こんな話をして彼女に嫌われたいわけではなかった。彼女にグレンフェル侯爵を嫌いになって欲しかっただけである。


「でも、私が出たパーティでは、侯爵は人気者でしたわ」


ジャックは苦笑した。


「それは、彼自身が勝ち得たのですよ。父が亡くなった後、彼は貴族院議員になった。彼は、めきめき頭角を現してきたのです。過去がどうだろうと、有能な人物だ。私とは、畑が違うけれどね。それで、娘たちが群がるのです。実際、冷たいマスクのイケメンだしね」


二人は黙った。


「でも、だからといって、本当に殺したと言うなら……そんな人物の隣で暮らすことに不安を感じないではいられない……そして、困ったことに噂は今でも絶えないのです。遺産をもらい損ねたと感じている遠縁の人々が、ことあるたびに……」


とは言え真偽も定かでない噂ですからと、言いかけてジャックは肝をつぶした。

 

隣の若い娘が泣いていた。


なぜ、泣く?!


今の話のどこに(彼女が不安を感じることはあっても)泣くほどの問題があったというんだ? それにここはパーティ会場で、伯爵令嬢がこっそり泣いている様子を、周りのみんなが見て見ぬふりをしながら、通り過ぎてく。


「フィオナ嬢、泣かないで」


文字通り、泣いてくれるなとジャックは焦った。まるで、彼が何かやらかしたようである。


「さ、さあ、馬車はどこですか? お屋敷に帰りましょう」


ジャックは彼女の手を取り、出来るだけ急いで外へ連れ出した。


「ああ、ごめんなさい。急に泣き出したりして。あなたのせいではないのに」


フィオナは、きれいなレースのハンカチを取り出して、目元を押さえた。


いっそ、僕のせいだったら……ジャックは突然思った。


「おかしいですわね。申し訳ございません。失礼しましたわ。ここで結構でございます」


フィオナは無理矢理微笑んで会釈した。


「ジャック様、ありがとうございました」


「いえ……」


フィオナは馬車に乗り込み、馬車は走り出した。


ジャックはその様子を呆然と見送った。彼は、ダンス会場には戻らなかった。そのまま、自宅に帰ることにした。


「まるで、俺が泣かせたみたいだ……」





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