第11話 エドワードとジャック

フィオナの馬車は会場に近づいた。御者は、マルゴットの容赦ない命令に戦々恐々と従っていた。


「違います! 右回り! ダメ! もう少し距離を空けて! あの馬車は侯爵家の馬車です! この馬車は平民のだから、間を空けて!」



フィオナが馬車からゆっくり降り立つと、どこかから走ってきた若者に手を取られた。


「エドワード・オーウェン様!?」


「待ってたよ、フィオナ」


フィオナは戸惑った。


「いらしていたのですか?」


「エドワードと呼んでください。アンドルーから聞いたよ。こちらに来ているって」


エドワードは自信満々だった。


「壁の花だって言ってましたよね? さしずめ、僕はあなたの救世主ってところだな。さあ」


彼はフィオナの手を取り、得々として彼女を会場へエスコートしようとした。


「いろいろ考えたんだけど、まあ、仕方ないかなって思い始めて」


エドワードは照れたように笑った。


「まあ、何をですか?」


フィオナは、エドワードと話しながら、ジャックがどこにいるのかしらと気になった。なんだか、訳が分からない。来ていないということは、本当に社交辞令なのかしら?


「最初のパーティのとき、アンドルーから頼まれたんだ、君のことを」


「ええ? 兄から?」


「そう。とにかく、ちょっと声だけでもかけて欲しいって。きっと、壁の花だろうから」


それは確かに。あれは兄の心遣いだと言うわけだったのか。


「気に入ればいいし、とにかくとても困っているって言われたから」


フィオナは黙って居た。これは少しばかり腹が立った。

壁の花でもいいんじゃないかと言う気がし始めた。


エドワードは愉快そうに笑いだした。


「でも、見てみたら、アンドルーが言う程、まずい器量じゃなかったし、よく聞いたら、なんでも大伯母から、少しだけど遺産があって、持参金もゼロじゃないそうじゃないか。それなら、フィオナ嬢でも、考えてみてもいいかと思って」


今、修道院に、グッと傾いた。

この言われよう、正直者といったレベルではない。もう、考えてもらわなくてもいいような気がしてきた……まあ、確かに男探ししてるわけなんだけども。




その時、突然、後ろから声がした。


「エドワード・オーウェン」


エドワードとフィオナは同時に振り返った。


「ジャック様!」

「ジャック・パーシヴァル!」


ジャックが、エドワードのに比べると、はるかに決まった格好のジャックが背筋を伸ばして立っていた。


「君は彼女と約束があるのかな?」


エドワードは驚いたらしく、ビックリしてジャックの顔を見て居た。


「いや。……だが、フィオナ嬢の兄上に僕は頼まれてここにきている」


「なんて?」


「ええ、だから、フィオナ嬢には相手がいなくて気の毒だろうから、やむなく……」


ジャックが急ににっこりした。


「それなら、心配いらない。やむなく相手をする必要はない。今日は私が先約なんだ」


「え?」


エドワードは目を丸くした。


ジャックはにっこりエドワードにむかってうなずいて見せると、すっとフィオナの手をジャックから取り上げた。


「では、お嬢様。約束通り、今晩は私の独占契約ということで」


彼らは、エドワードをしり目に会場へ入っていった。





「エドワード・オーウェンは、学校で一緒だったんだ。よく知っている」


ジャックはフィオナに言った。


「相変わらず、ひどい奴だ。なにか約束していたの?」


「まあ、いいえ。全然。そもそも、一度しか会ったことはないと思います」


ジャックはあきれたらしかった。


「まったくひどい言い分だよ。女性に向かって言う言葉じゃない」


フィオナは笑った。それを見てジャックはうっかりそそられた。


ジャックだって、馬車を見張っていた。彼は泰然自若と、落ち着いて馬車に向かって行った。ライバルがいるとは思わなかったのだ。フィオナ本人も、誰か来るとは思っていなかったらしい。

しかし、これからは、本人の言うことを鵜呑みにしていてはいけない。

派手なデビューでも前評判が高かったわけでもない。(母親がダメなせいで)


ジャックの姉のデビューの時を思い起こすと、こんな手抜きなデビューではなかった。それこそ、鳴り物入りで、散々金をばら撒いたものだ。

それに比べると、フィオナときたら静かなものだ。いわゆるデビュダントではない。これでは、エドワードではないが、壁の花になるのも無理はない。


『別に僕はそれでもかまわないけど』

内心、ジャックは思った。


いや、むしろその方がよかったと思ってしまう。

この調子では、どこかからファンが湧いて出て来るかもしれない。鳴り物入りの派手なデビューだったら、ライバルが大勢出てきたことだろう。この娘は可愛らしい上、なんとも言えない魅力がある。本人はまるで気がついていないが、謙虚で純で、それで……



「兄は、一体、エドワード様に何を頼んだのでしょう。私、全然聞いていませんでしたわ」


フィオナが笑った。

ジャックは素早くさっきの会話を思い起こした。


エドワードの話なんて、半分くらいは彼の思い違い、妄想だろう。特にフィオナの気持ちに関する部分は、単なる願望みたいなもんだ。


だが、兄のアンドルーに頼まれたことは本当だろう。おそらく遺産の件もだ。ほんとうに遺産があるなら、それはそれで結構な話だ。

ジャックはふとフィオナの衣装に目を留めた。

昼間のドレスは肩を出さず、あっさりしたものだった。

だが、夜会はそうではない。

突然、妙なライバルが現れたせいで、よく見ていなかったが、今のドレスは……渋いピンクの凝ったレースと同色のリボンで飾られた夏らしい鈍い白のドレス。これは絶対にパリ製だった。

本当に貧乏伯爵家なのか? こんな高価なドレスを着て現れるとは?


そして、顔をよく見て、ジャックは胸を突かれた。

ジャックはあんな失礼なことを言っていたし、本人も自分を美人だなんて全く考えていない。

だが、この娘はほんとうは美しい。整った目鼻立ちは財産だ。

そして、静かな品がある。

若いのに、このシックなドレスがとても良く似合う。


「さあ、ダンスが始まります。踊ってくださると言う約束でしたね?」



会場はかなり混んでいた。


フィオナは若く新顔なので、人目を引いた。ジャックは、心配になってきた。

貧乏貴族のエドワードくらいならまだいい。

もし、もっと由緒正しい、しかも金持ちのご子息が名乗り出てきたらどうしよう。

フィオナの衣装は、一目で高価なものと知れるものだった。しかも最新流行なので、新しく作ったことは明白だった。


休憩している時、心配は現実のものになった。


残念なことに、次から次へと、ダンスの相手が現れたのだ。


いくら、今夜は自分とだけ踊ってくださいなどと頼んだとしても、それを理由にダンスを禁止することなんかできない。婚約者でもあるまいし。


今、ジャックは、社交界に出た、好ましい令嬢たちが、直ぐにどこかの令夫人に化けてしまう理由を肌で感じていた。


とっとと短期戦に持ち込まないと、ダンスを拒否することすらできないのである。


ここまで、考えてジャックはようやくハッとした。


「あれ?」


なんで、自分、つまりジャックは、切羽詰まってこんな計算をしているのだろう。


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