第10話 舞踏会が始まる前
ジャックは誰か知り合いに宿を頼まねばならないことになった。今のシーズン、ホテルはどこも一杯である。
悪友のフレデリックに頼んで、泊めてもらうことに話を付けた。彼は、ジャック同様成り上がり貴族の金持ちだ。
学校の寄宿舎が同室だったので気心が知れている。
「いいとも! だが、何があったって言うんだ?」
フレデリックは好奇心丸出しで聞きたがった。
「いや」
ジャックは渋った。フレデリックはいいやつだが、口が軽い。
「最近、はやりなのか? さっき、先輩のエドワードが泊めてくれときたんだ」
「どのエドワード?」
「学校で一緒だったエドワード・オーウェン。幾つ上だったっけ。気位ばかり高い貧乏貴族様さ」
フレドリックは顔をしかめた。
「この時期、ただで泊めてもらおうだなんて、とんでもないやつだ」
「俺は払うぜ?」
びっくりしてジャックは言った。
「いや、ジャック、お前はいいんだ。お前とはしょっちゅう貸し借りしてるし、金がなくて、頼みに来たわけじゃないってことはわかってる。だけど、エドワードはそうじゃない」
「なんでこんなところに来たがったんだろうな? エドワードのやつ、ピアのこと、馬鹿にしてなかったっけ?」
「余計腹がたつな。気になる娘がいるらしい。その娘がここに滞在しているんだそうだ」
「ピアに滞在できるくらいなら、エドワードの財力じゃ太刀打ちできるような家の娘じゃないだろう。誰なんだい?」
「知らん。どっかの伯爵家の令嬢らしい。俺が泊めないと言ったら帰っちまったから、わからん」
ふーんとジャックは言ったが、伯爵家で滞在できるだけの財力がある家は限られている。嫌な予感がしたが、まさか違うだろう。
フィオナが、どこかのしゃれた格好の若者に丁重に馬車まで送り届けられているさまを見たマッキントッシュ家の女中は、すっかり魅了されていた。
「さすが、上流社会は違いますね!」
「おだまりなさい」
マルゴットに一喝されて、女中は黙り込んだ。
馬車が出て、ジャックに聞こえないところまで来ると、マルゴットは女中に言った。
「ジェン、あのご子息に聞こえたら、どうするつもりだったのですか? 馬車が出てから、聞きたいことはおっしゃい」
ジェンはしゅんとした。
「ジェン、あの方は、パーシヴァル男爵の嫡男のジャック様です」
何で知ってるんだろう。
フィオナとジェンは、同時にマルゴットの顔を見た。
「パーシヴァル家は、前の戦争の時、戦費として莫大な金額を寄付されました。また、大いに政府に協力されたので男爵を叙爵されたのです。成り上がりですね」
マッキントッシュ家のロッジの自分たちの部屋に入ると、マルゴットはティーパーティの次第を聞きたがった。
「それは、モンゴメリ卿の差し金ですね」
モンゴメリ卿は、熟練の社交界通で、あいそうな男女を引き合わせるのが趣味だった。
マルゴットは難しい顔をしていた。家柄ではうまみのない結婚だ。フィオナの家はパーシヴァル家の財産を思って大喜びするかも知れなかったが、実際にはフィオナは莫大な遺産を相続することになっている。貧乏は困るが、お金目当ての結婚は、フィオナの場合必要ではない。
「それで? フィオナ様はジャック様が気に入りましたか?」
フィオナは考えた。
ジャックは決して悪い印象ではなかった。だが、結婚していいかと言われると、どうも修道院の方に傾いてしまう。
「楽しそうな方でしたわ。でも」
結婚したくないと答えたら、こんなに苦労しているマルゴットに申し訳ない。
「別に結婚してくれとおっしゃっているわけではないので」
「今晩の舞踏会には来られるのですか? ジャック様は」
フィオナはパッと顔を赤くした。横で一部始終を聞いていたジェンとシャーロットは、興味津々になった。
「あの、ええと、来られるとおっしゃっていましたわ」
「それだけ? ダンスの予約は?」
「あの、ええと、今晩は独占したいとおっしゃってました。でも、本気かしら?」
「まあ、フィオナ様!」
ジェンとシャーロットが叫び、マルゴットに睨まれて、黙った。
「フィオナ様、それは無視してよいお約束ですから、ほかの殿方に誘われたら、全部OKするように。ジャック様から何か文句を言われたら、ご冗談だと思っていましたで済む社交辞令です」
ジェンがたちまちがっかりした。単なる社交辞令なのか。
「おそらく、ジャック様は本気でしょう。でも、ほかの殿方と踊るチャンスです。それに、ほかの殿方と踊れば、当然、ジャック様はもっと夢中になります。損はありません。わかりましたね? ジェン」
なぜか、矛先はジェンに向かった。
「見た目がいいからと言って、目先にこだわってはいけません。シャーロット様の時の話ですよ?」
ジェンはコクコクと頷いた。
舞踏会の会場では、早めにやって来たジャックがモンゴメリ卿に捕まっていた。
「ジャック、どうだった?」
ジャックは照れた。
「かわいいお嬢さんで」
モンゴメリ卿はジャックを睨んだ。
「それで? なんで、君はここにいるんだ? 今日帰るから、今晩の舞踏会は出ないと言っていただろう」
「ハハハ、ご慧眼ですね。フィオナ嬢に約束させられましてね。壁の花になるのが嫌だからって」
気に入ったらしいことはモンゴメリ卿にも良く分かった。
「へえ?」
ジャックは早めに来て、フィオナの到着を待っているのだ。
「まあ、いい縁談、妥当な縁組だよね? ダーリントン伯爵家は古い由緒ある貴族の家柄だが、先代が亡くなって以来、手元不如意だからな」
そろそろ灯かりがともされ、次から次へと馬車が横づけにされて、きらびやかに着飾った人々が会場に吸い込まれていった。
「確かに、フィオナ嬢はかわいらしい」
モンゴメリ卿は、ちょっとフィオナが惜しくなってきた。
ジャックと言う男は、意外に小うるさく、名家の令嬢だからと言って必ずしも喜ばない。彼は口がうまく礼儀作法も満点だった。そのせいかどの令嬢にも悪く言われたことはない。だが、彼の方がなんとなく話を進めないので二十五歳の今まで婚約すらしていないのだった。
その男が珍しく落ち着かない様子で娘の到着を待っている。
そろそろモンゴメリ卿自身も身を固めた方がいいかも知れなかった。
「由緒正しい家柄の、若いがしっかりした娘……か」
見た目も決して悪くない。少々引っ込み思案なのは、社交界に慣れれば問題ないだろう。
「あ!」
マッキントッシュ家の馬車がついたのだ。
ジャックは、はやる心を押さえて、急いでいるように見えないように気を使いながら、速足で近づいていった。
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