第4話 メレル家の舞踏会

アレクサンドラがびっくりしたことには、マルゴットはメレル家がどんな一家で、なぜ舞踏会が催されるか、熟知していた。


「メレル家のご子息の婚約披露パーティですね?」


「え、そうよ。出席する必要はないから、行かないでおこうと思ったんだけど」


もちろん、出席しなければいけない場合もあれば、しなくていい会もある。

この場合は、どちらでもよかったので、出費を抑えたい伯爵家としては、欠席する方針だった。


「わかりました。3週間後ですね」



アレクサンドラは、こんなに頼もしい侍女に出会ったのは初めてだった。


翌日には採寸のための仕立て屋が呼ばれ、マルゴットの指示のもと、新しいドレスの用意が着々と進んでいた。


試着の際には、アレクサンドラはフィオナの部屋をのぞき込まないではいられなかった。


「あら、かわいいじゃないの」


思わず声が出た。


いままで、さえない地味な娘だとばかり思っていたのに、体に合ったドレスを身に着け、きちんと化粧すると、こんなに人間変わるものなのか。


とてもうらやましくなった。自分と言えば、最近は新しいドレスなんか一枚も作っていない。あんなに醜かったフィオナが、新しいドレス一枚で随分ましに見えるのだ。


「私と違って、ぼんやりした顔なのにねえ。毛の色も薄いし。印象がないから、ドレスが浮くわね」


「あら、そんなことはございません。奥様はキリッとしたお顔立ちで、お嬢様はタイプは違いますが、とてもお可愛らしいですわ」


肝心のフィオナは、今までよりも格段に上等のドレスに、浮かれている……べきところを、なんとなく悄然としていた。


「なんで、そんなに陰気にしてるの?」


「お義姉様、わたくしにこんなドレス似合わないのでは……わたくし、地味ですし」


「地味だし似合わないけど、せめてうれしそうな顔をしたらどうなの? 陰気臭い」


やはり、似合わないんだ。フィオナはますます下を向いた。派手なドレスを着こんだブス子は余計目立つのではないか。容貌はイマイチなのに、ドレスだけは素晴らしいなんて。


マルゴットは、聞いていないフリをしながら、聞いていた。それをやりながら、仕立て屋に矢継ぎ早に指示を出していた。


「マルゴット、あなたも行くの?」


「もちろんでございます。若奥様。お付がお供しないなんてこと、ございますまい」


「私が行ってもいいのよ?」


マルゴットは返事をしなかった。


「ドレスの新しいのがちょうど欲しいなと思っていたところなのよ」


「奥様も新しくドレスをお買い求めですか?」


仕立て屋がニコニコしながら声をかけてきた。


「そうねえ。頼もうかしら? ねえ、マルゴット? 付き添いにもドレスはいるわよね?」


「お急ぎでお仕立てするなら、別料金になりますが」


「大丈夫よねえ? マルゴット。だって、フィオナの為ですもの」


「フィオナ様のドレスの代金のみ、お預かりしております」


アレクサンドラの顔がどす黒くなった。


「付き添いの私のドレス代は必要経費でしょう! アンドルーに話して、あんたなんか出て行ってもらうから!」


「奥様」


マルゴットが向き直った。


「私を追い出された場合、ダーリントン伯爵様の取り分の遺産はフィオナ様のものとなります」


「なんですって?」


アレクサンドラが叫んだ。




翌日、アンドルーとアレクサンドラは、伯爵から遺産受け取りの詳細条件を聞いた。


「なんで、あんなマルゴットとか言う女中にそんな権限があるんですの?」


「そうですよ、父上。気にする必要はないと思いますね」


アンドルーはちょっと小ばかにしたように父に向かって言った。


「アレクサンドラがドレスを新調するお金ぐらい、フィオナの社交界デビューの金額から捻出できるでしょう。そもそもフィオナは社交界デビューなんて望んでいない。苦痛に過ぎないのです」


父親の伯爵は、息子にゴードン弁護士に相談するようアドバイスをした。正直なところ、伯爵には細かい規定はわからなかったのである。


二人は着飾ってゴードン弁護士事務所に赴き、高圧的に遺言を変えるように命じたが受け入れられなかった。


「なぜですの? 大伯母は間違っています。家長の伯爵か、嫡男のアンドルーのお金でしょう!」


「ハドウェイ様の財産の贈り先をお決めになられるのはハドウェイ様でございまして、正しいも何もございません」


カンカンに怒ったアレクサンドラはアンドルーを引きずって、手当たり次第の友人に相談したが、ここで意外な事実を発見した。


相談を持ち掛けた三人が三人とも弁護士の肩を持ったのである。


「遺産なんてそんなものだよ。せめて、そのマルゴットの機嫌を取った方が賢いと思うよ?」


「アンドルー、君、何言ってるんだ。遺言を変えられるわけないだろ」


「正しい遺言ではありませんわ!」


アレクサンドラは叫んだが、聞いた側はいかにもしらけた、むしろ軽蔑の色を浮かべた。さすがの夫妻もこれはダメらしいと理解し始めたらしい。最もこたえたのは、友人の妻がヒソヒソと彼らのことを「大人のくせに常識がない」と夫にささやいたのが聞こえた時だ。





「後で、お話を聞かせてね? フィオナ」


結局、アレクサンドラはドレスを諦めざるを得なかった。でも、女心にパーティーだの舞踏会だのは、気になる話題だ。フィオナが舞踏会に出かける前、猫なで声でアレクサンドラはフィオナに声をかけた。フィオナの方はうつむいたままだった。


似合っていないし、陰気だと言うアレクサンドラの言葉が消えたわけではないのだ。

それにうまくいかなかったら、アレクサンドラから批判されるに違いない。せめて関心を持たないでくれたらいいのに。



当日、華やかな雰囲気の舞踏会の会場に、しおしおとフィオナは出かけた。


どう考えても、自分はこんな場にはふさわしくない。

地味で醜い。

誰も誘ってくれなくて壁の花になるのも恥ずかしいが、話しかけられるのは、もっと困る。


「お嬢様、今日は踊らなくても構いませんから、よおっく舞踏会の様子をご覧になっていてくださいませね。まずは、勉強でございます」


メレル家は最近羽振りのいい商家だった。


息子はよく太った陽気そうな男で、先ごろ、家格でいえば相当格上のウォリック伯爵令嬢と婚約が調ったのだった。

そのための婚約披露のパーティだった。


「メレル家のご長男とウォリック家の次女の方ね」


彼女は目をあげて観察した。ウォリック家の長女は、美人で気が利くと評判だった。結果、裕福な子爵家の嫡男と結婚した。しかし妹の方は、痩せていて、なんとなく自信なさげで、おどおどしていた。身分が欲しい金満家に下げ渡されたのだろう。


自分とかぶった。


アレクサンドラは、金持ちの男との結婚をもくろんでいる。まるで、身売りだ。もし、結婚を強く拒絶したら、きっと行き遅れの娘として、一生ダーリントン家の中で無給のメイドよろしく甥や姪の世話をして過ごすことになるのだろう。


考えてみれば、遺産がもらえて本当に良かった。夫をつかまえられなくても、修道院には入れる。家にいて、一生、アレクサンドラにガミガミ怒られることを思うと、ゾッとした。


「あちらにいらっしゃるのが、先ごろ、デビューされたメイソン卿の令嬢のキャスリン様です」


見ると茶色の髪の少女が、心細そうに立っていた。

誰か一人の男性がエスコートしてダンスに誘っていた。


一連の動きをフィオナは冷静に見つめていた。少女は見るからにどぎまぎしているようであり、その様子を見て居ると、自分の方が落ち付いてしまった。


ただ、踊るだけなら、大したことではない。


そこで、男の気を惹こうとか思うから、緊張をきたすのである。


しかし、男の気を惹けなかったら何のためのダンスパーティへの参加なのか。そもそも誰も誘いに来ない。みんなフィオナの前を素通りしていく。ここで、通り過ぎる男に向かって、ニコニコ笑って見せるべきなのか? ダメだ。自分には無理だ。


ここは真面目に壁の花を演っておこう。十回くらいめでたく壁の花で終われば、この苦行も終わるはずだ。


しかし、そう考えた途端、義姉のアレクサンドラの鬼のような顔が目に浮かんだ。


ドレス代が無駄だったとか、器量が悪いからとか陰気だとか、やる気はあるのかとか非難されるだろう。


フィオナは退屈紛らわしも兼ねて、言い訳を考えることにした。

「お義姉さまのようなわけには参りませんでした」

これかな。


「たいてい、知り合いが申し込むことが多くなりますから。たまには、かわいらしいから誘うと言うようなこともありますが」


その一見かわいらしいから誘うと言うのに賭けているのが、現在のフィオナである。こんな容貌なのに。

無理だ……。

じっとしているのも、逆に目立つようで嫌だが、ほかに仕方がない。



見ていると、誰か高位の貴族か、社交界で人気者か、そういった人物が会場にやって来たらしい。少しばかり、人々がざわめいた。


「メレル家と付き合いのあるグレンフェル侯爵が来られたのです」


グレンフェル侯爵は祖父の旧友で、フィオナの婚約者の二番目の方が出た家だった。もちろん、婚約者は死んでしまっているので、多分あれは弟だろう。遠くから見ている限りでは、体つきが大きく、たくましくて堂々としていた。覚えている兄のセシルとは違う。セシルは髪も金髪だったし、もっとずっと細かった。


当主はまだ若く、国王の御覚えもめでたいらしく仕事も順調らしい。


「婚約者がどこかにいるそうでございます」


気がなさそうにマルゴットが教えてくれた。

確かに、婚約済みの男は、獲物としては論外である。

それにあんな男臭い男はとりあえず怖い。


その時、ふらりと人影が近付いてきた。


「もしかすると、ダーリントン家の、ええと……」


マルゴットが鋭く合図した。返事をしないといけない。


「フィオナですわ……」


「そう、フィオナ! 覚えていませんか?」


全く覚えていない。その青年は、中肉中背のちっとも目立たない男だった。


「あの、ええと……」


フィオナは必死になった。


「僕は、あなたの兄のアンドルーの友人で、エドワード・オーウェン。父はゾンバルト子爵です」


キタ!


男、キタ!


さあ、ここで、がんばらなくてはいけない。


「わたくし、男の方とお話しするのが、とても緊張してしまって……慣れないものですから」


言った瞬間、まずいとわかった。こんな男を拒絶するようなセリフを何で言っちゃったんだろう。お話し出来てうれしいとかなんとか……実際には、うれしくもなんともなかった。早く、どこかへ行っちゃって欲しいんだけど。


エドワードは黒っぽい髪と静かなグレーの目の持ち主で、大人しそうな見かけだった。


「兄上のアンドルーとも話が出来ないのですか?」


「でも、兄ですもの」


エドワードはちょっと笑った。


エドワードは踊ろうと言わなかった。一言二言かわすと、さっさとどこかへ行ってしまった。フィオナはほっとした。


しまった。ダンスに誘ってもらわなければならなかったのに!


「私の返事が良くなかったのかしら?」


ああいう場合は、せっかくなので、引き留めないといけなかったんだろうか。どう引き止めたらよかったんだろう。フィオナは、真剣に悩み、自己嫌悪に陥り暗くなった。


彼女は、結局、壁の花で一晩中下を向いて過ごした。やはりつらかった。




だが、翌日、自宅には花束が届いた。


アレクサンドラは、仰天した。


「昨日の舞踏会の成果だと言うの?」



「エドワード・オーウェン様です」


フィオナはカードを読んだ。


『あなたと踊れなくて残念でした。そのうち、お宅を訪問する許しがあればと思います』


アレクサンドラは思い出した。そうそう、エドワード・オーウェンは夫のアンドルーの友人だった。祖父の代からの付き合いのある家族でもある。


「素晴らしいじゃないか、フィオナ」


珍しく兄のアンドルーがほめた。


「エドワードか。悪くないな。まあ、舞踏会で会っただけだから、この先、どうなるかわからないが、妥当なところだろう」


兄は無造作に花束を手に取った。フィオナのものなのに。


「そこそこ値が張るな。うまいことやったな」


アンドルーは、ご満悦のようだったが、アレクサンドラは夫を避けるようにして、別の舞踏会の招待状をフィオナの部屋に持ってきた。


「エドワード・オーウェンで決まるって言うなら要らないんだけど。これ、野外舞踏会の招待状なの。室内の舞踏会は、みんなが見て居るから安心なんだけど、戸外はちょっと……どうする?フィオナ」


「わたくしがついていきます」


マルゴットが宣言した。


「エドワード様と成約するとは限りませんから」


アレクサンドラはマルゴットのがっちりしたあごの線を眺めた。なんだかものすごく頼りになる気がする。でも、成約って、不動産物件の話をしているわけではないのだが。


「じゃあ、次はモンゴメリ卿の野外パーティね」


「こんなこともあろうかと、ドレスを五着仕立てておいてよかった」

五着! アレクサンドラは、肝をつぶした。どれだけお金がかかったんだろう。




「マルゴット」


フィオナはつぶやいた。


「エドワードはどうして私に声をかけてきたのかしら?」


「知りません」


マルゴットは答えた。


「最後にお断りすればいいだけです。ここは非情にいかなければなりません。確定ではないので、次に行きましょう。万一、別なお申込みがあれば、その時に考えましょう」


そんなんでいいのかと思ったが、フィオナは、マルゴットの言うセリフをそのまま丸写してエドワードに礼状を出した。


『美しいお花をありがとうございます。お話しできて、とても嬉しかった。また、お目にかかりたいと存じます』


できれば、あんまり会いたくなかったし、話題がないので話もしたくなかった。


「そして、これ」


それはタイプで打ったエドワード・オーウェンの経歴だった。


「あのー、これはどこから?」


「ゴードン弁護士事務所です」


話題に不自由してはいけないので、フィオナはその紙を読まなければならなかった。

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