18:別離

 舞莉はベッドに腰掛けていた。


 せっかくバリサクに慣れてきたというのに。あのバリサクを深田野中に返さなきゃいけないって。

 今、その楽器を使ってる人がいるのに、どうして。……やっぱり借りている身だから、返せと言われたら断れないのか。


「……どうする?」

 隣に座るバリトンがつぶやく。


「もりもってぃーから言われたのは、テナーかユーフォなんだけど、どっちもイマイチというか、しっくりこなくて。」

「アルトは?」

「今は空いてるけど、パートが決まったら一年が使っちゃうらしいから、ないって。」


 しばらく沈黙が続く。それを破ったのはカッションだった。


「なぁ、舞莉。パーカスに戻るっていう選択肢はねぇのか。」


 パーカスに戻る……ああ、それもありかも。


「だってよ、実質、今のパーカスは大島と司だけだろ? これからコンクールもあるし、『クシナダ』ってパーカスが多いらしいし。」


 耳が悪くて週に一度しか来ない細川先輩。学校には来ているようだが部活には来ない。

 朝練習の基礎合奏は、バスドラムとスネアドラムだけ。鍵盤楽器やシンバルがない合奏はどこか寂しかった。


「あと、パーカスに戻ったら、今年のコンクール出られるかもな。」

 昨年は四人が出た。今年もB部門なら、おそらく同じ人数が出るだろう。


「戻ったら戻ったで、すごい忙しくなりそうだけど。」

 舞莉は壁のカレンダーを見てゾッとした。


 今年も六月にある『西部支部』に出るのなら、一ヶ月で発表できるまでに仕上げないといけない。半年のブランクがあるパーカスで、しかもコンクール曲を。


「バリはどう思う?」

「えっ、僕?」

 急にふられたバリトンは戸惑う。


「僕としては……舞莉が決めたことに従うよ。しばらくバリサクが吹けなくなるのは変わらないし、僕は応援くらいしかできない。ユーフォをやるなら、話は変わってくるけどね。」


「でも、金管は苦手だから――」

「やっぱりパーカスだな。」


 カッションの言葉にうなずく舞莉。


「うん。何かわかんないけど、他の楽器よりパーカスの方がこれからのビジョンが見えてくる。」

「それは、舞莉が経験したことのあるパートだからだろ?」

「……そっか。」


 パーカスに行く方が、色々と利点が多い。

 まず、一時的でも低音パートを離れられること。次に、コンクールメンバーになれるかもしれないこと。あとは……。


 セグレートで練習したドラムを見せられるかもしれないこと。実は鍵盤やウィンドチャイムだけじゃなくて、ドラムもできるんだよって。


 欠点と言えば、パーカスにいる間は吹かなくなるので、肺活量が下がること。それくらいしか思いつかない。


「明日、もりもってぃーに聞いてみる。そもそもパーカスに行けるかどうかも分からないから。」


 突然立ちこめた闇だったが、その日のうちに光が差しこみ始めたのだった。



 次の日の朝イチ。森本先生が音楽室に来たところで捕まえた。舞莉を見た瞬間に、先生は話を聞く態勢になった。


「羽後さん、決まりましたか。」

「あの、パーカスにいくっていうのはどうですか。」


 先生は舞莉の言葉に固まった。


「パーカス……ですか。」


「サックスに移った時も言ったんですが、基本的に金管は音は出るんですけど苦手なんです。テナーは三村さんがいるので。」

 もっともらしい理由を言ってみる。


「そう……ですね。でも、また戻って大丈夫ですか?」


 言われるのも無理はない。人間関係の問題でサックスに移動したのだから。


「たぶん大丈夫です。細川先輩はあまり来ませんし。大島先輩と高橋くんの二人となら、やっていけると思います。」


「分かりました。今年のコンクール、パーカスなら羽後さんも出ることになると思います。ですが、あまりにも実力がともわない場合はメンバーから外しますが、それでもいいですか?」


 舞莉はうなずく。


「はい。そもそも、このままサックスにいても出られないので。」


 これで確実にパーカッションパートへの移動が決まった。


 席に戻り、床に置いたバリトンサックスを持ち上げ、膝の上に置いた。譜面台の上には黄色いファイルに入った、『コンサートマーチ「アルセナール」』。


『この曲を、このバリサクで吹くのはもう数えるほどしかないだろうな。』


 そう思いながら、ハート型のキーホルダーがついたチューナーを取り出した。


 ◇   ◆   ◇


 そのキーホルダーは舞莉が買ったものではなく、サックスの先輩三人からくれたものだった。


 それはまだ舞莉が不登校になる前、久しぶりのサックスでのパート練習の時だった。


「そういえばさ、みんなって楽器に名前つけてる?」

 話を切り出したのは高松先輩。


「確かに、他のパートはつけてる人いるよね。引退した先輩たちも。」

 浅木先輩は何人かの名前を口にする。


「それなら、サックスパートみんなで、ひとりひとりの楽器に名前をつけよう!」

「おっ、いいじゃん、高松!」


 高松先輩と浅木先輩だけで盛り上がっているが、舞莉も実はしてみたかったことだった。

 パーカスでは基本、『自分の楽器』というものがない。他のパートの人が、自分の楽器を我が子のようにかわいがっているのを見て、少し羨ましく感じていた。


 ちなみに……楽器に名前をつけることと音楽の精霊は、別物である。


「なんか、名前もパートで統一感がある方がいいんだよねー。何がいい?」

「それなりに種類がないといけないから……」


 舞莉がとっさに思いついたのは、宝石の名前だった。これなら、サックスのきらびやかなイメージとも合いそうだ。


「……宝石はどうでしょう?」

「宝石……いいんじゃない?」

「いいじゃん! ひばるん、やるぅー!」


 するすると話が進んでいく。


「じゃあ……古さんのならすぐに思いついた!」

 高松先輩が手を挙げている。


「えっ、私?」

「古さんはね、イメージカラーが青っぽいから、サファイアかな。」

「「「あー、確かに。」」」


 これはみんな同意のようだ。


「浅木はね、好きな色って紫でしょ? だからアメジスト。」

「よく覚えてたな、アメジストでいいよ!」


 浅木先輩のもすんなり決まった。


「優花はね……」

 高松先輩は、直接の後輩である古井優花をじっと見る。


「赤! 赤だね! 赤だと……」


「ルビーとか。」

 ボソッとつぶやく舞莉。


「それそれ!」


 次々と宝石が散りばめられていく。


「瑠衣はどう? 瑠衣も青っていう感じがするけど……」

「じゃあ、好きな色なに?」

「好きな色……緑系ですね。」


 めずらしっ! まぁ、緑も昔は青色の一部だったらしいし……おっと、蛇足蛇足。


「緑系の宝石ってない?」


 少し宝石に詳しい舞莉が答えてみる。


「有名なものだとエメラルドとか。黄緑っぽいのだと、八月の誕生石のペリドットもあります。」


「ひばるん、詳しいね! 瑠衣、どうする?」

「……じゃあ、エメラルドで。」


 高松先輩と浅木先輩の勢いに任せるような形で、一年生(当時)のものも決まっていく。


「えっと、遥菜はね……ピンクかなぁ?」


 ピンク……ピンクの宝石って何だっけ?


「ひばるん、ピンクは?」


 舞莉は少し考えこむ。あ、あれとかそうじゃない?


「確か……ピンクダイヤとか、濃いめのものだとピンクトルマリンとか。薄いものだとローズクォーツとかもあったような……」


「最初の二つは、頭に『ピンク』ってついてるからなー、最後に言ったやつって?」

「ローズクォーツです。」

「じゃあ、略してローズにしよう!」


 遥菜本人の意思に関係なく、勝手に決められてしまった。本人は別にどうでもいいのかもしれない。


「あっ、高松のやつ決めてなかったじゃん!」

「そうだった! 人のばっか決めてた!」


 ここで、サックスパートリーダー・高松先輩の名前が上がる。


「私はね、イメージカラーは黄色だって思ってる。」

「黄色ねー、ひばるん!」


 な、名前だけ呼ばれたよ。


「そうですね……トパーズとか、十一月の誕生石のシトリンとか、あとはコハクとか。」


「コハクいいじゃん! 聞いたことあるし!」

「先輩、ちなみにコハクって木の樹液が固まったものなんですよ。」

「そうなの!? へぇ、すごぉい!」


 付随情報も加えておく。本当は、樹液に寄ってきた虫がそのまま閉じこめられていることがある、とも言いたかったが、止めておいた。


 というか、私のやつまだ決まってなくね?


「あのー、私のやつは……?」

 舞莉は遠慮ぎみに手を挙げる。


「あぁぁぁぁああ!! ごめぇん! 宝石教えてもらったのに!」

 全力で謝ってくる高松先輩。


「ひばるんはね……………………なんだろ?」

「確かに……………………分かんなぁい。」

「持ってきてるお弁当は黄緑だけど、筆箱は紫だし、ファイルは黄色だし……。」


 舐めるように見られているが、イメージカラーさえつかめないらしい。


「うーん、白? 透明とか?」

「あっ、それだ!」

「白! いいかも!」


 ……へ? ……えぇっ!


「そ、そんな『潔白』みたいなイメージなんですか?」

「そうそう。ほら、品があるし、誰にも汚されていない感じ?」


 他の人は汚れてるんかい。まぁ、私が汚れてないわけないんだけどね。色々あったし。

 高松先輩は、自分だけでなく、舞莉以外に失礼なことを言っているのに気づいていない。


「そうなったら、やっぱりダイヤモンド?」

「だ、ダイヤ!? 透明なら、他には水晶とか――」

「ダイヤだ! ぴったり!」


 舞莉の提案は完全スルーされ、なぜか宝石の王様・ダイヤモンドになった。


「よーし、今日帰ってから、名前が分かるものを作ってみるね!」


 そう高松先輩が言って、やっとパート練習が始まったのだった。



 次の日、舞莉が部活に来ると、準備室のサックスがしまってある棚に何枚かの折り紙が貼られていた。

 左から、黄、紫、青、赤、ピンク、緑、白。それぞれに楽器の種類、その人のニックネーム、楽器の名前が書いてあった。舞莉の白い紙には『B. Sax ひばるん ダイヤ』と書いてあった。


『高松先輩、仕事早っ!』


 それにしても、自分のイメージカラーが白や透明で、ダイヤモンドを振り当てられるなんて。


「似合ってるよ。舞莉にぴったり。」

 首にかけたストラップからのバリトンの声に、肩に乗るカッションは大きく首を縦に振った。



 次の月曜日、舞莉は朝練で音楽室に入る。すると、舞莉の椅子の上にハート型のキーホルダーが置いてあった。

 外枠が金色で、中にカッティングが施された透明のものがはめこまれている。

 隣の古崎先輩のを見てみると、銀色の外枠に同じくカッティングつきの青いものがはめられていた。どうやら色違いのようだ。


 高松先輩がこちらに振り向いた。


「ひばるん、昨日、二年(当時)の三人で遊びに行ったの。そしたらガチャガチャでいいやつ見つけてさ。この間みんなの楽器の名前決めたでしょ? それでみんなの分回してきたから!」


「あ、ありがとうございます。……って、いくらかかったんですか!」


「あっ、別にお金は気にしなくていいからね! うちらが遊びでやっただけだから!」


 それならと、先輩にあやかって費用は負担してもらうことにした。


 キーホルダーをよく見ると、透明のものに黒いペンで何か書かれていた。

 表には『B. Sax M』、裏には『Diamond』。


 舞莉はチューナーの穴に、そのキーホルダーを通す。大きめでインパクトのあるものだが、自分がサックスの一員だと認めてもらえたような感じがした。


 ◇   ◆   ◇


『このチューナーも、しばらく使わなくなるなぁ。』

 舞莉はチューナーマイクをバリサクのベルに挟み、音合わせを始めた。



 ついに、五月六日、合奏講習会の日がやってきた――いや、やってきてしまった。


 顧問の車に楽器を積みこみ、パートごとに自転車で移動する。向かうのは弓落中学校。マンモス校としても知られているところだ。

 中に入ったのは初めてであった。南中と違い、A棟・B棟・C棟と分かれていない。


 うん、何かと広い。確かに、市内の中学校の吹部を全員集めても大丈夫だな。


 舞莉は重たいバリサクを持って、三階の二年三組の教室に入った。机とほとんどの椅子が後ろに下げられ、椅子が四つだけ横に並んでいる。

 すでに二人、準備をしている人がいた。


「……おはようございます。」

 小さくあいさつをし、隣にバリサクのケースを置く。


「「おはようございます」」


 返してくれた。よかった。

 まさか、ここに音楽の精霊が二人もいるとは思っていないでしょうけど。


 バリトンが宿るストラップをかけ、バリサクをセッティングする。

 まず、本体を立ててストラップのフックをかけ、ネックを差しこみ、ネジを締める。そして、ネックの先にマウスピースを差しこむ。


『なんか、他の学校の人がいると緊張する。』

 舞莉はなんとなく周りを見渡して、椅子に座る。


『音出していいのかな。』


 舞莉は森本先生からもらった進行表を見る。時間が細かく決まっており、それによると十時からチューニング・基礎練習になっている。それまでは自由に音出しと書いてある。


 バリトンも進行表を見て言った。


「いいんじゃない?『ROMANESQUE』吹いててもいいと思うよ。」

『そうだね。軽く吹いてからROMANESQUEやってみるよ。』


 吹こうとすると、最後の一人が教室に入ってきた。全員そろった。

 舞莉が吹き始めると、先に来ていた二人も音出しを始めた。とりあえず最低音から最高音まで、順に吹いてみる。


 舞莉は『ROMANESQUE』を吹き始めた。合奏したときの音を頭に流し、スラーを意識して滑らかに吹く。

 しかし、簡単なので一回通せば十分だった。


 時間が余ってしまった。


「半音階とアルペッジョやっておく?」


 バリトンの提案に『うん』と返し、3Dバンドブック(基礎練習本)を開く。半分くらいは暗譜できているのだが。


 何回か練習していると、ちょうど十時になった。

 ああ、基礎練習の進行をやらなねば。


「チューニングしてください。」

「「「はいっ」」」


 しっかり返事をしてくれた。やはり、ハキハキとした返事は全校共通らしい。

 音出しの時間が長かったので、すぐにチューニングし終わった。


 そうだ。他の学校はどういう進行でやってるんだろう。


「えっと、テンポ六十でロングトーンやります。」

 他の三人の顔色をうかがう。大丈夫そうだ。


 チューナーを見ながら、まっすぐブレないように気をつける。


「リップスラー練習やります……みんなは何番やってますか?」


 一番から六番まであるのだが、南中は三番→二番→四番という順番でやっている。


「三、二、四ですね。」

「うちも同じですね。」


 これも同じのようだ。もしかしたら市内で統一しているとか……?


「じゃあ、やります。」


 ただの低音域のロングトーンだが、かなり息を持っていかれる。テンポ七十二で八拍のばすだけでキツい。


「次は……アンブシュア練習やります。」


 これも、南中は時間短縮のため、日によって一番から三番まで・四番から六番までと分けたりしている。


「あの、一番から六番まで一気にやってます?」


「やってます。」

「やってますね。」


 ま、マジか! うちだけかよ!


「分かりました。この通りやります。みんながやってるなら、私も頑張ります。」


 少し苦笑いされ、マッピをくわえる。


 いつもの区切ったバージョンでやっているせいか、アップアップしてしまった。ちゃんとやるとこんなにキツいのか……!


 何とか吹ききった。


「アルペッジョ練習やります。」


 すると、他の三人の顔色が変わった。

 十六分連符のオンパレードなので、とりあえずテンポを聞いてみる。


「テンポいくつですか?」

「あの……そもそも苦手……というか。テンポは六十です。」


 お、遅っ!


「六十でやってみますか。これも、リピートはありですよね。」


 うなずいてくれた三人。しかし、いざやってみると――


『……うそでしょ。』


 最後まで吹けたのは舞莉だけだった。しかし、リピートをする分また息が上がりそうになった。


『ちょっと待って! みんな元アルトかテナーだよね!?』


 この人たちは約一年、サックスを吹いているはずだ。


「……個人練にします。」


 舞莉はそう言うと、メトロノームを八十四にしてアルペッジョを吹く。さっきよりテンポアップしている。しかし、いつもはこれで練習している。


 吹いている途中から視線を感じた。それを意識しないようにするが、危うくミスりそうになった。この教室に舞莉の音だけが響く。


「すごい。」

「速くしてもできてる……。」

「南中すごい……。」


 五分後、次の練習にとりかかった。


「半音階やります。これはリピートつけますか?」


 他の三人はうなずく。舞莉はテンポを聞いてみる。


「うちはテンポ百二十でやってるんですけど……。」

「そうなんですか! うちは百です。」

「私のとこは同じで百二十です。」


 学校によってばらついている。舞莉はテンポの遅い学校に合わせた。


「遅いほうに合わせて、百でやります。」


 だったが――


『と、途中までしかできてない!』


 舞莉以外の人たちがどんどん離脱していく。


「じゃあ……個人練にしましょうか。」


 個人でできていなければ、合わせで練習する意味はない。

 かなりグダグダな感じで基礎練習は終わった。



 お昼休憩になった。昼食はこのメンバーと一緒に、この教室で食べる。


 お互いに違う学校で、お互い知り合いはいなかった。二年三組は静まりかえっている。


 どうしよう。何話そう。


「自分のこと、話してみたら? 元パーカスで、今日でまた戻るんですよって。」

 肩の上のバリトンが耳打ちしてきた。バリトンの通りに言ってみることにした。


「えっと……タメ使っていいかな?」


 舞莉は尋ねる。

 みんなが敬語だと堅苦しくなるからだ。三人はうなずく。


「私ね、もともと十一月くらいまでパーカスだったの。」

「えっ、パーカス⁉︎」

「打楽器から管楽器って……。」


 それはそれは驚かれるだろう。当時、先輩たちにも驚かれたのだから。


「でも、さっきのアルペッジョとか半音階とか、完璧だった……!」

「えっと、うちの学校は、十一月の時点で他の人はできてるんだよ。大変だった。」


 それが当たり前だと思っていた。もしかしてうちが厳しすぎだったり……?


「あと、今日でもう、このバリサクとお別れなんだ。」

「「「えぇっ⁉︎」」」

「またパーカスに戻るの。このバリサク、もともと深田野中のやつなんだけど返せって言われちゃって。」


 三人は固まっている。


「せっかく今日、合奏講習会なのに?」

「ホントだよね、だから、パーカスの方もよく聞いておこうって思ってる。」


 舞莉は三人を順に見て言った。


「うちのパーカス、今は三人しかいないから、たぶんコンクールメンバーになれると思う。来月の西部支部とか地区大会でうちの学校を見かけたら、私はパーカスの方にいるから。『ああ、移動してばっかの人、あそこにいるなぁ』って。」


 クスッと笑ってくれた。そして、他にも気になっていたことが。

「あっ、そうだ。みんなは最初からバリサクじゃ――」


「違う、違う。私はもともとアルトだった。」

「私はテナーだよ。」

「私も元アルト。」


 ここのバリサクメンバーは、みんな他の楽器から移動してきた人だったのだ。


 学校ではぼっちの舞莉にとって、同級生とここまでおしゃべりできたのは久々だった。元パーカスのバリサク吹き。そして、明日からはパーカスに。


 こんな経験しているの、私以外にいるのかな、と思ってしまう舞莉だった。



 午後になり、『ROMANESQUE』の合奏になった。南中とは比べ物にならない広さの武道場に行き、弓落中の顧問から教わることとなった。


 音出しをして、チューニングをする。


「みんな一回は合奏してあるよね。それじゃあ、通してやってみるか。」


 市内の中学二年生の吹部全員による、『ROMANESQUE』が始まった。


 始めから、武道場を包みこむ迫力に、演奏しながら感動してしまった。

 ここにいるのはざっと八十人以上。何もかも人数がいて太い音になっている。ここで、舞莉は気づいた。


 フルートの列の一番前に、クラリネットに似た黒い楽器を吹く人がいることを。


『オーボエだ!!』


 公立の学校で、なかなかオーボエを持っている学校はない。さすがに同じダブルリード楽器であるファゴットはいなかったが。


 舞莉たちバリサクは、ピッチを合わせることくらいしか注意されなかった。が、他のパートの特にトランペットはよく先生から指摘を受けていた。


 ここでパーカスの方にも、ある重要なアドバイスをされていたが、肝心の司が熱で休んでいるので、明日言ってあげようと思った。

 マジで重要なのに何でいないんだよ。


 合奏講習会が終わり、また二年三組の教室に戻った。

 念入りに唾ぬきをし、タンポの掃除もした。借り物はきれいにして返す。そう思っているからだ。


『ダイヤ……もう今日でさよならだね。南中で吹いた最後の人になれてよかった。』


 キィについた手垢も拭き取り、舞莉はメッキが半分ほどはがれた『ダイヤ』を丁寧にしまった。

 フタを閉じたくない。


「舞莉……。」


 精霊二人は、正座をする舞莉の膝の上に座って、心配そうな顔で見上げる。


『うん。深中で大事に吹いてもらうんだよ、ダイヤ。』


 そう言って深呼吸すると、フタをパタッと閉じた。


 舞莉は深田野中のトラックに『ダイヤ』が積まれるまで、遠くで見送った。


『ありがとう。』


 舞莉は南中に帰ってきても、顧問の車からは下ろすものが何もなかった。



 舞莉がその日に書いた、吹部ノート。


 今日は合奏講習会でした。基礎練習の時、私がリーダーだったのでかなり戸惑ってしまいました。意外だったのが、私以外の三人が半音階とアルペッジョが途中までしかできなかったことです。その時間は個人練習にしました。

 またバリサクが吹ける日を楽しみにしています。


 サックスに移るまでも、移ってからも色々あったけれど、こんな吹奏楽人生、ある意味面白いのかもしれないな。


 クラリネットに憧れて入ったのにパーカスになって、いじめられてサックスに行き、楽器を返せと言われてパーカスに、そして先輩たちが引退したらまたサックスに。


 中学の吹奏楽人生の二年半で、三回もパート移動をする人。金管から金管でもなく木管から木管でもなく、打楽器から管楽器。


「こんな人、他にいたら会ってみたい。」


 自転車で帰った舞莉は、日がのびてまだ明るい自分の部屋のベッドで、大の字に寝転がる。起き上がって小さなバリトンを見た。


「バリ、しばらくは吹けないけど……。」

「うん、残念だけど……僕は舞莉を応援することが、これからの務めになるからね。」


 少し悲しそうな顔をするバリトン。


「カッション、これからはカッションの出番だからね!」

「分かってる。任せとけ。」


 管楽器のことは分からないとボヤいていたが、これからはカッションも忙しくなりそうだ。


 二人の精霊は等身大の大きさになった。二人の手にはブローチがある。舞莉はベッドから立ち上がった。


「パートが変わっても、このままよろしくね。」

「「もちろん!」」


 三人はそれぞれのこぶしをぶつけ合い、笑う。周りの景色がゆがみ始める。


 舞莉は思った。

 またパーカッションパートとして演奏できるチャンスを、先輩たちに消された過去を取り戻せるチャンスを、無駄にはしたくない。



 舞莉はチューナーのハート型キーホルダーを、ストラップに結びつけている。その『サックスにいたことの証』は、ずっと吹部バッグの中に入れておくことにした。


 またバリトンサックスが吹けるその日まで。



 スピリッツ・オブ・ミュージック♪ 〜第二楽章〜 終

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