第10話 変わりゆく風景(1)

(ここは、あの場所だ。あの樹齢千年の『墨染めの桜』が立っている土手…)

バーンはそう確信しながら、呪文の詠唱をどんどん進めていった。

「Ol Sonf Vorsag Goho Iad Balt Lonsh Calz Vonpho Sobra-Z-Ol Ror I Ta Nazps Od Graa Ta Malprg Ds Hol-Q Qaa Nothoa Zimz Od Commah Ta Nobloh Zien Soba Thil Gnonp Prge Aldi」

周囲は桜の花びらの闇から、いつも通りの夜の風景に戻っていた。

遠くに川の水の流れる音も、風が枝を揺らす音も、車の行き交う音も耳に聞こえるようになった。

ところどころにぽつんとある外灯が、遠近感を戻してくれた。

「Ds Vrbs Oboleh G Rsam Casarm Ohorela Taba Pir Ds Zonrensg Cab Erm Iadnah Pilah Farzm Znrza Adna Gono Iadpil Ds Hom Od Toh….」

ついさっき、夕暮れまでいた、桜の根元に彼は変わらず立っていた。

ゴツゴツした幹に手を掛けたままで。

魔法陣は、その桜をすっぽり覆い尽くすような形で、縦方向にも横方向にも広がっていた。

(そうか、ここに手をかけたときに『気』を合わせられたのか。

この桜にそんな力が!?)

なぜ彼にまでそんな幻覚ものを見せる必要があったのか。

次はその原因を探さなくてはならない。

バーンは眼を閉じた。

口では呪文を詠唱しながら、瞑想するように呼吸を整え、あたりの気配を探った。

「Soba Ipam Lu Ipamis Ds Loholo Vep Zomd Poamal Od Bogpa Aai Ta Piap Piamol Od Vaoan….」

桜の樹の発する『気』以外におかしなところはないかと探っていく。

(いや、桜じゃない。桜が意思を持っているわけじゃない。何か……他の…意識体が、)

桜の根本から幹、花、枝と心の眼で見ていく。

ある地点で彼の眼がとまった。

「! ここかっ」

カッと眼を見開くと自分の頭上5mに垂れ下がる、爛漫に咲いた一枝を凝視した。

「Zacare e Ca Od Zamran Odo Cicle Qaa Zorge Lap Zirdo Noco Mad Hoath Iaida!」

素早く、そう唱えると左手を挙げた。

光の小さな玉が彼の手から放たれた。

速度を増すように、彼が感じたその地点に向かって球体が少しずつ広がっていく。

パシィ…と何かを囲むような音がして、今度は光の球体は彼の頭上からユラユラと落ちてきはじめた。

(捕まえた……)

彼は左手を下ろすと魔法陣を解いた。

すう…と今まで光っていた文字が消え、輝いていた地面がいつもの土色に戻った。

バーンは左手にその球体をのせると、中をのぞき込んだ。

テニスボールほどの大きさがあるその透明な球体の中には、何かが閉じ込められていた。

何かが中で動いていた。

人の形をしているようにも見える。

そうでないようにも見える。

(人の思念体…だ。しかも、もう亡くなっている。女性か!?)

そう思いながら、彼は次の仕事に取りかかった。

右手で後ろポケットに無造作に突っ込んであった一巻きの紫色がかった布を取り出した。

袱紗ふくさのついた紐をほどくと、中には銀製の小さな短剣が6本、大切にしまわれていた。

それを一本一本取り出し、『墨染めの桜』を取り囲むようにほぼ均等に、時計回りに短剣の柄しか見えないほど深く地面に差し込んだ。

そして、その一歩外側に出ると、再び呪文を詠唱し始めた。

「Sapah Zimii D U-I-V Od Noas Ta Qanis Adroch Dorphal Caosg Od Faonts Piripsol Ta Blior Casarm A-M-Ipzi Nazarth AF Od Dlugar Zizop Zlida Casosgi Tol Torgi」

あまり大きくない、低い声で詠唱し続けた。

「 Od Z Chis E Siach L Ta-Vi-U Od Iaod Thild Ds Hubar PEOAL Soba Cormfa Chis Ta La Vls Od Q-Cocasb E Ca Niis Od Darbs Qaas F Etharzi Od Bliora Ia-Ial Ed-Nas Cicles Bagle Ge-Iad I L」

パアッと一瞬だけ、地面に差し込まれた短剣が、おのおの直線で結ばれたようにオレンジの光が見えた。

が、すぐにそれは消えてしまった。

『墨染めの桜』には変わった様子は何も見られなかった。

夜風が一陣吹いてきて、桜の枝と彼の金髪をかすかに揺らした。

ふうっと、ちょっとため息をつきながら、彼はまた桜の幹のそばへ歩み寄った。

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