第13話
美鈴の家は、学校最寄りの駅の反対側にあった。真紀たちは一度家に帰り、支度を整えて駅に集合することになった。
まだ馴染みの薄い駅、それも街灯が煌々と照らす夜の時間帯は、まるで別の世界に降り立ったような感覚を真紀に与えた。スーツ姿の大人が引っ切りなしに改札口から溢れ出し、夜の路地に吸い込まれていく。雑居ビルの前には呼び込みの若い男性がたむろし、帰宅民を捕まえようと躍起だ。そういう喧騒を脇に見ながら、三人は鳥飼を待った。
「待たせてごめん」
集合時間を前に、鳥飼は教室で会った時と同じ無表情で現れた。部屋着と外行きの間といった、落ち着いた紺色のワンピースに薄い藍色のジーパンを履いた美鈴は、制服の時よりもわずかに柔らかく見えた。
「大丈夫です。じゃあ行きましょうか」
夏希の号令で、四人連れ立って歩き始めた。駅のすぐ脇には街道が走っていて、そこを北に行けば高校、南に降れば市役所や図書館のある区画へ続いている。
美鈴と夏希が前を歩き、後ろを真紀とアリスがついていく格好になった。同じ能力を持つもの同士、話の合う部分があるのかもしれない。後ろから見ていても、会話が弾んでいるのがわかる。
「徒歩通学っていいですね」
「たまたまだけどね。高校はあそこしか考えてなかったから」
「恵庭先輩は全国にって言ってましたけど、都道府県にひとつくらいなんですよね」
「うん。まあ東京の方も通学できなくはないけど、カリキュラムとかは変わらないからね」
話を聞く限り、能力がある人はやはり積極的にそういう学校に行くもののようだ。
「先輩は、小さい頃から力が使えたんですか?」
真紀は何気なく聞いた。特段の考えがあったわけではなかったが、街灯の心もとない明かりでも、美鈴が怪訝な顔をしているのはわかった。
「そりゃあ、みんなそうでしょ? 他人とは違うんだってはっきりわかったのは小学生くらいだけど」
後ろから会話を投げかけたことで、美鈴が気持ちこちらに体を向ける。会話の流れが途切れ、歩みが遅くなる。
「ねえ、その荷物はなんなの?」
そこで、夏希がアリスの方を指差した。それに釣られて美鈴の視線も真紀から離れた。アリスは通学カバンとは別に、大きなリュックを背負っていた。
「着替えでしょ、明日の教科書でしょ、それからアビーのご飯に、アビーの寝床も必要だし。乙女の基本だよ」
「ドラゴンを使役している時点で乙女じゃないって」
「先輩まで!」
頬を膨らませて不満を露わにするアリスを横目に、真紀は夏希をちらりと見た。首を小さく横に振り、「真紀なんて、パジャマさえ持ってないからね」と水を向けた。
「そうなの?」
「え、はい」
夏希の振りに、真紀は危うく否定してしまうところだった。
「着いてから、ひょいって引き寄せるつもりなんですよ」
荷物をまとめている時に、そう思い立ったのは気まぐれだった。せっかくなら、魔法を使う練習をするのもいいかもしれない。〈オリハルコン〉の力をどうすれば引き出せるのか、試してみたい気持ちもあった。
「それはそれでものぐさだね」
「乙女じゃない」
「アリスの基準ってどこなの?」
アリスの乙女発言が面白かったのか、夏希の言い方がおかしかったのか、美鈴が声を出して笑った。
「『ヴォーウェル』って、いつもこんな感じなの?」
「この二人は、常にこんな感じですよ」
夏希が自分の前に手で線を引いた。真紀をちらりと見て、短くウインクした。
美鈴は当然ながら真紀が一般人だということを知らない。悟られてはいけないのに、つい自分の尺度でものを考えてしまった。これではいけない、と思う。いつもこうやって夏希がフォローしてくれるとは限らない。自分を守るためにも、もっと自重しなくてはいけない。
美鈴の家は、街道から一本路地に入ってすぐのところにあった。十階建マンションの七階、エレベーターを降りてすぐの扉の前で美鈴は立ち止まり、バッグから鍵を取り出した。
「ここまで来てもらってなんだけど、あんまり驚かないでね」
ガチャリと鍵の開く音がする。普通ならそこでドアノブに手をかけるのだろうが、鳥飼はシリンダーに鍵を刺したまま、反対側にもうひと回転、手首を返した。
ドアの向こう側で歯車が回るような、ごろごろという音が響いた。それはすぐに収まり、鳴りやむと同時に鳥飼がドアを開けた。
普通の玄関を想像していた真紀の目は、マンションの玄関にしてはあまりにも優雅で豪奢な光景に釘付けになった。大理石の三和土は広いホールに繋がっていて、そこだけでマンションの部屋くらいある。ホールには赤い絨毯が敷かれ、左手には緩やかに螺旋を描いた階段があり、ホールの奥には左右に廊下が伸びていた。
「すごい」
真紀はあっけにとられた。開放感のあるホールは吹き抜けになっているようで、唖然と上に向けた視線は天井を捉えることはできず、光を放つシャンデリアは宙に浮いているように見えた。
「やりすぎだよね。いくらマンションが狭いからって」
「大豪邸って感じですね」
「中世の館っていうか、父がそういうのに憧れてて」
「これでメイドとかいたら完璧ですよ」
口々に感想を口にする三人に、美鈴は照れたのか恥ずかしいのか、顔を背けた。
「さすがにそこまではしてないよ。こんな感じだけど」時計や鳥の彫刻が置かれた台の扉を開き、美鈴が靴をしまう。「靴はそこに。スリッパ出すからちょっと待って」
真紀たちは言われるがまま履いていた靴を脱ぎ、スリッパを引っ掛ける。絨毯の感触がわずかに足の裏を押し返す。まるで宙を歩いているような感覚だった。美鈴はホールの奥まで歩き、一番手前のドアの前に立った。
鍵穴に鍵を差し込み、手首をくいっと返すと、また扉がごろごろと鳴る。
「入って」
ドアノブを回し、美鈴が扉を開けた。そこは、玄関までの雰囲気とは全く違い、普通の、八畳ほどの部屋だった。
「普通だ」
アリスがぼそりと呟く。
「普通の方がいいでしょ」
「何が出てくるのか、ドキドキしました」
メルヘンチックなのかそれともゴシック調なのか、いずれにしもヨーロッパを想起させるような内装を想像していた真紀は、期待が外れたことに落胆するよりは、その普通さに安堵感を覚えた。学習机とベッドが並び、姿見の隣には背の低いタンスがあるだけだった。その上に置かれたぬいぐるみのティッシュカバーなど、いかにも女の子らしい。
「四人だとちょっと狭いかもしれないけど、我慢して。お茶持ってくるから」
すぐさまドアを出た美鈴の後ろ姿を何気なく追うと、ドアにかかったカレンダーが姿見に映って見えた。明後日の日付に、ぐるぐると赤いマーカーで印がついていた。それまであえて意識の外に置いていた懸案が頭を擡げる。
「大丈夫かな、本当に……」
アリスがひどく不安そうな声を出す。
「大丈夫、っていうのとは違うかもね」
「夏希ちゃん、何か策があるんでしょ?」
「あるけど、それも相手が乗ってこないと始まらない。そもそも、律儀にカウントダウンをしてくる必要もないし。私たちの動きを読んでいたら……」
「そんな」
夏希は、どこまでも冷静だ。現実についていくのがやっとの真紀は、その長く伸びたまつ毛の間から覗く瞳の色が、目まぐるしく回転するのを見た。常に先の状況を予測し、準備をする。何か術をかけるにしても、想定しておかなければいけないことは山ほどあるのだろう。
「だから、ここまで来たの。どうなるかはわからない。わからないから調べる。ただそれだけ」
夏希は腕を後ろに回し、掌を床につける。カーディガンの胸元が強調され、自分よりもいくらか大きいそれがいつも以上に膨らんで見えた。
「お茶、持ってきた。あと、その子の分も」
扉が開き、美鈴が戻ってきた。お盆をテーブルに乗せながら、アリスの荷物を指差す美鈴に、アリスが一瞬不思議そうな顔を向ける。
「あ。アビー」
我に返ったアリスが慌てた様子でリュックサックの蓋を開け、中を弄る。聞き覚えのある鳴き声とともに、アビーが顔を覗かせた。
「くわ。くわ」
「ごめんね、狭かったよね」
涙顔でアビーの頬を撫でるアリスに、真紀と夏希はすかさず「忘れてたの?」と非難した。
「違うよね。ねー、アビー」
それでごまかしているつもりなのだから不思議だ。アビーは、気持ちよさそうに目を細め、アリスの失態には頓着していない様子だった。
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