第4話

 アリスと夏希はまだ校舎の入り口近くにいた。少し不安そうな顔でこちらの様子を伺っていた二人に手を振る。夏希もアリスも、顔をほころばせ、手を振り返した。

「なんだったの?」

「うん。体育館に忘れ物しちゃって」


 アリスに聞かれ、真紀はとっさにその石を制服のポケットにしまった。どくんと脈打つ感覚がポケットを押さえた掌に伝わった気がした。

 教室に戻ると、すでにクラスメイトはほとんどが着席していた。隣や前後の生徒同士で談笑している。別に遅れたわけでもないのに、早足で自分の席に戻る。後ろの席のアリスは早速さらに後ろの夏希と話し始めた。隣の席を伺うとこちらはこちらで向こう側の人と喋り続けており、真紀はひとり居心地の悪さを感じた。


 恵庭の話には多少の感慨を抱いたものの、それは向こう側の人間だからこそ響くものだった。違いを認めるということは、そもそもそこに線引きがされているということで、迫害するものとされるもの、その構図と隣り合わせの環境にいた人にしかできない。


 違いを認めた先に、融和があるのならそれが一番いい。けれど、アリスの、あの戸惑いと憂いを湛えた瞳を見てしまっては、そこには拒絶が待っているかもしれないと思ってしまう。自分に能力がないとわかれば、アリスも夏希も、クラスメイトもみんな自分を避けてしまうかもしれない。その懸念を拭う手立ては思いつかず、そうこうしているうちにドアが開き、教師が入ってきた。


「入学おめでとう。私が、一年二組の担任を務めることになった宇佐美です。まずは一年間、一緒にこのクラスを盛り上げて行きたいと思います」

 そう口火を切った宇佐美は、さっき真紀に忘れ物を届けてくれた教師だった。そしてそのスキンヘッドが、朝の交差点で隣に立っていた人物だったと思い至る。ジョギングをするような格好だったからてっきり近所のおじさんかと思っていたのに。打って変わってスーツ姿の宇佐美は、その禿頭も合間って堅気の人間とは思えない気迫のようなものを全身から発していた。


「とりあえず、自己紹介を始めよう」

 宇佐美の視線が当然のように真紀に向かう。手元の黒いファイルを開き、「五十嵐真紀」と名前を呼ぶ。

 これは出席番号一番の宿命だ。「は、はい」勢い返事をして立ち上がったが、氏名と出身中学を話してしまうと、特に言うべきことはなくなってしまった。まさか何の能力もありません、とは言えない。頭を下げて座ろうとする。


「特技とか、言わないとだよ」そこでアリスが小声で囁いた。それが特殊な能力を差しているのは明らかだった。余計なことを、と思いながら、ここで自分が言わなければ、そのあと誰かが能力のことを口にするたびに、どうしてあの娘は話さなかったのかと疑念を抱かれるかもしれない。


「えっと……」

 何を言えばそれらしく聞こえるだろう。僅かな時間で真紀は考えを巡らせたが、何が相応しいのかも、何がそれらしいことかもわからない。すると、そこで唐突に頭に声が響いた。


(とりあえず物を動かしたり転送できる、くらい言っておけ)

 それは声というよりも気配に近かった。恵庭に似た雰囲気にはっとし、でも、と胸の中で抗弁する。


(いいから)

 その声音は、聞けば聞くほど恵庭のものとしか思えなかった。体育館で懸命に語りかけた言葉が脳裏をよぎる。自分を認めること、他人を認めること、そう言っていた。このクラスがこんな自分を認めてくれるのか……。その思いが胸に迫り、短く目を閉じた。


「物を動かしたり、別の場所に移動させたり、そういうことができます。よろしくお願いします」

「五十嵐はサイコキネシスというわけだな。拍手」

 宇佐美がまとめ、短く拍手が起こる。改めてお辞儀をし、座った。


「次は一色アリス」

 クラスの注目はすぐにアリスに移った。本当にこれでよかったのだろうか。不安な気持ちが胸の中に湧き起こるが、そこでまた声が頭に伝わる。

(大丈夫だ。授業中はどうせ術は使えないし、クラスの誰も、それを見せろとは言わない。能力を持っているのが普通だからな。それでいい)


 恵庭先輩? と心の中で呼びかける。しかし、それに恵庭が答えることはなかった。繋がっている感覚はすぐに薄れ、「アビーっていうドラゴンを使役しています。よろしくお願いします」とアリスが結ぶ声だけがした。自己紹介はその後も続き、夏希が「私はマインド・リアクターという能力を持っています。人の心を読んだり、操ったりすることができます。よろしくお願いします」と言ってしまった時はどうしようと思ったが、特におかしな空気になるわけでもなかった。授業中は使わないことになっているとはいえ、それさえも夏希ならばなかったことにできそうで、はにかむ仕草さえも得体がしれなかった。


 クラスメイトは様々な能力を持っていた。空を飛ぶのが得意な人、異世界と行き来ができる人、そもそもこの世界の住人ではない、吸血鬼や妖精を起源とする人など、クラスの構成は多種多様だ。逆に考えれば、一般人であることが最大の特徴なのではないかとも思えてくる。


(油断はするなよ)

 唐突に頭の中に響く戒めに、真紀は思わず(どういう意味ですか?)と胸中に問いかけた。

(教室のドアを入る時に、何か感じなかったか?)

(何かって……、カーテンみたいな何かがあるような感じはしましたけど)

(あれは一種の結界だ。平時は何も遮らないが、有事の際には物理的干渉を防ぐようになっている)


(厳重なんですね。有事って、そんなに危険なんですか?)

(備えは万全にしておくものだ。それに、もう一つの役割もある)

(もう一つですか?)

(魔法の発生や術者を特定するセンサーの役割も担ってる)

(それじゃあ、このやりとりもバレているってことじゃないですか)


(魔法の波長をうまく相殺させてやれば問題ない。結界を管理している教師にしても、いちいち生徒の魔法を拾っていると仕事にならないから、それは心配することはない)

(でも、傍受とか、そういうことをされたら)


(それが一番の懸念だ。ある程度のレベルになれば、結界に働きかけて干渉することができる。いつ誰がどんな能力を使うのか、クラスのカーストを知るのに、これほど便利な装置はない)

(能力ないのがバレちゃうじゃないですか!?)


(可能性のひとつさ。そもそも奥寺のように人の精神に介入する能力を持っているやつもいる。あんまり呑気に構えてると、足元をすくわれる)

 そんなことはわかっている、そう言い返そうとした時、「以上三十五名がこのクラスの仲間だ」と宇佐美が締めの言葉を述べた。


「今日は金曜日だから、本格的な学校生活は来週からだ。学級委員など各委員の選任、身体測定と芸術科目の選択、レクリエーションがあるが、木曜日から本格的に授業が始まる。入学式で恵庭副会長が言っていた通り、それぞれの個性を尊重し、実りある一年にするように」


 宇佐美はクラスを見渡し、「今日はこれで解散」と宣言した。途端にざわめきが教室を埋める。

「真紀ちゃん、どっか寄ってく?」

 その中にあって、真っ先にアリスに話しかけられ、真紀は硬い笑顔を浮かべた。


「うん」

 自分を偽るのは苦しい。とはいえ一度口にしたことを撤回できるわけもなく、あれ以来沈黙を保っている頭の中の声に恨み言のひとつも言えないとあっては、そうして返事をする以外に道はなかった。


「夏希ちゃんも、いいでしょ?」

「いいけど、あんまり遅くなるのはだめだよ」

「やっぱり優等生キャラでいくわけ?」

「その方がアリスのためなんだけど」

「あたしを拐かすつもりか!」


 真面目なのか不真面目なのかわからないやりとりを経て、三人で校庭へ出る。アビーは変わらず体育館の上で、大きなドラゴンと何か話をしているようだった。

「アビー。帰るよ」

 アリスがメガホンのように広げた手を口元にやり、緩やかに旋回しているアビーに呼びかけた。アビーが「くわ、くわ」と応える。尻尾をふって大きなドラゴンに別れを告げると、アビーは翼をはためかせて校庭に降りてきた。そのままアリスの胸に収まる。


「アリス、ちょっと待って」

 そこで夏希が何かに気づいたようにアリスの胸元を覗いた。アリスが顔を上げ、夏希を不思議そうに見た。真紀はまっすぐアビーの背中を指差す。真紀も近くに寄る。アビーの背中に紙が貼られていた。


「なんだろう。上?」

 紙は背びれを挟んで左右に貼られていて、それは確かに上向きの矢印に見えた。

「上、ねえ」


 夏希が呟き上を向く。その口がぽかんと開く。何事かと真紀も矢印をなぞる。最初に目に入ったのは雲勝ちの春の空だった。さらに顔を上に向けると、薄く霞のかかったそこから何かが落ちてくるのが目に入った。バスケットボール大の黒い塊は、一瞬で頭上を覆うほどの圧迫感となって三人に迫ってきた。

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