アイス、ホット、アイス

ととり単

 * 


「栞、この人が出口理久君。噂の年下彼氏。理久、この人が久保田栞さん。中学からの私の親友」

「ども」

「よろしくね」


 土曜の午後、心地よいざわめきが満ちる喫茶店の片隅。四人掛けのテーブルを挟んで向こう側に、菫さんと栞さんが並んで座っている。

 菫さんが店員を呼び止めてオーダーしている最中も、栞さんは黙って俺を見ていた。まるで値踏みされているようで、少し居心地が悪い。


 菫さんの妊娠が発覚したのが先月。どうしても実家には知られたくないと言う菫さんに対して、栞さんが面倒を見ると申し出たのが二週間前。春休みを利用して帰省したタイミングで俺と栞さんを会わせたいと言われたのが、つい一昨日の話だ。突然の事で心の準備も何もなく、俺はこうして一人、縮こまっている。


 栞さんは菫さんと随分違ったタイプの女性だった。

 真っ直ぐな明るい茶髪を片側に落とし、耳元には大ぶりなゴールドのフープピアス。黒のファージャケットにハイヒール、銅のような光沢を放つ瞼の下には毛虫と見間違う程密度の高い睫毛が上下する。菫さんを淑やかな女性と言うなら、栞さんは強い女性だ。どう見ても、強い。


「栞はね、私の憧れの人なんさ。ねー」

「嘘ばっかり。アンタが勝手にライバル視してたんしょや。先に声かけて来たくせにねぇ」

「えー、そんな事ない!最初っから仲良くしたいと思ってた!」

「はいはい」


 付き合い始めてそろそろ三年。菫さんのむくれ顔を、初めて見た。普段俺に見せるお姉さん然とした姿とはかけ離れた仕草に心が揺れる。可愛い。



 運ばれてきた飲み物を受け取り、店員に礼を言って栞さんはテーブルに肘をついて掌に頬を乗せた。

「で、理久君。これからどうすんの?」

 言葉の凄みに気圧されそうになる。膝に乗せた拳をきつく握り直し、俺は負けじと栞さんを睨む。

「もちろん、責任取りますよ。そうでなくても菫さんとは結婚したいと思ってたし」

「おー、言うねえ高校生。責任取るったって、稼ぎもないのにどうする気?」

「学校なんか辞めたって構いません。菫さんの方が大事だ」

「わかってねえなぁ」

 わざとらしく溜息を吐き、首を振って見せる姿に腸が煮える。何なんだ、この女。怒鳴りたくなる衝動を堪え、注文したメロンソーダを一気に煽って鎮火を試みる。


「もう、栞は私の事好きすぎ。理久も、簡単に辞めるとか言わないで?」

 まあまあ、と苦笑いしながら菫さんが間に割って入り、栞さんは腕と足を組んで俺に向き直った。その肩にもたれかかる菫さんの表情は明るく、嬉しい、と頬に書いてあるようにさえ見える。

「今日は二人に仲良くなってほしくて引き合わせたんだから。喧嘩はなし。ね?」

「まあ、……菫が決めた事ならあたしに口出しする権利ないし。子供が出来たって聞いて逃げるような男でなくて、そこは良かったわ」

「そこは、って何すか」

「理ー久ー? 喧嘩は、な、し!」

「……はい」

 身を乗り出しかけた俺がすごすご引っ込むと、菫さんは俺の隣にやってきて手を握る。胸元には、昔プレゼントしたネックレスが今日も光っていた。


「理久はね。この年にしてはしっかりしてるし、結構リードしてくれたりもするよ。可愛いし、時々ドキッとするくらいカッコいいし、優しいし、絶対私を見捨てたりしない。こんなに好きでいてくれる人、もうこの先、絶対出会えないと思う」

 木漏れ日のような微笑みを浮かべて菫さんが言う。こういう事をはっきり、素直に口に出来る菫さんが、俺はどうしようもなく好きだ。とはいえ照れくさくて、シーリングファンの回転を目で追ってしまう。

「だからね、栞。私、理久とこの子と、三人で生きていきたいんだ。栞しか頼れる人がいないの。迷惑掛けるのは分かってる。いつか、絶対恩返しするから。だから」

「あー、わかった、わかったって。惚気は勘弁してよ。そんな事頼まれなくったって、あたしは菫の味方だよ」

 栞さんが呆れたように笑った。菫さんは握った俺の手を上下させて「ね」と頬を緩める。まだ熱い耳に右手で触れながら、俺は小さく頷いた。


 雪のちらつく三月、商店街の小さな喫茶店。飲みかけのアイスコーヒーと、ホットココアと、メロンソーダ。

 俺の知らない菫さんの話。菫さんしか知らない俺の話。栞さんの軽口と、少女のようにはしゃぐ菫さん。


 これから先、生まれてくる子供も加わって、何度でもこんな時間が訪れる。未知の予感に胸躍る、――そんな思い出。

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