少年の日の思い出
田村サヤ
夏休み前日 高校生(1)
窓の向こうから、野球ボールの音が聞こえた。
それはとても強い当たりの時になる音だ。野球ボールはホームからかなり離れたところへと飛んで行った。
「夏休みかー」
校舎からグラウンドを眺めながら、ふと口にした。窓枠に右肘を乗せ、顔を支える。
校舎の中は、いつもよりか静まり返っている。強い日差しを浴びながら、涼しい風が通り抜け、夏休みが始まる実感がした。
風が強くなる。
校舎を囲んでいる木々が、ざわざわと騒いだ。
(青春だ)
ふとそんなことを思った。
ドアがゆっくり開く音が聞こえた。この音は先生が開いた時の音だ。
「かえでくん」
先生が心配そうな顔をしている。教室の窓を開けてずっと外の様子を眺めている僕に、半ば呆れているのかもしれない。
誰にも見えないところで、ゆっくり世界が動いているのを目で見て、耳で聞いて、肌で感じるのが好きな人間を、先生は理解できないのかもしれない。
「用事がないのなら帰ってもいいんだよ?」
まだここに居たいという気持ちを我慢して、先生の言うことを大人しく聞くことにした。
「わかりました」
先生はまたドアを開き、教室から姿を消した。
結構楽しいのになー。
雲が薄くちらつく晴れの日。さらに触り心地の良い風が吹くというおまけつきなのに、どうしてこの良さがわからないのだろう。
いや、実は先生も一人で楽しんでいるというのも可能性としてはありうる。
そう思うと少し面白い。
「帰るか」
一人しかいない教室で誰にも届かない独り言をこぼし、少年は自宅へと帰って行った。
玄関の昇降口を抜け、校門へと向かう。
その時グラウンドの方から、またもやボールとバットが気持ちよく響く音が聞こえた。
「すいませーん」
野球部の一年生が息を切らしながら、こちらに大声で呼びかけている。
ボールが目の前にボトンと落ちた。それを手でつかみ取り、一年生にめがけて投げる。だが、そのボールは一年生の方向とは全く逸れた所へと飛んで行ってしまった。
「ごめんなさーい」
「だいじょーぶでーす」
あの人が優しい人でよかった。胸をそっとなでおろす。
小さいころに野球をやったことがあるのに、もはやボールを真っすぐ投げることさえままならなくなったことが少し悲しくなる。
普段運動はしないが、唯一得意というか経験が多いスポーツが野球だった。どんなスポーツでもうまくいくことは無かったし、もちろん楽しいという感情も沸いて出てくる事もなかった。
だが、野球だけは2~3年続けていけた。
「あ、」
野球ボールをつかんだ手を見つめる。
「そうだ。あの頃、俺は野球を始めるきっかけができたんだよなー」
確かあれは、、、5年前の夏休みだった気がする。
「懐かしいなー」
遠い記憶がよみがえった時は、心の深いところで何かが動いているような気分になる。この感覚は嫌いじゃない。
「そういえば」
頭の中に少年の顔が浮かんだ。
「押し入れの中に何かあったっけ」
じっくり考えながら、早歩きで家へと帰った。
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