恋心に浮つく彼が選ぶのは

鏡水たまり

恋心に浮つく彼が選ぶのは

 スケジュール帳の3月のページを開けて、ホワイトデーが迫っていることに気づく。もうそんな時期なのか……この季節は本当に日が経つのが早い。和と共に素敵なバレンタインデーを過ごしたのが昨日のように思い出せる。

 でもそれは、それだけその日の思い出が鮮明なもので、とても心に残る幸せなものだったからだろう。

 俺たちのバレンタインデーはおうちデートだった。あらかじめ約束してたように仕事帰りに和の部屋を訪ねると、どことなく甘い空気が彼女の部屋全体に漂っていた。

 和も仕事を終えてから少ない時間で準備したのだろう、キッチンで手作りの夕食の仕上げをしているようだった。和は料理がとても得意というわけじゃないんだけど、この日のために頑張って手作りの料理を用意してくれたのだった。「大変だっただろ」と俺が聞いたら「衛のことを思って作ったら幸せな時間だったよ」とチークの上書きをするように頰を染めてはにかんだ。

 食事の途中にオーブンのタイマーの音がして、キッチンへ和が立った。どうやら甘い空気は俺が感じていた雰囲気だけでなく、菓子の焼ける甘い匂いだった。まだ切り分けるには熱いからと、チョコレートブラウニーの粗熱が取れるまでの時間を、前に二人で買い物をした時に見つけてこの日のためにと買っておいたチョコレートのお酒を二人で飲んでみた。だけどそれは予想以上に甘すぎた。お酒というよりミルクチョコレートにリキュールを混ぜたような、いやそれよりももっと胸焼けのしそうな、甘い甘い酒だった。俺の苦虫というより甘虫を嚙みつぶしたような顔をみて、彼女は思わず笑いが溢れてしまったようだったが、和もそれ以上杯を重ねる気は無かった。そんなお互いを見て、やっぱりバレンタインの日に乗っかっただけのものだなという結論になった。

 結局、それぞれがいつものように、彼女は梅酒をソーダで割り、俺はハイボールの缶を飲んだ。

 そうしている間にチョコレートブラウニーが切り分けられるくらいの温度になったようで、切り分けたものを和が綺麗に皿に並べて俺に持ってきた。さっきの甘すぎる酒のことを思い一瞬ためらうが、彼女が皿を俺の前に置くときに緊張で指先がこわばっていたことを見ていたから、一口で食べるには少し大きく切り分けられたそれを、大きく口を開けて頬張った。口に広がるのはカカオの苦味と、アルコールがふわりと鼻を抜ける余韻。甘いものが苦手な俺に合わせて、チョコレートを楽しめるけど甘過ぎず、ビターな味が絶妙だった。

 それだけでも俺にとって、とても素敵なバレンタインだったのに、欲しかった財布をプレゼントしてくれた。ずっと前から気になっていたけど今の財布がまだ使えるからと買えずにいたものだった。欲しいと和に話したことはなかったはずなのに、どうしてわかったのだろう? そう思ってしまうほど俺には心当たりがなくて、きっとサプライズプレゼントにするために慎重に俺の欲しいものをリサーチした和の気遣いにほのかに心が暖かくなる。

「革製品は使い続けているとその人だけの風味になるんだよ。きっとあなたのための、あなただけの財布になるよ」

 もちろん時とともに味が出てくるのは知っていたけどその表現の仕方が素敵で、より革製品が好きになったし、もらった財布に愛着が湧いてきた。


 そんな素敵な1日のお返しとして、俺はホワイトデーに何を送ろう?

 ホワイトデーの贈り物といえば一般的なところだとアクセサリーが思い浮かぶ。他はありふれているけどお菓子とかか? とりあえず情報は多いほうがいい。ネットで調べてみよう。

・バス用品、アメニティ

 確かに消耗品は確実に使ってもらえるだろうし、たとえ特別気に入らなかったとしても使えばなくなる。俺にとっては同じように見える星の数ほどあるそれらは、店員さんに説明されても俺にはさっぱり区別がつかない。きっと俺にわかる違いは、そのバリエーション豊かな香りだけだ。それは彼氏の好みの匂いをまとった彼女の出来上がりということになるんだろうか? マーキングみたいで男心をくすぐるものなのかもしれない…だけどエロい。バス用品とかだと、あからさますぎないか……?

 いや、とにかく消耗品は俺の理想のホワイトデーのプレゼントではない。大切な一日、思い出の一日にしたいのに、消耗品だと本当に俺らの関係が消えてしまいそうでなんだかいやだ。

・花束

 花束はギザすぎないか? それに俺は切り花は好きじゃない。切り花のだんだんと枯れていく姿を見てると悲しくなる。和の部屋で日に日に萎んでいく俺が贈った花。初めは目立たない葉の先から生気が失われ、次第に花びらの端から萎びていく。輪郭がぼやけるように瑞々しさがなくなり、気づけば花びらが花瓶の下に落ちている。茎もくたびれて腰の曲がった老人のように顔を下に向けるしかない。そうなるともう彼女の部屋を彩る花という役割は果たせないから、きっと和は悲しい顔をしながらも花を捨てることになるだろう。

 一番の花盛りの時に根から切り離され種を残すことなく枯れる切り花はどうしてもかわいそうだし、やっぱり素敵なホワイトデーのプレゼントとしてはふさわしくない。

・お菓子

 バレンタインデーはチョコの日として確固たる地位を築いていて、もはや欠かせないものとなっている。俺だってブラウニーを作ってもらったし、柄にもなくチョコレートのお酒なんか二人で買った。だけどホワイトデーはバレンタインデーの対としてお菓子というイメージがあるだけで、これといった決まったお菓子はない。チョコレートなのかホワイトチョコレートなのかもブレてるし、マシュマロなんかが台頭してきていたりする。そもそもデパートで売ってるようなお菓子を買うなら、気持ちを伝えるっていうのには向かないんじゃ……

 なら手作りだと意気込んでみても、そもそも俺は不器用すぎて料理はできない。たしか、唯一の調理経験が家庭科の授業だった気がする。おぼろげな記憶だけど確か包丁の持ち方が不器用すぎて、同じ班の女の子が危なっかしすぎて見てられないと、鍋をかき混ぜる係に追いやられた記憶しかない。包丁を使う機会が少ないとはいえ、人生二回目の調理がたった一人でお菓子作り……失敗する気しかしない。

・アクセサリー

 プレゼントとしては無難かなと思う。とりあえず候補に入れてもいいけど、具体的な商品は思いつかないな。

 でも、プレゼントするならネックレスがいい。次に買う指輪はプロポーズの指輪だって決めてるから。もし、ホワイトデーに指輪をプレゼントするなら、その日にプロポーズすることになってしまう。でも、ホワイトデーにプロポーズするのはロマンチックじゃないだろ? なんだかイベントごとに乗っかってる感じが半端ない。

 俺は、せっかくプロポーズするならイベントや記念日じゃなくて、なんの変哲もない普通の日に、プロポーズをしたい。誰かにとってはありふれた日常が、俺と和にとっては、奇跡のようなとても素敵な記念日になるように――

 それに、二人の恋はまだまだ青い実で、これからどんどんお互いを知って、もっともっと好きになっていくのだから、まだ、プロポーズの段階ではない。でもいつか、そう遠くない未来には、お互いの良いところも悪いところも知り尽くした上で、二人の愛情が柔らかく熟した頃、俺らは結婚という次のステージに進むのだろう。


 他に気持ちが伝わるようなものはないかな……?

 そういえば、よくあるシュチュエーションでバイトしたことない学生が、彼女のことを思って初めて自分の稼いだお金でプレゼントを買うとかいうのもあるけど、俺、既に社会人だし。


 気持ちのこもったプレゼント。

 ここは無難に和の欲しいものをあげるのはどうだろう。でも、そうなると、彼女の欲しいものを知っておかないといけない。幸いまだ時間がある。そう心に留め置いていると、ちょうど買い物デートをすることになった。

 バレンタインも終わってまだホワイトデー商戦に出るには時期が早いのか、どの店も平穏を取り戻したように見せかけている。目的のものは買い終えて、まだディナーには少し早い。ちょうどぽっかりと空いた時間に、今こそチャンスだと思いあてもなく目の前にある店から店へウィンドウショッピングをしながら、目にとまった店には積極的に入って行く。いったい和が目に留めるものはどれなのかと、獲物を狙うハンターみたいに息を潜めるように探る。

 いくつか目の店に入ったとき、ここだという直感に従って

「和は今欲しいものあるの?」

 と聞いてみた。

「星のかけらシリーズの時計かな」

 と、案外悩むことなくすっと答えが帰ってくる。プレゼントを探しているなら誰だってこれだ! と思うはず。俺はさっそく意気揚々とネットでどんなものだろうと検索してみる。

「へぇ、本当に星空を眺めているようだ。結構な種類があるけどどれが欲しいの?」

「まだ絞りきれてないんだ。どれも素敵なんだけどなんとなく『これ』っていうのがなくて…まだ運命の出会いではないってことかな」

 和のよく使う言葉に『運命の出会い』がある。それは人にというより、ほとんど物に対して使う。一目で気に入った物やどうしても欲しい物に、これは『運命の出会い』だからといって、時には背伸びをするような値段のものを買う言い訳にしているようにも俺は思う。だから和は物持ちがとてもいいし、たとえいま使っているものがどれだけくたびれようと次の『運命の出会い』まではそれを使い続ける。そんな彼女が気になっている時計があるとして、『運命の出会い』でないそれを、彼女のポリシーを曲げてまで俺が買う気にはなれなかった。


 ホワイトデーは日に日に迫ってくる。焦った俺は会社の同僚にまで助けを求めてしまった。そうして返ってきた答えは「そんなの彼女のことを思うと自然に思いつくんじゃね?」だった。

 相談した俺がばかだった。仕事から帰って寝る前のひと時。一日のエネルギーを使い果たして脱力する。そのまま何となしに付けっぱなしのテレビを見ながらその同僚の言葉を思い出していたら、その楽天さにまたイライラしてきた。はぁ~、と大きくため息を吐き溶けるようにうつ伏せになる。

 ……でも、もしかして、俺は素敵なホワイトデーを計画するあまり、和が幸せになれるのはどんなプレゼントなのかをちゃんと考えていなかったかもしれない。

和が幸せそうなのはどんな時だろう……

 和が幸せそうにしている時、それはやっぱり俺といる時だろう。

 そうすると、何か時間を共有できるようなもの、同じ日々を過ごせるようなものがいい。

 そうだ、一緒に時間を過ごせるアイテムをプレゼントしよう。何があるだろう?

 部屋の鍵? いや、俺たちはもうお互いの部屋の鍵は持っている。かといって、これから俺らが同棲する部屋の鍵なんてのはダメだよな…勝手に部屋を契約することになるし、さすがに二人の愛の巣はお互いに納得のいくようにじっくり決めたい。

 それならペットなんてどうだろう? でも動物は生き物だし、世話のも必要だ。事前に話してプレゼントするんじゃないし、いきなりはダメだよね。でも、いつか、俺たちの結婚記念なんかに、まあるい子犬を俺たちの子供として二人で育てるのもいいな。実際に子供ができたときの予行練習みたいにさ。

 うーん、子犬はまだ先にするとして、それなら、同じような植物はどうだろう?もちろん切り花じゃなくて、鉢植えのもの。しっかり者のようで案外抜けてるところのある和なら、俺がプレゼントした花の世話も結局二人ですることになるだろう。そうと決まれば和に似合う花を探さなくちゃ。ちょうど明日は休み。今日はもう寝て明日、彼女にぴったりな花を見つけよう。


 ベッドに寝転び目を閉じる。窓から差し込む春の光が、ようやく綻んだ花とその花を見て微笑む和を優しく暖かく包み込んでいた。

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