暗澹のドールハウス

縁田 華

暗澹のドールハウス

俺のクラスに来た転校生はとても妙なやつだった。中途半端な時期にやって来たのはいいが、何しろ変わったやつで、お約束の質問タイムになってもその過半数には答えようとしなかった。彼女の名前は瑠依子。漆のように艶やかな黒髪に、うっすらとブルーが混じった瞳。まるで人形のように美しい彼女は人見知りが激しいのか、人との関わりを拒絶しているようだった。そんな彼女が良くも悪くも気になった俺は、勇気を出して話しかけてみることにした。

「なあ、君は………」

「私は瑠依子。あなたは確か葵くんだったよね?」

「なんで知ってるんだ?!」

「私の家、あなたの家の近くだから……」

「もしかして、君の家って最近越してきたばっかりのあの大きな家のことか?」

「そう、引っ越して来た時にあなたの声も聞いた。私はその時、姉さんと一緒にいたの」

「姉さん?嘘だろ?!あの場には君とご両親しかいなかったはず……」

「違うもん、姉さんは私に抱っこされてたの!!」

「え……?姉さんって、あの時持ってた人形のことだったのか?」

「姉さんは人形じゃない……。今もちゃんと生きてる!!」

「はあ……」

瑠依子はかなりの不思議ちゃんだった。妄想の世界にどっぷり浸かるタイプなのだろう。だから外には興味がなく、彼女に近づく者達は皆辛辣な言葉を浴びせられる。一週間も経たないうちに彼女に話しかける者は担任を除いていなくなった。

ある日の午後のこと。理科の実験で班決めをする際、瑠依子はどこの班にも入れて貰えず中々授業が進められなかった。仕方がないので俺は、

「ほら、こっち来いよ」と無理矢理自分の班に入れて、取り敢えずその場を凌いだ。彼女を自分の班に入れたことで、俺は班のメンバーから好奇の視線で見られることになったが上手く受け流す。彼女のことが気になるが、虐めてやろうだとかそういう意図がある訳ではない。ただ純粋に気になるだけなのだ。曲がりなりにもご近所同士という理由もあるが。

帰り道、彼女は一人で人通りの少ない道を歩いていた。俺は心配になり、

「一緒に帰ろう」と声をかける。瑠依子の口からは今の今まで誰にもかけなかったであろう僅かな音が、透き通った絹糸のように紡がれた。途切れ途切れながらも、それは確かに他人に向けた言葉。

「別に……。好きにして………。着いてくるのは自由だから………」

俺は素直にその言葉を受け取り、二人で並んで帰ったのだった。最初こそ静かだったが、俺は気になったことを次々と聞いた。すると、今まで分からなかった瑠依子の一面が見えてきたのだ。静かな場所が好きで、休日はよく絵を描いていること。小さい頃は身体が弱く、病弱で院内学級に通っていたこと。その時に買ってもらった人形やぬいぐるみを今でも大事にしていること。充分過ぎるくらい色々なことを聞かせてもらった。彼女は家の前まで来た時、

「ウチ、来る…………?」と呟いた。

「いや、良いよ。ご両親にも悪いし……」と俺は断ったが、聞けば彼女の両親は仕事でアメリカにいるとのことだった。そのため家に帰っても誰もおらず、彼女は寂しいのだという。

「お願い…………」

「しょうがねぇな………。俺の母さんにはメールしておくから」

「いいの?やった!!」

俺は瑠依子に連れられて、家の中に入っていった。おもちゃ屋に売っているドールハウスを思わせる外観に反して、中は現代的。電灯のスイッチはボタン式だし、トイレやバスルームも住む人にとって快適になるように設計されている。これが彼女にとって普通だというのなら、俺にとっては普通ではない。余りにも贅沢だった。

「何してるの……。私の部屋、こっち…………」

「ごめん、今行く!!」

急いで俺は彼女の部屋の前まで走った。よく磨かれた床に足を取られて危うく転びそうになったが。

扉を開けて部屋に入ると、そこは女の子の憧れをこれでもかと云う程に詰め込んだ部屋だった。白いチェストにクローゼット、可愛らしい人形が沢山置かれた学習机。ベッドはおとぎ話のお姫様を思わせるもので、枕元には幼い頃からの友達だという動物のぬいぐるみ達が、小さなギャラリーかおもちゃ屋のぬいぐるみコーナーのように並べられていた。

「お菓子もお茶も出さずにごめんなさい。今、持って来るから……」彼女は部屋を出ていった。

こうして見ると、ごく普通の女の子の部屋だがひとつ違和感を覚えた。クローゼットの中を興味本位で覗いてみたら、その中に人形があったのだ。生きているかのようにリアルなソレは美しい真紅のドレスを纏っている。髪はストレートの黒で、瞳は焦茶色。肌は健康的な白さを持っていて、そっと触れてみると柔らかい。例えるなら人間の肌。その瞬間、俺の背中に悪寒が走った。

「何、してるの……」振り向けば目の前には瑠依子がいた。

「ご、ごめん……。いや、その……。気になってさ……」

「それ、大事なものなの。触らないで」

彼女はそう言って人形を優しく抱きしめる。

「……姉さん、ただいま」と呟きながら。

「姉さん……?どういうことだ…?」

「私には姉がいるって話はしたっけ?」

「そういやしてたな……。そんな話」

彼女はぽつりぽつりと話始めた。

物心ついた時から私は一人だった。理由は明白で、両親が仕事でどこかに出かけていることが多いから。その代わりにと私は人形を与えられた。これはお腹にいた時に死んでしまったあなたのお姉さんよ。だからあなたはお姉さんと遊びなさい。それからというもの、私は嬉しいことや悲しいこと、楽しかったことがある度に姉さんに話しかけて遊ぶようになった。それは今の今まで変わっていない。だから友達は要らないとずっと思っていた。

「でも、私にここまでさせたのはあなたが初めて。どうしてそこまでするの?」

「友達だし、初めて会った時から気になってたから……」

「ありがとう、優しいのね」

そう言って微笑む瑠依子は今まで見たよりも可愛らしく、普通の女の子なのだと思わせてくれた。

翌日、学校へ来てみるとクラスの女子が騒いでいる。

「ねえ聞いた?隣のクラスの子が行方不明になったんだって」

「え、そうなの?!」

「それがね……」

こういった案件はテレビで報道されそうなものだが、不思議と心を揺さぶられることはなく、ただ素通りしていくだけだった。始業チャイムが鳴ればまたいつもの日常が始まる。

今日という日が何事もなく終わったことを実感し、帰路につく途中のことだった。前にいる瑠依子と目があったのだ。その目は明らかに普通ではなく、おとぎ話に登場する悪魔のようにして恍惚に満ちている。妖しく、毒を含んだ目付きでこちらに向かって、

「葵くん!あのね、私あなたの為にお人形さんを作ることにしたの!!」

「あ、ありがとう…………」俺はそう返すしかなかった。

「待ってて、世界一の人形を作るから!!」

そう言って、彼女は軽やかな足取りで去っていった。俺は帰ってからというもの、あの顔が脳裏にこびりついて離れず夕食も碌に喉を通らなかった。風呂に入っている時やテレビを見ている時。彼女のあの恐ろしい顔が俺の脳みそを蝕んでくる。

ベッドに入り、目を閉じ少し経ってから眠気が優しく俺の身体を包んでいった。夢の中へと沈んだ俺は童話にあるような暗い森の中にいた。狼が獲物を待ち伏せ、鴉が鳴く。時間は丑三つ時だろうか。視界が暗い所為で何も見えない。草を掻き分け、獣道を歩いてもめぼしいものは見当たらない。もう少し、もう少しと歩き回るうちに道に迷ってしまった。戻ろうと思い、別の道へ進むと小屋が見えてきた。

こぢんまりとして小綺麗なその中には、俺と同じくらいの年頃の少女がいた。だが、明らかに様子がおかしい。ぶつぶつと何かを呟きながら、斧で何かを切り刻んでいる。

「まさか、アレは…………!?」

切られているものが何なのかを悟った時、俺は目を覚ました。

「夢か、今何時だ……?」

分かりきっていることとはいえ、現実に戻って来られたことを実感し胸を撫で下ろす。時計を見ると、針が指しているのは5時半。それだけを確認し、俺は再びベッドの中へ戻った。

二時間程仮眠をとり、ちゃぶ台の上に用意された朝食を摂る。マーガリン付きのトーストと少し焦げた半熟のベーコンエッグ、マイルドな味のポテトサラダだけだが充分だ。急いでそれらを噛み砕き、少し冷めた緑茶で流し込み、身支度をしてから学校へ向かった。

始業チャイムが鳴っても瑠依子は来ない。担任の先生曰く風邪を引いたのでお休みです、とのことだった。それからは、特に目立ったことなど起こらず平穏無事に時間が進んでいったが、俺は瑠依子のことが心配で頭から離れない。余りにぼーっとし過ぎたせいか、クラスメイトの中井からは心配され、

「疋田、大丈夫か……?保健室行くか?」

「大丈夫、考えごとしてただけだし」

「何もないなら良かった。今日の放課後……」

「……。用事があるから行けない」俺はそれだけ言うと、教室を後にして職員室へ向かった。ノックをし、扉を開けてから先生を呼び、用件を言う。

「先生……。あの、笹山さんにプリントを届けに行きたいんですけど……」

「疋田、笹山と家近かったよな。じゃあ頼むよ」

「分かりました」

俺は先生から、今日分の配布プリントを受け取り、軽くお辞儀をしてから「失礼しました」と言いつつ扉を閉めた。

夕日が優しく人々を包み込む頃、俺は瑠依子の家に着いた。呼び鈴をおそるおそる押すと笑顔の彼女が玄関から来て、

「いらっしゃい、葵くん。あなたならいつでも歓迎するよ?」

俺は彼女に連れられて、初めて来た時と同じようにしてリビングに通された。部屋のカーテンは全て閉められ、不気味な程暗い。まるで世間の目から何かを隠しているかのようだ。何か後ろめたいことでもあったのだろうか。彼女は何も言わないが、廊下を歩いているうちにふと下の階へ繋がる階段が気になった。震える指で電灯のスイッチを入れ、下りてみると一枚のドアが見えてきた。それは金属製で重く、金庫のように堅牢な造りだった。

それだけ人を寄せ付けないようなドアにもかかわらず、鍵がかかっていない。ドアノブを回すだけで開き、俺はそこで恐ろしいものを見せつけられたのだった。床には人骨が、作業台の上には人間のまだ綺麗な骸が乗せられている。粗末な木の椅子には作りかけの『人形』が放置され、そこかしこに乾いた血が飛び散っていた。これが瑠依子が作ろうとしていた人形の正体。やけにリアルなのは、人間の骸を加工していたから。真実を知った俺は暫くの間吐き続け、全てのものを胃から出した後はもう何も考えられなくなっていた。身体が熱く、だるい。どうして俺はこんなものを見てしまったのだろう。後悔と共に俺は静かに目を閉じた。

気づけば俺はベッドの上にいた。しかし、両腕はベルトで拘束され、目の前には白衣を羽織った瑠依子がいる。

「これはどういうことだ!!何故こんなことを……」

「あなたはしてはいけないことをしたから。私はね、綺麗な人形を作る為に全国各地を回っていた。でも、遅かれ早かれ見つかってしまうの」

「……そりゃそうだろうよ」

「だからね、見つかる度に始末してまた引っ越しての繰り返し。今までは女の子ばっかりだったけど、たまには男の子もいいかな……」

そう言いつつ、彼女は狂った笑みと共に俺の胸元に向かってナイフを振りかざした。

「やめろ!!」

俺が叫ぶと同時に、ポケットの中から着信音が聞こえてきた。誰かからのメールが来たことを伝えるそれは、彼女の気を散らしたのか、幸いなことに刺されこそしたものの急所を外れたのだった。服とシーツにこびり付く生暖かい紅。俺は血を吐きつつ目を閉じた。彼女に呪いか祝いか分からぬ言葉を贈りながら。薄れゆく意識のなか、最後に見たのは半狂乱になり自分にナイフを刺して死のうとする瑠依子の姿だった。

目が覚めた時、俺は清潔なベッドに寝かされていた。服も病衣に着替えさせられている。ここは病院だろうか。そう悟った瞬間、瑠依子の人影がカーテン越しに映り、

「葵くん、あなたが生きてて良かった……!あなたからの言葉がなければ、私どうなってたか分からない……。あの時、あなたを殺して自分も死ぬつもりだったけど、『ひとりじゃないだろ?忘れるな、俺がいる……』って言ってくれたから。私は生きられる。ありがとう……」

「警察には言わないでおく。淋しがりやのお前には俺がまだまだ必要だろうから…」

俺は影に向かって笑みを向けた。少ししてから啜り泣く声が聞こえ、それはやがて嗚咽へと変わる。退院したらまたこの手を握ってやろう。そう誓った。

退院して一週間程経ったある日のこと。瑠依子と一緒に登校していると、中井がやってきて、

「よう、疋田。あれ?笹山も一緒か?」

「ああ、ちょっとね……」

「何だ、二人でイチャイチャしてたのかー?」

「違えよ!!恥ずかしいこと言うな!」

そのやり取りを見ていた瑠依子は、余りにも可笑しく見えたのか魔女のような笑い声を上げた。けれどそれは不気味さを伴ったものではなく、清々しいものだった。心から楽しんでいるからだろう。漸く実感した。俺たち二人は平穏な日常に戻れたのだと。なんてことのない一日。けれどそれはいつピリオドを打たれるか分からない。だからこそ今を大事にしなければならないのだ。

「行こう、二人とも」

俺たち三人は、始業チャイムが鳴る前に教室へ向かうのだった。


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