第46話  誕生日

彼女たちからしたら僕と綾乃は抱き合っているように見えただろう。


そんな僕らを光の消えた目でスッと見据え、夏葉さんが進み出た。




彼女は靴を放り投げ、ずかずかと僕の家に乗り込んでくる。すごい迫力だ。


その後ろで渚が夏葉さんの履物を丁寧に揃えている姿が見える…シュールな光景だ。




僕はすっかり毒気を抜かれてしまったようで、そんなことを考える余裕を取り戻していた。




「霧島さん、あなたも本当に懲りない人ですね…正々堂々私から奪うんじゃなかったんですか?わざわざ湊くんの誕生日にこんなことするとか、恥ずかしくないんでしょうか?」




「…佐々木さんには関係ないことだよ。なにも分かっていないあなたに教える必要がなかっただけ」




「それを姑息だって言うんですよ!」




僕を綾乃から引き剥がし、背後に隠すように綾乃の前に立った夏葉さんは綾乃に向かって激高する。


綾乃はまるで気にしていないようだが、それを見ている僕からすれば寿命が縮みそうな光景だった。先ほどまでとは違う意味で逃げ出したくなる。




興奮から肩で息をする夏葉さんは、まるで堪えた様子のない綾乃をみて、大きくため息をついた。


このままではキリがないと思ったのか、チラリとこちらに視線を寄こし、声をかけてくる。




「…このままでは終わりそうにないですね。すみません、渚さん。湊くんを連れてちょっと外に出ていてもらっていいでしょうか?私は霧島さんと二人きりでお話がしたいので」




お話とはなんだろうか。さっきまでの流れからしておとなしく終わるとは思えない。


さすがにそれはまずいと思い、僕も残ると言おうとしたところで背後から手が伸びてきた。




「分かったよ。じゃあ終わったら連絡してね、待ってるから。あたしの分まで綾乃にお灸を据えてあげてよ」




「分かってます。あと湊くん。あなたにも後でお話がありますので、覚悟しておいてくださいね」




「あ、え、えーと…お、おい渚!」




夏葉さんの暗い感情の篭った言葉にどう返そうかと迷う僕の手を掴み、渚は強引に連れ出そうともう片方の手で玄関のドアに手をかける。


それを見た綾乃が目を見開き、こちらに駆け寄ろうとしていた。




「渚ちゃん…そういうこと。あなたは、本当に…!」




「行かせませんよ、霧島さん」




そんな綾乃の前に夏葉さんが立ちはだかる。ここから先は通さないと、その背中が訴えていた。


綾乃はいらただしげに顔を歪めると、夏葉さんに詰め寄っていく。




「どいて佐々木さん!分からないの?これは全部渚ちゃんの思惑通りなんだよ!このままじゃみーくんが渚ちゃんに!」




「この状況になっているかもしれないと、私に教えてくれたのは渚さんですよ?少なくとも泥棒猫のその場しのぎの戯言よりも、私には渚さんのほうがよっぽど信用できますね」




「…くっ!」




話が通じないと分かったのだろう。綾乃が地団駄を踏む。


その隙に渚が僕を引っ張り、玄関のドアを開けた。夏の強い日差しに思わず顔を顰める。








何故だろう、その時微かに見えた渚の口元が、嘲笑っているような気がした








渚は止まることなく、結局僕は我が家に二人を残し、外へと逃げ出すことになった。


渚は扉が閉まる前に、捨て台詞とばかりに綾乃へと声をかける。




「じゃあね、綾乃。あんたは最近強引すぎたし、夏葉に怒られてちょっとは反省しなさい」




「…許さない。絶対許さないから!みーくん、渚ちゃんに気を付けて、渚ちゃんは――」




綾乃の言葉を最後まで聞くことなく、扉がバタンと閉まった。


途端、辺りに静寂が訪れる。聴こえてくるのは遠くで行き交う車のエンジン音とセミの鳴き声くらいだった。


ぽつりと渚が嫌われちゃったかなと、小さく呟いたが僕がそれを聞くことはなかった。






修羅場を切り抜けた虚脱感からか、思わず力が抜け、僕はその場にへたりこんでしまったからだ。


さっきまで僕がいた世界とは別物だ。空気が美味い。思わず僕は深呼吸する。


…助かった。僕は一線を越えずにすんだらしい。




安堵の息を吐く僕に、渚がズイと履物を差し出してきた。あんななかで、ちゃっかり確保してたらしい。


抜け目のない渚の配慮に、僕は思わず苦笑した。




「ありがとう、渚」




「どういたしまして」




僕はそれを受け取る。今の格好はシャツにジーンズと完全に部屋着であったが、文句など言えないだろう。当然財布も持ってはいない。




さすがにこのまま家に戻ろうとしても渚も止めるだろうし、なにかしらで時間を潰すしかないかもしれない。


…せめて流血沙汰になどなっていなければいいのだが。僕には祈ることしかできなかった。






そんなことを考えていた僕に、渚が今度は手を差し出してきた。


本当ならこういうのは僕がやるべきことなんだろうな。苦笑しながら僕はその手を握り締める。


柔らかいなと、そう思った。




「立てる?湊」




「うん。でも渚、どうやって僕の家に入ってきたの?鍵閉めてたんだけど」




「湊はちょっと不用心だよ、家の鍵鉢植えの下に置いたままじゃない。昔と変わってなくて今回は助かったけどさ」




お互いにねと笑う渚に、立ち上がりながら僕は顔を顰めた。


そういうことか。確かに助かったけど、綾乃にバレていたらいつの間にか侵入されていてもおかしくはなかっただろう。


そう考えるとぞっとする。本当に良かった。




…あれ、でもなんで渚は、僕の家の合鍵の場所を知ってるんだ?僕教えたことあったっけ?




浮かんできた疑問に首をかしげそうになるが、渚が僕の手を掴んだまま歩き出した。




「おい、渚」




「せっかくだし、ちょっと歩こうよ。それともあたしの家にいく?」




「…それはいいです」




それはちょっと遠慮願いたい。もう少しこの青空の下を堪能したかった。


あと少しで、どうしようもなく取り返しのつかないことになりそうだったのだ。


今は大手を振って歩きたいという欲求が僕を支配している。




脳裏に浮かんだ嫌な想像を振り払うように、僕は歩き出す。


隣には笑顔を浮かべた渚がいた。僕を見ていた渚が、思い出したように口を開いた。




「そういえば、ゴタゴタしてて言えなかったんだけどさ」




「ん?どうしたの、渚」




僕の言葉を受けて、渚が笑った。太陽のような、とても明るい笑顔だ。




「誕生日おめでとう、湊」




僕はその言葉に虚を突かれる。一瞬声が詰まったが、僕もなんとか笑顔を浮かべて言葉を返した。




「ありがとう。そして渚も、誕生日おめでとう」




「うんっ!」




そうだ。今日は僕と渚の、16歳の誕生日だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る