第47話 約束
「それでどうする渚。行きたいところある?」
僕は渚に話しかけた。
とりあえず軽く歩くことは決めたのだが、行き先は決めていない。
夏の日差しはこの時間からますます強くなっていくことだろう。動くにしても、まずは目的地を決めたほうがいいかもしれないと思ってのことだった。
「そうだね。んー…よし!ちょっと行きたいところあったし、付いてきてもらえる?」
そう言って渚は歩き出す。
僕はその後を言われた通り付いていくが、どこに向かうか分からない。
答えてはくれないだろうけど、一応聞いてみることにする。
「渚、どこにいくの?」
「フフーン、それは着いてのお楽しみー」
やっぱりか。なんとなく分かっていたことだったので、落胆はしなかった。
渚は結構サプライズが好きなため、目的を言わずに僕らを様々なところに連れ回されたりすることがよくあったのだ。
少し懐かしい気分になりながら、僕は渚の隣を歩いていく。
「でも湊も大変だよね、綾乃からあんなに好かれちゃってさ。夏葉もすっごい怒ってたし。あ、そういえば私にキスもしたよね。ひょっとして湊って結構な浮気者?」
「…そうかもしれないね」
渚にとっては場つなぎのための話題だったのかもしれないが、僕にとってその話は重い楔のようなものだった。
はっきりいって僕のやってることは最低である。
僕を好きな女の子二人を残して、別の女の子とこうして別のところへ行こうとしている。
しかも自分から無理矢理キスまでした相手とだ。これをクズと言わずになんというのか。
綾乃から逃げて、彼女を囮にして、渚とこうして一緒にいることに安堵している自分がいる。
なんというか、どうしようもない。
変わろうとしてたのに、僕は何も変わっていないじゃないか。
心がどんどん重くなっていくのを感じる。既に張り裂けそうなほどに、僕は自分自身を嫌悪していた。
「あ、えっと、あの時のことなら気にしないでよ。あたしも悪かったんだし。変に挑発しちゃったから…なんとも思ってないからさ、ね?」
「…ありがとう」
地雷を踏んだと思ったのだろう。フォローを入れてくる渚の慌てた声も、今の僕にはなんの慰めにもならなかった。
むしろなんとも思っていないという言葉に、ますます気分が重くなる始末だ。
…僕は渚をどう思っているんだろう?
心がぐちゃぐちゃになった今の僕では、その答えが出せそうにない。
いや、本当はわかっているのかもしれない。だけど、僕はその答えを知ることが、きっと怖かったのだ。
その後、僕らはどこか重苦しい雰囲気のなか、目的の場所に着くまで一言も話すことはなかった。
「ほら、着いたよ。ここに来たかったんだ」
「ここって…」
着いた場所は小さな公園だった。
見覚えがある。というか、最近来たばかりの場所だ。
なんでここに、そんな疑問を口にする前に、渚が口を開いていた。
「ここ、覚えてる?あたし達がまだ小さかった頃、ここまで走ってきたんだよね」
「うん、覚えてるよ」
あの夏祭りの帰りに、夏葉さんときたあの公園である。そして、今日夢に見たばかりの、約束の公園。
「ここで僕たち、約束したよね。ずっと一緒にいようって」
僕の言葉に、渚が大きく目を見開いた。驚いた顔で、僕を見ている。
そんなに意外だったのだろうか。
「…覚えてたんだ」
ポツリと渚が呟いた。どこか嬉しさが混じった、そんな声だ。
「思い出したのは、つい最近だけどね。それまでずっと忘れてた」
「そっか」
渚はまっすぐ公園内のある場所まで進む。
そこは大きな一本の桜の木だった。この木に寄りかかり、うたた寝をした覚えがある。渚は懐かしむようにその木に触れた。
「あたしはね、ずっと覚えてたよ。あたしにとっては、大切な約束だったから」
「…ごめん」
僕は思わず謝った。人によって大切な言葉は違うだろうけど、渚が大事にしていた約束を忘れていたことが、ひどく申し訳なく思ってしまう。
謝る僕に、渚は軽く首を振った。
「気にしないでいいよ。思い出してくれたなら、それで充分だから」
渚は薄く微笑んだ。木漏れ日を浴びて微笑む渚が、どこか大人びて見える。
風が吹き、ザァッと揺れる木の葉とともに、彼女の髪が靡いていた。
「ねぇ、もうひとつの約束って覚えてる?」
「え…?」
もうひとつの約束?なんだろう、なんとなく記憶に引っかかるものがあるがどうにも思い出せない。なんとか記憶を引っ張り出そうと顔を顰める僕に、渚が笑いかけてくる。
「無理しなくていいよ。これはあたしが覚えていたら、充分なことだから」
「でも」
「いいんだ。あたしにとって、大事なのはそれだけだから」
僕の言葉を遮って、渚はそう言った。
「そろそろ戻ろっか。着く頃には話も終わってるでしょ」
渚はそれだけ言って、出口へと向かっていく。
慌てて僕は追いかけるが、やはりどうにも約束というのが気になる。
だけど渚が語るつもりがない以上、どうにもならないことだろう。
記憶がそのうち蘇ってくることを期待するしかないかもしれない。
僅かな可能性にすがって、僕らはもときた道を歩いていく。
その約束がどれほど重要なものだったか、結局僕には最後まで分からなかった。
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