第40話  海水浴

「ほらほら湊、こっちきなよー!」




「みーくん、浅瀬だからここならまだ足着くよー」




…僕は小学生か。普通に泳げるんだが。


パラソルを設置し終えた僕らは現在、絶賛夏の海を満喫中だった。




渚と綾乃は水をかけあってはしゃいでいるし、僕は浮き輪を持って二人を追いかけている最中だ。


夏葉さんは日に弱いらしく、今はパラソルの下で本を読みながら留守番している。


なんできたのとかいってはいけない。もう少し日が落ちたらちゃんと一緒に遊ぶ約束もしてるのだ。






お約束とも言える日焼け止めクリームに関しては丁重にお断りさせてもらった。


さすがに三人ともなると僕の心臓が持ちそうにない。僕の言葉に頬を膨らませている子が二人ほどいたが、そこは渚を特攻させることで事なきをえた。


塗りたくられたクリームでベタベタになった二人は別の意味で不満そうな顔をしていたが。






そんなわけで僕は久々に心の底から楽しいと思える時間を過ごすことができていた。最近は常に張り詰めていた気がするが、やはり夏の海は人を開放的にさせるのだろうか。


僕も気がついたらはしゃいでしまい、幼馴染同士の水のかけ合いに参加していた。




「ほら、どうだ渚!」




「あ、やったな湊ー!」




「みーくん隙有りー」




僕は集中砲火を喰らいびしょ濡れだ。だけど気分は晴れ渡っていた。


こんな時間が続けばいいのにと、思うくらいに。
















「そろそろご飯にしようよ」




渚の一言で砂浜へと戻ってきた僕らを出迎えたのは、夏葉さんではなくパラソルの前にたむろする、二人組の男の背中だった。


後ろから見ても肌が焼けているのが分かり、髪は金髪に染めているようだ。耳にはピアスもついている。


十中八九、海にナンパしにきたチャラ男だろう。限りなく成功率が低いだろうに、夏の開放感という可能性にかけるチャレンジャーである。




とはいえここにいるということはお目当ては夏葉さんなのだろうが…彼らはどうにも困っている雰囲気が伝わってくる。その理由が、僕にはなんとなく分かってしまう。すでに僕が通った道を、彼らも歩もうとしているのだ。




「なぁ、一人で待ってるなら俺らと飯いかね?奢るしきっと楽しいからさ」




「………」




「…あの、聞いてる?」




「………………」




「そのー、もしもーし?」




案の定、夏葉さんは本の世界に入り込んでいた。


両手で本を開いたまま、微動だにしない彼女に何度も話しかける彼らが気の毒になってしまい、僕は思わず声をかけた。




「あのー、なにかありました?その子僕らの友達なんですけど…」




「お!知り合いか?この子、全然反応ないんだけど、ヤバくね?日射病とかかもしんないし、人呼ぼうかと思ってたんだよ」




「おう、さっきから身動きしないしちょっとまずそうだよな。俺、ちょっとひとっぱしりしてくるわ!」




「い、いえいえ!大丈夫ですから!」




なんか普通に心配されてしまった。その後なんとか誤解を解き、こんなかわいい子を一人にすんなと説教まで受けてしまう。綾乃や渚を見てもあっさり去っていくし、普通にいい人達だったようだ。


人は見た目によらないのかもしれないと思ったが、すぐに別の女性に声をかけているあたり、そんなことはないなと思い直す。


君子危うきには近寄らからず。何故かそんなことわざを、急に思い出してしまった。








ちょっと疲れたものの、いつもに比べたらまだ穏やかなイベントだと思ってしまうくらいには、僕は毒されてしまったらしい。




なんとか夏葉さんを現実に引き戻した僕らは、そのまま海の家へと向かっていった。


















「いやー、遊んだねぇ」




「私はもう疲れました…」




あれからも僕らは夏の海で遊び続け、時刻はもう夕方になろうとしていた。


海はオレンジ色に染まり始め、海岸にいる人もまばらになりつつある。


駅の方へと向かう人が増え始めているようだった。




午後から参加した夏葉さんはもうクタクタといった様子でしゃがみこみ、肩を落としている。


綾乃も遊び疲れたようで、レジャーシートに座り込み、二人は背中合わせで疲れを顕にしている最中だった。




「霧島さん、私に体預けないでくださいよ。重いです…」




「私軽いもん。みーくんの前で変なこと言わないでよ。佐々木さんこそ体力なさすぎだよ。もっと運動したほういいんじゃない…」




「大きなお世話です…」




最近二人が口喧嘩している姿をよく見る気がする。軽口を叩き合う姿を見ると、案外仲がいいんじゃないだろうかと思ってしまう。


きっと僕がいなければ、良い友達になれたのだろう。




そう思うと、少し胸が痛んだ。日が落ちようとしているからだろうか、少しセンチメンタルな気分になりつつあるらしい。


未だ元気な渚が、場を変えようとしたのか、声を上げた。




「それじゃ帰る前になにか飲み物買ってくるよ。あたし行ってくるね」




「あ、僕も行くよ」




僕も渚についていくことにする。さすがに一人で行かせるわけにはいかない。夏葉さんみたいにナンパされないとも限らないのだ。


渚ならきっと上手くかわすのだろうけど、それでも心配なことには変わらなかった。幼馴染だし。




「ありがと。じゃ、いこっか」




「お願いします…あ、私お茶で」




「私は紅茶…」




「わかったよ、なるべくここから動かないでね」




はーいと手を上げて応える二人を背に、僕と渚は歩き出した。














「ねぇ、ちょっと寄り道しようか?」




最初はまっすぐ自動販売機に向かおうとしていたが、渚の一言により、僕らは今波打ち際を進んでいる。


前を行く渚の髪がキラキラと反射し、夕日の中にあってなお輝いていた。




名前の通り、渚を歩く彼女の姿に、僕は密かに見とれていた。






―――綺麗だな






ただ素直にそう思った。


世界に僕と渚しかいないような、そんな錯覚を覚えてしまう。


そうであったらいいのにと、心のどこかで思ってしまう。




「ねぇ、湊」




「あ、なに?渚」




渚の声に僕は我に帰る。どうにも今日は調子がおかしい。


意識していないはずなのに、渚をつい目で追ってしまうことが多かった。




「今日誘ってくれてありがとね。やっぱりみんなで遊ぶと楽しかったよ」




「…僕も楽しかったよ。ありがとう、渚」




楽しそうに笑う渚から、つい目をそらしてしまう。


なんだかその笑顔が妙に眩しい。僕は誤魔化すように、電車の中で思っていた疑問を、つい口にしてしまった。




「あのさ、渚に聞きたいことあるんだけど」




「ん?なになに?」




そう言って渚は僕の目を覗き込んでくる。その青い瞳に、全て見透かされてしまうような気がしてしまう。少しだけ躊躇ったが、ここを逃せばチャンスは遠のくだろう。そのまま僕は話を続けた。




「渚って、ほんとに僕のこと好きなわけじゃないんだよね?」




「…どうしてそう思うの?湊ってそんなに自意識過剰だったっけ?」




「いや、違うけど…なんか、綾乃や夏葉さんに対する行動が、ちょっとおかしい気がして」




「ああ、そういうこと」




合点がいったように、渚はポンと手を叩いた。やはり思い当たることがあるのだろう。要領を得ない僕の言葉からでも、彼女は察したらしい。




「私は恋する乙女の味方ってだけだよ。綾乃は親友だけど、今の湊の彼女は夏葉だしね。そこは平等にしなきゃ不公平かなって。綾乃にもちゃんと納得してもらったよ」




「そうなの…」




正直、イマイチ納得できなかったがこれ以上追求はできなかった。


おそらく煙に巻かれることだろう。今は引き下がるしかなかった。




「ねぇ、今度はあたしが質問していい?」




「なに?」




渋面を浮かべる僕に、今度は渚から声がかかった。


渚が質問に答えた以上、僕も答えなくてはいけないだろう。


僕はすぐに気を引き締めた。が――




「湊って、やっぱり綾乃とキスしたの?」




「うぇあっ!」




それは完全に予想外の質問だった。思わず飛び退いてしまう。


愉快そうな顔をする渚の瞳はいつかのように、好奇心で満ちていた。




「あ、その反応だとやっぱりしたんだ。夏葉とはしたの?それともまだ?」




「ど、どうでもいいだろ。そんなの!」




「あ、まだっぽいね。この浮気者ー」




「ううう…」




…駄目だ。完全に渚の手のひらの上だ。


いいようにからかわれてしまっている。渚の内心は掴めないのに、僕だけいいように情報を引き出されてしまうのが、すごく悔しい。


とはいえなにもできない僕にはもうそっぽを向くくらいしかできることがなかった。黙秘権行使というやつだ。敵前逃亡では断じてない。




「もういいだろ。そろそろ行こうよ」




「あ、待った待った。まだ話は終わってないよ」




そう言って渚は僕の手を掴んでくる。


それに伴い僕らの体はほぼ密着してしまい、急な接触に心臓が飛び跳ねた。


腕に柔らかい感触と、肌の暖かさが伝わってくる。




「ちょっと、くっつきすぎだよ渚!」




「いいのいいの、くっつかないとできないことするんだから」






はぁ?それっていったい―――






「ねぇ、あたしとキスしようよ。湊」


後書き編集

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