第37話 夏葉
僕と夏葉さんは神社から抜け出て、近くの公園まで足を運んでいた。
ここからでも風にのって祭囃子と楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
これから話す内容は僕としても気が重く、勇気がいるものだ。
その軽快で無遠慮なBGMが、今はありがたかった。
僕達はベンチへと腰掛ける。
幸い公園内に人気はなく、僕ら以外には誰もいない。
小さい頃にここまで走ってたどり着いた時は、ちょっとした大冒険をしているような気持ちになったものだが、今は遊具もところどころ錆び付いており、どこか寂しさを感じさせた。
あの時は綾乃も渚も一緒だった。
ここでなにか約束もした覚えがある。確か、三人ずっと一緒にいようとか、そんな内容だったと思う。今の今まで忘れていた。
二人も忘れているだろう、遠い過去の記憶。
僕は今日、綾乃を振った。
彼女は諦めないと言ったが、それはきっと過去の思い出や積み重ねで、自分の想いを勘違いしてるだけだ。一種の刷り込みというやつだろう。
そうでなければ僕なんかにあそこまでこだわるはずがない。その、はずだ。
僕は自分に魅力があるなどと自惚れてはいない。
性格はこの通り卑屈だし、女子である幼馴染に醜いコンプレックスまで抱えている始末だ。
運動や勉強も並よりはマシな程度。
顔だって男に見られないこともしばしばだ。この前なんて男にナンパまでされた。
おまけに嘘つきで流されやすい。だからこんなことになっている。誰にでもいい顔をしようとして、その結果友達まで失った。
変わろうとしたらしたで今回の件だ。もう神様に嫌われているとしか思えないほど、運にも恵まれてないらしい。
ざっとあげつらねてこれだ。まさにダメ人間の見本というやつだろう。救えない。
だけど、それでも僕を好きだと言ってくれた人がいた。
あんな場面を見ても僕の手を握り、ここまで付いてきてくれた人が、ここにいるのだ。
夏葉さんは今も暖かい手で、僕の手を包んでくれていた。夏の夜の生ぬるい暑さも気にならないほどの優しさで、離さないというように、強く、強く。
だから、それに応えないといけないと思った。
僕は逃げてばかりいた。逃げて逃げてここまできた。
そうすれば、自分の弱さや醜さからも、目をそらせると信じていた。
でも、それじゃ駄目なんだ
僕はもう逃げない。ここで逃げたら、きっとこれからもずっと逃げ続ける。
本音を晒すのは、正直怖い。
誰にも言ったことがない自分の弱さを晒すのは、とても勇気のいることだった。
嫌われるかもしれない。泣かれるかもしれない。幻滅だってされるだろう。
それでも、今隣にいる女の子のことを、これ以上裏切りたくはなかった。
今更だけど、これが僕が彼女にできる精一杯の誠意だった。
「ちょっと長くなるけど、聞いてくれるかな?」
「いまさらですよ、そのために着いてきたんですから」
夏葉さんは僕の言葉に頬を膨らませる。それを見たらおかしくなって、僕は思わず笑ってしまった。
「あ!ひどいですよ、湊くん!私、真剣なんですよ!」
「ごめんごめん。でも、おかげで勇気を貰えたよ」
「え。はぁ、そうですか」
夏葉さんはよくわかっていないようで、首をかしげた。
その仕草になんとなく、救われたような気がした。
「じゃあ、話すよ。その前に、ちょっと僕の話を聞いてもらえるかな」
そして僕は話始めた。
綾乃のこと。渚のこと。そして二人にコンプレックスを持っていること。
二人から離れたいとずっと思っていたこと。僕の弱さや醜さも、全部。
全て話した。なにもかも、僕はその場で吐き出した。
夏葉さんは何も言わず、ただ僕の話を聞いてくれていた。
それがとても、ありがたかった。
「…そういうわけなんだ。綾乃の気持ちに、僕は気付いていなかった。いや、もしかしたら本当は分かっていて、目を背けていたのかもしれない。でも。僕は綾乃を好きなわけじゃない。だから、受け入れられなかった。キスはその、強引にされちゃったけど」
話が終わり、僕はようやく一息ついた。
なんだか胸が軽くなった気がする。語ってみれば、なんでこんなことをこれまでできなかったんだろうという、どこか晴れ晴れとした気持ちがそこにあった。
ほんの少し勇気を出すだけでよかったのだ。これが二人に対してもっと早くできていれば、もしかしたら違っていたのかもしれない。
追い込まれてようやく本音がでるとは、やっぱり僕はどうしようもない。
いつもの癖でつい自嘲してしまうが、それすらも今は心地よかった。
今はもう虫の鳴き声しか聞こえてこない。祭囃子はいつの間にか終わっていた。
ずいぶん長い間話してしまっていたらしい。その間一言も喋らずにいた夏葉さんには、本当に感謝しかなかった。
お礼の言葉をかけようと思っていた時に、夏葉さんがぽつりと呟くように口を開いた。
「湊くんの事情は、わかりました。ただ、一つだけ聞いてもいいですか…湊くんは、私のことが好きで付き合ったわけではないんでしょうか?」
「…うん、違う。僕はただ、二人から離れたくて夏葉さんと付き合うことを選んだんだ。そして今も、君のことを好きだと言える自信がない」
僕の言葉を聞いた夏葉さんは俯いた。
当然だろう。こんなことを言われて、怒らないはずがない。自分が逃避のために恋心を利用されていたなど知ったら、殴られたって文句を言えないのは当然だ。
これは振られるなと思った。綾乃と付き合う気はないが、僕もこれで独り身に逆戻り。
本当に夏葉さんには迷惑をかけてしまった。大人しく彼女からの断罪を受け入れる覚悟を決めた時、夏葉さんはガバリと勢いよく顔を上げた。
「あー!やっぱりですか!そんな美味しい話があるはずないと思ってたんですよね!お互い一目惚れとかそりゃないですよねー」
恥ずかしいと手で顔を覆う夏葉さんに、今度は僕が戸惑ってしまった。
あ、あれ?おかしいな、そういう反応なの?
「えっと、僕のこと、怒らないの?」
「いや、まぁなんとなく気まずそうにしてるなぁって感じる時ありましたしそこまで私のこと好きじゃないのかもとはちょっと思ってました。あんな美人さん二人に囲まれてたし、やっぱり面食いなのかなぁって。ぶっちゃけ遊んで捨てられるのかなとかも思ってましたしね。でも、さっきの話聞いていろいろ納得しました。湊くんも苦労してたんですね」
うんうんと頷く夏葉さん。何故か僕のほうが慰められている。
「でも、僕は夏葉さんのこと好きってわけじゃ…」
「それでも、湊くんは霧島さんより私を選んでくれたじゃないですか。ここまでずっと、手を握ってくれました」
夏葉さんは優しく僕に笑いかけてきた。
泣いてもおかしくないのに、なんでそんな顔ができるのか、僕には分からない。
「それに、全部ほんとのことも話してくれましたよね。嬉しかったです。だから私も、本当のことを話します」
「え…?」
夏葉さんは立ち上がる。僕の前に立って大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
そして、僕を真っ直ぐに見つめた。とても優しい目をしていた。
「私は、湊くんのことが好きです…私と、付き合ってくれませんか?」
「あ…」
そういって、彼女は頭を下げてきた。
あの時のように震えてはいない。僕の言葉を、ただ待っている。
なら、僕は―――
「僕のほうこそ、お願いします」
「はい、よろしくお願いします!」
顔を上げた夏葉さんは笑顔だった。それも、これまで見たなかでも、とびっきりの。
それを見た僕の頬に、なにか流れ落ちていくのを感じた。
触れてみる。水だ。雨が振っているわけでもないのに、まるで止まることがない。
それが自分の涙だと気づけたのは、夏葉さんがハンカチを僕の目元に当ててくれてからのことだった。
何も言わず、優しい顔で僕の涙を拭ってくれる。
本当に泣きたいのは、きっと彼女のほうだろうに。
情けないという気持ちはある。でも、そんな自分ももう夏葉さんには晒してしまった。
なにより、これ以上はもう我慢できそうにない。
「う、あああぁ…」
僕は彼女の前で声を上げ、涙が枯れるまで泣き続けた。
そんな僕に、夏葉さんは最後まで寄り添ってくれていた。
きっと忘れることはないだろう、夏の日の夜の出来事だった。
夏はまだ、続いていく
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