第38話 見えない渚

「ねぇみーくん!海見えてきたよ、綺麗だねー」




「み、湊くん。もうすぐ着きますけど、その前に荷物の確認しませんか?霧島さんのことは無視していいですから」




「…うん、綺麗だね。電車に忘れ物したらいけないし、チェックは大事だよね。夏葉さんありがとね」






…僕は逃げないと決めた。もう逃げずに向き合うとも思った。


でも、正直もう逃げ出したい。決意があっさり砕けそうだ。電車だから逃げ場ないけど。




隣を夏葉さん、正面に綾乃という形で挟まれるように座っているため、僕はどうしようもない窮地に追い込まれていた。乗り換えこみで一時間ほどずっとこんな感じで、常に二人の応酬が続いている。




まだ目的地に着いてもいないというのに、僕の胃は既に悲鳴をあげていた。


向こうに胃薬は売っているのだろうか。






こうなるとそんな僕をニヤニヤした目で見ながら高みの見物を決め込んでいる渚に、怒りの矛先が向いていく。僕は渚を無言で睨む。早い話が八つ当たりだった。


あとできれば助けてほしいという僅かな希望もこめている。




他力本願ではあるが、この状況は僕にはどうしようもないのだ。人間、ちょっと決意しただけですぐに変われたら苦労はしない。




(渚、見てないで助けてよ)




(むーりー♪)




幼馴染だからなせるアイコンタクトは無意味に終わった。


それでも渚の考えだけははっきりわかるのだから腹が立つ。


せめて圭吾や幸子がいてくれたらなんとかなったと思うのだが、僕からの親友へと向けた必死の懇願は見事に空振りとなった。




今は二人で北海道にいるらしい。どうやらバイトしてひと夏の旅行に行くことを、かなり前から計画していたようだった。


…意外と尽くすやつだとは思っていたがそこまでだったとは。申し訳なさそうに謝っていたが、圭吾の口調は明らかに緩んでいた。言葉の端々から、幸子と旅行にいけるのが嬉しくて仕方ないということが伝わってくるあの時の圭吾に、無理強いなどできるはずもない。






そんなわけで、僕らは今幼馴染と夏葉さんを含めた四人で、夏の海へと向かっている最中であった。


目的はもちろん海水浴一択である。わざわざ暑い中人の多い海水浴場に行くことなどないだろうと思わないでもないが、口には出さない。




そもそも水着を買いにいった時にこうなるだろうとは思ってたし、綾乃からの二人きりでの海水浴デートの誘いを回避するために、夏葉さんと渚を巻き込んだのは僕である。


…水着姿が見たかったのかという質問には、黙秘権を行使させてほしい。






僕からの誘いを二つ返事で承諾した渚は、今も駅で買ったお菓子をひとりでパクパクと頬張っていた。とても楽しそうな顔をしているが、最近僕は渚のことが、よく分からなくなっていた。




この中にいる女の子で唯一僕を恋愛対象として見ていないのが渚だ。


そのことは本人から聞いたことではっきりしている。


だけど、渚の考えがイマイチ分からないのもまた事実だった。




綾乃の気持ちを知っているのなら、親友である彼女を応援するのが筋だと思う。


実際僕と二人きりになるために協力したようだし、僕はキスまでされたのだ。


あの時夏葉さんがこなかったら、今も影で僕のことを手に入れようと動いていたはずだ。


もしかしたら、今日綾乃だけが僕の隣にいた可能性もあったかもしれない。




だけど実際は違っており、渚は夏葉さんに僕らを探すよう促した。


これは親友に対する明確な裏切りである。本来なら険悪になっていてもおかしくないのだが、今も渚は綾乃にお菓子を渡しており、綾乃はそれを嬉しそうに受け取っていた。嫌いあっているような雰囲気は微塵も感じられない。






だからなお分からないのだ。点と点が繋がらない。何かが食い違っている気がする。


渚が単純に僕らの仲を引っ掻き回すのが好きなトラブルメーカーだというのなら話は別だが、渚に限ってそれはないと断言できる。






渚は人間関係で乱れるのことを極端に嫌っているということを、僕は知っているからだ。


実際渚はクラスを上手く取りまとめており、いじめなども僕らのクラスで起きてはいない。健人に関しても、基本腫れものに触れるような扱いではあったものの、深刻な事態にもなってはいなかった。




幼馴染についてもそれは同様で、実は三人の中で一番幼馴染の関係にこだわっているのが渚であるということも、僕は知っていた。そして何故そうなったのかも、察しがついていた。


それでも離れることを選んだのだから、あの時の僕にはよほど余裕がなかったのだと今ならわかる。




近いうちに、渚とも話しあう必要があるのかもしれない。


そんなことを考えていると、電車が目的地に着いたようだった。多くの乗客が一斉に立ち上がり、駅のホームへと流れ込んでいく。


僕らも荷物棚からバッグを下ろし、それに習って電車を降りた。ここからでも見渡すことのできる一面の海は、光を浴びて輝いている。夏の海だ。なんとなく気分が高揚していく。




「ほら、いこうみーくん」




「私と行きましょう湊くん」




「あ、ちょっ!」




だけど感傷に浸る暇もなく、僕は二人に引きづられ、改札口まで連れていかれることになった。


そんな僕らを後ろでやれやれとポーズまで取りながら渚がついてくる。




駅から出た僕達四人を、夏の暑い日差しが迎えてくれた。




「それじゃ海岸まで競争しようよ!はい、よーいドン!」




「え、待ってよ渚!」




唐突に渚が駆け出した。前を歩く人はまだ少ないとはいえ、いくらなんでもいきなりすぎる。僕も慌てて駆け出した。背後からは綾乃と夏葉さんも続いている。




前を走る渚は相変わらず足が早い。


昔からそうだった。いつも僕らの先頭をいくのは渚の役目で、僕は彼女についていくだけでいつも精一杯だった。


だけど、そんな渚のことが僕は―――




「ま、待ってくださいよ皆さん~!」




その声に振り返ると、数十メートル離れたところで、夏葉さんが汗だくで歩いているのが見えた…インドア派の彼女にはキツかったらしい。






僕は夏葉さんと合流するために転換し、それに綾乃もついてくる。


渚の姿はもう見えない。まぁスマホがあるし大丈夫だろう。


陽炎の漂う道を引き返していくうちに、さっき浮かんだ考えは夏の空へと消えていった。

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