1:赤い瞳の魔王

 ポールスモートの上空は、黒と白の衝突が繰り返されていた。

 爆発に金属音、風鳴りに擦過音。

「そのまま、エインジドの再現じゃないか」

 エイブスは無人の街を駆ける足をそのままに、青空を見上げた。

 表情は常の通り大きな動きはないが、胸の内には呆れが大きい。

 再現というからには、魔王の敗北は必至だ。最初から結果がわかっているというのに、なぜ彼は天使へ向かっていくのか。

 同じ疑問は、低空をいく同行者も感じたようだ。

「灼赫の邪眼は、勝利するつもりがないのですか?」

 翠の瞳で頭上を見上げながる若い天使が、エイブスの分まで呆れを眉間に寄せていた。

「その口振り……スイギョクは、カオルに勝って欲しいのですか?」

「いいえ」

 少年のような天使は、きっぱりと首を横に。

「私は、灼赫の邪眼の勝利も敗北も願ってはいません。メノウさまについても、同じです」

 それはつまり、

「上空の戦闘は、父の意思ではありません」

「天使の意思共感か」

「全ての天使が、父の意向によって動くための仕組みです」

 天使来訪を受けて、事前に準備を進めていた情報屋には、よくよく承知のことだ。

「無論、私自身の意思もあります。先日に話したとおり、彼らの衝突を避けることでした」

 思いは、口元の苦りと過去形の語尾に表れて、エイブスも胸中の嘆息を禁じ得ない。

 彼らの思惑は、一点の情報を以て、魔王と天使、そして優者の戦闘を回避することにあった。

 一点とは、つまり名誉の白羽の正体について。

「意思共感から、名誉の白羽は神以外の誰かが望んだと、とスイギョクは判じましたよね」

「ええ。神の意思であれば、私が疑問に覚えることはありませんので。

 最初は、メノウの独断によるものでは、とも思っていたのですが……」

「彼女のカオルに対する異常な依存心を見るにつけて、魔王討伐を彼女が自ら指示するとは到底思えませんね。裏表があれば、あそこまで必死に概要のズレを許さないなんてことはないだろう」

 求めるは『父が求める』がままの結果。そればかりでなく、至るための道程までも、完全な一致を求めている。

「名誉の白羽以降である今の姿しか知らないが、あの様子では昔から相当だったと推測できるね」

「では、一体何者が、件の人身御供を求めているのでしょうか」

 スイギョクの問いに、エイブスは苦笑で答える。

「つい昨日に聞いた話なので、確かな裏付けはありませんが、面白い話があります。

 一〇〇年前にボードフィール教会の司教へ神託が下ったその日、近くで赤目の男が目撃されているのです」

「赤目?」

 驚き、見上げる天使の視線の先には、灼赫の邪眼のぼろぼろな姿。

 こちらの意図が、余すことなく伝わったことを確かめると、エイブスは言葉を重ねる。

「タイミングは合う。あいつがメノウの元を離れてすぐに、神託が下ったと聞きましたよ」

「ですが……」

「さらに言えば、被害者と言える勇者への過保護さも考慮するべきかと」

 ついにスイギョクは言葉を失う。

 眉間に幾重の剣山を刻んで、迷いを示すように、破音が響く上空へ目を。

 仕方無い、とエイブスはうそぶく。

 戦闘を止めるために犯人を探していたところ、相対者が首謀者だったのだ。裏切られたかのように思っても、仕方のないこと。

 天使とはいえ、神の意思なるものが明確でなければ、人と似たようなものだなと感心しながら、

「どうします?」

「え?」

「天使さまはどうするのか、と問うているのです」

 答えを求める逡巡ならともかく、戸惑うだけでは前進はあり得ない。

「私はカオルのもとへむかい、彼を助けます。

 上のザマではあいつ、自らの死すら視野に入れているでしょうから」

「相手は天使……人の身では敵わぬ相手ですよ!?」

 傲慢にも聞こえるが、事実でありスイギョクの心配が本気であるから、棘は感じない。

 この程度の言い回しをカチェスも学んでくれたなら、とは願うが、無理だろうな、と吐息一つで諦める。

「私はこの街で生き、これからも生きていくつもりです。ですが、カオルが討たれて教会が台頭するポールスモートなど、想像もしたくない。

 望むべくを望むために。

 であるから、小さな身でありながら大きな危険に向かっていけるのです」

 表情を大きく変えず、わずか上を飛ぶ天使へじっと視線を投げかける。

「手段はあるのです」

「本当ですか? それは、どのような?」

「言ったでしょう、あいつは勇者に特別甘い。これを利用し、スイギョクの協力があれば、どうにか算段はつけられます」

 一息ついて、しかし、見つめる瞳はわずかも逸らさず。

「どうしますか?」

 問いはしたが、瞳に力を込めた天使の、その返答を待つ必要はないだろう。

 エイブスは痩身を駆る。

 戦場の真下へ向かって。

 事態の鍵を握るであろう勇者のもとへ、辿り着くために。

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