3:『そう』なる基準は
クリーティアが彼に追いつくと、不思議な光景に直面した。
薄暗い森の中、魔王はしゃがみ込み、ひどい火傷の聖堂騎士に手をかざしている。おそらく、先の戦闘で、運悪く威嚇の火球に巻き込まれたのだろう。
木々の間から遠巻きにしているため、判然としないが、倒れた方はぴくりとも動かない。
少女は訝りながらも、事の行方を伺い続ける。
「メグさんは、私に何を望んでいるのです?」
勇者であれば、知る権利がある。
カオルが魔王であるということではなくて?
それに関しては、強い疑いは残るものの、かなり大きな割合で信じている。
目の前で行われている、彼の行為を理解することはできないが。
変化は、突然だった。
倒れた男の体が光を放ちはじめた。暮れかけている森の中とはいえ、昼の太陽に負けぬほどの強く、しかし揺れる儚さをもつ。
光は、空へ立ち上ろうとするのだが、カオルの手の平がそれを許さない。
輝きが彼の手から溢れだし、ほぼ同時に、光は実体を持ちはじめる。
完全な魔族であった。
二メートルほどの巨躯で、全身が血のように赤い。顔からは感覚器官のほぼ全てが欠落しており、大きな口だけが残るばかり。
「名前は?」
魔王が、寂しげに微笑みながら尋ねる。
生まれたての魔族は、悩むように数度唸り、
「ゴルバード」
「よし、ゴルバード。他に覚えていることはあるか?」
やはり数度の呻き声があがり、今度は答えがなかった。
とん、とその肩を叩き、
「気にするな、ゴルバード」
「だが」
「名前を覚えていたんだから、上等だよ」
「そうか」
「そうさ」
男の異相がじっと森の奥を見つめて、
「ここをまっすぐ行くと、森を抜ける。すると、山が見えるんだ」
「山?」
「ああ、少し遠いけどな。その山まで行けば、お前の仲間がいる」
「本当か?」
「傷つくよ?」
「すまん」
「冗談さ。そいつにカーオロイの紹介だといえば、良くしてくれるはずだ」
「カーオロイ、あんたの名前か」
「ただ、注意だ。山まで行く間に、寄り道はするな」
「すると?」
「俺の名前を出しても、お前は敵だとみなされる」
「厳しいな」
「ルールってのは、厳しいもんさ」
「そうだな。そうでなければ意味がないからな」
「わかってるじゃないか。覚えていることが、一つ増えたな」
魔族は、唸るような声で礼を言って、示された方角へと姿を消していった。
残された男は深くため息をついて、
「出てこいよ、クリート」
※
「……いつから気付いていましたか?」
「最初からだ」
隔てていた茂みをかき分け、少女はその隣に、恐る恐る並んだ。
この男が人間であり、魔王を名乗っているだけ、というほのかな希望は吹き消された。
完全に魔族であり、言を信じれば、魔王なのだ。
「あれ?」
ふと、気がついたのだが、聖堂騎士の姿はいつの間に消えていた。
「あいつは死んでいた。気をつけてたんだけど、さすがに直撃しちゃあな」
声にも出さなかった疑問を、カオルは答えてくれた。突然の沈んだ調子だったものだから、驚き、言葉を返せないでいると、
「だから、ああなっちまった」
「! あの魔族は、先ほどの聖堂騎士であると?」
「そうだ」
しかし、それでは、
「敬虔な信徒であるはずの聖堂騎士が、魔に魂を囚われるわけがありません!」
「善徳を糧に天を目指すはずだからな」
彼の信仰はどうなるというのだ。
生涯をかけた善徳であり、殉教によって幕を引いたというのに。
クリーティアは、理不尽への怒りに拳が震える。
「何故です」
「魔族になる基準は、俺にもわからん。ただ、大半はそうなっちまう」
短く曖昧な言葉に、しかしカオルは丁寧に答えてくれる。
「本来は、魔王の玉座より地階にある『生命の池』って呼ばれているとこまで飛んでいって、そこで生まれ直すんだ。だけど魔城は今、魔王がいないおかげで内紛状態にある。そこに放り込むのはさすがに忍びなくてな、できる限り俺の手で魔族化させて、信用できる奴に預けてるんだ」
「魔王がいなくて紛争?」
思いもよらない言葉であったが、経緯を考えればそういうこともあるだろうと、おおざっぱな理解を示すと、
「この地域で、魔族の目撃が増えたのも、それのせい。統制が効かなくなっているんだ」
「それなら、あなたが戻ればいいだけでは?」
「邪眼を失った魔王じゃ、跳ねっ返りを抑えつけらんなかったのさ」
男の赤と青の目が、少女へ向けられていた。
試すような、確かめるような、そんな色をしている。
「こいつが『神』の作った道理だ。いったいぜんたい、何を望んでらっしゃるのやら」
問われても、わかるわけがない。
着込んでいる聖印の刻まれた鎧も、答えを教えてくれるはずもない。
そもそも、これまで信じていた信仰の根拠が、完全に否定されてしまったのだ。
言葉の出ようもない。
風が吹いて、金の髪を揺らす。
柔らかい、頬を撫でられるような、優しい風。
しかし、見つめていたカオルの頬は強張り、
「どうしました?」
緊張感なく尋ねれば、答えはなく、彼の目は上へと向けられる。
不審に追えば、木々の隙間に浮かぶ人影が。
「……天使さま?」
メノウという名の、神の使い。
深い、深い微笑み。
美しい夕映えすら目に映ってはいないのだろう。
まっすぐにカオルへ。
勇者となった少女も、思わず彼へ視線を。
驚きと悲しみをないまぜに、カオルは鋭い眼をぐっと細め、
「本当に、神様ってのは何を望んでいるんだか」
指輪をした左手を強く握り、苦く呟くのだった。
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