2:魔王の所業

 炸裂は、やはり見かけばかりで、一瞬の爆熱もすぐさま蒸発してしまう。

 それでも示威効果はあり、街道を進行していた正教徒九人の足が止められる。ばかりでなく、彼らは驚愕の表情で浮かぶカオルを見上げ、剣を握り虚空へと切りかかりはじめた。

 魔王の腕の中でともに空を漂うクリーティアは、半ば憮然と訊ねる。

「何をしたのです?」

「幻覚だな。爆発で怯んだ戦意を足掛かりに、奴らの魔王のイメージを具体化させただけ」

 てんでバラバラな効果のない戦闘を続ける彼らへ、カオルは、これで日暮れまではもつだろうと、満足の頷きを見せていた。

 少女には、それが気に入らない。

「野の魔族ばかりでなく、教会の徒まで救おうと?」

「なに怒ってんだ? おっかねぇよ?」

 こちらの、沸騰をどうにか抑えた言葉に返るのは、おどけるような言い草だったから、語気が荒ぶってしまう。

「魔王らしくありません! だから、私も疑うのですよ!」

「なんだそりゃ。じゃあ、ドッカーンってな具合に、あいつら皆殺しにしたら、勇者サマは満足するのか?」

「それは……」

「な? あほらしいこと言ってないで、連中を止めるぞ。他は森の中だな」

 言葉に詰まったこちらを置き捨てるよう、ぐっと高度を落とし、広葉樹のひしめく薄暗い森の中へ。

 風切るクリーティアは、鼻をかすめていく独特の腐葉土の匂いを嗅ぎながら、自分の心が均衡を失っていることを確かめる。

 十年前に魔城へ至ったメグが言うには、魔王は優しい男だそうだ。しかし少女は、打倒すべき相手として、その存在を求めてしまっている。

 彼女と自分と、年齢の他には何が違っているのだろう。

「メグさんは、強い方なのですか?」

「そりゃもう、つえーのなんのって。タイマンで剣の勝負なら、俺でも……」

 言いかけたカオルは、明らかに失言を後悔していた。赤みの無い左の碧眼が困惑に歪む。

「大丈夫です。お話は、本人からお聞きしました」

 そっか、と、しかし晴れない顔で笑みを作ると、

「どう思った?」

「え?」

「彼女は、お前さんの先輩にあたるわけだ。で、話をしてみて、どう思った?」

 唐突な問いは曖昧で、だから意図を勘繰る。

 人格の評価を聞きたいわけではないだろうから、彼女が持つ魔王評をさらに自分に評しろということではなかろうか。

 であれば、と月夜での密談を思い出しながら、

「……魔王は優しいと……天使までも堕落させるほどに優しいのだそうです」

「で?」

「メグさんも、きっと、その優しさに触れたのだろうと思いました」

 そうでなければ、どうしてあんなにもやわらかく笑えるだろうか。

 答えが返らなかったので腕の中から見上げれば、カオルが苦笑いを浮かべていた。

「教会にとって、魔王と彼が率いる魔族は敵だ。これは、間違いないだろ?」

「……ええ。聖典にも『神と相容れぬ者ども』と書かれていますし、なにより私が勇者として、魔王であるあなたを討つべしと宣託を受けたことも証明になるかと」

「おお。だけどな、その逆を考えたことはあるか?」

 ……逆?

「魔族にとっての教会は、滅ぼすべき相手なんかじゃあない」

「え? どういうことですか?」

「よし、考えるのは後だ」

 言われて顔を上げれば、慣れない足取りで森を進む六つの背中が見えた。

「今は、俺とお前さんのおかげで焼かれそうになっている村を救わなきゃな!」

「え? ちょっと待ってください! 私も関係あるのですか!?」

「当たり前だろ? なんせ魔王にさらわれて、なす術なしの勇者サマなんだからな!」

「そんな! それでは、私があまりに無能者ではありませんか!」

「魔王サマがあまりに強大だったのさ!」

「それはそれで気に入りません!」

「……わがままだなあ」

 クリーティアはいまだ不平をこぼすが、カオルはケタケタ笑うばかり。

 いずれにせよ、勇者には不本意なまま、第二幕が始まった。


      ※


 途切れ途切れに響いていた爆発も、空が赤らむ頃には鳴ることをやめていた。

「どうやら、終わったみたいだね」

 村の広場で事態を観察していたエイブスは、感情を込めずに呟いた。

 背後には、朝から農作業を中断せざるを得なかった村人たちの不安をなだめる、かつての勇者がいる。村にとっては新参者の彼女だが、どうやらすでに、顔役の一人であるようだ。傑出した才は、武にのみ偏っていたわけではないらしい。

 どうにか収拾のついた現状を説明し終えたメグが、家々へと帰る隣人たちを背に、よそ者と肩を並べてきた。

「ごくろうさま」

「いえ。これも、私の責任のうちですよ」

「十年前に受け入れてくれた、この村へのかい?」

「それもあります」

 じゃあ他には、と尋ねる気にはならなかった。

 ポールスモートの情報屋は、彼女とカオルの関係のほとんどを知っている。だから、百姓の恰好をした元勇者が、魔王を名乗る青年に対して恩義を抱いていることも知っている。その原因までは、彼の情報網にも引っかかることはなかったが。

 噂を複合すると姿を現わす、一つの推論はある。しかしかつて辿り着いたこの答えは、情報の形どころか根拠すらないことから、披露する気はみじんもない。

 自分自身すら、信じているか怪しいものだ。

 自嘲していると、黒髪を揺らす彼女に、盗むような横目で見つめられていることに気付く。

 言葉以外が無愛想な青年は、小首を傾げて、彼女の言葉を待つ。

「エイブスさんは、どうしてカオルさんと一緒にいるんです?」

「大体は趣味で、残りは仕事かな。私の上司が、えらくあいつをお気に入りでね」

「ああ、お話はよく聞きますよ」

 片眉を上げて面白がるような仕草で続きを促してくるから、メグも小さく笑って、

「あの魔王すら慄く、恐怖のポールスモート議長さんですね」

「なんというマイナスイメージだ。カオルだな?」

「あら? 言ってはいけないことのようですね」

「構いはしないよ。けどまあ、できれば」

「黙っていたほうがよかった?」

「その逆だね。できれば、カチェス本人に聞かせてやりたい」

「えっと……その場合は?」

「カオルがぼこぼこにされて、身内の肴になるってだけさ」

「噂どおりの方なんですね」

 残念ながら、と肩をすくめる。メグの囁くような笑い声が、秋の風が運ぶ麦畑の合唱に呑み込まれた。

「実際、カオルが魔王かどうか、知りたかったんだ。十年前に街へ流れ着いた時から、桁外れの魔術を振い、法外な宝石類を持っていた。そんな派手な奴だから、あちこちから私のところに、あいつの背景を調べろという仕事が入ったよ」

「結論は?」

「不明さ。それ以前の足取りは、あなたのところでぷっつりと途切れているんだから」

「ふふ……なら、私のことなんか、とうに調べたのでしょう?」

「まあね。あなたが元勇者だって事実が、なおさら、私の興味を惹きつけたよ」

 そして、その事実が導く疑惑というものもある。

「あなたがメグ・ティングリドだというのなら、カオルに持っていけと言った剣も、いわゆる『魔擢の聖剣』のことじゃないかな?」

「そうですね」

「じゃあなぜ、彼に持たせようとする。無意味じゃないか。物理的な意味合いでいったら、あいつに勝てる人間なんかそうはいないんだから」

 疑惑を加速させるのは、あの時のカオルの言葉だ。

 ……俺に、その二十人以上の全員を、皆殺しにしろってか。

 エイブスには、彼の真意も真実も見えていない。近づいている実感はあるが、実相を掴むには、多くの破片が隠されたままだと、予感している。

 問われた女は、頬の笑みを大きく深めて、

「ああ、ほら。二人が帰ってきましたよ」

 誤魔化すように指す先を見れば、くたびれた黒のジャケット姿と、そこからぶら下がる眩しいばかりの白い革鎧姿があった。徐々に近づいてくるその影だったが、村の入り口近辺まで来たところで、ぶら下がるほうが放りだされた。

 そこそこの高度はあったが器用に着地し、金髪を揺らしながら猛然と抗議をしている。が、放りだしたほうは、相手どる覇気も見せず、再び森へと戻っていった。

 目くばせで疑問を取り交わしたのち、小走りに駆けだしたのはメグだった。エイブスも、頭を掻きながらあとに続く。

「どうしました?」

「どうもこうもありません! 突然、三人で後片付けしてくれと言って、放りだされたのですよ! いくら気が滅入ろうが、仕事を押し付けるなんて、言語道断です!」

 後片付け? と、男女が顔を見合わせる。互いの瞳に回答が無いことに行き付くと、事情の説明を要求。すると、少女は憤慨の勢いそのままに、

「ええ! カオルさんが魔術で無力化した聖堂騎士団を保護してくれ、と……まったく、自らの仕事を放り投げるだなんて!」

「ああ、なるほど」

 納得に、付き合いの長い元情報屋は首を縦に。

 あの男は、命を奪うことができない。人間であろうが、魔族であろうが。

 その信条も、彼の身元と同じで、どこに由来するかわからないものの一つだ。だが、はっきりと、彼が殺意もって魔術を振るうことはない。それどころか、敵対する人間の致命傷を癒している姿も、両手の指では数えきれないほど目撃している。

 では今回の、後始末をこちら任せて自身は森に消えるという無責任な行動を、どう説明するのか。

 メグはエイブスより早く、より正確に洞察しえたようで、不機嫌に眉を寄せるクリーティアの両肩をつかんで言った。

「クリートさんは、あの人のことをより知りたいとは思いませんか?」

「それは、ええ。できることなら」

「なら、彼を追いかけなさい。名誉の白羽を受けた身ならば、知る権利はあるのですから」

 きょとんとなる小柄な少女を眺めながら、街の情報屋はなるほどと、胸中でもらした。

 エイブスには、勇者にのみ知りえる真実の内容にまでは目が届かない。が、そのようなものがあるという事実を知ることはできた。

 つまり、重なりあった噂から導かれたかつての推論は、あながち間違いではなかったのだ。

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